第180話 要塞の緒戦①

 初秋のある日。戦いは何らの意外性もなく始まった。


「……それにしても、まったくふざけた宣戦布告書だ」


「かつて我が領が奇襲を受けたときを思い出しますね」


 ザウアーラント要塞の城壁上へと続く階段を上がりながら、苦々しい表情で吐き捨てるように言ったイェスタフ・ルーストレーム子爵に、リヒャルト・クロンヘイム伯爵が同意する。

 二人は爵位ではリヒャルトの方が上位だが、年齢や経験ではイェスタフの方が上であるため、公の場以外ではリヒャルトがイェスタフを敬う言葉遣いをしている。

 つい数時間前、ザウアーラント要塞に届けられた皇帝フロレンツの宣戦布告書。そこに書かれていた侵攻理由は、イェスタフたちが呆れるものだった。

 逃亡した第三皇女ローザリンデの奪還、というのは大義名分としてまだ理屈が通っている。しかし、それと併せて記されていた「要塞奪取をはじめ帝国への侮辱及び挑発行為をくり返してきた大陸西部への制裁」というのは滅茶苦茶もいいところ。

 ハーゼンヴェリア王国に対する侵攻理由としても傲慢極まりない上に、あろうことか制裁の対象を大陸西部の全土とし、無闇に敵を増やすのは馬鹿げているとしか言いようがなかった。

 それでも、宣戦布告を受けてしまったものは仕方がない。ローザリンデが保護された春より防衛指揮官として要塞に常駐しているイェスタフは、王国東部から集めた兵力をこの要塞に連れてきたリヒャルトと共に、城壁上に立つ。

 そして、持ち場につく兵士たちを見回す。


「いいか貴様ら、よく聞け!」


 要塞内に響き渡るイェスタフの声を受けて、兵士たちは指揮官である王国軍副将軍に注目する。


「かつて、このザウアーラント要塞は最悪の要害であった! このハーゼンヴェリア王国が、まだヴァロメア皇国ハーゼンヴェリア侯爵領と呼ばれていた時代! 我らの先祖は幾度となくこの要害に挑みかかり、しかしついに陥落させることはできなかった!」


 難攻不落。この要塞の異名は、この地に暮らす者たちの先祖の血によって刻まれたものだった。


「今は違う! 我らが主君スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下は、この要害を陥落させ、手中に収めるという歴史的偉業を成し遂げられた! 最悪の要害は、今やハーゼンヴェリア王国にとって最強の盾である! ここは無敵の要塞! 貴様らはそれを守る無敵の兵士だ! 迫り来る敵を恐れる必要はない! 命を賭して戦え! 分かったか!」


「「「おうっ!」」」


 イェスタフの鼓舞に、兵士たちは野太く重い声で応えた。

 それから間もなく。ついに東より敵の姿が見える。

 軽装の徴募兵を中心に、ところどころに全身鎧の下馬騎兵が混じった二千ほどの軍勢。その後ろには、援護を担うと思われる数百の弓兵。規模や装備を見るに、まず試しにぶつけるための戦力と考えられた。


「来たぞ! 弓兵、およびクロスボウ兵は攻撃準備! 私の合図を待て!」


 接近してくる敵軍を見据えながら、イェスタフは声を張る。城門を挟んで反対側の城壁上に移動しているリヒャルトも、そちら側の指揮官として兵士たちに指示を飛ばしていた。

 城壁上では、弓兵が弓に矢をつがえる。あるいはクロスボウ兵が弦を引き、矢を装填する。

 そして城壁の裏、ちょうど建物の二階程度の高さに組まれた足場の上では、クロスボウ兵たちが銃眼――城壁に一定間隔で開けられた小さな穴に、矢を装填したクロスボウの先端を当てる。

 この銃眼は人の頭がぎりぎり入るかどうかの大きさしかなく、穴の向こうを見てクロスボウの狙いをまともに定めることも難しい。しかし、敵が山に挟まれた道を埋め尽くすように迫ってくる状況ではそれも関係ない。撃てば誰かしらに当たるのだから、狙いなど定めず引き金を引けばいい。そんな設計思想に基づく防御設備だった。


「矢が来るぞ!」


 士官の誰かが叫ぶ。前進する兵士を援護するように、敵の弓兵が矢を一斉に曲射。それがザウアーラント要塞に飛び込んでくる。

「この程度の小雨で怯むな! あれしきの矢、そうそう当たりはしない! 敵がしっかり近づいてくるまでそのまま待機だ!」

 近くを矢が掠めていく状況を微塵も恐れることなく、イェスタフは叫ぶ。

 実際、敵の矢は曲射にしても距離があるため、大した威力はない。弓兵やクロスボウ兵たちが身を隠す木製の大盾や、角度によっては革製の防具でも弾くことができる程度だった。

 そして、矢に混じって魔法攻撃が飛んでくることもなかった。まだ小手調べの攻勢だからか、貴重な魔法使いは投入されていないようだった。

 間もなく、前進してきた敵兵がクロスボウの射程圏内に迫る。


「放てぇ!」


 機を逃さず、イェスタフは命令を下した。城門の向こうでは、リヒャルトが全く同じタイミングでやはり射撃命令を下した。

 瞬間、合計数百の矢が、敵軍の最前列のあたりに撃ち込まれる。敵軍の突撃が一瞬止まり、隊列が僅かに下がるほどの衝撃をもたらす。

 城壁上から真っすぐに打ち込まれる弓矢。そして、胴に当たりさえすれば全身鎧の騎士だろうと戦闘不能にするクロスボウの矢。まず一斉射されたそれらは、高低差もあってより大きな威力を発揮し、最初の斉射の後も絶え間なく敵軍に浴びせられる。

 熟練の弓兵たちによる矢の連射はもちろん、クロスボウの連射速度もなかなかのものだった。数年かけて増産されてきたクロスボウは現在は王家だけでも五百挺を保有しており、貴族家の保有分も合わせると相当な数になる。二挺のクロスボウを射手と装填手が二人一組で運用し、途切れることなく矢がくり出される。

 また、要塞側からは矢に合わせて火魔法使いによる魔法攻撃も加えられる。王宮魔導士が一人と東部貴族家の抱える魔法使いが数人、城壁上から敵軍の只中に火球を打ち込む。

 要塞を目指すその途上で、敵軍の兵士はばたばたと倒れ、その数を減らしていく。

 それでも、矢と魔法だけで二千の敵を全て倒すことはできない。矢と魔法の雨を潜り抜け、杭の埋め込まれた空堀に板の橋を渡して乗り越え、敵兵たちはついに要塞の目の前まで辿り着く。長い梯子を城壁に立てかけ、あるいは丸太製の破城槌を構え、攻城戦に臨む。


「熱湯を浴びせろ!」


 城壁を越えようと、城門を破ろうと、敵兵たちが動き始めたそのとき。イェスタフが命じ、城壁上から筒が傾けられた。

 この筒は城壁上の隅、四角形の要塞の角の位置に立てられた塔の中から伸びている。塔の中では水魔法使いが作り出した水が、『沸騰』の魔道具で熱湯へと変えられていた。そうして作り出された熱湯は、筒の中を通って送り出され、そして――筒の先から、城壁を上がってくる敵兵に向けてまき散らされる。


「ぎゃああああっ!」


「あああ熱い! 熱いっ!」


「ま、待て! うわあっ!」


 熱湯の塊をまともに浴びてしまった兵士が絶叫しながら落下し、飛び散った熱湯の飛沫を浴びただけの兵士の中にも、熱さに驚いて梯子から手を離し、落下してしまう者が出る。

 筒は東に面した城壁の両端の塔から伸びており、城壁上だけでなく城壁の裏、二階の高さに組まれた足場にも伸び、そこから少し大きめの銃眼を通して要塞の外に向けられている。複数か所からまき散らされる熱湯が、容赦なく敵兵を襲う。

 熱湯による直接の被害はもちろん、仲間が叫びながら落ちて地面に叩きつけられ、まだ息のある負傷者が火傷にただれた顔や身体を晒しながら後方に運ばれていく様を見た敵兵の士気にも重大な損害が与えられる。


「下がるな! 勝手に下がれば報酬の支払いはないぞ!」


「敵前逃亡を図る愚か者はここで切り捨ててくれる!」


「ほら見ろ! 熱湯の勢いが弱まっている! 敵の魔法使いも魔力切れだ!」


 逃げ腰になった帝国の徴募兵たちを、士官である下馬騎兵たちが脅し、あるいは鼓舞する。士官の一人が言った通り、確かに筒から送り出される熱湯は当初より量が減っていた。

 それを見た徴募兵たちは、ようやく攻勢を再開する。矢や魔法、ときには石なども降ってくる中で、懸命に梯子に上り、あるいは破城槌に取りついて数十人がかりで抱える。

 抱えられた破城槌は、勢いよく城門に叩きつけられた。しかし、城門は軽く揺れたものの、大したダメージは負わなかった。

 元は味方側の城門であるために木製だった東門は、ハーゼンヴェリア王国による要塞奪取後の工事で、鉄製の枠が組み込まれた極めて頑強なものへと変わっている。片側を開くのにも十人の労力が必要となる重く巨大な門は、丸太製の破城槌の一撃程度ではびくともしない。


「浴びせろ!」


 イェスタフが城門の直上にいる兵士たちに命じる。

 城門の直上は屋根と壁を備えた強固な小砦となっており、そこには兵士が潜んでいる。兵士たちは、台の上に乗せた樽を、数人がかりでゆっくりと慎重に、要塞外に向けて傾ける。

 樽の中に入っているのは、熱した油だった。破城槌の前側を抱えていた敵兵たちは、その油を頭からかぶってしまった。


「くあぁぁぁああああああっ!」


「あがが……ご、ごぼ……」


「……っ! かはっ……!」


 空気を引き裂くような叫び声を上げる兵士。顔中がただれて鼻や口が塞がり、もはや声を出すことも、呼吸さえもままならない兵士。十人近い敵兵が、正視に耐えない有様となる。

 熱湯どころの温度ではない、煮えたぎる油。『沸騰』の魔道具をもってしても用意するのに時間がかかり、魔力消費も膨大なため量を揃えることは難しいが、たったの樽一つ分でも敵に与える衝撃は絶大だった。

 かろうじて難を逃れた敵兵たちは破城槌を手放し、煮えた油にまみれてもがき苦しむ仲間を放置して後退。士官たちが何を言っても、さすがにここから城門の下まで行くほどの蛮勇を見せる徴募兵はいない。城門の攻略はそこで止まる。

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