第182話 白薔薇の誇り
ゼイルストラ侯爵領を通過しての帝国の侵攻。その報は、西サレスタキア同盟に属していない大陸西部の南東地域の国々にも大きな衝撃をもたらした。
リベレーツ王国の影響で開明的な社会改革の進む南東地域は、経済的には帝国西部と繋がりを持ちながら、文化や価値観の面で対立することも多い。そんな南東地域にとってゼイルストラ侯爵領は言わば帝国西部との緩衝地帯であり、侯爵が皇帝家の軍勢の通過を許すというのは南東地域にとっても意外なことであり、極めて不都合なことだった。
帝国と直接国境を接するフェアラー王国は、王都周辺で兵力の集結を開始。リベレーツ王国をはじめその他の三国も、急ぎ防衛の準備を整え始めた。
そんな中で、リベレーツ王国の王都ハイラシオネにフェアラー王国の外交官が来訪。女王セレスティーヌ・リベレーツは、外交官を謁見の間で迎えた。
「――よって、王都での籠城戦をもってしても、フェアラー王国が帝国の侵攻を食い止められるのはせいぜい一週間というのが我が主の見立てです。つきましては、リベレーツ王国には可及的速やかに援軍の派遣をお願いしたく……」
「貴国の望みは私も理解しています。フェアラー王国は我が国にとって重要で、長年にわたって友好を築いてきた隣国です。貴国の窮地を救うため、必ずや援軍を送るとフェアラー王に伝えてください」
玉座に座り、側近たちと、団長ベルナデットをはじめとした白薔薇騎士団を周囲に控えさせるセレスティーヌは、やや尊大な態度で外交官に答える。
「女王陛下のご理解とご協力に対し、我が主に代わって心より御礼申し上げます」
「……ところで、あなたの顔は初めて見ましたが、外交官としては新人ですか?」
深々と礼をする外交官に、セレスティーヌは尋ねる。
フェアラー王国からリベレーツ王国に使者が送られてくる際は、大抵は外務大臣が、そうでない場合でも熟練の外交官が代表を務める。その顔ぶれはここ五年ほど変わっていない。
しかし、目の前の男はそれら馴染みの外交官ではない。まだ若く、こうした場での所作も少々ぎこちなかった。
「は、はい。仕官して二年目の新人にございます」
「隣国の君主にこのような重要な申し出を伝える使者が、外務大臣や熟練の外交官ではないというのは珍しいことですね」
この私に援軍を求める使者のくせに、格が低い。セレスティーヌが少々意地の悪い笑みを浮かべながら言外に示すと、若い外交官の額に汗が浮かび、その表情が一層硬くなる。
「た、大変申し訳ございません。この窮状の中で、我が主は大陸西部の各国や、さらにはスタリア共和国などにも助力を求める使者を派遣しております。そのため外交官の手が足りず……親しき友邦の君主であらせられる女王陛下であれば、フェアラー王国の窮状にご理解を示し、許容してくださることと、我が主はお考えです」
それを聞いたセレスティーヌは優しく笑う。
外務大臣のような要人は、誠意を示すための人材としておそらくオルセン王国などの大国に派遣されたのだろう。そして、今さらそうした形式にこだわらずとも話の通じる隣国には、とりあえず伝言の仕事をこなせる程度の新人が送られてきた。そう理解する。
「そう言われてしまうと、我が国としても寛大さを示さなければなりませんね。別に不愉快に思っているわけではありません。気にしないで頂戴……援軍の具体的な規模や送る期日については、これから我が重臣たちと話し合います。あなたはひとまず下がりなさい」
もう一度慇懃に礼をした外交官の退室を見送り、セレスティーヌは立ち上がる。
そして、宰相や将軍、護衛のベルナデッドらを引き連れて会議室へと歩く。
「……援軍の派遣は速やかにお願いするわね。フェアラー王国が無事なうちに送れなければ意味がないわ。我が国の領土を戦場としないためには、隣国に持ち応えてもらわないと」
「承知しております、女王陛下。既に兵力の集結は始めておりますので、十分に間に合うかと」
セレスティーヌの言葉に、王国軍の将軍が即答した。
「そう、ならいいわ。さすがね」
現在のリベレーツ王家には、父王の遺臣であり、セレスティーヌの先進的な思想を理解しつつ現実に対処できる有能な臣下が集まっている。組織が迅速に機能している現状に、セレスティーヌは満足げな笑みを浮かべる。
そして、間もなく会議室に到着しようとしていたそのとき。
「陛下! 女王陛下!」
走り寄ってきたのは、白薔薇騎士団の上位組織である王国近衛隊の兵士だった。
「どうしたの? 何事?」
「民衆が――いえ、民衆になりすましていた不審な輩が、数十人がかりで城門を強行突破し、王城の敷地内になだれ込みました! 武装している模様です! 不確かですが、肉体魔法使いがいる可能性も!」
恐るべき報告を受けたセレスティーヌは硬直し、彼女を囲む重臣たちが険しい表情になる。
帝国が侵攻してきても、最初の戦場はフェアラー王国。そのため、このリベレーツ王国の王城が即座に襲撃を受けることは想定しておらず、いつもより多少門番が多い程度の態勢だった。
城門は閉じているが、そこに併設された関係者の出入りのための扉は塞がれていない。警備の兵士も数人のみ。民に扮した刺客をあらかじめこのハイラシオネに忍び込ませ、不意打ちで突破を図らせれば、城の敷地内への侵入も不可能ではないだろう。
しかし、敵国潜入からの王城襲撃をこなせる刺客が数十人規模とは。最前線でもない国の王城にそこまでの戦力を割くとは。予想外としか言いようがなかった。何のために今そのようなことをするのか意味不明だった。
「女王陛下。たとえ刺客に城門を突破されても、城の屋内までの侵入は近衛隊がそう簡単に許さないかと思いますが、ここは一応、奥の部屋まで避難を」
「……そうね。フェアラー王国の使者たちも一緒に」
宰相に呼びかけられたセレスティーヌはそう答え、先ほど話した外交官とその供や護衛の者たちを呼びに行くよう指示する。隣国からの客人を保護するのもまた君主の務めだと思いながら。
ベルナデットと共に護衛についていた白薔薇騎士団の女性騎士が、指示を受けて使者たちを待たせている控え室へと向かおうとする。と、その騎士が今まさに開けようとした扉が、反対側から開かれる。
立っていたのは、女性騎士が今から呼びに行くはずだった外交官と、その護衛の者たちだった。
「……何故ここに「女王陛下!」
セレスティーヌが怪訝な顔で呟こうとしたその刹那、将軍が叫び、彼と女性騎士が剣を抜いた。ベルナデットがセレスティーヌの肩を掴んで強引に自身の後方へと引き下げ、やはり抜剣する。
驚いたセレスティーヌが前に向き直ると、フェアラーの外交官と護衛の者たちも武器を手にしていた。
救援を求めに来た隣国の王家の城内で、集団で勝手に動き、武器を抜く。その意味が分からないほどセレスティーヌは愚かではない。フェアラーは裏切ったのだ。
「私たちが時間を稼ぐ! お前は女王陛下と宰相閣下の避難を!」
「はっ!」
将軍の指示を受けたベルナデットが、そのままセレスティーヌの手をとって廊下を走り出す。それに宰相も続く。
「待って! 二人が!」
「陛下の避難が優先です! ご容赦を!」
後に残った将軍と女性騎士は、おそらく無事では済まない。それを気にしたセレスティーヌに、ベルナデットはそう答えた。彼女が自分の言葉を聞き入れないのはセレスティーヌにとって初めてのことだった。
三人が走っていくと、廊下の途中でメイドが一人、壁に背を預けてうずくまっていた。手で押さえた腹からはおびただしい量の血が流れ、しかし息はまだあった。
「あなた! 大丈夫――」
「いけません陛下! 誰か来ます!」
メイドに駆け寄ろうとしたセレスティーヌをベルナデットが制止する。彼女の言葉通り、廊下の向こう、曲がり角の先から複数の足音が迫り――現れたのは、外交官たちとは別行動していたらしいフェアラーの者たち。手には血に濡れた剣や短剣。
「逃げろ!」
宰相が叫び、三人は再び走る。後ろからは刺客たちの駆ける音が迫る。
今いる一階から、三階へと続く螺旋階段に進み、駆け上がる。
「宰相閣下、お急ぎを!」
そこで遅れ始めたのが、老齢の宰相だった。息切れし、既に体力が限界に近いらしい彼は、ベルナデットの声に顔を上げ、後ろを見て、そして再び前を向く。
「儂はいい! 先に行け! 女王陛下を脱出させろ!」
宰相は普段の温厚さに似合わない厳しい声で言うと、その身を投げるように後ろに突進した。宰相と、その捨て身の攻撃に巻き込まれた刺客たちが、階段を転がり落ちる激しい音が響く。
「いやああああっ!」
「陛下! 行きましょう! 皆の犠牲が無駄になります!」
幼い頃から家族のように慕ってきた重臣たちが、自分を逃がすために犠牲になっていく。残酷すぎる事態を前にセレスティーヌは少女のように泣き叫び、ベルナデットはそんな彼女の手を強引に引いて走り続ける。
後ろを振り返らず階段を上がりきり、その後も必死に廊下を走り、その途中で再び数人の集団と鉢合わせする。今度は敵ではなく、白薔薇騎士団の女性騎士たちだった。
「女王陛下! それに団長も、よくぞご無事で!」
「ああ、お前たちも……奥の資料庫は?」
「他の者が確保しています。我々は陛下の救出に向かうところでした!」
「そうか……下の方は駄目だ。城外からの侵入者と、フェアラーの使者に扮した刺客に制圧されているだろう。このまま奥に向かうぞ」
ベルナデットはそう言って、騎士たちと、呆然とするセレスティーヌを連れて走る。
王城の三階の奥。廊下の突き当たり。このような非常時を想定した避難場所である資料庫。その前では数人の女性騎士たちが警戒していた。
「女王陛下! ご無事で――」
「資料庫を開けろ! 刺客がすぐに来る! 立てこもるぞ!」
走りながらベルナデットが叫び、開けられた資料庫の扉にセレスティーヌを連れて飛び込む。その他の女性騎士たちも続き、総勢十人ほどで資料庫に立てこもる。
それなりに広く奥行きがあり、壁際に大きな棚が何十も並べられた資料庫の扉の内側には、部屋の用途に対して不釣り合いなほど頑丈な閂が備えられていた。それを騎士の一人が閉じ、さらに書類が収められた棚の一つを扉の前に倒す。
「だ、団長……」
「これより女王陛下をお連れし、隠し通路より全員で脱出する。その後はひとまずイグナトフ王国まで――」
ベルナデットが今後の指示を語りだした、そのとき。
外から扉を殴りつける激しい音が聞こえた。
何人もの男たちの怒声と、金属製の武器を叩きつけるような打撃音。なかには人間の攻撃とは思えないほど重い音も響く。城内に侵入した刺客の中に、肉体魔法使いがいる可能性があるという話をベルナデットは思い出す。
もうここまで到達された。閂は頑丈だが、扉は多少厚いだけの木製だ。いつまでもつか。
「計画変更だ。アイリーン、それとクローデット」
「「はっ!」」
呼ばれた二人の騎士――まだ成人したての女性騎士たちが、揃って敬礼する。
「女王陛下をお守りし、イグナトフ王国まで逃げ延びろ……残りの者は、ここで私と時間を稼げ」
そう命じながら、ベルナデットは壁際の棚のひとつを引く。その裏から、非常時の王族脱出のための隠し通路が姿を現す。
「さあ、女王陛下」
「私たちと共に行きましょう」
アイリーンとクローデットに両肩を掴まれたセレスティーヌは、隠し通路へと引っ張られながら困惑した表情でベルナデットを振り返った。
「待って! そんな、ベルナデット! あなたも一緒に……」
そんな彼女を、ベルナデットは強引に隠し通路へと押し込む。そして、優しく微笑みかける。
「あなたにお仕えできて光栄でした。どうかご無事で……お元気で」
「嫌っ! ベルナ――」
飛び出そうとしたセレスティーヌをアイリーンとクローデットが押さえて通路の奥へ引っ張り、その隙にベルナデットは棚を閉じた。
そして振り返り、激しい打撃に揺れる扉を見据える。その表情はただ、戦う騎士のものだった。
「白薔薇騎士団! 剣を構えろ!」
その言葉で、逃げ行くセレスティーヌに向けて敬礼していた女性騎士たちは、一斉に扉を向いて戦闘態勢に入る。
「全ての鍛錬は今日この日のためにあったものと思え! 死ぬまで戦い、務めを果たし、そして我らが真に女王陛下の騎士であると、ここに証明するのだ!」
「「「応っ!」」」
男のものより甲高い声が、揃って鋭く響く。
先代国王の開明的な改革が進んでもなお、女性でありながら剣の道を選んだベルナデットたちに対する偏見や蔑視はリベレーツ王国の社会に根深く残っていた。それを根本から変えようとしたのが、彼女たちの主君であるセレスティーヌだった。
彼女はベルナデットたちを認め、自身の傍に置いてくれた。王家が親子二代にわたって推し進める改革の象徴として。そして何より、自身が命を預ける騎士として。
国内外から、陰でお飾りなどと言われていたことは知っている。それでもベルナデットたちは今日まで、女王の守護者として、白薔薇の隊旗の下に堂々と立ってきた。
そして今日、その覚悟を真に示す。
女にも、剣を取り国を守る権利と義務を。
以て誇りを。
セレスティーヌが示したその理念を、命を懸けて体現する。
ベルナデットたちが剣を構える中で、一際大きな打撃音が室内に響き、扉が割れる。そこからさらに数度、重い質量を叩きつける低音が部屋を揺らし、そして遂に扉が破られる。閂が吹き飛び、分厚い木板が砕け散る。
突入の先頭を担う装甲歩兵と、その後に続いてなだれ込んできた刺客たちに、白薔薇騎士団は鬨の声を放ちながら斬りかかる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます