第175話 フロレンツの善政

 帝位を継承してからおよそ三週間。フロレンツの一派は、帝国の中枢と、中央部をはじめとした一定の地域の掌握に見事成功していた。

 戴冠後、まずフロレンツが行ったのが、宮廷内での苛烈な粛清。

 父アウグストとともに帝国中枢の利益を貪っていた大臣級の老貴族たちを、フロレンツは容赦なく処刑した。彼らの爵位を継いだ子女たちには、ひとまず役職は与えずに家族ともども謹慎させている。

 フロレンツは彼らを殺すつもりはないが、このまま閑職に追いやって力を削ぐつもりだった。

 この大胆な粛清で、しかし老貴族たちの家とは無関係の宮廷貴族たちから目立った反発はなかった。彼らは今のところフロレンツの為すことに逆らおうとはせず、何より老貴族たちへの同情心を微塵も持っていないようだった。


 また、フロレンツは貴族たちの支持獲得にも本格的に動き出した。手始めに、アウグストが溜め込んだ財産と、粛清した老貴族たちが貪っていたものを回収した財産を、これまで割を食わされてきた宮廷貴族や中央部貴族にばら撒いた。

 そうしながら、フロレンツは宣言した。これからは帝国の得た利益を皇帝家と貴族で適切に分け合うと。アウグストがマクシミリアンやパトリックに与え、二人が国境紛争のために東部貴族や北部貴族に分け与えた戦勝の利益も、彼ら二人を倒した暁には他の貴族たちに分け与えると。今後新たに侵略した土地やそこから得られる利益も、皆で分け合うようにすると。そう語った。

 実際に皇帝家の財産をばら撒きながらの宣言は、家や領地を守るためにこそ利益に貪欲な貴族たちに、ある程度好意的に受け止められたようだった。フロレンツは同じ宣言を帝国西部や南部の領主貴族たちに対しても行い、こちらもやはり一定の手応えを得られた。


 さらに、フロレンツは帝都周辺の民衆の支持を集めることにも成功した。

 アウグストが大雑把に課していた重税を一気に減免し、国費を投じて麦やパンの値を下げ、民衆の生活への不安を解消して胃袋を満たした。さらにはこちらも国費を投じて芸人や音楽家などを集め、無料で多彩な娯楽を民衆に提供した。

 そして、これまで積み重なってきた、皇帝家に対する民の不満を解消するのに、皇宮で捕らえた自分以外の皇族を利用した。

 民が十年以上にわたって強いられた厳しい暮らしは、先代皇帝アウグストによる稚拙な治世と、皇族たちによる贅沢三昧の結果である。ただし、正妃の子でないフロレンツだけは皇帝家の腐敗に染まっていない。そのような話を広めた。

 大半の無垢な民はそれをそのまま信じ、一部の賢い民も空気を読み、それを公式の事実として受け入れた。

 フロレンツは自らがアウグストを正義の剣によって処刑したことを喧伝し、残る皇族たちを民衆の前で公開処刑すると宣言し――それを実行した。

 二人の皇妃が。一人のまだ若い皇女が。三人揃って処刑台で吊るされた。一週間前に帝都の中央広場で、建国の母エルフリーデンの銅像の目前で行われたその公開処刑は、空前の盛り上がりを見せた。


 貴族たちには「これ以上皇帝家の不和で帝国を乱さないため」と表向きの理由を説明したが、私怨が含まれていないと言えば嘘になる。自分を常に侮蔑してきた第一皇妃や、自分の亡き母が受けていたアウグストの寵愛を今注がれている第二皇妃。そして自分より年下なのに正妃の子というだけでちやほやされる第二皇女。全て、フロレンツが心から憎んでいる者たちだった。

 今、帝都とその周辺の直轄領では、新皇帝フロレンツを称える民衆の声が広まっている。

 旧来の皇帝家への忠誠が薄れ、今は保身を第一に考えている貴族たちからも、皇族処刑への表立った反発は起きていない。内心で不快感や恐怖を覚えている者はいるだろうが。


「ここまでは順調だな。レジス、君の考えた策は正しかったようだ」


 皇帝の執務室。領主貴族でありながら暫定的な帝国宰相の地位に収まったレジス・ルフェーブル侯爵と、軍部に近い立場を活かすために帝国軍務大臣の地位に収まったベルナール・ゴドフロワ侯爵を前に、フロレンツは満足げに言った。

 一連の策は、もちろんフロレンツ自身が全てを考え、実行したものではない。政治に関してはレジスが、軍事に関してはベルナールが、それぞれ新皇帝の頭脳として補佐役を務めている。

 フロレンツもそれで不満はない。静養中に政治や軍事を学び、自身の過去の失敗を省みてある程度は成長したつもりであるが、政治も軍事も本職には敵わないと理解している。

 有能な臣下を正しく使うのも皇帝の才覚。そう考えているからこそ、静養中の自分に接近し、自分を玉座まで担ぎ上げてくれた彼らの言葉にはフロレンツも積極的に耳を傾けるようにしている。


「恐縮です、皇帝陛下。しかし貴族や民が早くも陛下を新皇帝として受け入れ始めているのは、偏に陛下がその堂々たる御振る舞いや寛大なご決断によって、帝国の主としての器を示しておられるからこそ。全ては陛下のご才覚あっての結果にございます」


 レジスは恭しく頭を下げながら言った。それが世辞を含む言葉だと分かっていても、フロレンツは心地良さに表情を緩めた。

 二人の会話の横で、ベルナールは少々苦い表情をしている。


「なんだ、ベルナールはまだ処刑の件を気にしているのか?」


「ゴドフロワ卿。陛下の御前で無礼ではないか? 帝国の未来のため、万難を排するため、心を鬼にして他の皇族を排除なされた陛下のご決断に、不満があると言うような態度ではないか」


 彼の顔を見たフロレンツは、少し困ったように苦笑する。そしてレジスは、この機を逃さずフロレンツのベルナールへの株を下げようとする。


「……陛下のご決断に不満などあろうはずもなく。抵抗勢力が担ぎ上げる皇族をできる限り減らすため、陛下が他の皇族の排除を目指しておられることは理解しております。変革には流血が付きものであると受け入れ、陛下の為されることに賛同もしております。ですが……結果だけでなく、過程の形式も重要であると、私は考えます」


 利害の一致で手を組んだが、本来は相容れない存在であるレジスの姑息な言動を苦々しく思いながら、ベルナールはフロレンツに向けて言う。


「マリアンヌ第一皇女が陛下に不遜な言動をはたらいたことは事実です。が、それでも皇族である彼女は、陛下の戴冠前にあの場で切り捨てるのではなく、拘束し、然るべきかたちで処刑すべきであったのではないかと思います。また、皇族たちを民衆の見世物にするかたちで公開処刑するというのも……確かに民衆の支持を集める上で有効な手ではあったのでしょうが、それでも彼女たちは神の名の下で先代陛下と婚姻の義を交わした皇妃や、皇帝家の尊き血の流れる皇女でした。であれば、本来はもっと厳かな場で、陛下より尊厳ある死を賜るべきであったはずです。やはり、私のこの考えは変わりません」


 ベルナールがこの苦言を呈するのは、これで二度目だった。前回フロレンツに伝えたときは「気にし過ぎだ」と軽く流された。


「一度ならず二度までも、陛下の為されたことに不満を零すとは。不敬ではないかね」


「いや、私は陛下の御為を思えばこそ、たとえ陛下の御不興を買うことになったとしても、一臣下として――」


「まあまあ、二人とも喧嘩は止めてくれ」


 口論になりかけた二人を、フロレンツは笑って制する。


「私の機嫌を気にしてくれるレジスにはありがたく思う。それと同時に、私のためを思い、二度にわたってはっきりと諫言してくれるベルナールにも深く感謝する。確かに君の言う通り、勢いに任せて姉上を斬り捨てたことや、皇族たちを民の前で公開処刑したことは少しばかり品のない行いだったかもしれない。とはいえ、終わったことは仕方がない。これからは新皇帝である私や、皇帝家の品位も気にしながら施策を為していこう。そう約束する。それでどうだ?」


「……提言を受け入れていただき、感謝申し上げます」


 フロレンツが鷹揚に言うと、ベルナールはそう言って引き下がった。


「よし、この話は終わりだ。ここからは未来の話をしよう……支持の集まりについて、具体的なところはどうなっている? 領主貴族や帝国軍は、どの程度が私の陣営を選んだ?」


 フロレンツが手を叩き、明るい声で尋ねると、レジスとベルナールは一度睨み合い、そして主君に向き直った。


「……帝国中央部の領主貴族たちは、現時点でも半数が皇帝陛下への忠誠を選びました。今後さらに増えていくことでしょう……中立を宣言したのは二割ほど。明言しない者も含めればもう少し多いかと」


「ふむ、貴族の支持集めが上手くいっているとは聞いていたが、割合を聞くと思っていた以上に多いな……これほど簡単にいくものか?」


 フロレンツが少々意外そうな顔を見せると、レジスはにやりと笑った。


「貴族たちの所領の安堵、及び特権の維持を明言なされたことが効いているようです。領主貴族たちが最も大切にするのは、先祖より受け継ぐ領地と貴族としての特権ですので」


「なるほどな。レジス、君もそうなのか?」


「まさか。私は他の領主貴族たちとは違います。もちろん皇帝家より賜っている所領や特権も大切に思っておりますが、何より重んじるのは陛下への忠誠にございます」


 さすがに嘘くささの混じるレジスの言葉に、フロレンツはおかしそうに笑った。


「はははっ! そういうことにしておこう……大丈夫だ。皇帝家に対する帝国貴族の忠誠は、皇帝家が与える恩あってこそ堅持されるという現実は理解している。父の失敗を見て学んだからな。心配せずとも、私は貴族たちを守ってやるさ」


 フロレンツはそう言いながらカップを手に取り、黒い液体――アトゥーカ大陸より輸入されているコーヒーと呼ばれる嗜好品を一口飲むと、今度はベルナールを見る。


「軍部と宮廷貴族は? どんな調子だ?」


「……帝国常備軍に関しては、中央部に置かれている二十五の軍団のうち、現時点で十五が陛下への忠誠を宣言し、中央直轄領に集まっています。離反した士官や兵もいるようなので、兵数の充足率としては八割から九割といったところですが……領主貴族と同じく、陛下のもとへ集まる軍団は今後も増えるものと思われます。実家は中立を保ちながら、帝国軍人としては陛下への忠誠を明言する貴族の将官や士官もおります」


「貴族家としては陣営を明確にせず、しかし縁者の軍人を私に差し出すことで、非公式に私寄りの姿勢を示すということか。なかなか賢いな」


 姑息とも言える一部の貴族たちの行動に、しかしフロレンツは気を悪くした様子は見せない。


「また、近衛兵のうち我々の陣営に組み込んでいなかった者たちは、多くが最後まで抵抗して死にました。しかし、陛下の即位後に帝都が僅かに混乱した機に乗じて、合計で百人ほどが帝都を逃げ出したようです。おそらく東部や北部へ向かったものかと」


「ふむ、別に惜しくはないな。百人程度の兵力など、敵側にいてもいなくても誤差だ」


「最後に、宮廷貴族に関しては、大半が陛下への忠誠を誓っています。皇帝家からの給金に依る彼らはそもそも選択肢がないということもあるでしょうが……それを踏まえても従順です。陛下の約束なされた利益が効いたものかと」


 今後皇帝家が得る利益は、領主貴族だけでなく宮廷貴族にも分配される。金も、権益も、そして土地も。

 働きを示した宮廷貴族は、帝国が新たに得た領土に所領を得る可能性もある。フロレンツがそう宣言したことで、簒奪というかたちで帝位を得た新皇帝への反発もほとんど見られないとベルナールは語った。


「なんだ。もっと苦労すると思っていたのに、領主貴族も宮廷貴族もあっさり私に与するのだな」


「畏れながら陛下。陛下と共に立ち上がった我々を除く貴族たちは、多くが穏健派の連中です。中立を明言できれば度胸は上等、面と向かって陛下への敵対を表明する気概がある者など、ほとんどおりません」


「それに関しては、私もルフェーブル卿に同感です。平時は優秀な地方領主や官僚になり得る一方で、今のような変革の時代には保身を考えながら状況に流されることしかできない。故に、彼らは穏健派なのです」


 フロレンツの呟きに、レジスとベルナールが見解を一致させて語った。


「なるほどな……中央部の状況は分かった。西部と南部、それに東部と北部は?」


「陛下の戴冠よりまだ三週間ですので、貴族の動きにも入ってくる情報にも限りがありますが……西部と南部に関しては、概ね中央部と同じ流れになるかと。早くも陛下への忠誠を誓う貴族も出てきています。東部と北部に関しては……」


「……抗戦の構えをとるようです。今のところ陛下のもとに下る貴族はごく僅か。軍団は総じて抵抗の姿勢を見せており、中央部との境界付近に兵が集結し始めています。規模を見るに、攻勢ではなく防衛のための動きのようですが」


 二人の話を聞き、フロレンツは腕を組んで小さく息を吐く。


「ふん……まあ、仕方ないな。予想していたことだ。マクシミリアン兄上も上手く逃げおおせたようだし、おそらくパトリック兄上と合流するのだろう。こうなったら派手に決戦といこう」


 フロレンツの声に悲壮はなかった。決戦の果ての勝利を微塵も疑わない、楽観的ともとれる声色だった。


「引き続き貴族や帝国軍の支持集めを進めながら、そろそろ兵力の結集にも動き出してほしい。西部と南部まで掌握し、ある程度の準備が整い次第、戦争を始めよう……東と、そして西で」



★★★★★★★


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