第192話 使者ステファン②

「……それはそれは。また随分な大盤振る舞いですな」


「おや、そうでしょうか?」


 余裕がある風を装った表情でルートヴィヒが言うと、ステファンは首をかしげる。その仕草も表情もわざとらしかったが、不思議と嫌味な雰囲気はない。


「帝位の簒奪者とはいえ、現皇帝を見限るというのは貴殿にとって大きな決断であるはずです。それに、これからの大陸西部にとって貴家はますます重要な隣人となっていくものと我々は考えています。なればこそ、これくらいの対価は示して然るべきでしょう」


「……」


 ルートヴィヒは確信した。このステファン・エルトシュタインは単なるお人よしの馬鹿などではない。人好きのする笑みを武器と自覚した上で使う人間だ。


「東側半分ということは、西側半分はリベレーツ王国が?」


「ええ、その通りです。なので今後、貴殿の西の隣人はリベレーツ女王ということになります」


「……なるほど」


 質問で間を繋ぎながら、ルートヴィヒは思案する。

 フェアラー王国は、大陸西部諸国の中では人口も多く、領土も広い。

 その東側半分が、ゼイルストラ家のものになる。凄まじい利益だ。独立国家だった時代を含めて考えても、一代でそれほどの実績を築いた当主はゼイルストラ家にはいない。

 欲しい。この利益が。この功績が。これを得れば、自分はゼイルストラ家で史上最も偉大な当主となる。ゼイルストラ王国で史上最も偉大な君主になる。

 今すぐ飛びつきたい気持ちを、しかしルートヴィヒは懸命に堪える。


「領土拡大が魅力的な提案であるのは否定しません。この戦争の行く末についても……正直に申し上げると、私は皇帝陛下が大陸西部侵攻に失敗し、皇兄マクシミリアン殿下との戦いにおいても苦戦するのではないかと予感しています。ですが……ひとつ、懸念が」


「マクシミリアン殿がフロレンツに勝利した後、ゼイルストラ侯爵領の再独立をそのまま認めるかが大きな不確定要素となっている、という点ですか?」


「いかにも」


 同盟がマクシミリアン説得に尽力してくれる。その口約束だけを、ゼイルストラ侯爵領の再独立の担保とするわけにはいかない。ルートヴィヒはそう考えている。


「ははは、気持ちは分かりますよ。貴殿の懸念は当然のことでしょう」


 ステファンは笑って言いながら、後ろに立つ従者に手振りで合図をする。

 と、その従者は懐から、羊皮紙の書簡などを収めるための筒を取り出し、ステファンに手渡す。


「……それは?」


「マクシミリアン殿がどのように動くか、我々も確かなことは言えません。ですが、彼は話の分かる人物です。同盟や貴家がフロレンツへ打倒のために大きな貢献を示したことは、戦後にきっと理解してくれるでしょう。それに、ハーゼンヴェリア王国がマクシミリアン殿の異母妹であるローザリンデ皇女殿下を保護したという恩もあります。そのことも考慮してくれるはずです。それに加え……こちらも用意しました」


 ぺらぺらと喋りながらステファンが机上に広げた羊皮紙を見て、ルートヴィヒは目を見開いた。

 そこに書かれているのは、ゼイルストラ侯爵領のガレド大帝国からの独立を支持することの表明だった。併せて署名も。

 名を連ねているのは、ガブリエラ・オルセンを筆頭に、スレイン・ハーゼンヴェリア、セレスティーヌ・リベレーツ、オスヴァルド・イグナトフ、ステファン・エルトシュタイン。

 さらには、各王家の印も記されていた。


「これは……よくぞこれほどの文書を用意なされたものだ」


「私の命を賭けに使って敵国に赴くのだから、これくらいの交渉材料を用意してほしいとハーゼンヴェリア王に頼みましたよ。そしたら、彼はオルセン女王らにも呼びかけてくれました。さすがは私の可愛い従甥です」


 こともなげに言うステファンだが、示した交渉材料はそのような軽い言葉で片付けられるものではない。

 君主の署名。それだけでも十分に重みのあるものだが、そこに王家の印が並ぶとなればさらに重みが違う。通常、こうした印は重要な公文書にしか押されない。例えば条約の締結や、二か国の王族同士の婚姻に君主が同意する宣言書など。

 それほど重要な印が、五か国分。どの国も大陸西部の東側に位置し、帝国との関係構築において重要な国ばかりだ。帝位を取り戻した後のマクシミリアンも、これを無視はできまい。

 王家の印と君主の直筆署名をもって示された要望をただ無視するというのは、これら王家の旗を踏みにじるに等しい行いだ。断るとしても相応の譲歩や対価が要る。そんなものを用意するくらいならば、扱いの難しいゼイルストラ侯爵領の再独立を認め、その責は敗北したフロレンツにでも押しつける方が圧倒的に簡単だろう。

 彼が玉座についた後も、内乱の爪痕はしばらく残り、帝国社会の完全な復興にはある程度の時間がかかる。東や北の隣国との国境紛争とて終わるわけではない。そんなときに大陸西部の主要国と新たな対立を生むのは現実的ではない。

 おそらく、マクシミリアンはこの要望書の内容を呑む。ゼイルストラ侯爵領の再独立をそのまま認める。そう賭けるだけの勝ち目がある。


「さあ、私が使者として提示できるのは以上です。後は……貴殿が賢明な選択をしてくれることを祈るのみ。ゼイルストラ卿、我ら同盟の新たな友人として、どうか決断を」


「……」


 にこやかに微笑むステファンを前に、ルートヴィヒはさして時間をかけず決断し、口を開く。


「分かりました。西サレスタキア同盟の提案を受け入れます。戦時故に我が領の兵力動員の準備は済ませてあるので、それをただちに領境封鎖のために使いましょう」


 偉業を成すには大胆な決断や賭けも必要である。

 自分が決断を成して人生を賭けるべきは、今この時だろう。ルートヴィヒはそう考えた。


・・・・・・・


 ゼイルストラ侯爵の説得に成功した。その報せは、ゼイルストラ侯爵領と旧フェアラー王国領土を通って同盟軍のもとに届けられた。

 これで、ハイラシオネに籠城して粘る侵攻軍一万二千は完全に孤立したこととなった。彼らに援軍や補給が来ることはなく、自力で帝国に帰るだけの実力も、長期にわたって籠城を続けるほどの物資も存在しない。


「ハーゼンヴェリア王。敵はここからどう動くと思う?」


「……どうでしょうか。将官をはじめとした愛国派の連中であれば、最後の一兵まで戦う、などと考える可能性もありますが。帝国西部貴族たちにそこまでの気概や皇帝家への義理があるとは思えません。ぎりぎりまで持久戦を展開した上で降伏、といったところでしょうか」


 敵陣を囲む同盟軍陣地の後方、本陣の司令部で、スレインはガブリエラと言葉を交わす。

 と、そこへ伝令の士官が駆けこんでくる。


「報告です! 敵陣に動きがありました!」


 現在地はリベレーツ王国領内で、リベレーツ王国はまだ正式には同盟に加わっていないため、同盟勢力圏の外での戦いとしてガブリエラが総指揮権を握っている。そのガブリエラに向けて、士官は敬礼しながら口を開く。


「話せ」


「はっ。敵側の高官と思わしき人物が、白旗を掲げながら接近してきます。降伏の使者と思われます!」


 それを聞いたガブリエラも、スレインも、居合わせた他の将官士官も、少々驚いた顔になる。


「……思っていたよりも早かったですね」


 ガブリエラと顔を見合わせ、スレインは言った。


・・・・・・・


 その翌日には、降伏した侵攻軍の武装解除も概ね終わり、戦闘の後処理が始まる。

 陣が慌ただしくなる中で、戦場にいる主だった君主たち――スレイン、ガブリエラ、オスヴァルド、セレスティーヌは敵側の大将エマニュエル・サヴィニャック伯爵を本陣に招いた。


「参上ご苦労。ひとまず座って楽にしてくれ」


「はっ。丁寧な扱いをいただき感謝いたします」


 ガブリエラに促されたエマニュエルは、さすがというべき整った所作で敬礼し、用意された椅子に座る。

 彼は非武装ではあるが、手足の拘束はされていない。大貴族の将官ともなれば、捕虜となっても相応の礼をもって遇される。

 尤も、礼儀と感情は別。オスヴァルドは敵意と警戒心むき出しでエマニュエルを睨み、セレスティーヌも憎悪に満ちた目でエマニュエルを見据えている。

 それに対し、エマニュエルは無難な無表情を保っていた。


「まずは、後処理への協力に感謝する。卿が帝国の将兵に迅速に武装解除をさせたおかげで、予想以上に楽に進んでいるぞ」


「敗北した以上は、敗者として正しく振舞うのも軍人の務め。私は職責を全うしているだけのことです」


 淡々とした応答を見せるエマニュエルに向けて、今度はスレインが口を開く。


「……武装解除の件もですが、あなたがこれほど早く降伏を決断したことには驚かされました。名将と名高きあなたであれば、もっと粘ることもできたはずです。それなのに何故?」


 その問いに対して、エマニュエルはやはり表情を動かさず答える。


「私は南側から大陸西部に侵入し、北進してハーゼンヴェリア王国までを制圧し、ザウアーラント要塞の西側を押さえ、本隊による要塞攻略を援護するのが任務でした。そのためにこの地に送り込まれ、戦っていました。しかし、一度会戦で敗北し、南の補給路を断たれ、援軍の見込みもなくなった今、もはや任務を遂行することは叶いません。であれば、徒に抵抗を続けて兵士たちの命を無駄にするわけにはまいりません。そのように考え、降伏いたしました」


「……降伏すれば、生きて帰国しても敗軍の将として責任を問われる可能性もあるはずですが?」


「無論、それは承知の上です。将という仕事をしている以上、全ての責任をとることは常に覚悟しております。だからこそ私の責任のもとで同盟に降伏しました。皇帝陛下の御心を乱し奉った私には、場合によっては死罪が待っているかもしれませんが、その他の者たちの命は救われます。であれば、私は私の仕事を全うできます」


 その言葉を聞き、スレインは小さく片眉を上げる。

 フロレンツの後ろ盾、愛国派宮廷貴族の中心人物の一人。そのような情報から想像していた人物像と、目の前の男は随分と印象が違う。


「正直、意外です。あなたはもっと……」


「愛国派と言われる宮廷貴族も様々です。私のように、武人であるが故に個人の心情とはあまり関係なく、必然的にあの一派との距離が近かった者もおります」


 スレインが言葉を濁すと、エマニュエルは初めて表情を動かし、笑みを浮かべた。


「帝国は大きく、貴族も多い。宮廷伯の数も両手の指では足りません……私など、所詮ただの小役人に過ぎません。与えられた仕事を果たすために懸命に務めますが、小役人にできるのはそれだけです」


「……なるほど」


 頷きながら、スレインも微笑を浮かべる。

 エマニュエルの潔さと分かりやすさは、帝国の将という立場を抜きに考えれば、好意的なものだった。


「では、引き続き協力を頼むぞ、サヴィニャック伯爵。貴殿らが協力的である限り、その身は捕虜として真っ当に扱うと約束しよう」


「承知いたしました。ああ、それと一点、申し上げたいことが……リベレーツ女王陛下」


 エマニュエルはそう言って、セレスティーヌを見た。彼女の憎悪に満ちた視線にも、何ら怯むことなく。


「陛下を守り散った女性騎士たちの件です。彼女たちの遺骨は、ハイラシオネの教会に頼んで丁重に埋葬してあります。委細は司教にお尋ねいただければ」


 その言葉に、セレスティーヌは虚を突かれた表情になった。


「……分かりました。その件については感謝します」


「帝国軍人として当然のことをしたまでです」


 憎悪を堪え、女王としての態度で返答したセレスティーヌに、エマニュエルは一礼して応える。

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