第184話 敗国の女王

フェアラー王国が大陸西部を裏切り、帝国の側についた。帝国の軍勢はフェアラー王国を素通りし、リベレーツ王国を強襲。王都ハイラシオネは一夜にして陥落した。

 その報を受け、大陸西部の諸国は衝撃を受けた。ハーゼンヴェリア王であるスレインも例外ではなかった。


「……それで、敵軍の現状は?」


「未だリベレーツ王国に留まり、さらなる侵攻のための足場固めに努めているようです。リベレーツ王国軍の残党や地方の貴族領軍、民衆による小規模な抵抗が相次いでいるらしく、王国掌握にはしばし時間がかかるだろうと」


 凶報から数日。スレインは執務室で、外務長官エレーナより続報を受け取っていた。


「なるほど。さすがは臣下や民衆の支持厚いリベレーツ女王と言うべきかな。本人が王国を脱出した後も、女王のために抵抗を続けるなんて」


 皮肉ではなく感心を覚えながら、スレインは呟いた。

 外交に関しては柔軟性に欠くが、内政に関しては天才。父親から受け継いだ改革の功績と天性の才覚で臣下と民の心を掴む若き女王セレスティーヌ。

 彼女のこれまでの治世があったおかげで、帝国の軍勢はリベレーツ王国の掌握に手間取り、結果として大陸西部は反撃の準備を整えることができている。

 北ではオスヴァルドの治めるイグナトフ王国が国境防衛の備えを固め、西ではオルセン王国の女王ガブリエラが主導で周辺諸国をまとめ、対抗の準備を進めている。


「そのセレスティーヌ・リベレーツ女王ですが、彼女を保護したイグナトフ王より、陛下への打診が届いています」


「……彼女をうちで預かってほしいと?」


 スレインが問いかけると、エレーナは少し困ったような笑みを零した。正解の証だった。


「今のところ動きがないとはいえ、いつ帝国の軍勢が北進してくるか分からない以上、国を追われたばかりのリベレーツ女王にとってイグナトフ王国は気の休まる場所ではない。今はより安全な後方に一度下がり、休んでもらった方がいい。それがイグナトフ王のご意見です」


「あからさまに表向きの理由だね。分かりやすい」


 スレインはそう言って微苦笑する。

 オスヴァルドとセレスティーヌでは相性は最悪だろう。帝国の大軍という危険を目の前にして、扱いに困るセレスティーヌをオスヴァルドが遠ざけたい気持ちは分からないでもない。


「分かった。ひとまずうちで保護しよう……なんだか、国を追われた貴婦人方の避難所のようになってきたね、うちの城は」


「リベレーツ女王については私が上手く対応しますので、お任せください」


 スレインが傍らのモニカに言いながら苦笑すると、王妃の執務机についている彼女は微笑みながら答えた。


・・・・・・・


 それから数日後。イグナトフ王家の親衛隊によって、セレスティーヌの身柄がハーゼンヴェリア王家の王城へと届けられた。

 命からがら国を脱出した身とはいえ、相手は近隣の国の君主。スレインはモニカと共に、自らセレスティーヌを出迎える。


「リベレーツ女王。事情は聞いています……さぞ、大変だったことでしょう。ここは安全です。どうか我が城でゆっくりと休んでください」


 できるだけ優しく聞こえるよう意識しながら、スレインは彼女にそう語りかける。


「……惨めな者を憐れむ目ですね」


 返ってきたのは、硬い声と、睨むような視線だった。


「私はさぞかし惨めに見えていることでしょう。今まで散々偉そうなことを言いながら、敵の刺客が城に入ることを許し、城を捨て、国を捨て、自分だけ逃げ延びた無能な女王ですから」


「陛下」


「今は……」


 悔しげに語るセレスティーヌを、白薔薇騎士団の生き残りらしき若い女性騎士たちが窘めようとするが、セレスティーヌはそれを手で制する。


「どうぞ遠慮なく、いくらでも憐れんで、蔑んでくださいな。私は敗北者です。私は全て失って、父の代から仕えてくれた直臣たちも、私の同志となってくれた騎士たちも、皆を失って……っ」


 そこで声を詰まらせ、セレスティーヌは膝から崩れた。


「……違うの。違うのです、ごめんなさい。こんなことを言いたいわけではなくて……ただ、私は自分が……ごめんなさい」


 手で顔を覆った彼女の口からくり返し零れる、赦しを乞う言葉。それはここにいない、もうこの世にいない者たちに向けられるものも含まれていると、スレインには分かった。

 スレインは彼女の前にしゃがみ込み、彼女と視線を合わせる。


「あなたは同じ大陸西部の同胞、共に国を並べる大切な隣人です。今はただ休み、身と心を癒してください。その後のことはゆっくりと考えればいい」


 その言葉に顔を上げたセレスティーヌの頬は涙に濡れ、目は赤い。


「……客室にご案内します。さあ、一緒にまいりましょう」


 モニカが穏やかに呼びかけ、セレスティーヌの手を取った。立たせた彼女の手をそのまま握り、もう一方の手はそっと彼女の背に回し、優しい所作で導く。

 セレスティーヌはまるで母親に手を引かれる幼子のように、ただモニカに従ってこの場を去っていった。


「……」


 今は、彼女はこれでいい。ただ休んでくれればいい。

 そう思いながら、スレインは自身もこの場を去る。今は戦時。やるべきことは山ほどある。


・・・・・・・


 ハイラシオネの陥落からおよそ一週間。帝国の軍勢がリベレーツ王国の各地で突発的に発生する抵抗の鎮圧に難儀しているおかげで、さらなる進軍は今のところ防がれていた。

 それでも、少数の兵による遊撃戦や、占領部隊に対する民衆の抵抗だけで稼げる時間には限界がある。リベレーツ王国の占領は着実に進み、侵攻軍の次なる動きも見えてきた。

 集結や物資輸送・徴収の動きを見るに、侵攻軍はさらに北、イグナトフ王国の方へと進軍しようと準備を進めている。

 真の狙いはおそらくさらに北、ハーゼンヴェリア王国。ザウアーラント要塞の後方を叩き、要塞への兵士や物資の補給を絶って東西から挟み撃ちにすることで陥落させるのが狙いと思われた。

 要塞が難攻不落の異名を誇るのは、地勢の関係で一方向の狭い道からしか攻められず、その反対側ではいくらでも兵士と物資の補給を受けられるため。東西から包囲されれば、ジリ貧となって落ちるのは目に見えている。

 そのため、大陸西部は侵攻軍の北進を阻止し、攻勢をはね返して後退に追い込み、殲滅するか帝国領土まで追い返さなければならない。


 そうした現状報告を、セレスティーヌはハーゼンヴェリア王家の城に到着した日の夜に、ハーゼンヴェリア王家の外務長官から客室で受けた。

 この重要な報告を聞き、今まさに大陸西部が重要な局面にあるのだと理解してもなお、翌日、そして翌々日までまともに動けなかった。身体が、何より心が疲れ果てていた。

 そしてさらに翌日。いつまでも客室に籠ってはいられないと考えたセレスティーヌは、ここまで付き従ってくれているアイリーンとクローデット、そして国を脱出する際に合流の叶った数人の使用人たちの勧めを受けて、まずは外の空気を吸うことにした。

 セレスティーヌがハーゼンヴェリア王家に城内の散歩の許可を求めると、案内役を申し出てくれたのは王妃モニカだった。


「ひとまず中庭をご覧いただくのが良いかと思います。テラスもあり、落ち着く空間になっていますよ。この時期は花も綺麗です。女王陛下もきっと安らぎを得て、良い気分になれます」


「……ありがとうございます」


 この城に到着したときの自分の物言いを気にして、セレスティーヌの声は気まずそうなものになった。モニカはそれを気にした様子もなく、穏やかな笑みをたたえて案内してくれる。

 足を踏み入れた中庭は、確かに心が落ち着く空間だった。ハーゼンヴェリア王家の城はリベレーツ王家のものより少し小さく、中庭もそれに比例して小ぢんまりしているが、だからこそまとまりのある完成した空間が形作られていた。


「よろしければテラスで過ごしましょう。お茶とお菓子を用意させます」


 そう言うモニカに案内されるまま、セレスティーヌは歩く。

 木陰にあるというテラスに入ろうとすると、そこには先客がいた。


「王太子殿下、皇女殿下、いかがですかぁ?」


「今日もとても美味しいです。この国のお砂糖が上質なのはもちろん、ケルシーさんのお菓子作りの腕は素晴らしいですね」


「すごくおいしい! ケルシー、おかしのお店ひらけそう!」


「わぁ、よかったですぅ。とっても光栄ですぅ」


 座っていたのは、セレスティーヌの知らない文官らしき女性と、この国の王太子ミカエル・ハーゼンヴェリア。そして――セレスティーヌも何度か会ったことのある、ローザリンデ・アーレルスマイアー・ガレド第三皇女。


 リベレーツ王国を襲撃した帝国の、皇帝家の血を継ぐ皇女。


 彼女の姿を見たセレスティーヌは表情を強張らせた。

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