第172話 反逆⑤

 皇宮を出て帝都の市街地に逃げ込んでからも、マクシミリアンの厳しい逃避行は続いた。

 まず、マクシミリアンたちは着替えた。マクシミリアンが個人的に信頼している商会――東部に本店を置く御用商会の帝都支店を頼り、いかにも皇太子や貴族然とした豪奢な服装から、どこにでもいるありふれた行商人の服装になった。整いすぎていて目立つ髪はわざと乱し、汚した。

 その際、マクシミリアンに体格や髪の色の似た一人の貴族が、自ら志願してマクシミリアンの影武者となった。

 彼はマクシミリアンの着ていた服を纏い、一人で動いていては不自然なので、同じく志願した警護の近衛兵二人と共に帝都の市街地に消えた。あえて人目に触れて敵兵たちの注目を集め、マクシミリアンができるだけ遠くへ逃げる時間を稼ぐために。

 忠義を果たすために犠牲となった彼らの名前と顔を記憶に刻みながら、マクシミリアンはさらに逃げた。帝都の中から外へと通じる、こちらもやはり皇族しか知らない緊急用の脱出路を利用し、帝都の外、街道からも外れた人気のない森の中に出た。


 脱出路の近くには、御用商会の者たちがあらかじめ逃走用の馬車を用意してくれていた。

 このまま行商人のふりをできるよう、積み荷まで載せた数台の荷馬車。マクシミリアンはそのうちの一台に乗り、他の荷馬車とは別行動をとり、東部の拠点に逃げ戻るために出発した。

 別行動をとる隊には、それぞれに自身の署名を入れた書簡を持たせ、北部国境地帯へと向かわせた。自身が東部にたどり着けずに死んだら、北部国境にいる弟――第二皇子パトリックに東部の全軍を託せるように。

 パトリックが謀反人の側である可能性もないではないが、そこまで考え出すときりがない。彼の性格やフロレンツとの関係、帝国の現状から考えてその可能性は限りなく低いので、今はそれに賭けるしかない。


「殿下。ここからは過酷で長い旅となります。あまり食欲は湧かないかと思いますが、少しでもお食べください」


 同じ荷馬車に乗るプロスペールが差し出したのは、荷馬車に積まれていたパンと水だった。一応毒味をしたのか、パンは少しちぎった跡があった。


「……まったく、何という様だ」


 主要街道を外れて進んでいるため、揺れの酷い荷台の中で、マクシミリアンはパンと水を手に呟いた。こうして少し落ち着いた途端に、凄まじい疲労感に襲われた。

 実の妹を目の前で失い、実の母と第二皇妃を見捨て、歳の離れた異母妹が泣き叫んでいるのも捨て置いて逃げ出した。フロレンツは自分以外の皇族など要らないと言っていた。彼女たちがこのまま無事でいられるとは思えない。

 自分を逃がすために何人もの忠臣が死んだ。本来はこれからも生きて皇帝家に貢献し、その貢献への正当な対価を受け取るべきだった者たちを死なせた。

 それらの犠牲の末に自分だけが帝都を脱出し、フロレンツと謀反人たちの手に皇宮が、帝都が落ちるのを看過しながら、東部に逃げ去ろうとしている。

 想像を絶する屈辱だった。このようなことをしでかしたフロレンツに、彼との結託を選んだ謀反人たちに、そして何より自分の情けない有様に、マクシミリアンは怒りを覚えていた。


「……」


 だから、宮廷と帝国中央部をもっと丁寧に掌握するべきだと、父アウグストと顔を合わせる度に進言したのだ。

 表情を殺してパンを齧り、水で無理やり流し込みながら、マクシミリアンは思う。

 宮廷貴族と中央の領主貴族たちの中に鬱憤が溜まり、その中でも愛国的な一派と伝統ある家柄の者たちがことさらに不満を募らせていることには気づいていた。彼らとも定期的に対話を持ちながら、マクシミリアンは父への提言を根気強く続けていた。

 しかし父は何を言っても聞き入れないので、自分が東部国境の紛争に一定の決着をつけ、帝位を継ぐことを急ぐべき。有無を言わさぬ功績をもって帝位継承を宣言し、少々強引にでも父を退位させ、隠居させるべき。最近はそのようなことも考え、具体的な計画も立てていた。

 しかし、遅かった。よりにもよってフロレンツが、皇帝の強制的な退位どころではない凶行に走ってしまった。秩序ある皇位継承を破壊し、実の父である皇帝を殺めてしまった。

 彼にそうさせる道を、あの貴族たちが選んだ。対話を重ねてきた皇太子を頼らず、フロレンツを御輿として担ぐ道を選んだのは、自分たち貴族にとって御しやすい皇帝が欲しいという欲を出した結果だろう。


 フロレンツの出自や境遇には兄として個人的に同情しており、貴族たちの不満も理解できるものであったが、こうなったら話は別だ。

 このままでは貴族たちから良いように利用されるであろうフロレンツに、帝位をくれてやることなどできない。安易にフロレンツなどという御輿を選んで担ぎ上げ、皇帝暗殺に直接的に関与するような貴族たちを許してはおけない。

 かつては血で血を洗う戦いをくり広げながら、一人現実から逃げて無気力に老い枯れ、このような末路を自ら招いた父を許してはおけない。

 帝位を。権威を。秩序を。強き帝国を。それら全てを。本来の皇太子である自分のもとに、この手に必ず取り戻す。自分こそが皇帝となり、自分こそは生涯を強き皇帝として生き、秩序と繁栄ある治世を為して帝国をさらなる栄光の未来へと導く。

 そのために倒さなければならない。皇帝家に舐めた真似をした愚かな貴族たちを。彼らを帝位の周囲へと招き入れた愚かな異母弟を。


「今後、具体的にはどうする? 東部までは急いでも三週間はかかるだろうが、我々だけでこのまま進むのか? 帝都近辺で頼れる兵のあては?」


 既にある程度立ち直って現実を見据えたマクシミリアンの問いかけに、プロスペールはしばし考えて口を開く。


「……個人的に、信用できるかもしれないと思う軍団長や貴族は何人かいますが、確信は持てません。帝都周辺の、いえ、帝国中央部の帝国軍は全て信用できないと見るべきでしょう。領主貴族たちも同様に。全員が謀反に加わるとは思えませんが、現状では敵味方の区別がつかない以上、やはり誰も頼れません」


「……それもそうだな」


 皇帝家の誇る帝国常備軍とはいえ、一般兵士は平民上がり。帝位を簒奪した第三皇子と自身の勢力圏に避難した皇太子のどちらにつくか決断する能力など、大半の者は持ってはいない。

 となると、各軍団の行動を決めるのは指揮官である将や幹部の士官たちだが、貴族出身者の多い彼らがどちらにつくかは未知数。最初から謀反人たちの一派の者もいれば、フロレンツ有利と見て謀反人の側に加わる者もいれば、本来の正当な帝位継承者である自分につく者もいるだろう。今はまだ、その判別はつけられない。

 貴族たちに関しても、全員がフロレンツの一派ではないだろうが、その判別はやはり今はつけられない。


「警護の近衛兵から一人、馬の操縦が巧みな者を東部への使者として送りました。報せが届けば、確実に我々の味方である東部の帝国軍なり貴族領軍なりが殿下を救出するためにやって来るはずですが、それもおそらく二週間は先のこととなります。道程の大半は我々のみで進むことになるでしょう。殿下には不自由を強いることとなりますが」


「このような状況だ。私を引きずって運ぼうが、虫を食わせ泥水を飲ませようが構わぬ。何をしてでも東部までたどり着かせてくれ」


「御意」


 笑みを零して言ったマクシミリアンに、プロスペールは厳かに頷いた。

 帝国の皇太子が乗っているとは誰も思わないであろう古びた荷馬車が、粗い道を進む。




★★★★★★★


書籍1巻『ルチルクォーツの戴冠 -王の誕生-』、8月9日の発売日が迫ってまいりました。

DREノベルス様の公式サイト作品ページでは、試し読みなども公開されています(口絵と序盤の挿絵もご覧いただけます)。


改稿加筆によってさらに内容を研ぎ澄ませ、圧倒的な一作に仕上がったと信じています。

あと数日、お楽しみにお待ちいただけますと幸いです。

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