第171話 反逆④

 それからしばらく、謁見の間をまた静寂が包んだ。

 皆がフロレンツの言葉を、次の行動を待っていた。

 フロレンツはたっぷりと間を置き、自分が帝位を得て玉座についたことを噛みしめ、一人で悦に入ってから、ようやく立ち上がって口を開く。


「他の皇族たちを外へ」


 皇帝の最初の命令で、近衛兵たちが動く。第一皇妃と第二皇妃、そして泣いて震える第二皇女ディートリンデを、一応は丁重に、この場から退場させる。

 それを認め、フロレンツは笑顔で貴族たちに向き直る。


「帝国貴族の諸卿!」


 新たな皇帝に呼びかけられた、フロレンツの一派ではない大多数の貴族たちは――警戒を、あるいは戸惑いを、あるいは怯えを見せる。

 その様を見て、フロレンツは優しげな微笑を浮かべた。


「怖がることはない。今回の騒動は、あくまで皇帝家の中でのこと。私は帝国のために止むを得ず父から帝位を奪い、立ちはだかった姉を斬ったが、だからといってこれから暴君として振舞おうというわけではない……約束しよう。諸卿の帝国貴族としての地位も、特権も、そして自由も、私は何ら侵害しないと」


 それを聞いた貴族たちは、虚を突かれた表情になった。一部はまだ警戒の表情を保っていた。


「私は父とは違う。皇帝家の臣であり、同時にそれぞれの職務の主、それぞれの所領の主である諸卿を尊重する。皆も父の治世に思うところがあっただろう。私は父のような失態は犯さないと約束する。諸卿の言葉に耳を傾け、諸卿とともに帝国を前進させる治世を為すと誓う……今はこの、私の決意を理解してくれればいい。さあ、式典は終わりだ。皆、今日はご苦労だった」


 フロレンツが手ぶりで指示すると、貴族たちを囲んでいた近衛兵たちが一歩引いた。

 謁見の間の後方、正面入り口を塞いでいた近衛兵たちが、扉を開いた。


「……こ、皇帝陛下。あの、これは……?」


 集っている貴族の中でも特に年長の一人が、おそるおそるフロレンツに尋ねる。


「ご苦労だった、という言葉通りだ。諸卿は……君たちは帰り、今後のことを決めるといい」


 笑みをたたえたまま、フロレンツは答えた。


「私とともに、帝国のさらなる繁栄の道のりを歩む。今まで皇太子であった長兄マクシミリアンの側につき、あるいは独自の勢力を築き、私と敵対して戦う。あるいは情勢が落ち着き、帝国の次代を築く勝利者が決まるまで、中立を保って静観する。好きなように選択するといい。帝都の屋敷に帰って家族と話し合っても、所領に帰って臣下たちと話し合っても構わない。君たちそれぞれの選択を尊重しよう……もちろん私としては、私の配下に加わってくれたら嬉しいし、その決断を早く下してくれた者から積極的に仲良くするつもりでいるが」


 そこまでフロレンツが語ると、警戒を保っていた貴族も呆気にとられた様子になっていた。


「さあ、皇宮内はまだ騒がしいので、近衛兵たちに外まで送らせよう。今日この場で私の戴冠を見届けてくれたことに、心から感謝する」


 未だ戸惑いながらも、近衛兵の護衛を受けて帰っていく貴族たちを、フロレンツは満足げな表情で見送った。


・・・・・・・


 謁見の間を脱出したマクシミリアンと供の貴族たちは、皇宮内を駆け抜けていた。


「くそっ、一体どれほどの兵があいつの手に落ちている……」


 走りながら、マクシミリアンは毒づく。広大な皇宮内を逃げているうちに、他の近衛兵にも見つかり、現在後ろから追ってくる兵は二十を超えている。もはや皇宮内は敵だらけと見るべき状況だった。


「警護の者たちも殿下の救出を目指しているはずです。それらと合流できれば……ですが、その前に後ろの追手を振り切る必要が」


 マクシミリアンと共に走りながら言ったのは、マクシミリアンの直臣であるプロスペール・ドーファン伯爵。宮廷貴族でありながらマクシミリアンを支えるために家族揃って東部に居を置いており、マクシミリアンが帝位を継いだ暁には帝国軍務大臣の地位を約束されている男。


「……この先、第三資料室の中に皇族しか知らない隠し通路がある。そこを使うぞ」


 皇宮の中にいくつも存在する、秘密の隠し通路。マクシミリアンがそのひとつの存在を明かし、廊下の角を一度曲がった先にある第三資料室に全員で飛び込む。

 貴族たちが数人がかりで棚を倒し、部屋の入口の扉を塞ぐ中で、マクシミリアンは奥の壁際の棚のひとつ、そこにある書類の詰まった箱を引いた。

 と、それが取っ手となり、マクシミリアンと、他に数人が手伝って棚全体を引く。その裏には人一人が通れる幅の通路があった。


「行こう」


 プロスペールを先頭に、その後ろにマクシミリアンが続き、さらに他の者たちも続く。最後尾の者が内側から棚を引き、通路をまた隠す。

 そうして全員で移動し、通路の出口、皇宮の北側の庭に近い廊下へと出る。と、そこで一人の近衛兵と鉢合わせした。


「っ!」


「殿下……!」


 また見つかったか。マクシミリアンはそう思って顔を強張らせ、プロスペールをはじめ貴族たちが戦おうと身構える。

 近衛兵はマクシミリアンを見ながら剣を抜き――その剣を捧げるような仕草を示す。


「皇太子殿下。兵の少ない経路をご案内します」


「……お前は確か、モンテルラン卿の甥か」


「はっ。一度社交の場でご挨拶させていただいたのみにもかかわらず、憶えていただき光栄に存じます。オーギュスト・モンテルラン侯爵が甥、フィルマンにございます」


 捧げられた剣をプロスペールが回収する横で、マクシミリアンが尋ねると、近衛兵――フィルマンは頷いた。

 帝国東部の領主貴族の盟主格であるモンテルラン侯爵。その甥ということであれば、近衛兵の中ではおそらく最も信用できる。

 どうせ、このままやみくもに逃げても脱出が叶う可能性は低い。であれば彼に賭けるべき。マクシミリアンはそう決断した。


「案内を頼む。お前を信じるぞ」


「はっ。こちらへ」


 移動しながら、フィルマンは自身の知っている状況を語る。

 フィルマンは現在、近衛兵団の小隊長。およそ千人いる近衛兵のうち、三十人を率いる立場にいるという。つい先ほど部下たちがフロレンツ第三皇子の謀反に加わることを宣言し、彼は宮廷貴族家の出身である妻やまだ幼い子供たちの身を案じ、表向きは謀反人たちに同調したという。

 そうして謀反人たちに合わせて行動しながら、皇族たちを救出する機会をうかがっていた。フィルマンはそう言った。


「近衛兵のうち、どの程度が裏切ったか分かるか?」


「総数については、私ではとても……ですが、今この皇宮内にいる五百人の大半は謀反人の側かと思われます。帝国常備軍のうち第一と第三の軍団長も見かけました」


「となると、第二軍団も限りなく怪しいな……おのれ、帝都防衛を担う軍団が全て敵に回るとは」


 帝国常備軍は一個軍団が千人の編制。全部で五十の軍団があるうち、第一から第三までは伝統的に帝都防衛を任務としている。その任務の性質上、将官や士官は全員が宮廷貴族や中央部貴族に近しい者で固められている。

 この三つの軍団が全て敵に回ったとなれば、帝都にマクシミリアンの味方はいない。


「皇太子殿下! ご無事で!」


 険しい顔で思考を巡らせながら走っていたマクシミリアンを呼ぶ声が響いた。

 マクシミリアンたちが振り返ると、そこにいたのは近衛兵の一団。ただし、東部貴族の出身者で固められた、マクシミリアンの身辺警護を担う者たち。

 東部国境から帝都までの護衛として随行してきた彼らは、近衛兵の鎧を身につけていることを利用して皇宮内を移動しながら、マクシミリアンを探していたと語った。


「皇宮の近衛兵たちがいきなり攻撃を仕掛けてきました! 一体何が起こっているのです? 他の皇族の方々は?」


「……フロレンツが一部の貴族と近衛兵、さらに帝国軍の一部とも共謀し、皇帝陛下を殺害して帝位を簒奪した。私の命も狙われている」


「なっ!」


 マクシミリアンの簡潔な説明を聞いた警護隊長は一瞬驚愕し、今はそんな場合ではないと考えたのかすぐに冷静な表情に戻る。


「東部は謀反とは関わっておらず、安全なはずだ。何としても戻らなければならぬ。行けるか?」


「我々の命に代えても殿下をお送りします。まずは皇宮からの脱出を……殿下の馬車は皇宮の近衛兵たちに奪われましたが、今頃は別行動をとっている隊が脱出用に適当な馬車を確保しているはずです。急ぎ合流地点に向かいましょう!」


 そう言った警護隊長を先頭に、マクシミリアンたちはまた走る。フィルマンの案内で警備の手薄な区画を移動し、鉢合わせした敵と思しき近衛兵は全て殺しながら進む。


「殿下! こちらから!」


 最終的に、屋外への脱出経路は一階の倉庫の窓となった。侵入者防止のためにやや高い位置にある窓から、庭の芝生に転がり落ちるように脱出したマクシミリアンたちは、さらに走り、別行動をとっていた隊と合流を果たす。彼らは家畜の飼料を運搬するための粗末な荷馬車を確保していた。


「さあ、お急ぎを! 乗って乗って乗って!」


 まずマクシミリアンが、その後にプロスペールと貴族たちが、荷台に上げられる。平時ではあり得ないほど乱暴に、まるで荷物のように警護の近衛兵たちから押し込まれる。


「フィルマン! お前も来い!」


「……いえ、殿下」


 フィルマンはマクシミリアンの言葉に、ゆっくりと首を横に振る。


「私が殿下と共に消えれば、帝都に残された家族は無事では済まないでしょう。幸い、私は宮廷貴族の姻戚として、謀反人たちからも最低限の信用はあります。このままここへ残り、殿下の内通者となります」


「……そうか。生きて東部に帰り着いたら、私の手の者をお前に接触させる。死ぬなよ」


「はっ。殿下もどうかご無事で」


 敬礼するフィルマンに見送られ、粗末な荷馬車は出発。

 未だ皇宮の制圧が終わらず、謀反人たちが混乱しているその隙をついて裏門の一つを通り、帝都へと脱出した。

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