第174話 凶報

 帝国常備軍に追われながら保護を求めてきたローザリンデ第三皇女を、ザウアーラント要塞で受け入れた。その報せを要塞の伝令から受けたスレインは、それから一日遅れて帰還したモニカと顔を合わせると、すぐに詳細の報告を受ける。


「第三皇女が帝国軍に追われていた理由については、まず最初に国王であるあなたが説明を受けるべきかと思い、まだ詳細は聞いていません。皇女殿下……の補佐役のジルヴェスター殿も、まずはあなたにお伝えしたい様子でした」


 王城に到着してからほとんど休息も取らず、モニカはスレインとパウリーナ、イサーク、ジークハルト、エレーナ、ヴィクトル、ブランカを前にそう語る。


「何か政治的に複雑な事情があるようだね……保護したとき、皇女の一行は帝国軍に追われていたようだけど、彼らが我が国に対して何か敵対行動をとることは?」


「ありませんでした。要塞の目前まで迫り、自分たちは皇帝の命令で皇女を逮捕しようとしていると主張してきましたが、私の判断で引き渡しは拒否しました」


 スレインの問いかけに、エレーナは首を横に振りながら答える。


「逃げてきた皇女とそれを追う士官や兵卒、どちらが帝国において正当性のある行動をとっているのか、現時点で我が国には判別がつかない。貴人である皇女を一度保護し、情報を収集して王家で検討した後、皇女の身柄を返還するかどうか判断する。そのように伝えると、帝国軍も無茶はせずに引き返していきました」


「……なるほど。最善の判断だと思う。ありがとう」


「いえ、これくらいのことはできて当然です」


 スレインが微笑を浮かべて言うと、モニカも穏やかに微笑む。


「ひとまず……ローザリンデ皇女とジルヴェスター殿に話を聞くしかないね。イサークとエレーナとブランカも同席してほしい。それとジークハルト、念のためにザウアーラント要塞の防御の強化を。王都にいる部隊から増援を派遣して、予備役を動員する準備も始めてほしい」


「御意」


 ジークハルトが敬礼して退室し、スレインは残る者たち――モニカと、名指しされたイサークとエレーナとブランカ、そして元より副官と護衛としてスレインの傍に控えるパウリーナとヴィクトルを連れ、応接室に向かう。


「ところで、ミカエルはどうしている?」


 廊下を進みながらスレインが尋ねると、モニカは少し困った表情で口を開く。


「それが……ローザリンデ皇女がずっと不安な様子でいらっしゃるのを気にしたのか、帰路ではできる限り彼女の傍について慰めていました。今も、応接室で彼女と一緒にいるはずです。無理やり引き離すのもどうかと思い……」


「……そうか。我が子の紳士的で優しい振る舞いを誇るべきなのかな」


 モニカの言葉を聞いたスレインは、小さく苦笑する。本当は他国の皇族に安易に感情移入するべきではないが、五歳のミカエルにそれを求めるのはさすがに酷だろうと思いながら。

 そうして話しているうちに応接室にたどり着き、スレインはひと呼吸整えて入室した。

 応接室の中では、ソファに座って怯えた様子で涙ぐむローザリンデを、その隣に座ったミカエルが手を握って慰め、二人の後ろではジルヴェスターが微妙な表情で立っていた。


「ああ、そのままで構いません。どうか楽に」


 国王の入室を認めたローザリンデが慌てて立ち上がろうとするが、スレインはそれを手振りで制して言う。

 ローザリンデがソファに再び腰を下ろす一方で、ジルヴェスターはソファの横まで進み出て、片膝をついて首を垂れた。


「スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下。我が主ローザリンデ・アーレルスマイアー・ガレド第三皇女殿下を保護してくださったハーゼンヴェリア王家に、心より感謝申し上げます。どれほど言葉を尽くしても足りないほどです」


「顔を上げてください。礼はまだ要りません。事情が分からない以上、隣国の皇族の方をひとまず保護するのは隣国の王として当然のことです。何分急なことでしたので、不自由な思いをさせたかもしれませんが」


 事情によっては皇女の身柄を帝国側に突き返す。だからまだ礼を言われるべきではない。

 詳細も不明なまま急に逃げ込んで来られて、はっきり言って迷惑している。

 遠回しにそう伝えたスレインの言葉を適切に理解したのか、ジルヴェスターは立ち上がり、無言で軽く頭を下げた。感謝ではなく謝罪の表明か。

 当然、ミカエルはスレインの言外の意思など汲み取っていないので、ぽかんとした表情で場を見回している。ローザリンデがジルヴェスターと同じように理解しているかは、スレインには分からない。


「では、早速事情を聞きましょうか。ジルヴェスター殿。あなたも座ってください」


「はい」


 ローザリンデの座るソファの横に、パウリーナが椅子を置く。ジルヴェスターはそこに腰かけ、テーブルを挟んで彼らの向かいにスレインとモニカも座り、非公式かつ緊急の会談が始まる。


「……フロレンツ・マイヒェルベック・ガレド第三皇子が、複数の貴族と共謀してアウグスト・ガレド皇帝陛下を殺害し、帝位を簒奪。帝国の中枢を掌握し、他の皇族たちを拘束しました」


 ジルヴェスターから告げられた衝撃的な事実に、皆が声を漏らす、あるいは息を呑む音が、室内に響いた。

 モニカが思わずといった様子で口元を押さえるその隣で、スレインは大きく目を見開いた。

 フロレンツ・マイヒェルベック・ガレド。

 その名を再び、このようなかたちで、聞くことになろうとは。


「……詳しく」


 皆が衝撃を受け止めるまで待っていたジルヴェスターは、スレインに促されてまた口を開く。

 アウグストの治世への、宮廷や中央部の貴族たちの不満。一部の貴族たちが御輿として担ぎ上げた、一応は皇帝家の血を継ぐ皇子であるフロレンツ。アウグストの在位四十年を祝う式典の場で起こった謀反と、フロレンツの強引な戴冠。帝国近衛兵団や帝国常備軍までもが多数謀反に加わっている現状。

 それらが、重苦しい口調で、しかし整然と説明された。


「――以上が、私が報告を受けた概要です。今より五日ほど前のことだと聞いております」


「では、情報の伝達は魔法使いが?」


 尋ねたのはエレーナだった。それにジルヴェスターは頷く。


「はい。ガレド鷲を操る宮廷魔導士の使役魔法使いが一人、皇帝家への忠義を尽くそうと帝都を脱出し、ローザリンデ皇女殿下に一連の出来事を伝えに来ました。帝都脱出の際に深手を負い、無理を押して移動を続けたことで体力を使い果たしたのか、アーベルハウゼンに辿り着いて間もなく死にましたが」


「……気の毒に」


 同じ使役魔法使いであるブランカが、小さく呟く。


「私が手を回したことで、宮廷魔導士の報告は西部直轄領の帝国軍には聞かれずに済みました。事ここに至っては、ローザリンデ殿下の指揮下の帝国軍でさえも、いえ帝国軍だからこそ信用できず……彼らがどのように動くかは予想がつきませんでした。元より謀反人の側ではなかったとしても、新皇帝の勅命を受けてローザリンデ殿下に牙を剥き、逮捕や殺害に走る可能性も高いと考えざるを得ませんでした。なので私は、その日の夜にはアーレルスマイアー家の臣下や使用人、私兵を率いてローザリンデ殿下の脱出に動きました」


 ジルヴェスターたちの逃避行は、相当に過酷なものであったという。

 まず、夜中のうちに適当な理由をつけ、馬車で強引にアーベルハウゼンの城門を通過した。そのときには随伴する荷馬車隊や数十人の護衛がいた。

 しかしその翌日には、一日遅れで帝都よりフロレンツの勅命を受け取ったらしい帝国軍が、ローザリンデ逮捕に動き出した。追撃を凌ぐために護衛の私兵や臣下、果ては使用人までもが追手の足止めのために戦って犠牲となっていった。

 結局、ザウアーラント要塞に辿り着いたのは僅か十人強だったと、ジルヴェスターは語った。

 それを聞いて、スレインはローザリンデが泣き暮れている理由を察する。異母兄の手先に追われて怖い思いをしただけでなく、見知った配下が自分を逃がすために犠牲になっていったとなれば、落ち込まないはずがない。


「それは大変でしたね。ローザリンデ皇女殿下、あなたの心中はお察しいたします」


「……ありがとう、ございます……申し訳ございません、私、こんな、泣いてばかりで……」


 モニカに優しく語りかけられたローザリンデは、泣き声をこらえながら、なんとかそれだけ言った。そんな彼女の背中を、ミカエルが心配そうな表情で優しく撫でた。


「ジルヴェスター殿。ローザリンデ殿下が西部直轄領に残っておられたのは何故ですか?」


 次に問いかけたのはイサークだった。


「災害や事故、貴族の謀反への備えとして、皇帝の子女はその全員が一か所に集まらないという帝国法がございます。かつて、ヴァロメア皇国と結託した帝国貴族が皇宮で反乱を起こし、危うく皇帝と直系の子女が皆殺しにされかけたことを教訓とした法です。その法に則り、ローザリンデ殿下は西部直轄領に残っていたためこのようにご無事でした。また、第二皇子パトリック殿下も、北部国境に残っておられたためにご無事だと聞いています」


 それを聞いたスレインは、自分が王位を継ぐきっかけとなった王城の火事の件を思い出す。

 帝国のように巨大で歴史の長い国には、様々な場合を想定した法があるのだな、と場違いながらも感心する。


「では、ローザリンデ殿下とパトリック殿下以外の皇族は、全員が謀反人たちの手に?」


 イサークが問いを重ねると、ジルヴェスターは首を横に振る。


「宮廷魔導士からは、マクシミリアン皇太子殿下が派閥の貴族たちの助けを受けて謁見の間より辛うじて脱出し、どうやら帝都の外まで逃げ延びたようだと聞きました。殿下の勢力圏である帝国東部まで辿り着かれるかは分かりませんが……マクシミリアン殿下とパトリック殿下は、それぞれの勢力圏で領主貴族たちと強固な絆を築いてこられた方です。東部貴族と北部貴族はお二方の味方となるでしょう」


「……では、これから帝国は内乱ですか」


 一連の話を聞いて、スレインは呟くように言う。


「おそらくは。マクシミリアン殿下とパトリック殿下は帝位継承権を巡って競い合う好敵手でしたが、同時に互いの実力を認め合う仲良き兄弟でもありました。マクシミリアン殿下がご無事であればお二方は協力して、ご無事でなければパトリック殿下お一人でも、東部と北部の勢力を率い、フロレンツ第三皇子……いえ、新皇帝フロレンツと戦うものと思われます」


「どちらが優勢となるか、帝国軍や貴族たちがどちらの陣営につくか、予想はつきますか?」


 スレインのその問いに、ジルヴェスターは難しい表情で考え込み、そして口を開く。


「宮廷魔導士の話では、新皇帝は貴族たちに対して寛容な態度を見せているそうです。後ろ盾を担うのが宮廷や中央部の貴族たちである以上、貴族の支持を集めやすい治世を為すものと思われます……保身のために新皇帝を選ぶ貴族や、静観を決め込む貴族も、中央部や西部、南部では多く発生するでしょう。帝国軍の各軍団の動きも、将官や士官の属する派閥に左右されるものかと。それから察するに……新皇帝の勢力が、やや優勢となるのではないでしょうか。あくまで個人的な予想となりますが」


 ジルヴェスターの正直な見解を聞き、スレインは息を吐いて考える。

 一応、フロレンツの戴冠は帝国の慣習法の上でも効力を発揮している。形の上では正統な皇帝の勅命となれば、皇女を逮捕しようとしていた帝国軍の行動にも正当性はある。

 ここでローザリンデを返さなければ、ハーゼンヴェリア王国は新皇帝フロレンツに明確に敵対したと解釈されるだろう。そうなれば、再び帝国の魔の手が迫る。ザウアーラント要塞がある今は以前ほど不安はないとはいえ、激戦になるのは間違いない。

 国のため、臣下や兵士や民のため、家族のため、ローザリンデを見捨てるべきか。


「ちちうえ」


 そのとき。ミカエルに呼ばれ、スレインは思案に耽っていた顔を上げた。


「ローザリンデでんかをたすけてあげてください。かわいそうです」


「……」


 息子の言葉に、スレインは虚を突かれた表情になり、そして笑った。

 ここでローザリンデを見捨てても、それで新皇帝フロレンツと良好な関係を築いていけるとは思えない。貴族たちと結託して謀反を起こし、帝位を簒奪するような新皇帝と、このまま共存していくことはできない。そもそも、あのフロレンツが、因縁深き自分とハーゼンヴェリア王国をこのまま放置してくれるはずがない。

 おまけに、帝国の皇女を見捨てて帝位の簒奪者であるフロレンツに引き渡したとなれば、フロレンツがマクシミリアンら抵抗勢力に敗北した場合でも、その後の帝国との関係は確実に悪化する。異母妹をフロレンツに引き渡したスレインを、マクシミリアンが良く思うはずがない。

 ローザリンデを見捨てた時点で、フロレンツが勝とうが敗けようが、帝国との衝突を先延ばしにするだけ。であれば、ローザリンデをこのまま保護するのが正解だ。

 皇女を保護することで、帝位が大義ある継承者の手に戻った後、帝国に大きな貸しを作ることができる。フロレンツが侵攻してきても、大義をもって戦うことができる。

 戦いは決して楽ではないだろうが、絶望的でもない。今の大陸西部には西サレスタキア同盟がある。かつてフロレンツによる侵攻を受けたとき――自分がまだ王太子だった頃とは違う。フロレンツがどのように動いても、必ず打ち勝てる。

 下すべき決断も、固めるべき覚悟も、最初から決まっていたのだ。自分の背中に最後の一押しを加えてくれたのは、ミカエルの無垢な言葉だった。


「もちろんだよ、ミカエル……ローザリンデ皇女殿下。ジルヴェスター殿。どうか安心を。我が国はあなた方をこのまま保護します。もし新皇帝フロレンツが力ずくであなた方を取り戻そうとするのであれば、暴君となり果てた彼に立ち向かいます」


「……感謝の念に堪えません。国王陛下」


 ジルヴェスターは今度こそ礼を口にして首を垂れ、ローザリンデも泣きながら一礼した。


「エレーナ、帝国の情勢について情報収集を頼む。商人たちにも協力を仰いで動員してほしい。ブランカは国境との連絡役を。イサークはジークハルトたち軍部とも連係して、全体の統括を頼む。それと、同盟各国への連絡の手はずも」


 国王の指示に、重臣たちはそれぞれ礼をして答える。


「私も微力ながら、協力させていただきます。領地にいるアーレルスマイアー家の臣下たちを動かせば、帝国内での情報収集も幾分か楽になりましょう」


「……では、よろしく頼みます」


 申し出たジルヴェスターに、スレインは頷いた。

 こうして、帝国の動乱はハーゼンヴェリア王国を、さらには大陸西部をも大きく動かしていく。



★★★★★★★


書籍1巻『ルチルクォーツの戴冠 -王の誕生-』が発売日を迎えました。

こうして本作が商業作品として出版されたのも、皆様よりご支持をいただいたからこそです。本当にありがとうございます。


皆様と一緒に、スレインの生き様をより多くの方へ届けていくことができれば至上の喜びです。

ご購入、レビューサイトでの率直な評価や批評、SNSでの言及、いかなる形でも構いません。もしお手間でなければ、ご無理のない範囲でどうかお力をお貸しいただけますと幸いです。

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