第191話 使者ステファン①

 時は少し戻り、ガレド大帝国ゼイルストラ侯爵領。その領都の港に、スタリア共和国の商船が一隻、到着した。

 商船から降り立ったのは、しかし商人らしからぬ装束をまとった貴人。

 数人の供を引き連れた、ステファン・エルトシュタイン国王だった。


「カロージオ評議員。こうして無事にたどり着けたのもあなたのおかげです。ありがとう」


 見送りのために共に船を降りた共和国評議員サルヴァトーレ・カロージオに、ステファンはにこやかに握手を求める。サルヴァトーレも、笑顔で握手に応じる。


「御礼などとんでもない。共和国にとって重要な友邦の並ぶサレスタキア大陸西部のため、でき得るかたちで助力をさせていただくのは当然のこと。微力ながらお役に立てて光栄にございます」


「嬉しい言葉だ。オルセン女王やハーゼンヴェリア王にも伝えておきます……それでは、なるべく早く戻ってきますので」


「ご無事でのお戻りを願っております、陛下」


 サルヴァトーレと別れ、ステファンは正面を向く。

 そこにいたのは、ゼイルストラ侯爵領軍の騎士たち。それに囲まれた一人の官僚だった。


「お待ちしておりました、ステファン・エルトシュタイン国王陛下」


「ああ、ゼイルストラ侯爵の使者だな。出迎えご苦労」


 人好きのする笑みを、ステファンは浮かべる。


「我が主が城でお待ちです。ご案内いたします」


「よろしく頼むよ」


 緊張感を漂わせる官僚や騎士たちとは対照的に、ステファンはまるで友人にでも会いに来たかのような軽い口調で答え、用意された馬車に乗り込む。


・・・・・・・


 当代ゼイルストラ侯爵のルートヴィヒ・ゼイルストラは、岐路に立たされていた。自身の人生の岐路であると同時に、このゼイルストラ家の命運を左右する岐路だった。

 ゼイルストラ王国の再独立。それはルートヴィヒにとって、抗いがたい誘惑だった。

 ガレド皇帝家の力にかつて一度は屈した自国を、再び一国家として復活させる。自分がそれを成し遂げたとなれば、ゼイルストラ家の中興の祖として、再独立を果たしたこの国の偉人として後世まで語られるのは間違いない。

 それが夢想ではなく現実になると示されたルートヴィヒは、新皇帝フロレンツの要求を呑んだ。

 しかし、それで万事解決と安堵できるほど、ルートヴィヒも楽観的な人間ではない。

 フロレンツはいつまでゼイルストラ王国の独立を許してくれるのか。すぐに手のひらを返し、併合を試みるのではないか。この地の東も西も帝国領土となった未来に、この地がいつまで独立を保てるのか。

 そもそも、フロレンツは本当に大陸西部の征服を成功させられるのかも怪しい。ゼイルストラ侯爵領を通過して大陸西部に侵入した侵攻軍は、既に一度敗走して持久戦に移行しているという。そして、帝国側へと裏切ったフェアラー王国は、国王夫妻の死によって崩壊し、大陸西部側に支配されたとつい先日報告が入った。

 大陸西部への侵攻が最初からこの体たらくで、大陸西部の全土を支配できるのか。東と二正面作戦を展開しながらそんなことを成す能力があの皇帝にあるのか。正直言って、そうは思えない。このまま帝国側が押し込まれ、ゼイルストラ侯爵領が対大陸西部の最前線として荒らされる可能性も大いにある。

 しかし、腐ってもサレスタキア大陸の覇権国家たる帝国の現皇帝を完全に見限って何か行動を起こすというのは、相当の決断力が要る。そう簡単に踏ん切りはつかない。

 一歩間違えれば、自分の命も家の存続も危うくなる岐路だ。先の見えない状況に翻弄されるのは中小国家の運命とはいえ、やはり辛いものは辛い。帝国と大陸西部の未来を、この戦争の結末をどう予想すべきか、ルートヴィヒは頭を悩ませる日々を送っていた。


「陛下。ステファン・エルトシュタイン国王が到着されました。応接室にてお待ちいただいております」


「……そうか。では、早速会うとしよう」


 執務室へと報告に来た官僚に答え、ルートヴィヒは立ち上がる。

 どう立ち回るべきか未だ決めかねている現状で、スタリア共和国を経由して西サレスタキア同盟より行われた接触。

 これがゼイルストラ王国の先行きを変える、大きな転換点となるか。

 応接室へと移動したルートヴィヒは、意を決して扉を潜り――


「ゼイルストラ侯爵! いえ、もうゼイルストラ王と呼ぶべきですかな? 久しぶりに会えて嬉しいですよ!」


 底抜けに明るいステファン・エルトシュタインの挨拶を受け、面食らった。


「……私も貴殿と再会できて嬉しく思いますぞ。エルトシュタイン王。ですが、ゼイルストラ王という呼び方はどうかご容赦を。さすがにまだ気が早いかと」


 すぐに表情を取り繕い、ステファンと握手を交わす。

 ルートヴィヒが彼と会ったのは、もう五年以上も前のこと。フェアラー王国での社交の場で一度きり。そのときも朗らかな人物であるとは思ったが、緊迫した世情の中、一応は敵対勢力であるゼイルストラ家の支配地に君主自ら乗り込んできながら、これほど能天気な顔ができるとは。

 柔和な顔をした傑物なのか。あるいはただの馬鹿か。

 笑顔を作りながら、ルートヴィヒは警戒を強める。


「ひとまず、楽になされよ。酒でも用意させましょう。アトゥーカ大陸より仕入れた珍しい蒸留酒があります」


「ほう、それはそれは! 海上貿易の盛んなゼイルストラ侯爵領には各地の珍しい品が集まりますからねぇ。楽しみです」


 まずは酒の杯を前に、二人は当たり障りのない会話をくり広げる。

 昨今の帝国や大陸西部の情勢についての、表面的な私見。今後に関する両者の、本音を隠した上での予想。それらの会話を通して徐々に空気を温める。


「――だからこそ、貴殿が来訪を望んでいると聞いたときは驚きましたぞ。今は敵国の貴族領であるこの地に、大陸西部の一国の王が自ら乗り込んでこられるとは」


「交渉をするにしても、一定以上の格の人間が使者を務めなければ、貴殿や貴家に示しがつきませんからね。西サレスタキア同盟を代表して送り込まれたのが、私だったというわけです……可愛い従甥から直々に頼まれたとあっては、引き受けないわけにはいきませんでしたよ」


 そう言って笑うステファンを前に、ルートヴィヒは彼がスレイン・ハーゼンヴェリアの義理の叔従父にあたることを思い出す。


「なるほど。我がゼイルストラ家をそれほど重視してもらえること、光栄に思います……それでは本題に。貴殿が使者として来訪されたのは、我がゼイルストラ家を大陸西部の側につかせるためであると考えてよろしいのですかな?」


「ええ、その通りですよ。貴家には我ら西サレスタキア同盟に味方してもらいたい。他の帝国領に攻め込んでくれとは言いませんが、皇帝フロレンツの軍勢が貴家の領地を通過することを防いでもらいたいと思っています」


 ルートヴィヒの単刀直入の問いに、ステファンはあっさりと頷く。

 それを受けて、ルートヴィヒも驚きはしない。わざわざ大陸西部の君主が使者として来訪するのならば、目的はそれくらいしか思い浮かばない。

 裏切ったフェアラー王を打倒してかの国を制圧し、その上でゼイルストラ侯爵領を大陸西部側に寝返らせれば、南からの帝国の侵攻を完全に防ぐことができる。北にはザウアーラント要塞があるため、守りは万全。帝国の大陸西部侵攻は一気に手詰まりになるだろう。


「やはりそうでしたか」


「もちろん、ゼイルストラ家が最優先する利益は我々も理解しています。侯爵領の、王国としての再独立でしょう。貴家が立ち位置を変えて西サレスタキア同盟の側についてくれるのであれば、その後も貴家の利益が守られるよう、我々は全力を尽くします。我々が目指すのは現皇帝フロレンツの打倒ですが、その後に帝国を治めるのは前皇太子であるマクシミリアン・ガレド殿になることでしょう。同盟がフロレンツ打倒に大きな助力を為すことで、その対価としてマクシミリアン殿にもゼイルストラ侯爵領の再独立を認めさせてみせます」


「……」


 ゼイルストラ侯爵領の再独立。それを西サレスタキア同盟が全力で後押しする理由は、ルートヴィヒにも理解できる。

 帝国と戦争状態にある今この時、南からの侵攻を防いで戦況を楽にするというだけではない。大陸西部と帝国領土の間にゼイルストラ王国という緩衝国が生まれれば、大陸西部に様々な利益がある。地域の防衛の面でも楽になるし、帝国と政治的な緊張が高まる機会も減らすことができる。


「そして他にも、我々は貴殿に大きな利益を提供できます」


 意味深な言い方をするステファンに、ルートヴィヒは試すような笑顔を向けた。


「ほう、それは興味深い。ぜひお聞かせ願いたい」


「フェアラー王国領土の東側半分です」


 大したことでもなさそうにステファンは言い、一方のルートヴィヒは固まった。動揺を表情に出さないよう、堪えるのに苦労した。

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