第178話 静けさ

 緊張と薄気味悪さを孕みながら、静かに二か月が過ぎた。この間、エレーナをはじめとした外交官たちや、御用商人ベンヤミンをはじめとした商人たちが情報収集に努めてくれたことで、ある程度の情報がスレインのもとに集まった。

 まず、帝都での顛末。恐ろしいことに、フロレンツは捕らえた皇族たち――二人の皇妃と、まだ若い第二皇女を公開処刑したという。

 皇帝家の血を引く皇女だけでなく皇妃までをも処刑したのは、今までの皇帝家に対する民衆の不信感や不満を彼女たちに集めて首を落とすことで、対照的に自身の民衆からの支持を高めるためと思われた。あるいは、フロレンツ個人の恨みもあるか。

 その他にも帝国中枢で権益を貪っていた老貴族たちを粛清したフロレンツは、一方でその他の貴族たちに対しては一貫して寛容な姿勢を示している。また、民に対しても減税や娯楽の提供などで優しい治世を為している。

 理屈の上では、フロレンツの行いはまさに善政。民衆は既に新皇帝であるフロレンツを強く支持しており、帝国東部と北部以外の貴族たちも、他に選択肢は少ないとはいえ多くがフロレンツへの忠誠を示しているという。そして少数が中立を保ち、面と向かってフロレンツに抵抗する貴族は皆無に等しいとのことだった。

 一方で東部の帝国貴族たちは、元々の帝位継承者であり、自分たちの庇護者であるマクシミリアンを支持。第二皇子パトリック率いる北部の勢力もこれに合流。マクシミリアンは自身こそが正統な帝位継承者であるとして、各地の帝国貴族や帝国常備軍、民衆に支持を呼びかけている。

 フロレンツとマクシミリアン。この二つの勢力が激突し、帝国に、いやサレスタキア大陸に大きな影響を与えることは避けられない。それが、大陸西部に共通の認識だった。


「新皇帝フロレンツの陣営は、兵力の集結を順調に進めているものと見られます。配下に加えた帝国軍の編成を進め、忠誠を示した帝国貴族たちにも、それぞれの家や領地の規模に応じて兵を供出させています。少し前からは、直轄領の民衆からも兵を募っているようです」


「募っている? 徴集じゃなくて?」


 王城の会議室で、外務長官エレーナの報告にスレインはそう問いかける。


「はい。おそらく、即位後いきなり兵の徴集を始めることで、民衆の反感を買うことを恐れているのでしょう。平民の義務として軍役を強いるのではなく、報酬を出して志願兵を集めるかたちをとっているのが確認されています」


「なるほど。皇族を処刑してまで高めた民衆の支持を、今ここでは落としたくないか。それで、予想される兵力は?」


「十万は優に上回るようです。二十万に迫る可能性もあります」


「……また凄まじい数ですね」


「そうだね。さすがは大陸に名を馳せる帝国と言うべきかな」


 隣に座るモニカと顔を見合わせ、スレインは呆れたように呟く。

 昨年のケライシュ王国との大戦も大陸西部としては歴史に残る規模だったが、それと比べても、十万を超える軍勢が動くというのは桁が違う。


「その兵力集結に関して、少々気になる動きが」


 エレーナがそう言って、王国軍将軍ジークハルトに視線を向けた。それを受けて、今度はジークハルトが口を開く。


「ハーゼンヴェリア王国から見てすぐ隣の帝国西部でも兵力の集結が進んでおりますが、その動き方が妙です。帝国中央部と東部との境界まで移動する前提の集結とは思えません」


「……ということは、その軍勢の狙いはこの大陸西部?」


 あまり驚くことはなく、スレインは問いかけた。

 自分とフロレンツの因縁を考えても、ハーゼンヴェリア王国がローザリンデを保護していることを考えても、フロレンツや帝国そのものが大陸西部諸国を舐めていることを考えても、彼が何か仕掛けてくる可能性はあると思っていた。


「まだ確定とまでは言えませんが、そのように考えて備えておくべきかと存じます。大陸西部に対峙してくる帝国の軍勢の規模は、およそ三万から五万程度になるかと。私の軍人としての勘も含まれる見解ですが」


「恐ろしい大軍だけど……迎え撃つこちらにはザウアーラント要塞があることを考えると、絶望的というほどではないかな?」


「仰る通りです。要塞がある限り、敵軍の総兵力に関してはあまり意識せずともよいでしょう。要塞の交代兵力に関しても、同盟各国の協力があれば不足することはありません。究極的には、十年や二十年、五十年や百年を耐え抜くことも叶いましょう」


 その堅牢さと、大軍の押し寄せられない地勢から、五百人で五千人を退けると言われているザウアーラント要塞はまさに難攻不落。大軍による侵攻の叶わない立地こそがこの要塞の最大の特徴なので、敵が五千人でも五万人でもあまり変わらない。

 強いて言えば、交代兵力に余裕のある敵は延々攻めることも叶うが、同盟各国を頼れば要塞の防衛兵力を無限に交代できるこちら側も延々守ることができる。結局、条件は変わらない。


「後は、南東地域との境界から帝国が攻めてくる可能性か……実際のところはどうなのかな?」


「可能性は低いと考えます。まず、帝国南西部にて一種の独自勢力を築いているゼイルストラ侯爵領が、そう簡単に皇帝家の軍勢の通過を許すとは思えません。仮にそうなったとしても、大陸西部の南東で帝国と国境を接するのは、それなりの強国であるフェアラー王国です。かの国が攻められ、抵抗している間に、同盟も防衛準備を進めることが叶うでしょう」


 南東地域の四か国は西サレスタキア同盟に加わっていない。だからこそ、同盟には集団防衛の義務がない。言い方は悪いが、フェアラー王国などが帝国に削られている間に集結し、同盟の防衛域を守る準備ができる。

 リベレーツ王国など他の南東地域各国が助力を求めるのであれば、恒久的な同盟とは異なる個別の協力というかたちで共闘を為すこともできる。その場合も、戦場となるのは南東地域の各国の領土なので、同盟各国の被害は戦闘による損耗のみで済む。最悪、南東地域の土地や民に犠牲を強いる焦土作戦のような戦い方もできる。

 対応の選択肢も、選択のための時間も余裕があると、ジークハルトは語った。


「それじゃあ、現状ではそれほど焦る必要はないか……せいぜいこちらでフロレンツの陣営の兵力を釘付けにして、マクシミリアン殿が楽な条件で新皇帝の本隊と戦えるよう、手助けして差し上げるとしよう」


 マクシミリアンがフロレンツと戦う決意を固めていることは、彼の帝国内への呼びかけを見ても明らか。であれば、大陸西部が帝国の攻勢を退け続けるほどに、フロレンツの陣営は消耗し、マクシミリアンが勝利する可能性は高くなる。

 大陸西部としては当然、合理的な思考をし、理性ある会話の成立するマクシミリアンが皇帝になってくれた方が安心できる。彼に勝ってもらうためにも、同盟各国の安寧を守るためにも、フロレンツと真っ向から戦う以外の選択肢はなかった。


「ジークハルトは引き続き、他の将や王国貴族たちと連係して要塞の防御を固めてほしい。長期戦を見越して、後方支援の体制もしっかり整えて。エレーナは引き続き帝国の情報収集を。それと、今後どこかでマクシミリアン殿の陣営と意思疎通し、連係をとる必要も出てくるかもしれない。その手段も確保しておいてほしい」


「「御意」」


 二人がそれぞれの立場の礼を示して退室して言った後、スレインは王国宰相イサークを見る。


「帝国への対応や同盟各国の君主たちとの協議で、僕もしばらく忙しい状況が続くと思う。モニカにも王妃として僕の仕事の一部を担ってもらう。内政に関しては僕の務められる部分が当面限られるから……そちらについては、君に頼りたい」


「無論です。私が宰相として全身全霊で王領や王国社会の維持運営に努めてまいります。陛下はどうか、後顧の憂いなく御立ち回りくださいませ」


 既に先代セルゲイと比べても遜色ない落ち着きと、その振る舞いに裏打ちされた頼りがいを見せる宰相に、スレインは笑いかける。


「ありがとう。それじゃあ、任せたよ」


・・・・・・・


 会議室を出たスレインは、一旦モニカと分かれ、応接室に向かった。


「オルセン女王、お待たせしました。時間がかかって申し訳ない」


 そこで待っていたのは、西サレスタキア同盟の盟主であり、大陸西部随一の大国を治めるガブリエラ・オルセン女王。


「いや、構わない。このような状況での重臣たちとの会議となれば、時間がかかるのも当然だ」


 今後の同盟の動きについて、最前線の王であるスレインと話し合うために来訪していたガブリエラは、そう言って首を横に振る。

 それからスレインは、先ほどエレーナから受けた報告の内容や、重臣たちと話し合った見解をガブリエラにも説明する。

 国家中枢の会議の場に他国の君主を同席させることはできないが、会議の内容のうち同盟の盟主に話しても問題ないと判断されたものについては、こうして積極的に共有するのが肝要であるとスレインは考えていた。円滑な協力のためにも、互いの信頼関係の維持のためにも。


「……なるほど。そうなるとやはり、同盟の発動は避けられないか」


「ええ。まだ皇帝フロレンツが大陸西部に軍を差し向けると確定したわけではありませんが、彼の軍勢が動き出してからこちらが動いていては対応が間に合わなくなります。敵と直接的に対峙するであろう我が国としては、同盟各国に今から戦いの準備を始めてほしいと考えます」


 スレインの言葉に、ガブリエラはしばし思案してから頷いた。


「分かった。私としても貴殿が正しいと思う。同盟各国に盟主として呼びかけよう」


「各国は応えてくれるでしょうか?」


「問題ないはずだ。同盟の効力は、昨年のケライシュ王国との戦いで明確になった。相手が帝国となれば危険度はケライシュ王国の比ではない。ハーゼンヴェリア王国の国境や南東地域各国の領土で敵の侵攻を食い止められるとなれば、どの国の君主たちも進んで協力してくれるだろう」


 どの国も自国領土で戦うことは避けたがる。自国領土で戦わず敵を撃退できる利点は、昨年に実感している。だからこそ今回も同盟は効力を持つと、ガブリエラは語った。


「後は、南東地域、特に帝国と国境を接するフェアラー王国にも警戒を呼びかけるべきだろうな。そちらも私がやっておく」


「頼みます。こちらは国境防衛や内情偵察で忙しく、うちの使役魔法使いも要塞や近隣諸国との伝令任務にかかりきりで余裕がないので……」


「任せてくれ。私は同盟の盟主だ。立場と国家規模に見合った負担はするさ」


 微苦笑するスレインに、ガブリエラは自信ありげな笑みを返した。


・・・・・・・


 スレインがガブリエラと話しに行った一方で、モニカは王家で保護しているローザリンデ・アーレルスマイアー・ガレド第三皇女の様子を見に行った。

 使用人たちにローザリンデの居場所を聞き、王城の中庭へ。そこには、テラスでミカエルと何やら話しているローザリンデの姿があった。

 テラスの椅子に座るローザリンデの表情は、状況が状況だけに仕方のないこととはいえ、どこか暗い。そんな彼女を幼いなりに気遣ってか、ミカエルは努めて明るく話しかけている。


「ローザリンデ殿下。申し訳ございません、いつもミカエルの相手をしていただいて」


 モニカが歩み寄りながら声をかけると、ローザリンデは振り返り、彼女の傍らに立つジルヴェスターがモニカに一礼する。


「いえ、むしろありがたいです。ミカエル王太子殿下が一緒に過ごしてくださるおかげで、私も一日中ふさぎ込んでしまわずに済みます」


 そう言って微笑を見せるローザリンデの表情には、やはり陰がある。


「ローザリンデでんか。やっぱりまだ、つらいですか?」


 尋ねるミカエルの表情は、自分の励ましがあまり役に立っていないと思ったのか、少々悲し気げだった。


「……ミカエル殿下の励ましで、毎日とても勇気づけられています。それは本当です。でも時々、どうしても思い……思い出して、しまって……」


 声を詰まらせながら、ローザリンデは手で顔を覆った。


「ごめんなさい。保護してくださったハーゼンヴェリア王家の皆さんの前で、こんな、めそめそ泣いたりしないと決めていたのに……父上も母上も、姉上も世を去ってしまって、祖国からは追われて、私にはもう、帰る場所が……」


 ローザリンデの抑えた泣き声だけが、この場に響く。重い空気が場を支配する。


「……ここに、いつでもかえってきていいですよ」


 すすり泣く彼女の声を遮って言ったのは、ミカエルだった。


「このしろはぼくのうちです。ぼくが大きくなったら、王位といっしょに父上からうけつぎます。ローザリンデでんかも、ここをじぶんのうちだとおもって、いつでもかえってきていいです。そのまま、ぼくといっしょにここにすんでもいいですよ」


 その言葉を聞いたローザリンデは顔を上げ、目を丸くして驚き、そしてその顔が赤くなる。

 モニカも目を見開き、ローザリンデと顔を見合わせ、思わず笑い合った。


「……ありがとうございます。とても嬉しいお言葉です」


 泣き笑いの表情で、ローザリンデは答える。

 他所の令嬢に対して自分がどれほど大胆なことを言ったのか理解していないミカエルは、ローザリンデとモニカが何故笑っているのか分からずきょとんとしていた。

 ようやく明るい笑みを見せてくれた隣国の皇女を横目に、モニカは思案する。

 十五歳の皇女と五歳の王太子。今は成人女性と幼子だが、十年後、二十五歳と十五歳になった頃ならばあり得ない歳の差ではない。ローザリンデは歳のわりに若々しい容姿をしているので、ミカエルが成人する頃にはより違和感のない男女として並べるだろう。

 ミカエルが将来本気で望むなら、ないではない。そうなればガレド皇帝家との姻戚関係という、使い方にもよるが政治的に強力な手札が手に入る。

 そんな考えを巡らせながら、色々な意味で随分と王妃らしい思考回路になった自分自身に、モニカは微苦笑した。

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