第177話 皇兄の覚悟

「……皆、顔を上げてくれ」


 促され、全員が立ち上がって椅子に座り、マクシミリアンを見据える。


「まず、兄として聞いておく。パトリック、お前はそれでよいのだな?」


「ああ、構わない」


 今まで好敵手として帝位継承を巡り競ってきた兄の言葉に、パトリックは不敵な笑みで答える。


「若い頃ならともかく、最近は兄上と自分を比べて思い知る機会が増えた。俺も一廉の人物のつもりではあるが、兄上には勝てないとな。国境紛争を指揮する将としてはともかく、政治を行う者としては、兄上には絶対に敵わない。俺はこの帝国を治められる器じゃない……それに」


 不敵な笑みが、子供のような悪戯っぽい笑みに変わる。


「今の立場が俺の性には合っている。帝国の将として兄上の命じるままに戦い、いずれ身体が戦場に堪えられなくなったら楽隠居だ。帝国の中枢で頭を悩ませながら政治に励むより、よほどいい……だから兄上、あなたが皇帝になってくれ」


 軽口交じりに語る弟から、しかしマクシミリアンは気遣いを感じた。

 彼は状況を理由に帝位を諦めるのではなく、自らの意思で帝位を目指さないと語り、それを多くの貴族が集う前で明言した。貴族たちを証人に、自身が帝位を目指す正当性を手放した。

 気負わずに笑みを浮かべながら、しかし確かな決意を感じさせる声で言う弟と視線を交わし、マクシミリアンは頷いた。


「分かった。私の即位後も、お前を皇弟にふさわしい立場で重用すると約束しよう」


「感謝する、兄上」


 それだけの会話で、兄弟による互いの意思確認は完了した。


「元より、私はフロレンツより帝位を取り戻し、皇帝家の血脈を正統に戻すつもりでいた。諸卿が私に力を貸してくれるというのであれば、私が次期皇帝となろう。だが、一つだけ覚えておけ。私はもはや皇太子ではない」


 マクシミリアンはそう言いながら、鋭い視線で皆を見回す。


「総主教まで取り込んで謀反を起こしたとはいえ、フロレンツは正式な過程を経て帝位についた。たとえ大義なくとも、あ奴が今、皇帝であることは間違いない。今の私はただ、帝位の簒奪を目論む皇兄だ。私は一度あ奴に出し抜かれ、敗れたのだ。その事実は受け入れなければならない……その上で、私はフロレンツを倒し、帝位を取り戻す」


 厳かに、マクシミリアンは宣言した。


「皇帝がその帝位にふさわしくないと考えれば、皇族は実力をもって皇帝を玉座から引きずり下ろし、己が帝冠を戴くことを許される。過去、暗君となった先代を打倒した皇帝たちが作り上げたこの帝国の法だ。フロレンツはこの法に則り、皇帝となった。そして今度は私が皇帝に挑む。一部の貴族たちと共謀し、己の欲求を満たすために帝位を簒奪した邪悪なる皇帝フロレンツから帝位を奪い取る。私こそが誇りある皇帝として君臨し、誇りある帝国を治め導いていく。今ここで、それを唯一絶対の神に誓おう」


「……皇太子、いえ、皇兄殿下のご決意に心より感謝いたします。我々は既に、次期皇帝であらせられる殿下の臣です。我々を如何様にもお使いください」


 パトリックがそう言って頭を下げ、貴族たちも続いた。


「我が弟パトリック。忠実なる帝国貴族の諸卿。そして誇り高き帝国軍の諸将。これから厳しい戦いが待っているであろうが、お前たちの力があれば、必ずや勝利できると信じている……まずは彼我の戦力の確認だ。東部と北部の貴族領軍と、私の側につく帝国軍。そして民から徴集する兵。全て合わせたこちらの総兵力は十万といったところか?」


 マクシミリアンが確認すると、パトリックは即座に頷く。


「ああ。通常時の兵力は五万から六万といったところだが、今は緊急時だ。徴兵の規模を拡大し、一時的に兵力を増強して、ある程度の期間維持できるのがその程度だな」


「この兵力を二つに分け、国境の防衛とフロレンツとの戦いに回すとして――」


「兄上、その件で提案がある」


 顎に手を当てて思案に入ろうとしたマクシミリアンに、パトリックが切り出した。


「三万を俺に預けてほしい。その上で、防衛線を一時的にヴェルガ川とルノワ川まで下げることを許してほしい。そうすれば、俺の指揮のもとで二年は隣国の攻勢を食い止めてみせると約束する」


 弟の提案を受け、マクシミリアンはしばし考える。

 ヴェルガ川は帝国のある大陸中部と、寒冷な地域である大陸北部とを隔てる山脈から、東に向けて流れる大河。ルノワ川はそこから分かれて南へ流れる大河で、このノヴァレスキアから東に一日も歩けばたどり着ける位置にある。

 そこまで防衛線を下げるとなれば、ここ五年ほどで押し広げた帝国領土を一時的にとはいえ失うことになる。しかし、大河を天然の防壁とするのであれば、防衛は圧倒的にやりやすくなる。敵の舟による渡河や、いくつかある橋や中州の通過さえ防げばいい。


「……三万だけで足りるのか?」


「ああ、不足はない。俺が防衛戦にめっぽう強いことは兄上も知っているだろう。そのせいで、北部の領土は東部ほどの勢いで広げられていないがな」


 パトリックはそう言って自嘲気味に笑った。

 彼はその質実剛健な気質に似合う手堅い用兵を得意としており、今までの国境紛争でも、例えば敵軍をわざと懐に誘引して待ち受け、一気に叩き返して殲滅するような戦術を展開してきた。彼が大河を壁として本気で戦うのであれば、二年と言わず防衛線を守り抜けるだろうとマクシミリアンは考える。


「分かった、お前に任せよう。だが一人で指揮をとるには防衛線が長すぎる。東部、ルノワ川流域の指揮をオーギュストに任せたい。我が弟と重臣にならば、大軍を任せて背を預けられる。引き受けてくれるか?」


「無論。殿下が一切の憂いなく皇帝フロレンツと戦えるよう、儂が東の防衛線を万全に守ってご覧に入れましょう」


 オーギュスト・モンテルラン侯爵の返答は、武闘派貴族としての高い実力と老将としての豊富な経験に裏打ちされた確かな自信を感じさせるものだった。


「感謝する。パトリックもそれでいいか?」


「もちろん構わない。むしろ助かる」


「ではそれで決定だ。そうなると、私が率いる兵力は七万か。対するフロレンツは……」


 見解を求めるように、マクシミリアンは再びパトリックを見る。フロレンツ陣営の現状については、逃避行を続けていたマクシミリアンよりも情報収集を進めていたパトリックの方が、現時点では詳しい。


「まだ噂を集めた程度の情報だが、帝国中央部の貴族のうち、半数ほどがフロレンツのもとに下ったようだ。一方で中立を表明し、静観を維持しているのは一、二割ほど。このままいけば……フロレンツに与するのが六、七割。静観を決め込むのが三、四割といったところか」


 フロレンツは自身の寛容さを示すように、貴族たちに忠誠か中立か敵対かのいずれかを選ぶことを許している。パトリックは帝国中枢の現状について、マクシミリアンにそう説明した。


「西部や南部の状況はまだほとんど分からないが、中央部と概ね同じと考えておいた方がいいだろう。そうなると……フロレンツが動員する兵力は十五万程度。多くとも二十万は超えない、といったところか?」


「そうだな。帝位についたとはいえ、あ奴が中央部と西部と南部の全てを円滑に掌握できているとは思えない。たとえ大貴族たちの手を借りたとしてもだ……ひたすらにかき集めて数を揃えても、二十万には届かないと見ていいだろう」


 おそらく、フロレンツたちは十五万を揃えて機能的に動かすのも難しいだろうとマクシミリアンは考えるが、それを口には出さない。楽観的な予想を基に戦いの計画を練るよりは、厳しい予想を前提とした方が後が楽になる。


「それでも、兄上の率いる兵の倍か。相当に厳しい戦いになるな」


「いや。おそらくだが、あ奴は全軍をこちらに向けてくることはない」


 険しい表情で腕を組むパトリックに、マクシミリアンは無表情に言う。


「……帝都周辺の防衛に、ある程度の戦力を残すということか?」


「それもあるが、あ奴はおそらく西――大陸西部にもある程度の兵力を割くだろう」

「西? 軍勢を分けなければ数の有利が約束されているのに、わざわざこんなときに大陸西部に手を出そうとすると?」


 怪訝な顔になるパトリックに対して、マクシミリアンは無表情のまま頷く。


「大陸西部――特にハーゼンヴェリア王国は、フロレンツにとって因縁の地だ。あ奴が父上に見放され、あそこまで堕ちたのも、元はと言えばあの地での大失態がきっかけだからな。あ奴がこれから私たちと戦うとしても、ある程度の長期戦になるのは目に見えている。帝位と大兵力を得たあ奴が、私たちとの決着がつくまで大陸西部に手を出すのを我慢できるとは思えない……東部と北部は隣国と挟撃してじわじわと削りながら、その一方でいくらか兵力を割いて矮小な大陸西部を一飲みにし、個人的な意趣返しも果たしつつ早期に皇帝としての実力を示す。いかにもフロレンツが考えそうなことではないか?」


「……確かに。あいつは幼い頃から、効率よく一石二鳥の策を為すことにこだわりがあるようだったからな。上手く行っているところはほとんど見たことがないが」


 無表情を崩して尋ねるマクシミリアンに、パトリックも微苦笑で答えた。

 先代皇帝アウグストの子女は常に仲が良かったわけではないが、それでも一定の交流はあった。マクシミリアンたちも、兄弟としてフロレンツの人柄はそれなりに知っている。


「もちろん、あ奴が兵力を二分してくれる前提で策を立てることはしない。が、そうなったときに迅速に攻勢に回れるよう、こちらも備えておくべきだ……仮にあ奴が大陸西部を放置しようとしても、大陸西部の方が潜在的脅威となったあ奴を放置するとは思えないがな」


「例の、西サレスタキア同盟か。兄上は高く評しているようだが、この状況で能動的に動けるほどの勢力になり得るのか?」


 弟の問いに、マクシミリアンは悩むことなく首肯した。


「あれ単体で皇帝となったフロレンツに勝つことは難しいだろうが、かといって帝国の側から安易に手を出せば痛い目を見る。そういう連中だ。だが、フロレンツはそのことを知らない。あ奴が同盟を舐めてかかれば――敵の敵は味方の理屈で、同盟は私たちの心強い味方となるだろう」


 フロレンツが大陸西部を安易に刺激し、西サレスタキア同盟の反撃を受けて予想外の苦戦を強いられれば、今度はフロレンツが東と西で厳しい二正面作戦を行うことになる。同盟が粘れば粘るほどにフロレンツはそちらに時間と兵力を割かれ、マクシミリアンたちの戦いは有利になる。

 そうなることを願いながらマクシミリアンが思い浮かべるのは、ある男の顔――無垢な少年のような顔をしながら、恐ろしい策を次々に講じて敵をなぎ倒す若き王の顔だった。



★★★★★★★


書籍1巻『ルチルクォーツの戴冠 -王の誕生-』、多くの方より購入報告や感想をいただいております。

Twitterやブログ、YouTubeなどでも言及をいただき、心から嬉しく思っています。本当にありがとうございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る