第188話 最前衛の王③

 緒戦から三日後。負傷者の後送と部隊の再編成を終え、同盟軍を追ってさらに少し北進した侵攻軍は、再び陣を張って待ち構える同盟軍と対峙した。

 同盟軍の陣形は前回と同じ。今回は敵陣の右手側に、森に包まれた小高い丘があり、その後ろに騎兵部隊が隠れているらしかった。

 そして、今回もまた敵陣の最前衛にハーゼンヴェリア王国の軍勢が配置されている。


「サヴィニャック卿! 今回こそ分かっているな?」


「皇帝陛下にハーゼンヴェリア王の首をお届けし、以て御心を安らげ奉りたいという我ら帝国西部貴族の志、卿は尊重してくれるものと信じているぞ」


 異様な熱量を帯びて訴えてくる帝国西部貴族たちを前に、エマニュエルは無表情と無言を保ちながら思案する。

 そして、最後には嘆息をこらえて頷く。


「……分かった。卿ら西部貴族の手勢を前衛とし、一斉突撃を命じよう。前線の指揮は卿らが直々に務めてくれ」


 もはやそう答えるしかなかった。そうしなければ、今後この一万二千の軍勢をまともに率いることはできそうもなかった。


「おお! よくぞ命じてくれた!」


「任せてくれ! 我らが必ずや、脆弱な大陸西部の軍勢を打ち破ってハーゼンヴェリア王を仕留めてこよう!」


 意気揚々と自軍のもとへ向かう西部貴族たちの背を見ながら、エマニュエルは今度こそため息を吐いた。


・・・・・・・


 二度目の会戦で、侵攻軍は大きく動いた。最初に短時間のみ弓兵同士の矢の応酬があった後、敵前衛は横に広がった騎兵を先頭に、その後ろに歩兵が続くかたちで一斉突撃を敢行した。


「もう我慢が効かなくなったのか……思ってたより早かったな」


 その動きを見ながら、自陣の最前衛でスレインは独り言ちる。スレインの予想では、敵将サヴィニャック伯爵はこの二度目までは帝国西部貴族たちの手綱を握っておけると思っていた。帝国内ではそれなりの名声を誇るであろう彼の発言力をもってしても、我の強い領主貴族たちの突き上げは押さえきれなかったか。


「皆、武器を構えろ! 己の持ち場を守り、敵を一兵たりとも通すな!」


 ジークハルトの声が、ハーゼンヴェリア王国の陣に響く。

 王国軍や近衛兵団の軍人たちが、トバイアス・アガロフ伯爵率いる王国西部貴族の手勢が、そして予備役兵たちが、一斉に槍や剣やクロスボウを構える。

 ハーゼンヴェリア王国が連れてきた手勢のうち、さすがに最前衛に置くのは厳しい徴集兵を除くおよそ五百が、スレインを最奥に置いて強固な防御陣形をなしている。最前衛は歩兵の戦いの場であるために騎士も含め全員が徒で、半円の陣形を多重に築いてスレインを守る。


「……ハーゼンヴェリア王国の戦士諸君。君たち全員が私の誇り、王国の英雄だ。奮戦に期待している」


 拡声の魔道具を使い、スレインは彼らに語りかける。

 偉大な王の誇り。生まれ育った王国の英雄。スレインから直々に明言された彼らの、武器を握る手に一層の力がこもる。

 突撃してくる敵兵が目前に迫る。その中には、ハーゼンヴェリア王の首という大きな手柄を己の手中に収めるためか、身分の高い貴族なども多数含まれているようだった。

 敵の突撃を誘引し、敵陣に無防備な側面を作り出してそこを騎兵で突くには、最前衛の部隊がまず敵をしっかりと受け止めなければならない。ここだけは、騎士や兵士たち一人ひとりの実力と気合にかかっている。

 横に広がって突撃してきたおよそ五千もの侵攻軍前衛を、ハーゼンヴェリア王国の軍勢を含む同盟軍の前衛およそ二千が受け止める。

 接近戦で戦うのは隊列最前の兵士たちなので、短時間であれば、二倍以上の兵力差もさほど問題にはならない。最前衛に立つ各国の精鋭が、士気旺盛な帝国西部貴族とその手勢と激突し、壮絶な戦いをくり広げる。スレインを仕留めるため、同盟の陣形の中央に集中して突撃する侵攻軍の前衛を、同盟軍の最前衛はゆるやかに包むように攻撃する。

 そのような戦場の様を、側面から睨む将がいた。騎兵部隊の指揮官で、戦場であるイグナトフ王国の主、オスヴァルドだった。


「……目の前の餌に夢中か。愚かな獣どもが」


 吐き捨てるように呟きながら、オスヴァルドは大柄な愛馬の腹を軽く蹴り、前進を開始する。それに、イグナトフ王家の誇る騎兵部隊や貴族の手勢を中心とした騎兵およそ千が続く。

 イグナトフ王国では、ガレド大帝国は殊更に嫌われている。エルデシオ山脈を越えて時おり侵入してくる盗賊もどきは民の憎悪の的であり、それを防ぐための努力も損害の補償もしない帝国貴族や皇族たちはオスヴァルドたち王侯貴族にとって不愉快極まりない連中だった。

 その帝国人どもが、今はイグナトフ王国の領土に踏み入り、蹂躙しようとしている。それも、ただハーゼンヴェリア王国へ攻め込むための単なる通り道として。

 馬鹿にするにもほどがある。帝国の連中は、イグナトフ王国を舐めた報いを、敗北をもって受けるべきである。

 報いは自分の手で受けさせる。そう決意をにじませながら、オスヴァルドは愛馬の腹を何度か蹴る。主人の意思を理解し、大柄な愛馬は加速していく。

 帝国貴族の手勢は、同盟軍の最前衛を、正確にはスレイン・ハーゼンヴェリアばかりを見て前進しようと足掻いている。側面への警戒もろくにしていない。


「神よ、我に力を!」


 敵と接触する直前、オスヴァルドは正面に向かって風魔法を放つ。真横からの突風で怯み、よろめき、転んだ帝国貴族の手勢たちの横腹を食い破るように、同盟軍の騎兵たちは突入する。


・・・・・・・


 前衛の精鋭同士が激突する最前線の戦いは、熾烈を極めていた。

 同盟軍の騎兵部隊は既に敵前衛の側面に突入しているが、迫り来る敵の総数は五千に及ぶ。混乱が全体に波及して敵が退くまでには、今しばらく時間がかかる。

 おまけに、敵の前衛は帝国西部貴族の手勢が主体。特に貴族領軍の兵士などは練度もそれなりに高く、大手柄であるスレインの首をとろうと躍起になるその気迫は凄まじく、ハーゼンヴェリア王国の騎士と兵士たちは厳しい防衛戦を強いられていた。


「陛下! 最前衛左翼側の隊列が食い破られそうです! 敵兵が我々の左側面に迫っています!」


「……参ったな。正面の敵を押し止めるだけでも苦労してるのに」


 王自らも自衛用の剣を手にしているスレインは、士官の報告を聞いて硬い笑みを浮かべる。そんなスレインに向けて放たれた敵のクロスボウの矢をヴィクトルが盾で防ぎ、その傍らにいたルーカスが自身の構えるクロスボウで敵のクロスボウ兵を狙撃し、仕留める。

 自国の騎士と兵士たちに厚く守られているスレインは、この最前衛の中では最も安全な状況にあるが、それでも飛び道具の類は届く。既に近衛兵が一人、スレインを庇って敵の矢を受けて倒れている。

 ハーゼンヴェリア王国の部隊はスレインと共に少しずつ後方に下がろうとしてはいるが、混戦状態の中ではそんな後退もそう簡単にはいかない。


「陛下。私が予備兵力を率い、左翼側の援護に回りましょう」


「……分かった、任せたよ。気をつけて」


 スレインはそう答え、友軍の防御の穴を埋めるために直衛を五十人ほど率いて離れていくジークハルトを見送った。彼に離れられるのは心細いが、事ここに至っては兵士たちにそう複雑な命令を下すこともないので、参謀の彼が一時離れても大きな問題はない。いざというときは、直衛のヴィクトルも将として助言をくれる。


「皆、ここが正念場だ! どうか今しばらく耐えてほしい!」


「「「おおっ!」」」


 スレインは拡声の魔道具を再び構え、精一杯声を張る。それに、王国の英雄たちが応える。


・・・・・・・


「愚か者どもが……」


 同盟軍の騎兵部隊による強襲を横腹に受け、混乱を極めていく前衛を見ながら、エマニュエルは呆れ交じりに言った。

 こうなることは目に見えていたであろうに、何故無茶な突撃を敢行したのか。

 貴族とその手勢はこの期に及んでも手柄が欲しいのか、側面攻撃を食らった割には持ち応えているが、そんなものは敗走までの時間がいくらか伸びるだけで何の意味もない。

 これでハーゼンヴェリア王の首をとれるのであればまだいいが、おそらくはそれも難しい。ハーゼンヴェリア王国の将兵たちは主君への忠誠心がよほど高いらしく、尋常でない奮戦を見せている。あの防御を打ち破るより、こちらの貴族どもが敗走する方が早いだろう。


「閣下、いかがいたしましょう」


「……無能な連中とはいえ帝国の同胞だ。このまま見捨てるわけにもいかないだろう。騎兵部隊を一隊、敵本陣に向けて突撃させて牽制しろ。その間に後詰めの歩兵を前進させ、貴族どもの後退を支援するぞ」


「了解しました。大人しく後退しない貴族の手勢もいるでしょうが、どうしますか?」


「そこまでは面倒を見きれない。捨て置いて構わん」


 エマニュエルの指示で、帝国軍を基幹とした各部隊が動く。

 騎兵部隊のうち半数の千ほどが、混乱する最前線を迂回して同盟軍の本陣を目指す。しかし、全体の統括を担っているらしいリベレーツ女王の指揮で、同盟軍の弓兵とクロスボウ兵がそれを迎え撃つ姿勢に入る。

 事前の命令通り、騎兵部隊は無理をしてそれ以上の前進をすることはない。彼らは敵の弓兵とクロスボウ兵を引きつけ、味方前衛が後退する隙を作り出すための陽動が任務だった。

 一方で、前衛は後詰めの支援を受けて後退を開始する。死者や動けない者、未だに手柄に固執する救いようのない者たちは捨て置かれ、無事に後退が叶っているのは全体の半数強だった。

 それを、同盟軍の騎兵が追う。帝国に恨みでもあるのか、イグナトフ王国の軍勢と思われる騎兵たちの追撃はなかなか執拗だったが、こちらの弓兵部隊に味方の後退を援護させると、敵騎兵は深追いを止めた。


 最終的に、侵攻軍はその総数が一万を切るほどの損害を負った上で、態勢を立て直すために全体が一時後退することとなった。

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