第187話 最前衛の王②

「……ふむ。敵陣の動き方も悪くないが、問題は最前衛のハーゼンヴェリア王がいつまで耐えられるかだろうな」


 矢が飛び交う前衛の様を見ながら、エマニュエルは言った。

 自らを餌として最前衛に釘づけたハーゼンヴェリア王。敵陣左翼側の森の陰、あからさまに伏兵として潜む騎兵部隊。敵陣の右翼側に躍り出た弓兵部隊。

 そして、こちらの前衛で粘る弓兵部隊と、その後方で無傷で控える歩兵部隊や騎兵部隊。

 状況は硬直した。であれば、こちらが粘り勝つのは時間の問題と言える。

 ハーゼンヴェリア王の罠が不発に終わった時点で、こちらの勝利は決まったも同然。そんなエマニュエルの考えを乱す者が、しかし現れた。

 敵側ではなく、味方の中から。


「おいサヴィニャック卿!」


「これは一体どういうことだ!」


 怒声を発しながら本陣中央にやって来たのは、帝国西部貴族たちだった。

 この侵攻に兵力を供出している彼らは現在、客将という名目の見物人として本陣の隅に控えていたはず。それがここに来て何の用か。何を怒っているのか。エマニュエルは怪訝な表情になる。


「どういうこと、とは?」


「とぼけないでもらいたい!」


「あれを見ろ! 皇帝陛下の宿敵たるハーゼンヴェリア王が目の前にいるのに、どうして早く兵を突撃させない!?」


「今ならば仕留められるではないか! 急がなければハーゼンヴェリア王が後衛に下がってしまうかもしれないのだぞ!」


 その言葉を聞いたエマニュエルは唖然とし、そのまましばらく無言になる。


「……諸卿も分かるだろう。あれはどう見ても罠だ」


 ようやく答える際、彼らを馬鹿にしたような声色にならないよう堪えるのに苦労する。


「罠がどうした! それよりハーゼンヴェリア王だ!」


「あ奴さえ殺せば、姑息な西サレスタキア同盟とやらの軍勢にとっては大打撃だ!」


「この機を逃す手は……おい、何だその顔は! 卿は我々を馬鹿にしているのか!?」


 こいつらは本気で言っているのか。

 そう考えたエマニュエルの内心は、表情に多少出てしまったらしかった。残念なものを見るような顔になっていたエマニュエルは、努めて無表情を作る。


「確かに、ハーゼンヴェリア王の首をとれば敵は混乱するだろう。しかしそのためにどれほどの犠牲を払うつもりだ? 下手をすれば何千もの兵力を失うことになる。一度の戦いで損害を出し過ぎれば今後の作戦進行に支障が出る。損害に対して成果が割に合わない」


「皇帝陛下の御心をこれまで散々に傷つけたハーゼンヴェリア王だぞ! あ奴の首を陛下に献上する以上の成果がどこにある!?」


「……」


 エマニュエルは無表情を貫いて黙り込みながら、ようやく合点がいく。要するに、この帝国西部貴族たちが欲しているのは個人としての手柄なのだと。

 彼らにとって最も大切なのは、自分がハーゼンヴェリア王の首を手土産に皇帝フロレンツのもとに帰り、忠誠を示し、所領と特権を安堵され、新皇帝からの覚えをめでたくすること。

 宮廷貴族の間では「保身こそ領主貴族の本分」などと馬鹿にする決まり文句があるが、まさか実際の領主貴族たちがここまで保身に執着するとは。目を血走らせながら焦燥に駆られている彼らを見回し、エマニュエルは思う。

 彼らとて馬鹿ではなかろうが、目の前にハーゼンヴェリア王という極上の獲物をぶら下げられると、これほどまでに視野が狭くなるのだ。

 ハーゼンヴェリア王の首をとった者はフロレンツからの覚えがこれ以上なくめでたくなり、皇帝家と姻戚関係を結ぶことさえできるだろうから気持ちは分からないではないが、ここまで優先するものが違うともはや別の生き物だ。こんな者たちと、これから共闘していけるのか。


「なるほどな」


「おお、分かってくれたか!」


 前のめりに叫ぶ西部貴族の一人を、エマニュエルは無視する。

 なるほど、と言ったのは彼らの訴えに対してではない。敵将――おそらくはスレイン・ハーゼンヴェリア国王自身が講じた策についてだ。

 彼が自身を陣形の最前衛に置いたその行為は、こちらの攻勢を誘引するための罠ではない。帝国常備軍から領主貴族の手勢までが入り混じった侵攻軍の中に、価値観や利益の相違による不和を引き起こすための罠だ。

 数か月前、皇帝フロレンツによる帝位簒奪の直前。先帝アウグストの即位四十年を祝う式典が始まる前に、マクシミリアンと挨拶を交わしたときのことをエマニュエルは思い出す。


「スレイン・ハーゼンヴェリアの恐ろしさは、戦闘の枠外で勝ちを取りにくるところにある。あれは悪魔のような策を平気で講じてくる。お前ももし戦う機会があれば気をつけろ」


 彼の言っていた意味を、エマニュエルは真に理解した気がした。なるほどこれは酷く厄介だ。


「将軍閣下、敵が後退しはじめました」


 エマニュエルが西部貴族たちの相手をする間、戦場を俯瞰していた副官がそう報告する。

 それを聞いて、エマニュエルよりも早く西部貴族たちが反応する。彼らはどよめきながら戦場を振り返り、同盟軍が陣形を維持しつつゆっくり退いていくのを見て焦燥に駆られた顔になる。


「サヴィニャック卿! 機会は今しかない!」


「二度とハーゼンヴェリア王が前に出てこないかもしれないのだぞ!」


「さあ、この機を逃さず突撃を!」


「……いや、突撃はしない」


 数瞬の思考の後、エマニュエルははっきりと言った。

 同盟軍が退いていく現状で突撃を命じれば、敵側の森の陰に潜む騎兵部隊の奇襲がより効果を発揮することになる。先ほどまで敵がいた辺りまで前進し、敵陣に深入りしたところで横腹に騎乗突撃を食らえば、最悪の場合こちらは壊滅する。

 それどころか、敵の騎兵部隊がこちらの主力の側面ではなく、がら空きになったこの本陣を直接狙ってくる可能性すらある。今突撃を敢行するのは最悪の手だ。


「何だと!? ふざけるな!」


「貴様、まさか我々が戦功を挙げる機会を邪魔して手柄を横取りする気では――」


 この期に及んで騒ごうとする西部貴族たちを、エマニュエルは睨みつけた。蛇に例えられるその鋭い目を向けられ、西部貴族たちが一瞬黙り込んだ隙に口を開く。


「私は神の代理人たるフロレンツ・ガレド皇帝陛下より、この部隊の指揮権を預けられた身。どうか今は私の決定を受け入れてくれないだろうか」


 フロレンツの皇帝としての威光を利用し、なおかつ西部貴族たちの顔を立てて丁寧に頼む。エマニュエルのこの対応を受けて、彼らは鼻白んだ。

 西部貴族の中でも中心的な立場にいる彼らは、しばし顔を見合わせ、盟主格の男が口を開く。


「いいだろう。ここは卿の大将としての決定を尊重しよう……だが、次に同じ好機があれば、我らはそれを逃す気はない。そのことは肝に銘じてもらいたい」


「……分かった。次に同じ機会があれば、卿らの意思を尊重しよう」


 エマニュエルはそう約束するしかなかった。この侵攻軍の半数以上は、彼ら西部貴族の連れてきた兵力。彼らと決定的に対立しては、作戦行動はままならなくなる。


「将軍閣下!」


 エマニュエルと西部貴族たちの険悪な空気が少し和らいだその場へ、帝国軍の士官が駆け寄ってくる。


「どうした?」


「敵軍より矢文が撃ち込まれました! こちらになります」


 差し出された文を広げたエマニュエルは、それに目を通し、思わず苦い笑みを浮かべた。


「サヴィニャック卿、何が書いてあるのだ? こちらにも」


 西部貴族の盟主に求められ、エマニュエルは仕方なく文を差し出す。ここで見せるのを拒否すれば要らぬ疑いをかけられる。


「……帝国西部の諸将の臆病さには落胆した。ハーゼンヴェリアの王である自分を目前にしながら、まさか接近戦を恐れて矢を放つだけとは思わなかった。普段は大陸西部諸国を極小国などと軽んじながら、我々の兵を前に怖気づいたとでも言うのだろうか……」


「くそっ!」


「ふざけおって! 不愉快極まりない!」


 わなわなと身を震わせながら盟主が文を読み上げると、西部貴族たちは分かりやすく憤慨する。


「……」


 スレイン・ハーゼンヴェリア。本当に厄介な敵だ。エマニュエルは心からそう思った。


・・・・・・・


「国王陛下。ヴェロニカの報告です。敵の本陣では、立派な鎧を着た連中が何やら言い争いをしてたそうですよ」


 同盟軍が後退し、両軍ともに軽微な損害を受けたのみで緒戦が終了した後。ハーゼンヴェリア王国の筆頭王宮魔導士ブランカから報告を受け、スレインは微笑を浮かべた。


「そうか……どうやら策が効き始めたみたいだね」


「後は敵将サヴィニャック将軍が、帝国西部貴族たちの突き上げに耐えられなくなるのを待つだけですな」


「そうだね。まあ、どうせ長くは持たないよ」


 ジークハルトと馬首を並べて後方の拠点へと移動しながら、スレインは語る。

 帝国の領主貴族たちの我の強さや保身への執着は尋常ではない。そのことを、スレインはこの数年で何度か思い知った。

 帝国との対立が小康状態となり、関係改善の兆しが見えていたこの数年間、スレインは何度か帝国の貴族たちと交流する機会を持った。ローザリンデが主催する晩餐会に出席し、帝国西部の領主貴族たちと話したことが数回。そして、一度はマクシミリアンに招待されて帝都ザンクト・エルフリーデンの皇宮にも赴いた。

 スレインが顔を合わせた帝国貴族の多くは、尊大で我が強かった。自分たちは偉大な帝国の支配者層である。その自負が言葉や所作、表情の端々からにじみ出ていた。

 異国の王であるスレインを露骨に馬鹿にする者は少なかったが、それでもやはり、下手な帝国貴族領より小さな国の君主に対する侮りをスレインは感じた。意図的に、あるいは無意識に、彼らがスレインを下に見ているのが分かった。

 そして、彼らはその地位や特権への執着も尋常でなかった。爵位。家柄。領地。それら貴族の証が自身の命そのものであると言わんばかりの価値観を垂れ流していた。あわよくばさらなる地位と特権を得たいという貪欲さを垣間見せる者も多かった。

 だからこそ、スレインは今回の策を編み出した。

 片や、新皇帝の機嫌に自分たちの命運や出世がかかっている帝国西部の領主貴族たち。片や、帝国中枢から派遣された、宮廷貴族の職業軍人。言うことを聞こうとしない諸将と、望みを聞いてくれない大将。相性は最悪だ。

 自尊心が高く我が強く、保守的であり野心的。そんな我が儘な領主貴族たちを抱えて、敵将サヴィニャック伯爵がどこまで力を発揮できるか。

 彼の苦労を思って少しだけ同情心を覚えながら、スレインは馬を進める。

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