第173話 平穏と、その終わり

 統一暦五〇四年、王国暦では八十五年の春。ハーゼンヴェリア王国は平和な日々を送っていた。

 冬明けと同時に、社会は本格的に動き出す。春は多くの物事が始まる、変化の季節でもある。

 この年の春に大きな変化を迎えている一人が、騎士ルーカスだった。


「まずは、お前を近衛兵団の一員として歓迎しよう。騎士ルーカス」


「……光栄に存じます。団長閣下」


 王城の城館内に存在する、近衛兵団の本部。その団長執務室で、ルーカスは近衛兵団長ヴィクトル・ベーレンドルフ子爵を前に答えた。

 無表情を貫きながら、その内心には緊張と、そして困惑を抱えていた。


「何故、自分が近衛兵団に入団できたのか、疑問に思っているようだな」


 内心を言い当てられたルーカスが思わず目を見開くと、ヴィクトルは微かに笑う。

 総勢五十人の近衛兵団も、年齢や怪我、病気などを理由に退役者が出て、毎年数人の入れ替わりがある。今年は年初に年齢を理由として二人が退役し、この春にまた一人、病気で足を悪くした者が退役した。

 空いた枠を埋めるために王国軍より入団者の募集が行われ、ルーカスもそこに応募した。選ばれるとは期待しておらず、駄目で元々の応募だった。

 自分は複雑な出自を抱えている。それを考えると、少なくともあと数年は王家の直衛である近衛兵団入りは難しい。軍人として実績と信用を積み重ねながら、三十歳までに近衛兵団に入り、王家の傍に仕えることができれば上出来だろう。そう考えていたら、今回いきなり選ばれてしまった。


「入団を自ら望んでおきながら、いざ選ばれると自信がないか?」


「……自分が能力不足だとは思っておりません。一軍人として、常にでき得る限りの努力をし、必要な能力を維持している自負はあります。しかし……」


「父親の件か」


 ずばり尋ねられ、ルーカスは表情を硬くしながら無言で頷く。


「確かに、お前の父ヘンリクは王家に刃を向けた。しかし、その罪は戦死をもって償われ、国王陛下はヘンリクをはじめ謀反人たちの家族の罪は問わないと決めた。故に、お前は罪人ではない。他ならぬ陛下がそう決められ、そう考えられたからこそ、お前は王国軍人となることができた。そして昨年、お前は軍人としての勇気と覚悟を示した」


 国王付副官のパウリーナを救った件だと、言われずともルーカスは分かった。ルーカスが身を挺してパウリーナを庇った瞬間は、あの場にいたヴィクトルも目にしている。


「一切迷うことなく、自身の身を盾として他者を守る。誰にでもできることではない。たとえ王国軍人だとしても、咄嗟に動けない者もいるだろう。だが、お前にはできた。それは明確な事実、お前の勇敢さを示す証左だ……あの瞬間は陛下もご覧になっていた。あのとき、陛下はお前の勇気と忠誠に絶対の信頼を置くと決められたのだ。だからこそ、お前が近衛兵団への移動を希望していると聞き、陛下は仰った。私やフォーゲル将軍閣下が適切と判断すれば、お前を近衛兵団に所属させてよいと」


 ヴィクトルの話を、ルーカスは直立不動で聞く。国王から受ける信頼、その重さと尊さを噛みしめながら。


「お前の能力と覚悟は疑いようがない。陛下よりお許しもいただいた。だからこそ私とフォーゲル閣下は、お前の近衛兵団入りを認めることにした。それが事の顛末だ。分かったな?」


「はっ。理解しました」


「よろしい。では、以後軍務に励み、近衛兵としての職責を全うするように。お前には個人的に期待している……ひとまず、お前の所属は第三小隊の二班だ。隣の小隊長執務室に行き、第三小隊長から今後の指示を受けるように。以上だ」


 命令を受け、ルーカスはきびきびとした所作で退室した。


 そして、ヴィクトルはそれを見送った後、執務室の窓の外に目を向ける。

 自らの身を挺し、他者を守る。誰でもできることではないその行いを、過去にも成した者が身近にいた。

 騎士グレゴリー。自分と彼は同期で王国軍に入隊し、貴族と平民という身分差はあったが、互いに友人として切磋琢磨した。

 グレゴリーは陽気な男だった。しかし、軍人としての勇敢さは本物だった。彼は国王スレインの指揮した初めての戦いで、徴募兵の若者を庇って死んだ。

 彼が生前、出世の道筋として近衛兵団への異動を望んでいたことを知っている。あの次の年には自分が推薦して彼を近衛兵団に入れてやるつもりだった。それは叶わなかったが、彼を思い出させる勇敢な若者が、こうして近衛兵団の一員となった。

 そのことに、ヴィクトルは不思議な感慨を覚えていた。


・・・・・・・


「オルセン王国から届いた報告によると、ケライシュ王国の本土の現状は思いのほか深刻なようです。国境を接する全ての国が連合を結成し、これまでケライシュ王国に奪われた領土を取り戻すべく逆侵攻を開始しているとのことです……サレスタキア大陸西部への侵攻のために兵力を割いたことで、周辺諸国から隙ありと見なされたものと思われます」


 定例会議の場。外務長官エレーナ・エステルグレーン伯爵が語るのは、昨年に大陸西部へと侵攻してきたケライシュ王国に関する続報だった。


「それはまた……大変だね、かの国も」


 エレーナの報告を聞いたスレインは、他人事のように言う。


「当代ケライシュ王は野心を発揮して領土拡大を続けていたそうですが、奪ったものは奪い返される可能性があるのが常。海の向こうまで余計な領土的野心を発揮し、結果的に窮地に陥っているというのであれば、かの国の王の自業自得と言えましょう」


 腕を組みながら語ったのは、王国軍将軍ジークハルト・フォーゲル伯爵。彼の言葉に、その他の貴族たちも頷き、あるいは同意の言葉を口にする。


「本国がそのような現状であるためか、ケライシュ王国は有用な戦力である正規軍人の捕虜たちの帰還を急いだようです。身代金は冬明けと同時に全額が支払われ、捕虜たちの帰国のためにオルセン王国やスタリア共和国の船まで借りる有様であったと……既に、身代金の支払われた捕虜は全員が帰されたそうです」


「身代金や輸送費だけでなく、大型輸送船の借用料もか。どれだけの費用がかかったのか想像もしたくないね」


 続くエレーナの報告に、スレインは思わず苦笑した。いかな大国のケライシュ王国とて、周辺諸国に本国を攻められながら、海の向こうから五千人以上の兵士を帰還させるのは相当に重い負担があったはず。今頃ケライシュ王家の財政は火の車だろう。そう思いながら。


「おそらく、ケライシュ王家が捕虜の帰還を急いだ理由は、国内貴族や軍の士官の士気を維持する目的もあったのでしょう。海の向こうへ侵略に出た身内や仲間がいつまでも帰らなければ、本土防衛に意欲的になるのも難しい。今、貴族や軍の支持を失えばケライシュ王家は終わりです……今回浪費した戦費と、これから要する本土防衛の戦費で、ケライシュ王国はこれまでの戦勝による利益の多くを失うはず。向こう数十年は、サレスタキア大陸西部への再侵攻など考えることもできないものと思われます」


 そう語ったのは王国宰相イサーク・ノルデンフェルト侯爵だった。

 鋭い目をしながら淡々と語るその様は、先代侯爵かつ宰相のセルゲイに随分と似てきた。スレインはイサークを横目で見ながら、そのようなことを考える。


「ケライシュ王国が再来しないのであれば、これ以上かの国のことを考える必要もないかな」


「仰る通りかと。この件に関しては、終わったものと見なしてよろしいでしょう……私からの報告は以上となります」


 エレーナがそう言って報告を締め、その後も定例会議は粛々と進行していった。


・・・・・・・


 王族の仕事は多岐にわたる。日々の政務から、各国の代表者との外交、国内各地の視察まで。特に西サレスタキア同盟が誕生し、それと並行して王領内において様々な施策がなされるようになってからは、外交と視察の重要度が増している。

 それら全てを国王スレインが行うのは負担が大きすぎるため、内容によっては王妃モニカが担当することもある。

 春のある日。モニカは公務として、王国東部の国境を守るザウアーラント要塞の視察に訪れた。


「王妃殿下。本日はようこそお越しくださいました」


 要塞に到着したモニカを最前で出迎えたのは、ハーゼンヴェリア王国東部における領主貴族たちの中心的な存在であるリヒャルト・クロンヘイム伯爵だった。

 王家直轄のザウアーラント要塞だが、その防衛には王国東部貴族たちも多大な貢献を示しているため、貴族たちの顔を立てる意味もあり、今日はリヒャルトが直々に案内を務める。

 父親の死をきっかけに若くして当主の座についたリヒャルトも、今では伯爵らしい威厳と貫禄を身につけていた。


「久しぶりですね、クロンヘイム伯爵。今日はよろしくお願いします」


 それに、モニカは穏やかな笑みを浮かべて答える。男爵令嬢から、国王に次ぐ立場の持ち主となって早六年半。モニカも今は、その立場にふさわしい振る舞いが板についている。

 リヒャルトはモニカに頷き、そして彼女の隣に視線を移す。


「王太子殿下。本日は私が、この要塞のご案内を務めさせていただきます。気になることがございましたら、何なりとお尋ねください」


「よろしくおねがいします! ねえ、はやく見にいこう?」


 地面にしゃがみ、視線の高さを合わせながらリヒャルトが言うと、モニカに手を引かれる王太子ミカエルが元気よく答える。少しずつ王族としての自覚が芽生えていくことを願う父スレインの提案で、今回はこうしてミカエルも視察に同行していた。

 今年で五歳の彼にとって、今日は言わば初めての公務。しかしやはりと言うべきか、まだ使命感よりも好奇心が勝っているようで、目を輝かせて大きな要塞の中をきょろきょろと見回している。


「ミカエル。クロンヘイム卿を困らせては駄目よ。今日はお仕事のために来たんですから。お父様からも、しっかりお勉強してくるようにと言われたでしょう?」


「私は構いません、王妃殿下。それではご案内いたします」


 幼い王太子をたしなめるモニカに、リヒャルトは笑顔で答え、二人を先導する。

 会議室や執務室のある司令部庁舎。要塞内に分散して配置された兵舎と倉庫。城壁や城門に配備された各種の防衛設備。要塞を守る兵士たちの訓練や、各所の整備などの様子。

 それらを、モニカは微笑をたたえながら淡々と、ミカエルは少々はしゃぎながら見ていく。

 通常通りに仕事を行うよう命令が出ているので、兵士たちも出入りの業者なども、モニカたちが近づいてきても礼などはせず各々の仕事に励む。

 そして最後に、モニカたちが案内されたのが、東側――友好国とも、完全な敵国とも言えない微妙な距離感を維持しているガレド大帝国を臨む城壁上だった。


「昨年の同盟の発動に際しては帝国軍も友軍として戦いましたが、その後、要塞周辺で何か変化はありますか?」


「帝国軍側と定期連絡を交わし、それ以外は両国の商人たちが行き来する、それだけです。平常通りと申し上げてよいかと。私もそうですし、ルーストレーム卿をはじめ王国軍の将たちも、特に注意すべき点はなしと判断しています」


 険しい山の切れ目の向こう、帝国領土が広がるその景色にミカエルが歓声を上げる隣で、モニカとリヒャルトはそう言葉を交わす。


「そうですか。平和であるなら何よりです。王国でも最重要の東部国境を守る皆さんの働きに、国王陛下も必ずご満足されることでしょう」


「光栄に存じます、殿下」


 モニカの労いに、リヒャルトが慇懃に礼をしたそのとき。


「閣下、帝国側より何か来ます!」


「ははうえ、あれは何ですか?」


 監視任務につく兵士がリヒャルトに、ミカエルがモニカに、それぞれ言った。

 その言葉を受けて、二人も東に視線を向ける。ロイシュナー街道を急ぎ駆けてくるのは、騎兵に囲まれた馬車――皇帝家の専用馬車のようだった。

 皇族が乗っていることを示すように皇帝家の旗と、敵意がないことを示すように白旗が、それぞれ馬車から先行する騎兵によって掲げられている。騎兵たちも、馬車も、ほとんど全速力で接近してくる。


「ローザリンデ皇女の来訪……にしては、様子がおかしいですね?」


「ええ。皇女殿下が来訪されるという先触れは要塞には届いておりません。あれほど急いでいるのも妙です。それに、一行の編成にも違和感があります……総員、念のために警戒態勢を取れ」


 リヒャルトがモニカに答え、兵士たちに指示を出す。

 通常、皇族が長距離を移動する際は、その従者や護衛の兵士、皇族個人の荷物や旅の物資などを載せた馬車が少なくとも数台、随伴する。しかし、今接近してくるのは皇帝家の馬車一台のみ。おまけにそれを囲むのは帝国常備軍の騎士ではなく、貴族の私兵の類に見えた。数は僅か十騎足らずで、皇族の護衛にしては少なすぎた。

 遠目に見えていた一行の後方からは、さらに騎兵の集団が近づく。


「あれは帝国軍で間違いありませんね。ですが、何故護衛の対象からあれほど離れて……いや、あれは……帝国軍が皇帝家の馬車を追っている?」


 リヒャルトが言ったのとほぼ同時に、旗を掲げて先行していた二騎が城門の前にたどり着く。


「我々は第三皇女殿下とその護衛の一行だ! ザウアーラント要塞への保護を求める! 殿下は現在、謀反を起こした帝国軍に追われている! 殿下のお命を守るため、どうか保護を!」


 要塞を守る王国側の兵士たちが一応の警戒としてクロスボウや弓を構える中で、騎士の片方が白旗を振りながら叫んだ。

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