第193話 分断策

 大陸西部の南東地域で同盟軍と侵攻軍の激戦がくり広げられている頃、ザウアーラント要塞でも戦いは続いていた。

 この日、要塞は帝国の軍勢から、開戦以来七度目の攻勢を受けようとしていた。


「……敵部隊に増援は見えません。やはり、あの二千で攻勢をかけてくるものと思われます」


「そうか。相変わらずたわいもない兵力だな。いい実戦訓練だ」


 城壁上から敵部隊の様子を確認したリヒャルト・クロンヘイム伯爵の言葉を聞き、イェスタフ・ルーストレーム子爵は鼻を鳴らす。

 帝国側の攻勢は、一貫して小規模なものだった。千からせいぜい三千ほどの兵力で力押しの攻撃を仕掛け、しばらくぶつかり合った後にあっさりと退いていく。そのくり返しだった。

 明らかに、要塞を本気で攻略するためのものではない。大陸西部に侵入した侵攻軍が北進してくるまで、要塞に同盟軍の兵力を張りつけておくための牽制と思われた。


「それで、ルーストレーム卿。本当に突撃するのですか?」


「せっかくここまで準備をしたからな。敵も同じような戦いばかりで飽きているはずだ。ここらで少し刺激を与えてやるのが礼儀だろう」


 イェスタフの言葉に、彼を囲む騎士たちが笑い声を上げる。イェスタフたちは完全武装で騎乗し、要塞の城門の裏に控えていた。その数はおよそ二百。

 帝国の軍勢はこれまでの六度の戦いで、弓やクロスボウの有効射程に入るまでは要塞側からの攻撃を受けないと思い込んでいる。そのため今では、要塞から視認できる距離で悠長に攻勢の準備を行っている。

 今回の敵側の指揮官は、これまでの指揮官と比べてもあまり有能ではないらしく、攻勢準備をする部隊に見張りは立っていても防衛準備はろくにされていない。

 イェスタフたちはそんな敵の意表を突き、要塞から視認できる距離でのんびりと攻勢準備を進める敵部隊に対し、城門を出て騎乗突撃を仕掛けるつもりでいる。

 この騎乗突撃が成功すれば、いつ奇襲を受けるか分からない敵は今までより警戒心を強め、要塞への攻勢準備はその分だけ手間取る。単に敵に刺激を与えるためではなく、以降の戦いを楽にするための作戦というのが本当のところだった。


「……では、せいぜい気をつけてください。あの程度の敵にあなたがやられるとは思いませんが」


「当然だ。城壁上からせいぜい見物していてくれ……門を開けろ!」


 イェスタフの命令で、城門が開けられる。

 重い城門が半分ほど開いた時点でイェスタフは大柄な愛馬を走らせ、全身鎧の騎士たちがそれに続いた。


「突き進め! 敵兵どもの弛んだ気を引き締めてやれ!」


 重装騎兵の大質量と、騎馬の足が地面を揺らすその地響きを引き連れ、イェスタフは叫ぶ。

 その奇襲を受けた帝国の軍勢は、一気に浮足立った。


「おい! 敵が来たぞ!」


「打って出てくるなんて聞いてねえ!」


「総員迎撃準備! 弓兵は整列して――」


「いや無理でしょう! 今から急に戦えませんよ!」


 車輪付きの大盾や破城槌などの攻城兵器を組み立てていた兵士たちは、装備を捨てて逃亡。弓兵の反撃は散発的で、二百の重装騎兵の前では何ら有効打を与えられない。

 歩兵は小部隊ごとに対応がばらばらで、隊長が上手く部下をまとめてかろうじて槍衾を作る隊もあれば、指示を出す間もなく兵士たちが逃げて散ってしまった部隊もある。

 そんな有様の軍勢を、イェスタフ率いる騎兵が蹂躙する。逃げまどう敵兵に槍を突き立て、あるいはその背を剣で切り裂き、馬で踏み潰す。小規模な槍衾は大した意味を持たず、正面から力ずくで突破されるか、側面から破壊される。

 部隊の後方は未だ健在だが、前方から味方が無秩序に逃げてくるとなれば、同士討ちを恐れて安易な反撃には出られない。走ってきた味方に隊列を乱され、次第に混乱に巻き込まれる。


「くそっ! 止むを得ん! 撤退だ! 一時撤退!」


 結局、この七度目の攻勢の指揮官は、そもそもの攻勢さえ始めることもできずに部隊を下げることとなった。


・・・・・・・


 戦いは終わり、後処理が始まる。今回一方的な勝利を収めた要塞防衛軍は、百人を超える敵の負傷者や投降者を管理することとなる。


「捕虜の扱いはいつもの通りだ! 命令を厳守しろ! これは国王陛下の御意思である!」


「帝国軍人と帝国貴族の手勢はあちらの隅に連れていけ! 西部直轄領の徴集兵はそちら側にまとめろ!」


 イェスタフに続いて、リヒャルトが兵士たちに命令を飛ばす。それに従い、捕虜は二つの集団に分けられる。

 片方は、帝国常備軍の兵士と、帝国西部貴族が動員した兵士。

 そしてもう一方は、皇帝家の西部直轄領の徴集兵。

 帝国中部の皇帝家直轄領――いわゆる「皇帝の民」たちが暮らす地とは違い、この西部直轄領では、ごく普通に民が徴集され、消耗戦力として投入されている。

 現在は西部直轄領となっている地には、かつては商人たちによる都市国家がいくつも存在していた。ロイシュナー街道も、元は大陸西部へと商売を広げるために彼らが建設したものだった。

 しかし、今より二百年ほど前、領土拡大を進めるガレド大帝国の手が都市国家群にも迫った。経済的には豊かでも軍事的には弱かった都市国家群は、やむなく帝国への服従を決断。その富や貿易網に目をつけた皇帝家の直轄領となり、あらゆる自治権を失って支配されてきた。

 以来、この地は経済的には中部の皇帝家直轄領の言わば植民地的存在として搾取され、政治的にも冷遇。この地に暮らす民は、武力ではなく金に依っていた軟弱な者たちの子孫として、他の帝国民から侮られてきた。

 これが、帝国における西部直轄領民の扱い。スレインはそこに目をつけ、イェスタフたち要塞防衛部隊にある指示を出していた。


「閣下。捕虜の選別が概ね終わりました」


 一時間ほど後、士官がイェスタフのもとへ報告に来る。


「そうか、よくやった……では、片付けといこう」


「ええ。いつも通りに、私は西部直轄領民の捕虜の方へ」


 イェスタフとリヒャルトはそう言葉を交わし、それぞれ移動する。

 イェスタフが向かったのは、帝国軍人と、帝国西部貴族の手勢の集められた方。


「……ふむ、六、七十人といったところか」


「はっ。そのうち重傷者は半数ほどです」


 士官の報告を聞きながら、イェスタフは捕虜たちをねめつける。

 そして、不安げな表情の彼らを前に口を開く。


「無傷の者と軽傷者で、貴族身分でない者は後方に連行しろ。奴隷制度のある国に売却だ」


「なっ!」


「そ、そんな!」


 貴族以外の捕虜は、返還交渉の余地なく奴隷落ち。問答無用の宣言に捕虜たちは驚愕する。


「あんまりだ! 捕虜にも妥当な扱いってものが――」


「黙れ!」


 訴えながら勝手に立ち上がった捕虜を、イェスタフは斬り捨てた。目にも止まらぬ速さで抜いた剣で、捕虜の首を斬り裂いた。

 その様を見て、他の捕虜たちは押し黙る。


「早く連行しろ! 要塞内にこのような無駄飯食らいがいても邪魔なだけだ!」


 兵士たちが即座に動き、数人ずつ縄で両手を繋がれた捕虜たちを立たせ、連れていく。要塞の後方には、既にヴァイセンベルク王国をはじめとした奴隷制度を有する国の商人が控えている。


「さて、残りのお前たちだが」


 イェスタフは残る捕虜――重傷者たちを見据える。

 その冷徹な視線に、捕虜たちは息を呑む。


「生き延びる見込みのない者を、長く苦しめるのは非人道的である。情けの一撃を与えてやろう」


「……い、嫌だ!」


「死にたくねえ! 待ってくれ!」


 王国軍第一大隊に所属する、イェスタフの腹心の部下たちが剣を抜き、悪あがきを始めた重傷者たちに歩み寄る。


「頼む! きっと皇帝家が身代金を払ってくれる! だから――」


「俺は腕を斬られただけだ! 治ればまだ役に立つ! 奴隷として――や、止めろ!」


「ひいいいいっ! 助けて! 母さん!」


 命乞いは全て無視して、王国軍の精鋭は命令を遂行する。重傷を負って動けない捕虜たちは首を刎ねられ、胸を貫かれ、腹を切り裂かれ、絶命していく。

 その残酷な光景を、青ざめた顔で見ているのは西部直轄領民の捕虜たちだった。


「さて、諸君」


 リヒャルトはなるべく優しそうに見える表情を作り、彼らに呼びかける。


「そんな怯えた顔をする必要はない。私たちは諸君の味方だ。諸君ら西部直轄領の民衆が、帝国内でどのような扱いを受けてきたかは知っている。新皇帝フロレンツから、彼が先代皇帝の名代だった時代も含めてひどく冷遇されてきたことは分かっている」


 分かりやすく強面のイェスタフが帝国軍人や貴族の手勢に、彼よりは確実に優しそうに見えるリヒャルトが西部直轄領民にあたる。この役割分担は緒戦のときから定着している。


「大陸西部と経済的にも文化的にも交流を持ってきた諸君ら西部直轄領民が、酷な目に遭い続けていることを、我らがスレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下は気の毒に思われていた……だからこそ、陛下は諸君ら西部直轄領民を厚遇するよう命じられた。これから諸君は温かい食事と清潔な寝床を提供され、負傷者はでき得る限りの治療を施される。そして、冬の前には故郷に帰ることができるだろう。安心してくれ。ひとまずはここで少し休むといい」


 きょとんとした顔になる西部直轄領民の捕虜たちを笑顔で見回し、リヒャルトは手振りで後ろに指示を出した。それに従い、クロンヘイム伯爵領軍の兵士たちが捕虜に歩み寄り、酒や果実水、軽食を配る。重傷者には医師や聖職者が駆け寄り、医薬品や、安価なものだが魔法薬まで使いながら治療を施していく。


「クロンヘイム卿。ご苦労だった」


「ええ、ルーストレーム卿も……あの捕虜たちで、保護する分はそろそろ最後になるでしょうか」


 それぞれ捕虜への対応を終えたイェスタフとリヒャルトは、合流してそう話す。


「そうだな。南の侵攻路は塞がれ、大陸西部に侵入した侵攻軍も無力化されたのだ。この上で不毛な攻勢を試みるほど敵も馬鹿ではないだろうし、そのようなかたちで兵力を消耗する余裕ももはやないだろう……予定通り、捕虜返還の準備を進めて問題ない」


 南からの攻勢が失敗し、現在の季節が秋である以上、帝国が今年のうちに大きな動きを見せるとは考え難い。一か八かザウアーラント要塞を全力で攻略するとしても、寝返ったゼイルストラ侯爵領の強行突破を試みるとしても、それなりの準備が要る。フロレンツの軍勢が動くのは、早くとも来年の冬明けになる。

 そうなる前に、これまで保護した西部直轄領民の捕虜を帝国側に返還するよう、国王スレインから指示がなされていた。

 七度の戦闘で確保された西部直轄領民の捕虜は、総勢で五百人に及ぶ。彼らは冬を前に、帝国へと返される。

 西部直轄領民のみが無償で返還され、帝国軍人や貴族の手勢は奴隷化あるいは殺害された。帰ってきた捕虜たちは皆元気そうで、捕虜になる前より太り、傷は手厚く治療され、収容中の厚待遇を仲間に語る。

 そんな状況になれば、西部直轄領の者たちと、それ以外の帝国人たちの関係に亀裂が生まれるのは間違いない。

 兵力としては帝国軍人や貴族の手勢が主力で、しかし侵攻の拠点である西部直轄領が安定していなければ軍事行動そのものがままならなくなる。そのような中で、軍内に分断が生まれ、軍と地元民の間に軋轢が広がる。敵将にとっては地獄だろう。


 そんな地獄が間もなくもたらされる。イェスタフたちの主、賢王スレインによって。

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