第186話 最前衛の王①

 リベレーツ王国とイグナトフ王国の国境である河川。その北側、イグナトフ王国領土にあたる平原で、西サレスタキア同盟による軍勢はガレド大帝国の侵攻軍を待ち構えていた。

 イグナトフ王国が放った斥候によると、侵攻軍はリベレーツ王国の占領維持のために三千の兵力を残し、北進してくるのは一万二千。

 それを迎え撃つ同盟軍は、イグナトフ王国、ハーゼンヴェリア王国、エルトシュタイン王国、ルマノ王国、バルークルス王国による兵力が総勢で七千五百。それに加え、リベレーツ王国の生き残りが五百。数の上では侵攻軍が有利な状況だった。


「ではイグナトフ王、手はず通りお願いします……すみません。あなたの領土内で、このような戦い方をすることになって」


「構わん。悔しいが、真正面からぶつかっても兵力差で不利なことは純然たる事実だ。貴殿の奇策頼りになることは最初から分かっていたからな。これも覚悟の上だ」


 騎兵部隊を引き連れて陣を発とうとするオスヴァルド・イグナトフは、スレインの謝罪にそう答える。


「策を出したのは貴殿だが、それを受け入れると決めたのは私だ。総指揮権が私にあることに変わりはない」


「ええ、無論です」


 スレインが頷くと、オスヴァルドは満足げな表情を見せる。

 同盟軍の総指揮権は、戦場となる地の君主が握る。それが同盟結成時に交わされた盟約だった。オスヴァルドにはスレインの提案を拒否する絶対の権利があり、しかし彼は盟友の策を信じて実行する権利を行使した。


「それでは、私はもう移動する……この同盟軍の総指揮官として、本隊の指揮権を一時的に貴殿に預ける。任せたぞ」


 オスヴァルドがそう言って視線を向けたのは、スレイン――の隣に立つセレスティーヌだった。


「お任せください。これは私の戦いでもあります。私は今度こそ、我が務めを果たします」


 力強い目をして答えたセレスティーヌに、オスヴァルドは無表情で頷き、大柄な愛馬に乗って移動していった。


「それでは始めましょう。全体の統括は任せました、リベレーツ女王」


「ええ。どうか気をつけて、ハーゼンヴェリア王」


 セレスティーヌと言葉を交わし、スレインも自国の部隊を連れて移動する。

 今日のスレインの配置は、本陣ではない。


・・・・・・・


 一万二千の軍勢を引き連れて北進したエマニュエル・サヴィニャック伯爵は、イグナトフ王国の領土に入ってすぐの平原にて、西サレスタキア同盟の軍勢と対峙した。


「……斥候の報告は見間違いではなかったようだな」


「はい。極めて妙です」


 こちらよりも小規模な敵軍の陣を見渡し、エマニュエルは傍らの副官と言葉を交わす。

 複数の国の兵が寄り集まった急ごしらえの軍勢であるためか、同盟軍の陣形は単純。正面に歩兵が並び、その中でも最前衛は盾を装備。歩兵の後方には弓兵が横に広がって配置され、最後方に本陣と、おそらく起動防御を為すための少数の騎兵。

 陣形そのものには何ら捻りはない。異常はその陣形の中、歩兵部隊にあった。

 最前衛に立派な装備の正規軍人が、後衛に徴集兵と思わしき粗末な装備の兵士たちが並ぶ、その中央前衛側。そこに掲げられているのは、ハーゼンヴェリア王家の旗。

 よほどの恥知らずでなければ、戦場で王族がいない場所に王家の旗を掲げたりはしない。実際、戦場へと先行した斥候からは、王家の旗の下にハーゼンヴェリア王らしき人物がいることも報告されている。

 すなわち、ハーゼンヴェリア王が、今の大陸西部において特に重要な人物が、この戦場の最前衛に立っている。策士であり、今までは本陣から戦場を俯瞰してきたと言われているハーゼンヴェリア王が最も危険な位置にいる。


「このような手に引っかかると思われているのなら、心外だな」


「全くです。閣下ほどの御方が、このようなあからさまな罠にかかるはずがないというのに。賢王や英雄などと言われていても、所詮は閣下のご功績も知らぬ田舎の王ということでしょう」


 思わず微苦笑を零したエマニュエルに、副官が少々憤慨した様子で同意した。

 これは罠だ。当然分かっている。

 自らを危険な最前衛に置いてこちらの安易な攻撃を誘引するというのは大した度胸だが、罠を罠だと気づかれては意味がない。

 同盟軍が布陣するその東側、エマニュエルたち侵攻軍から見て右手側には、後ろに兵を隠すのに都合の良い森がある。

 森の後ろに騎兵部隊が潜んでいることは分かっている。森へと向かわせた斥候は帰ってこなかったが、傀儡魔法使いの操る鳥が騎兵の集団を確認している。

 敵の本隊と森の後ろを騎兵がしきりに行き来したり、大量の飼葉が森の後ろに運ばれたりしていることも、別の斥候の隊によって確認されている。

 ハーゼンヴェリア王という餌にこちらが食いつけば、森の後ろから敵騎兵が大挙して押し寄せ、こちらの横腹を突くのだろう。それは分かりきっている。

 戦場はイグナトフ王国。この国は良馬が名産であり、馬を育てている都市や村の住民は成人前の若者でも大抵が馬を乗りこなすと聞いている。徴集兵でさえ騎兵になれる国だ。人口に対して多くの騎兵を揃えているのは間違いない。

 他国の騎士たちも合わせて、おそらく千に迫る規模の騎兵部隊が森の後ろにいる。間違いなく脅威だ。


「こちらが馬鹿ではないと、まず最初に教えてやろう……弓兵と魔法使いを前に出せ。ハーゼンヴェリア王がいつまで最前衛にいられるか、度胸試しといこう」


 エマニュエルの命令で、侵攻軍の弓兵およそ二千五百と、数十人の魔法使いが前に出る。敵騎兵の奇襲を防ぐため、側面を騎兵と大盾兵に守られた彼らは、同盟軍からある程度の距離をとった上で曲射による攻撃を開始する。


・・・・・・・


「……来たね」


 前進してくる敵の弓兵と魔法使いを見て、スレインは呟いた。

 その表情に驚きの色はなかった。自分がこのような最前衛に布陣しているのは罠であると、敵将が見破るのは当然だと分かっていた。

 蛇将軍サヴィニャック伯爵。帝国北部の国境紛争で実績を重ねた武門の宮廷貴族。その名はスレインも聞いたことがある。名のある将が、これほど露骨な罠に気づかないはずがない。

 自分が彼の立場でも、怪しい餌には近づかずにまずは遠距離から仕留めることを試みる。


「我がハーゼンヴェリア王国の精強な戦士たち。私は諸君を信じている」


「皆、聞いたな! 国王陛下のご期待に、身命を賭してお応えしてみせろ!」


 スレインが語り、傍らのジークハルトが兵士たちを鼓舞する。

 それに、スレインの周囲を囲むハーゼンヴェリア王国軍や近衛兵団、貴族領軍の兵士たち総勢五百が力強く答える。

 彼らは全員が盾を装備している。その盾を頭上で構え、それぞれが身を守る。

 そして、スレインの周囲はヴィクトル率いる近衛兵団が囲む。彼らは盾が重なり合うように構えて亀の甲のような陣形を作り、あらゆる攻撃からスレインと、その参謀であるジークハルトを守る姿勢をとった。

 そこへ、矢と魔法の雨が降り注ぐ。


「耐え忍べ! 風魔法使いは陛下をお守りしろ!」


 ジークハルトの吠える声が、ハーゼンヴェリア王家の陣に響き渡る。兵士たちは盾を構えた姿勢を堅持し、襲いくる矢の多くはそれら盾か、あるいはただ地面に突き立って終わる。

 ハーゼンヴェリア王家の陣の左右に広がる前衛の歩兵たちも、皆盾を構えて己の身を守る。

 目立つ損害は、敵の魔法によるものだった。同盟軍前衛の歩兵は間隔を広めにとって並んでいるが、それでも敵の火魔法が陣形の中に落ちれば、その周囲の数人は巻き込まれる。

 不運な犠牲者がちらほらと出る中で、しかしスレインの周囲は硬く守られていた。スレインを守る陣形の周囲には、同じ亀の甲の形でより小規模な陣形が複数作られ、その中には王宮魔導士をはじめとした風魔法使いたちが潜んでいた。

 彼らの生み出す突風が、スレインの周囲に迫る敵の矢や魔法の軌道を逸らしていた。雨のように降る矢の全てを防ぐことは叶わないが、少なくとも火魔法の直撃は避けられていた。

 そうして前衛が耐え忍ぶ一方で、後方では同盟軍の弓兵が動く。


「前衛の味方が命懸けで時間を稼いでいるのです! 右翼側への展開を急がせなさい!」


 さらに後方、本陣で声を張るのはセレスティーヌだった。彼女の命令の下、歩兵の後ろにいた弓兵たちは陣の右翼側に移動し、敵前衛の弓兵を攻撃すべく前進の準備を進める。

 侵攻軍がこちらの罠を見破るのは想定のうち。敵が警戒を保ちながら慎重に攻めてくるよう誘引するためにこそ、スレイン・ハーゼンヴェリアの軍勢は最前衛という危険な位置に布陣していた。

 この策に、敵は見事に乗っている。次に為すべきは、敵の遠距離攻撃を引きつける最前衛への援護だった。


「本陣直衛の騎兵も右翼側の前面へ出し、敵を牽制しなさい!」


「女王陛下、よろしいのですか?」


 尋ねたのは、セレスティーヌの参謀として付いているエルトシュタイン王国軍の将軍。異国の将の問いかけに、セレスティーヌは迷わず頷く。


「ええ、今この本陣に騎兵の護衛は要りません。少数の精鋭と、いざというときのために火魔法使いたちがいれば十分です。必要なのは、敵の攻撃の勢いを少しでも削ぐことです」


 本陣の傍に控えていた二百ほどの騎兵――そのうち半数ほどはリベレーツ王国の生き残りの兵力だ――が、最前衛の歩兵たちの右側面まで前進する。と、敵の前衛のうち、魔法使いが後方へと退いていく。

 二百程度の騎兵でも、それが金属鎧を身につけた重装騎兵となれば、弓兵だけで完全に受け止めるのは難しい。この二百が損害を考慮せず決死の突撃を仕掛ければ、侵攻軍前衛は大混乱に陥る可能性もあり、そうなると貴重な魔法使いが何人も死ぬ可能性がある。

 それを嫌がったのか、侵攻軍の将は替えの利かない人材である魔法使いのみ、ひとまず下がらせた。そうして敵の遠距離攻撃の勢いが弱まった隙に、同盟軍の弓兵が右翼側後衛で隊列を組みなおし、前進して敵前衛の弓兵へと攻撃を開始する。

 急いで移動しての射撃なので万全の攻撃とはいかないが、それでも斉射を受けた侵攻軍の弓兵たちは怯み、その射撃の勢いが鈍り、同盟軍最前衛は随分と楽な状況になる。

 この間、侵攻軍の後方にいる騎兵が同盟軍の弓兵を叩くために動くようなこともなかった。

 今、侵攻軍騎兵が同盟軍弓兵を叩くために動けば、森の陰に隠れている同盟軍の騎兵部隊を押さえる有効な手段がなくなる。騎兵が動いてがら空きになった侵攻軍の後方が、直接襲撃を受けてしまう可能性もある。


「……敵将の強さは本物のようですね」


 自国を占領した憎き敵将の実力を、しかしセレスティーヌは冷静に評する。

 正面からまともに殴り合っても、お互い決定打を得られない。短期決戦は難しい。この先、仕切り直して何度かぶつかることになるかもしれない。

 となれば、数で勝る侵攻軍の方が有利なのは間違いない。

 後は、スレイン・ハーゼンヴェリアの策が上手く発動するか。いや、彼の策ならば発動するのは間違いないだろう。いつ発動するか。

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