第183話 蛇将軍

 新皇帝フロレンツが帝国全土を掌握した後、ゼイルストラ侯爵領の再独立を許す。そのような盟約があり、ゼイルストラ侯爵は皇帝の軍勢が自領を通過することを認めたと聞いている。

 そして、フェアラー王国の取り込み。フェアラー王家を帝国貴族として迎え入れ、隣り合うリベレーツ王国の領土までを下賜するというフロレンツの提案に、フェアラー王は簡単に乗ったと聞いている。

 南から大陸西部に侵攻する部隊を率い、リベレーツ王国の王都ハイラシオネに到着したサヴィニャック伯爵エマニュエルは、それらの情報を思い出しながら誰にも聞こえない程度に嘆息する。

 ここまでは楽なものだった。ゼイルストラ侯爵もフェアラー王も既に皇帝フロレンツの側についているため、一切の抵抗を受けることなく通過できた。リベレーツ王国は王城を落とされながらも残存兵力が多少の抵抗を見せたが、道中の鎮圧に大した損害は出ていない。

 結果、ほぼ無傷でハイラシオネに到達し、王城と王都を確保した。

 幸先は上々。しかしそれでも、これほど遠くまで仕事をしに来る羽目になったことを、エマニュエルは内心で面倒に思っていた。


「将軍閣下、お待ちしておりました」


 足の速い騎兵を率いて先行し、都市内や王城に潜入した刺客たちと連係して王都制圧に務めていた士官が、王城の入り口でエマニュエルを出迎える。


「ご苦労。状況はどうだ?」


「市街地の制圧は概ね完了。一部の民衆が抵抗を見せましたが、何人か殺して晒しものにしたところ、ひとまず収束しました。王城でも、つい昨日まで一角に立て籠って抵抗する兵士や使用人がいましたが、全員殺して城内は制圧済みです。片付けは済んでおりませんが……」


 その報告を聞いたエマニュエルは、小さく鼻で笑う。


「そうか。勝ち目もないのに死ぬまで抵抗するとは。リベレーツ女王は配下の者たちからの支持がよほど厚いと見えるな。それで、その女王は?」


「……申し訳ございません」


 上階の奥まで追い詰めたが逃げられた。脱出経路が未だ見つからない。士官はそう語った。


・・・・・・・


 士官に案内されて城内三階の奥の部屋に入ったエマニュエルは、まず死臭に顔をしかめた。

 味方の死体は既に片付けられていたが、敵の死体は未だ室内に放置されていた。


「ここも随分と抵抗が激しかったようだな」


「はっ。この女たちは皆、死ぬまで抵抗し、こちらも二十人近い死者を出しました。肉体魔法使いの装甲歩兵も一人死んでいます……最奥に、隠し通路が」


 エマニュエルは血まみれの死体を踏まないように歩き、士官の示した部屋の奥に進む。

 そこは一見するとただの壁だが、実際は隠し通路の入り口になっており、今は開けられていた。入り口を守っていたらしい女――栗色の短髪をした女騎士が、隠し扉ごと剣で貫かれて立ったまま絶命していた。


「この女がここの指揮官であったようです。何もない壁を必死に守っていたため、殺した後に壁を調べたところ、隠し通路を発見しました。しかし通路の奥は行き止まりになっており、リベレーツ女王の姿はありませんでした。この部屋に入ったのは確かなので、行き止まりの場所にさらなる隠し通路がないか捜索している最中です」


「……」


 士官の話を聞きながら、エマニュエルは死体の並ぶ室内を見回す。

 そして、返り血のついた棚のひとつに目をつけ、その前に転がっていた死体を兵士たちに命じてどかすと、棚を手前に引く。


「なっ」


 士官が驚く前で棚が開き、別の隠し通路が現れた。


「奥の隠し通路は、侵入者を騙すためのものだろう。本来の脱出路はここだ。その女騎士にしてやられたな」


「……面目次第もございません」


 士官は悔しげに言い、兵士たちに新たな隠し通路の中を調べるよう命じる。数人の兵士が、通路の中へと入っていく。

 王城での襲撃は昨日の午前のこと。今は夕刻前。一日半もあれば、リベレーツ女王はとっくに逃げ去っているだろう。今からの捕縛は難しい。

 そう思いながら、エマニュエルは部屋の最奥の隠し扉に釘づけられた女騎士に歩み寄る。


「……」


 女騎士の死体を貫く剣を、エマニュエルは自ら引き抜く。壁に背を引きずりながら頽れた女騎士は、戦いの中で切り裂かれていた軍装がずり落ちて素肌が露わになりそうになる。

 エマニュエルは自身の上着を脱ぎ、女騎士の身体にそれをかぶせてやる。


「おい、この王都の教会は無事だな?」


「はっ。建物にも聖職者たちにも手は出しておりません」


 問いかけると、士官は即座に答えた。


「では、この騎士たちの遺体を教会に運び、埋葬させろ。命を賭して主君を逃がした騎士たちだ。丁重に扱え」


「はっ」


 士官はエマニュエルの意思を理解し、敬礼した。


・・・・・・・


 その翌日。エマニュエルは側近たちを引き連れ、司令室として確保されている会議室に向かう。これからリベレーツ王国を完全に制圧し、周辺諸国へと侵攻の手を広げるため、話し合うべきことは多い。


「将たちに集合は命じているな?」


「はっ。もう間もなく司令室に集まるはずです」


 隣を歩く初老の副官が、エマニュエルの問いかけに答える。


「ならばよい。一か国目の制圧にそう時間をかけてもいられないからな。今日中には、今後の計画の確認を済ませ――」


「閣下! 将軍閣下!」


 呼び止められたエマニュエルは、声をかけてきた兵士を振り返る。


「なんだ。騒々しい」


「申し訳ございません。フェアラー王の一行がこの城に参上されたため、お伝えしに……」


 その報告を聞き、エマニュエルは眉を顰めた。


「何故フェアラー王がわざわざここに来た……仕方あるまい。会おう」


 憂鬱を覚えながら、しかし友邦となった国の王を無視するわけにもいかず、エマニュエルは伝令の兵士に案内させる。

 エマニュエルは戦うこと自体は苦ではないが、社交や政治の場は嫌いだった。特に外国の要人などを前にした、殊更気を遣わなければならない場は大嫌いだった。

 だからこそ、このハイラシオネ制圧のために一刻を惜しんで先を急がなければならないと理由をつけ、フェアラー王への挨拶もせず進軍した。それなのにどうしてフェアラー王の方が後を追って来てしまうのか。

 内心で愚痴を吐き出しながらも、王城の応接室に入ったときには社交用の笑顔を貼りつける。面倒くさがりな性分とはいえ、エマニュエルもまた確かに帝国貴族だった。


「おお、サヴィニャック伯爵! ようやく会えたな!」


「フェアラー国王陛下。出迎えできず申し訳ない。制圧が済んだばかりの城であります故、片付けも終わっておらず慌ただしくしておりました」


 喜色を浮かべ、小太りの身体を揺らしながら立ち上がったカシュパル・フェアラー国王と握手を交わしながら、エマニュエルは言った。

 言葉にいくらか皮肉を込めたつもりだったが、カシュパルは気づいた様子もなく首を振る。


「構わん。それより、噂に名高き蛇将軍とこうして挨拶を交わせること、嬉しく思うぞ!」


 自分が嫌っている異名を出され、エマニュエルは笑顔を堅持しながら不快感を覚える。

 陣形や地勢を活かして敵をがんじがらめにする戦い方と、特徴的な切れ長の目のせいで、主に異国で自分がそう呼ばれていることは知っている。そこには畏敬と同時に侮蔑の意味が込められていることも。それを何故、この王は本人の前で平然と口にできるのか。

 エマニュエルがこの呼び名を嫌っていることを知る側近たちが顔を強張らせ、室内の空気に緊張が走るが、カシュパルはそれにも気づいた様子がなかった。


「……ところで、何故陛下ご自身がこのような場に? 貴国は後方での守備と、我が軍の補給の援助を担う手はずだったかと思いますが」


「はっはっは! そう冷たいことを言わんでくれ。何、心配は要らない。後方の守備と補給は、我が本国にいる将兵がしっかりと務めているからな」


 再びエマニュエルが言葉に込めた皮肉にもカシュパルは気づかず、エマニュエルの肩をばしばしと叩きながら笑う。どうやら相当に鈍感で、おまけに無神経な質の人物らしかった。


「何と言っても、ここはあのリベレーツ女王の居城だ。いや、居城だった場所だ……あの小娘の手を離れ、これから私の第二の家となる城を、この目で見てみたかったというわけだ。あの小娘は死にはしなかったが、無様に逃げ去ったというではないか。痛快な話よのう!」


 どかりとソファに腰を下ろし、カシュパルは応接室の中に並ぶ調度品をねめつける。


「まったく、今まで本当に苦労したのだ。あの小娘の父親、先代リベレーツ王の頃からだった、この国の様子がおかしくなったのは。やれ女の社会進出だ何だと、説教くさい上にエインシオン教の教義に反することばかり喚きおって」


 エマニュエルが聞いてもいないことを、カシュパルは大声で語る。

 その様を見ながら、エマニュエルは彼への評価を改めていた。自己主張が弱く、影の薄い人物だという前評判だったが、本性はこれか。


「それだけなら無視すればよかったが、リベレーツ王国が無駄に発展を遂げたから質が悪い。この南東地域で影響力を拡大し、我が国にまで面倒でおかしな思想を流し込みおって……貿易のために今まで共感するふりをしてやったが、それももう終わりだ。あの小娘は逃げ、この城も都市もフェアラー王である我がものとなる。我が領地と、これから我が領地となる旧リベレーツ王国に、伝統的で正しき価値観を再びもたらすのだ!」


 楽しげに叫びながら、カシュパルはテーブルの上の置物を拾い上げ、部屋の隅に投げつけた。そこに飾られていた繊細な作りの壺に置物が直撃し、陶器の割れる乾いた音が鳴り響いた。


「……と、あまりここで貴殿の邪魔をしても悪いな。この城が落ちたところを見たかっただけなのだ。いや、邪魔をして済まなかった」


 大して申し訳なさそうでもなく言うカシュパルに、エマニュエルは微笑を保つ。


「いえ、とんでもない。迷惑などということは決して」


「ははは、そうか。まあともかく、引き続きよろしく頼むぞ。帝国領土からの補給線は我が国が責任をもって守るからな。貴殿は後顧の憂いなく、暴れまわってくれたまえ……フロレンツ・ガレド皇帝陛下にも、何卒よろしくと」


「承知しました。務めはしっかりと果たしますのでご安心を。皇帝陛下にもお伝えします」


 最後まで笑顔を維持してカシュパルを見送ったエマニュエルは、彼が退室して十分に時間が経った後、口を開く。


「不快な男だ」


「同感です、閣下」


 傍に控える副官が、間を置かずに答えた。それにエマニュエルは笑みを零す。これは作り笑顔ではなく、素の笑みだった。

 強い味方を得ると気が大きくなり、小物であるくせに自分を大物に見せることにこだわり、尊大と寛大をはき違えて振る舞い、周囲に気を遣わせていることに気づかない。カシュパル・フェアラーは、エマニュエルが最も気にくわない質の人物だった。

 これなら、主君を守って死んだ騎士たちの、死臭漂う遺体とでも握手をする方がましだった。エマニュエルはそう考えながら、カシュパルと握手をした右手をソファで拭う。

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