第179話 フロレンツと貴族たちの未来図

 戴冠から三か月が経過し、季節が夏に移った頃。フロレンツの支配下で、兵力の集結と編成は順調に進行していた。


「――よって、兵力の総数は十五万程度となります。予想していた中ではやや少ないですが……」


「いや、そんなものだろう」


 執務室にやって来て状況を説明するベルナールに、フロレンツは鷹揚に言った。


「政治も戦争も、なかなか想定通りには事が進まないものだと私も理解している。未だ一部で混乱も見られる中、十五万もの軍勢を集めてくれる君の手腕に感謝しよう」


「……恐縮です、陛下」


 ベルナールは少々複雑そうな表情で一礼し、説明に戻る。


「まず、帝国近衛兵団を基幹とした一万は、帝都防衛及び治安維持、かつ予備の兵力としてここに残します。同じ理由で、中央部の皇帝家直轄領全体を守る兵力として二万を待機させます。残る十二万のうち、東――皇兄マクシミリアンとパトリックの軍勢に八万を、そしてサレスタキア大陸西部に四万を割くのが適切かと考えます」


「西に四万か……それで足りるのか?」


「はっ。大陸西部諸国は虫のような弱小国家が群立しております故、四万で十分すぎるものと考えます。西部直轄領と西部貴族たちの所領から集めた兵力が丁度四万ほどになるため、それをそのまま大陸西部攻略に充てると、兵力の移動や補給の負担も抑えられるため、効率的かと」


 ベルナールの説明を受けたフロレンツは少し考え、最終的には頷いた。


「分かった。君が言うのであればそうしよう。私は君を信用し、君に期待しているからな」


「勿体なきお言葉です。陛下のご信頼とご期待に、必ずやお応えしてご覧に入れます」


 芝居がかった仕草で言うフロレンツに、ベルナールは模範的すぎてかえって空疎にも見える敬礼を示す。


「東部と北部の攻め方については予定通りか?」


「はっ。紅龍王国とシレー王国が既に動き出しておりますので、マクシミリアンとパトリックはそちらへも兵力を割かざるを得ません。二国と挟撃するかたちをとることで、こちらは最小限度の損耗で東部と北部を制圧することが叶うでしょう。愚かな隣国に攻勢の機会を与え、多少の前進を許すのは極めて遺憾ですが、帝国が陛下の治世のもとで強き姿を取り戻せば、国境線もまたすぐに押し戻すことが叶うのは確実です」


 そう言われたフロレンツは、半分妄想の世界に入ったような笑みを見せる。


「君の言う通りだ。些事に気を取られて大局を見失っては意味がない。私がこれから帝国にもたらす発展を思えば、目先の僅かな領土など惜しくはない……それで、指揮官はどうする?」


「西の四万は、本隊を私が預かり、別動隊は名将と名高き サヴィニャック伯爵に指揮させます。東の八万の指揮については……ルフェーブル卿に任せようかと存じます」


 一瞬だけ眉を動かし、ベルナールは言った。それを受けて、隣に立つレジスが大仰な所作でフロレンツに一礼した。


「どうかお任せください、陛下。この私が迅速に、帝国の秩序を乱す抵抗勢力を打ち破り、東部と北部の支配権を陛下の御手の中にお届けいたしましょう」


「ははは、気持ちは嬉しいが無理はしてくれるなよ。もともと東に関しては、こちらの損耗を抑えるために長期戦に臨む予定なのだから。目標は確か、早くて半年、遅くとも二年だったか……ともかく、あまり功を焦らずのんびりやってくれ。怪我などせぬよう気をつけてな」


「これはこれは、私のような者の身を心配していただけるとは。このレジス、陛下の慈悲深さにあらためて感銘を覚えております」


 二人のやりとりを聞きながら、ベルナールは顔をしかめそうになるのを懸命にこらえ、無表情を堅持していた。


・・・・・・・


「それで、本当に四万で大陸西部を落とせるのか? 軍務大臣殿?」


 皇帝の執務室を出て歩くベルナールに、レジスが皮肉交じりに尋ねる。


「……無論だ。少なくとも、卿に任せるよりは私の方が確実に上手くやれる」


 それを受けて、ベルナールは露骨に眉を顰めた。フロレンツの前では見せない態度だった。

 ベルナールも別に、レジスに功を譲るために大軍の八万を預けたわけではない。

 本来であれば当然、東と西での二正面作戦など行わない方がいい。西には大陸西部の暴発を防ぐために国境に一万ほどの兵力を張りつけておき、残る兵力は全て東に回し、マクシミリアンやパトリックとの戦いを少しでも早く、少しでも有利なかたちで終える方がいいに決まっている。

 しかし、フロレンツはこの段階から大陸西部に侵攻すると言って聞かなかった。皇帝の権力を使って頭ごなしに命令してきたわけではないが、この件に関してだけは、ベルナールの整然とした説得もレジスのご機嫌取りを交えた説得も頑なに聞き入れなかった。

 フロレンツは西部侵攻の利点についていくつか語り、それは事実ではあった。

 フロレンツが早期に皇帝としての成果を示すことで、その後の統治や各貴族の支持の獲得、戦勝後の東部や北部の掌握をやりやすくする。大陸西部という決して小さくない領土と利益の山を、フロレンツとその支配下の貴族たちが山分けすることで、今後東部や北部の貴族たちを従えるだけの力をつけておく。それらは確かに利点ではある。

 しかし、東に兵力を集中させる利点に勝るほどのものではない。それでもフロレンツが西部侵攻にこだわるのは、彼と大陸西部――具体的には、ハーゼンヴェリア王国との因縁が影響しているのだと、ベルナールたちにも分かっている。

 隣国と挟撃し、無理をせず抵抗勢力をじわじわと削る東の戦い。帝国単独で一地域の制圧を目指す西の戦い。どちらが不確実な要素が多いかと言われれば西の方だ。だからベルナールは、自ら四万を率いて大陸西部を攻めることにした。


「例の、西サレスタキア同盟とかいう徒党は?」


「あんなものは考慮に入れずともよい。吹けば飛ぶような小国共が寄り集まったところで何ができる。虫は何匹集まっても虫だ」


 ベルナールは苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てた。

 西サレスタキア同盟は一定の実力と有効性を持つ、油断ならない存在である。昨年マクシミリアンが宮廷社会に持ち込んだそのような情報が脳裏をちらつくが、あえてそれを無視する。

 マクシミリアンは東部が持ち場であるくせに、個人的に大陸西部に肩入れしすぎている。それがベルナールには不満であり、今まで愛国派宮廷貴族との対話の場を設けてくれた彼を、しかし担ぐことはしないと決めた要因のひとつでもあった。


「ははは、そうか。せいぜい頑張ってくれよ……ここが我々の正念場だ。東西両方で勝利を収められなければ、我々に未来はないのだからな」


「分かっている。ここまで来たのだ。こんなところでしくじるわけにはいかない」


 気の合わない盟友の言葉に、ベルナールは頷く。利害が一致した結果生まれた寄り合い所帯の派閥とはいえ、愛国派宮廷貴族と中央部領主貴族は、今は運命共同体。それが事実だった。


「ところで、陛下のご伴侶の件はどうする?」


 不意にレジスが問いかけてきて、そこで二人の間に流れる空気が変わる。


「……前に卿が言っていた通りでいいだろう。ひとまず卿の娘と、私の妹をそれぞれ陛下に差し出す。妾を献上するときは双方の派閥から同数の令嬢を出す。後は陛下の御気分次第だ」


「陛下の御気分か。無論、その御気分を多少、誘導することは許されるな?」


「勝手にしろ。皇宮内の謀略で宮廷貴族に勝てると思うのであればな」


「ふんっ、言うではないか。ともかく、やるのであれば早くやろう。陛下には……なるべく早いうちに、日々をごゆるりと過ごしていただきたいからな」


 フロレンツが帝位に居座り続けるうちに、先帝アウグストのような暗君になっていく可能性はベルナールもレジスも当然考えていた。現時点でもフロレンツは我が儘を通して西部侵攻を決行するという振る舞いを見せており、このことは二人にとって大きな懸念事項だった。

 ベルナールとレジスとしては、今回の戦いを成功させることでフロレンツの自尊心を満足させ、後は享楽に溺れさせて皇宮の奥に引きこもらせておきたい。そのままフロレンツが早々に隠居するか、何なら不摂生による病で早逝してくれたら最良だ。

 その一方で、フロレンツには皇妃との子でも妾との子でもいいから世継ぎを作らせ、その世継ぎをこそ真の傀儡とし、帝国中枢の実権を自分たちが完全に握りたい。

 そこで問題となるのが、愛国派宮廷貴族の血を継ぐ子か、中央部領主貴族の血を継ぐ子か、どちらが次代の皇帝となるか。そこにはフロレンツが誰を最も愛して近くに侍らせるか、誰と最も早く子をなすか、すなわちフロレンツ個人の気分が大きく関わる。

 自分たちの仲間内から次期皇帝が誕生した方が、当然ながら今後の主導権を握りやすい。なのでベルナールとレジスは、東と西の戦いで勝利を収めた後は政治の場で競うことになる。


 今は協力すべき盟友で、いずれは出し抜くべき政敵。フロレンツを両輪として支える二人は、そんな歪な関係だった。

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