第189話 フェアラー王国攻略①
戦いの傷跡は、勝利した同盟軍の側も決して浅くなかった。
特に、帝国西部貴族たちの鬼気迫る猛攻を受け止め続けた最前衛の損害は大きく、合計で二百人を超える死者が出ていた。ハーゼンヴェリア王国の将兵も数十人が戦死した。
その同数以上の重傷者も発生し、その中にはスレインの最側近であるジークハルト・フォーゲル伯爵もいた。
「ジークハルト。傷の具合はどうかな?」
士官以上の負傷者の並ぶ天幕を訪れたスレインは、衝立に囲まれたベッドに横たわるジークハルトのもとを訪れる。
「これは陛下。大した怪我ではありません……と申し上げたいところですが、ご覧の通り情けない有様となりました。しばらくは剣を握れず、馬にも乗れますまい。面目次第もございません」
魔法薬を使われ、治癒魔法使いと医師による手当を受けたジークハルトは表情こそ元気そうだったが、その右腕は包帯が巻かれて肩で吊るされ、左足にも血のにじむ包帯が巻かれていた。
「謝る必要はないよ。むしろよく戦ってくれた。生き残ってくれたことに感謝するよ。君は王国貴族の鑑、我が誇りだ」
彼が確かに生きており、負傷も命に別状がない様子であることをこの目で確認し、スレインは安堵を覚えながら言う。
小勢を連れて味方の防御の穴を埋めようとしたジークハルトは、兵士たちの士気を維持するために、自ら最前で剣を構えて激戦をくり広げたという。
兵士たちを鼓舞しながら、目の前の敵を次々に切り伏せる鬼神の如き活躍を見せ、帝国西部貴族の首もひとつ取った。しかし、物量をもってしつこく進撃しようとする敵に部隊ごと押され、足に攻撃を受けて怯んだ隙を突かれ、敵兵の戦斧による一撃を右腕で受け止めてしまった。
刃こそ籠手に防がれて通らなかったものの、打撃によって腕を骨折。もし敵が退くのがあと少し遅ければ戦死していただろうと、スレインは王国軍士官から報告を受けていた。
「陛下よりそのような御言葉を賜ったこと、至上の喜びにございます……それにしても、歳は取りたくないものですな。十年前であれば、あの程度の攻撃を食らうこともなかったことでしょう。この怪我さえ負わなければ腕も無事なままで、以降の戦いも陛下をお支えできるはずでした」
足の傷を見ながら悔しげに語るジークハルトに、スレインは苦笑する。
「僕のことは心配いらないよ。この戦いの正念場は乗り越えた。以降は僕が最前に出ることもないし、参謀にはヴィクトルがついてくれる……それに、もうそろそろオルセン女王たちも動き出している頃合いだ。このまま同盟が勝利するさ」
・・・・・・・
再び国境を越えてリベレーツ王国領土まで退いた帝国侵攻軍は、部隊の再編に大きく手間取っていた。
帝国西部貴族の手勢を中心に、死者は千人以上。戦場に置いていかれた者も含めると、負傷者は二千人に及んだ。侵攻軍の残存兵力は九千人ほどにまで減っている。
また、将として最前衛で戦った貴族の死者も少なくなかった。十人近い貴族家当主が死に、その中には西部貴族の盟主も含まれていた。生き残った者たちも、無傷の者はいない。
「……」
士官たちから上がってきた現状報告を頭の中で整理しながら、エマニュエルの眉間には皺が寄っている。
手柄のために死ぬまで戦った貴族たちの根性は大したものだが、それで狙い通り手柄を得られないのであれば意味がない。結局、自分が危惧した通り、ただ敵の罠に嵌って徒に兵力を損耗しただけに終わってしまった。
敵にも多少の損害は与えたが、しかし兵力差は大きく縮まってしまった。ここから北の同盟軍を撃滅し、イグナトフ王国とハーゼンヴェリア王国を占領し、ザウアーラント要塞を本隊と挟み撃ちにするのは相当苦労することだろう。
それでも、仕事は仕事だ。皇帝家に仕え、給金で生活している宮廷貴族である以上、命じられた仕事はこなさなければならない。少なくともそのために最善の努力はしなければならない。
まずは一刻も早く、部隊の再編成を終えなければ。しかし、主人を失った貴族領軍や徴募兵たちの行動が遅いため、それも手間取っている。
歯がゆいことばかりだ。そう考えていると、
「閣下! 緊急の報告です!」
司令部の天幕に、士官が一人飛び込んできた。
「……聞こう」
眉間に皺を寄せたまま、エマニュエルは答える。
「オルセン王国をはじめ複数の国が兵力を結集させ、フェアラー王国へと進軍を始めました! 数はおよそ一万!」
それを聞いて、エマニュエルの眉間の皺がますます深くなる。
ここに来て敵側に一万の援軍とは。予想以上に結集と進軍が早く、数が多い。
これが西サレスタキア同盟の実力ということか。大将ベルナール・ゴドフロワ侯爵から聞いていた話と違う。彼ではなく、皇兄マクシミリアンの言っていたことを信じるべきだったか。
フェアラー王国も戦時体制ではあったが、すぐに動員できる兵力など、せいぜい五千がいいところだろう。王都にでも籠城し、西の軍勢を引きつけておく程度の役割しか期待できまい。
となると、自分たちはこれから北の七千の同盟軍による追撃を防ぎつつ後退し、リベレーツ王国に残してある三千の兵力と合流し、あまり頼りにならないフェアラーの五千の兵力と連係し、西から来る一万の同盟軍と戦わなければならない。
数としては互角だが、北と西から挟まれるかたちになっているこちらの部隊はやや不利か。
帝国にいる本隊に増援を求めるべきか。
そう考えていると、さらに一人の士官が司令部に飛び込んでくる。
「急ぎの報告です! 閣下!」
司令部内に動揺が走る中で、エマニュエルは頭痛を覚えながら口を開く。
「……聞こう」
「はっ。リベレーツ王国の民衆の抵抗が、二日ほど前より急に激しくなったと各部隊より報告が上がっています! 一度無抵抗を宣言した領主貴族が、民を率いて抵抗を再開した貴族領もあるとのことです!」
それを聞き、エマニュエルが思い出すのは先の戦いでの敵陣。本陣に掲げられた、リベレーツ王家の旗。
リベレーツ女王が舞い戻り、残存兵力を率い、大陸西部諸国の援軍を連れて侵攻軍と激突した。その情報は確かにリベレーツ王国の貴族や民を鼓舞する火種となろうが、伝わるのがいくら何でも早すぎる。
おそらくは、敵側が意図的に情報を広めたのだろう。ここは元は敵の領土だ。市井に噂を流す手段などいくらでも持っているに違いない。
考えたのは誰だ。またハーゼンヴェリア王か。どこまで先を読んでいる。
「将軍閣下。いかがいたしましょう」
副官に問われたエマニュエルは、しばし考えて口を開く。
「ハイラシオネまで撤退し、リベレーツ王国各地に配置している後方部隊と合流。フェアラー王の軍勢が削られている間に、持久戦の用意を整える。本隊に増援を要請し、その増援と合流して西サレスタキア同盟の軍勢を倒す。それでいこう」
北と西から迫る同盟の軍勢は総勢一万五千を超えるが、それを撃滅すれば同盟は組織立った抵抗が難しくなるだろう。
厳しい状況だが、まだ勝機はある。将である以上、諦めるわけにはいかない。
それが仕事なのだから。
・・・・・・・
「主力を短期間で集結させ、王都に籠城。口で言うのは簡単だが、馬鹿にできることではない……あのフェアラー王にしては悪くない動きだな」
一万の軍勢を率いて東進したガブリエラは、守りを固めたフェアラー王国の王都を前に呟く。
カシュパル・フェアラー。以前までは、大人しく地味な君主。今は、卑劣な裏切り者。どちらにせよ、戦いの才覚があるという話は聞いたことがない。
もしかすると帝国側から戦略面で入れ知恵をされたのかもしれないが、迅速に王都籠城の準備を成し遂げたのは敵ながら評価すべきことだった。人口五千を超える王都に籠られては、一万の軍勢といえど攻略するのは容易ではない。
「女王陛下。いかがいたしましょう。ご命令をいただければ直ちに攻勢をかけますが」
ロアール・ノールヘイム侯爵に問われたガブリエラは、首を横に振る。
「いや。この先に帝国の軍勢とのさらなる戦いが待っていることを考えると、フェアラー王国を相手に大きな損害を被ることは避けたい……政治的な解決を試みよう。彼らを使って」
ガブリエラが不敵な笑みを浮かべながら視線を向けたのは、南東地域の残る二か国――レフトラの女王と、ハーメウの王だった。
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