第190話 フェアラー王国攻略②
それから少し後。城門を閉じ、城壁上に兵士たちが並び、籠城戦の構えを見せる王都に近づく騎馬が数騎あった。
レフトラの女王とハーメウの王。それぞれの護衛と、両王家の旗を掲げた騎士だった。
「フェアラー王国の貴族と軍人諸君。どうか聞いてほしい!」
拡声の魔道具を構え、最初に口を開いたのはレフトラの女王だった。よく通る、しかし緊張のためか少々硬い声が響く。
「フェアラー王国は、他の大陸西部諸国の全てを裏切り、帝国の側についた! 諸君は王国貴族として、王国の軍人として、カシュパル・フェアラー国王に従っているのだろう! しかしどうか考え直してほしい! 本当にそれでいいのかを!」
そう問いかけたレフトラの女王に続いて、ハーメウの王も拡声の魔道具を構える。
「北進した帝国の軍勢は、イグナトフ王国やハーゼンヴェリア王国らの同盟軍に敗れ、大損害を被って後退したそうだ! おまけに、リベレーツ王国領土内で持久戦の構えを見せており、王都を包囲された貴国の救援に動く素振りもないという! 帝国本土の軍勢も動く気配はなく、補給部隊も退いていったそうだぞ!」
敵の動揺を狙うように、ハーメウの王は語る。
「北で敗け、西からの大軍の進軍を許している帝国だ! 貴国を裏切らせ、大陸西部に深く侵入しながらもこの有様の帝国だ! 本当にこのような国の下についていいのか!?」
「帝国の新皇帝フロレンツが、以前にも二度、ハーゼンヴェリア王国に敗北したのを憶えているだろう! そのような皇帝に首を垂れて屈しても、諸君は生き残れないぞ!」
フェアラーの貴族と兵士たちを説得する二人の君主を後方から眺め、ガブリエラは笑う。
「なかなか訴えかけるのが上手いじゃないか」
「自国の兵の命がかかっていますからな。彼らも必死でしょう」
ロアールが無表情を保ちながら、ガブリエラの呟きに答えた。
西サレスタキア同盟の一員ではなく、しかし同盟との共闘を望んだレフトラとハーメウに、ガブリエラは同盟の盟主として「要請」した。
まずは、フェアラーの将兵を説得し、戦わずしてカシュパル・フェアラーを打倒してほしい。無理だった場合は、先頭に立っての奮戦をもって西サレスタキア同盟に加わる覚悟を示してほしい。
その要請を受け入れた二人の君主は、今、全力でフェアラーの将兵の説得に臨んでいる。彼らの説得が失敗すれば、レフトラとハーメウの兵士たちは後方の同盟軍に逃げ場を塞がれながら、厳しい攻城戦に臨む羽目になる。
「西サレスタキア同盟の盟主ガブリエラ・オルセン女王は、諸君に約束するそうだ! フェアラー王の首をとり、降伏すれば、諸君の一切を許すと! 裏切りの全責任はフェアラー王にあり、諸君の罪は問わないと!」
「フェアラー王家の存続はもはや叶わないが、諸君が自らの意思で同盟軍に下れば、諸君の身と家族、財産の安全は保障される! 諸君は生きて家族のもとへ帰り、役職や領地は安堵される! だからどうか、何が正しい選択かをよく考えてほしい!」
明日の正午まで待つ。ガブリエラの宣告を最後に伝え、二人の君主は下がった。
・・・・・・・
「まったく、馬鹿な奴らだ!」
玉座にふんぞり帰りながら、カシュパル・フェアラーは不愉快そうに鼻を鳴らした。
「私の後ろ盾はあのガレド大帝国の皇帝だぞ? 侵攻軍が多少押されたからなんだというのだ。最後には帝国が勝つに決まっているではないか」
この王都で籠城して待っていれば、帝国が助けてくれる。北進した侵攻軍の部隊はすぐに動けない状況かもしれないが、帝国西部にいる本隊が救援を寄越してくれる。
自分たちがこのまま見捨てられるはずがない。カシュパルはそう信じきっていた。臣下や兵士たちも帝国に同じだけの信頼を置いていると無根拠に信じていた。
「おい、酒!」
怒鳴るように、使用人に命じる。
大陸西部を裏切って帝国の側についたときから、カシュパルは酒の量が増えている。何故酒を飲みたくなるのかは自分でも分かっていない。
この戦争の結末と自分の命運がどうなるか確定していない現状で、無自覚のままストレスが増えていることに、カシュパル自身が気づいていない。
「まだか! 早くしろ!」
喚くその姿に、臣下たちが冷めた視線を向けていることに、鈍感なカシュパルは気づかない。
即位してから今まで、ずっとこのような視線を向けられてきたことに。
「……陛下」
「何だ! うぐっ……!?」
最側近の一人である将軍に呼ばれたカシュパルは、首に何か熱く鋭いものを押しつけられた感覚を覚えて呻く。
熱さは、すぐに痛みに変わる。液体が喉まで溢れる感覚があり、首元に手を当てる。その手が濡れる。
手のひらを見ると、血にまみれていた。
「お、お前たち……ご、ごぶぉ……」
「お許しください、国王陛下。私はこの国の将軍として、兵士や民を無駄死にさせるわけにはいかないのです。どうか……できることなら、帝国側につくという陛下の選択に我々が反対の意を唱えたときに、お聞き入れいただきたかった」
「――っ! ――……っ」
自身の血に溺れながらのたうち回るカシュパルを、臣下たちは見下ろす。
間もなく、カシュパルは己の血の海の中で息絶えた。
その日の夕刻前。カシュパル・フェアラー国王と王妃の首を、フェアラー王国の宰相と将軍がガブリエラのいる本陣まで届けた。
降伏に伴う約束が果たされることをあらためて確認し、まだ幼い王子や王女が世俗を捨てて山奥の教会に入ることで助命されるよう嘆願し、それがガブリエラによって受け入れられた後。宰相と将軍は主君を害した責任をとって自害。
僅か四人の命と引き換えに、フェアラー王国は西サレスタキア同盟に降伏した。
レフトラ王国とハーメウ王国は、それぞれの君主の尽力が盟主ガブリエラより認められ、政治的な調整の後に両国とも西サレスタキア同盟に加入することが決まった。
・・・・・・・
リベレーツ王国王都ハイラシオネ。住民の過半が避難しているこの城塞都市に、侵攻軍は陣取っていた。
フェアラー王国はあまりにもあっけなく無力化され、西の同盟軍も北上してきた。そのため、敵の総勢は北の同盟軍と西の同盟軍と、リベレーツ王国の民兵が合流して二万に及ぶ。対するこちらは一万二千。
同盟軍の包囲を突破できないこともないが、その後に長い撤退戦が待っていることを考えると、安易な行動はとれない。今は本隊が援軍を編成し、送ってくれるのを待つのが最善。そう判断して戦い続け、既に一週間が経過していた。
これほど長く持ち応えているのも、敵の攻め方が穏やかだからこそ。どうやら同盟軍はハイラシオネを派手に破壊することをためらっているようで、攻城戦による攻略ではなく、こちらが疲弊と食料不足で降伏に追い込まれるのを狙っているらしかった。
「おはようございます、将軍閣下」
「ああ。まったく、ゆっくり寝てもいられないな」
防衛戦が始まって八日目の朝。王城に置かれた司令室へと出てきたエマニュエルは、副官の挨拶にそう答える。
屋外からは、兵士たちの喧騒が聞こえる。おそらく今も矢や魔法による攻撃を受け、伝令が行き来しているのだろう。
この一週間の戦いは、このようなものばかりだった。互いに遠距離攻撃をちまちまと展開し、何らの決定打は生まない。そんな状況だった。
「ゴドフロワ卿がよほどの無能でなければ、そろそろ援軍を編成して送り出しているはずだな。こちらへの伝令も」
「はっ。侯爵閣下のご手腕に期待しましょう」
手近な士官に茶を淹れさせたエマニュエルがカップに口をつけながら言うと、副官は頷く。
ベルナール・ゴドフロワ侯爵は武門の宮廷貴族のまとめ役というだけで、本人にずば抜けて優れた軍才があるわけではない。
しかし、雑多な勢力の寄せ集めである大軍を、組織的に運用する手腕は確か。そつなく十分な規模の援軍を編成し、速やかに送ってくれるだろうと、エマニュエルは期待している。
この朝までは期待していた。
「将軍閣下! 本隊より伝令です!」
エマニュエルが起きてから間もなく、司令室に入ってきたのは報告役の士官と、一人の小柄な男だった。
男の装束を見て、彼が宮廷魔導士のガレド鷲乗りだと分かる。
「聞こう」
とうとう援軍出発を告げる伝令が来た。エマニュエルはそう考えた。
「はっ。報告いたします……ゼイルストラ侯爵が、フロレンツ・ガレド皇帝陛下への以降の不服従を宣言。大陸西部侵攻軍の領内通過を全面的に禁止すると布告しました。侯爵領内では兵の集結が始まっており、実力をもって皇帝家への不服従を貫くものとみられています。これに伴い、ベルナール・ゴドフロワ侯爵閣下は本隊からの援軍派遣が困難であると判断し、派遣を中止すると決定なさいました」
衝撃的な情報に、司令室内は騒然となる。
「ゼイルストラ卿! あの蝙蝠が!」
「この状況で裏切るとは……やはりあいつは帝国貴族ではない!」
元より独立志向が強く、帝国中枢からの信用度が低く、だからこそ今回の大陸西部侵攻にも直接の兵力は出さなかったゼイルストラ侯爵家。その裏切りに、将官たちが憤りを見せる。
そんな中で、エマニュエルは天幕の天井を見上た。ため息をこらえきれなかった。
「参ったな」
ただそれだけを、エマニュエルは呟いた。
驚きは少なかった。ゼイルストラ侯爵をいまいち信用できないというのもあるが、北の同盟軍との戦いで敵の策に嵌められたときから、こうなる予感も頭の片隅にはあった。
あれほど狡猾な策をもって対抗してくる敵が、帝国領土からの補給線を破壊しようとしないわけがない。エマニュエルはそう考えていた。ゼイルストラ侯爵をどのように懐柔して寝返らせたのかは分からないが、なるほどこの敵ならばこれほどのことを成しても納得できると考えていた。
「……今後のことについて、侯爵閣下から何かご指示はあるか」
エマニュエルが問うと、傀儡魔法使いは少々ためらった後、口を開く。
「自力で帝国領土まで撤退できるのであればそれが望ましいが、それが難しい場合は将軍に選択を任せる、とのことです……閣下の個人的なご意見としては、限界までの籠城と玉砕によって大陸西部の軍勢に少しでも大きな損害を負わせ、以て誇り高き帝国軍人としての職責を全うされることが好ましいと」
帝国のために死んでくれ。そう言うに等しい意見を聞かされ、司令室にいる将官や士官がどよめく。皆、戦死の可能性があることは十分に覚悟した上で大陸西部へ来ているが、文字通り決死を前提とした戦いを求められるとは考えていなかった。
「……」
どよめきの中で、エマニュエルは無言を保つ。
国のために死ね。帝国貴族の中でも特に先鋭的な愛国主義者であるゴドフロワ侯爵が、いかにも言いそうなことだと考える。
「閣下のご意見は承った。帝国軍人としてできる限りの尽力をし、皇帝陛下への忠誠を示すとお伝えしてくれ」
「了解いたしました」
傀儡魔法使いは敬礼し、エマニュエルの言葉をベルナールに届けるために退室していった。
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