第169話 反逆②

 その唐突な行動で、謁見の間にいる皆が虚を突かれた。


「……何だと?」


「第三皇子。あなた、このようなときに悪ふざけが――」


 眉を顰める皇帝と、愛人の子に対して冷酷な表情を見せる第一皇妃が口を開いたそのとき。


「おい、何を!?」


「止めろ!」


 室内がにわかに騒がしくなり、剣のぶつかり合う音が響く。

 居並ぶ貴族たちが騒然とする中で、マクシミリアンが謁見の間の壁際に視線を向けると、そこに立つ近衛兵たちが殺し合いをしていた。

 無表情に剣を振るう者と、驚愕しながら抵抗する者に分かれているようで、数は無表情の側が多い。間もなく抵抗する者は皆殺しにされ、生き残った無表情の近衛兵たちは、そのままフロレンツに向かって駆ける。

 そして、彼らはフロレンツを守るように囲み、玉座のある前方と、皇族や貴族の並ぶ後方に分かれて剣を構えた。

 玉座を囲む最精鋭の近衛兵たち数人は、守るべき皇帝と皇妃に向けて剣を突きつけていた。

 さらに、謁見の間の外から喧騒が聞こえる。兵士たちが殺し合う壮絶な音が響き、そして平時ではあり得ないほど乱暴に扉が開かれた。

 飛び込んできたのは、己の血か返り血か、とにかく血に濡れた近衛兵。


「皇帝陛下! 謀反です! お逃げ――」


 叫んだ近衛兵が後ろから剣で刺し貫かれ、血を吐いて息絶える。刺したのは別の近衛兵だった。

 なだれ込んできた近衛兵たちは、仲間を刺し貫いた近衛兵を取り押さえることもなく、そのまま入り口を固め、居並ぶ貴族たちを囲む。

 多くの近衛兵が皇帝を裏切ったのだと、誰もが理解するしかない状況だった。


「さあ、父上。玉座を私に」


 先ほどまでと変わらない落ち着いた声で、フロレンツがアウグストに言う。周囲の状況を見回していたマクシミリアンは、そこで異母弟を再び見据えた。


「フロレンツ……お前、何ということを」


 マクシミリアンのその言葉に振り返ったフロレンツは、尋常でない笑みを浮かべていた。

 命を賭して皇帝を守るべき近衛兵たちによる暴挙。この異様な状況を前に、式典に出席していた貴族たちは混乱を極める。皆が勝手に口を開いて周囲の者と話し、場は騒然となる。


「帝国貴族の諸卿! どうか静かに! あなたたちを傷つけたくはない!」


 フロレンツが叫び、近衛兵たちが構えを変える。その剣先を、居並ぶ貴族たちの目前に一斉に突きつける。極めて攻撃的なこの振る舞いを前に、さすがの帝国貴族たちも押し黙る。

 そして――その列の中から、一部の貴族たちが抜け出した。

 主だった宮廷貴族から各地の領主貴族まで、数百家の当主やその伴侶、名代が並ぶ中から、抜け出してフロレンツのもとに歩み寄ったのは三十人ほどの貴族家当主たち。

 この混沌とした場において、しかし彼らは困惑していなかった。無表情、緊張の表情、怒りの表情など様々ではあったが、少なくとも混乱は見せていなかった。

 彼らがフロレンツの仲間であると、マクシミリアンは理解した。

 フロレンツを中心に並んだ彼らは、全員で皇帝の方を向く。帝国の主を前に跪くことも、礼をすることもなかった。


「……ほう。これが、この馬鹿騒ぎを目論んだ顔ぶれか」


 しわがれた声が響いた。

 この状況においてもなお、皇帝アウグストは大きな動揺は見せていなかった。謀反という事態を前に、眉根を寄せて不愉快そうにはしていたが、フロレンツとその一味を睥睨して言う声はどこか他人事のようだった。


「いかにも。我々は帝国中枢の現状を憂い、皇帝であるあなたの有様を憂い、立ち上がった正義の士です」


 軽やかに、まるで演劇の役者のように、フロレンツは答えた。

 それを聞いたアウグストはしばし黙り、そして――にやりと、笑みを浮かべた。


「何がおかしい!」


 フロレンツのすぐ隣に立つ貴族が叫んだ。

 ベルナール・ゴドフロワ侯爵。愛国的な思想が強いことで知られる、三十代前半で家督を継いだ若き宮廷貴族だった。


「皇帝陛下! いや、皇帝アウグスト! あなたは帝国の全てを支配する至尊の地位にありながら、その力を正しく使ってこなかった! 無能であり、怠惰であった! 昔馴染みの年老いた側近たちの言葉にばかり耳を傾けて帝国中枢の政治を行い、私たちの言葉を聞かなかった! この現状は、あなたの目に余る失態の数々が招いた結果だ! それを何故笑う!」


「ゴドフロワ卿の言う通りですぞ、皇帝アウグスト」


 ベルナールに続いて口を開いたのは、レジス・ルフェーブル侯爵。帝国中央部の領主貴族を取りまとめる立場にある大貴族だった。


「あなたは失態を重ねすぎた。帝国中央においては惰性を極めた稚拙な治世を続け、東と北の紛争においては、帝国の得た利益を正しく配分しなかった。これもやはり惰性によって……こんなことは断じて、断じて許されない!」


 冷静に話し始めたかに思われたレジスは、そこで激高する。


「我々が! 帝国の建国当初からこの地に存在し、帝都の周囲を守ってきた伝統的な貴族である我々が! 今までどれほど皇帝家に忠節を尽くし、この国に貢献してきたか! あなたはそれを顧みず、我々の忠節を踏みにじった! 今日ついに、その報いを受けるときが来たのだ!」


 声を上げる二人の貴族を見て、その言葉を聞いて、マクシミリアンはこの謀反のおおよその背景を察する。

 老いてからの皇帝アウグストの治世は、確かに稚拙としか言いようのないものだった。

 アウグストは東と北の国境紛争について息子たちに任せきりで、自らは何らの具体的な判断もしなくなった。戦いそのものはマクシミリアンと第二皇子の采配で優勢が続いているが、問題は戦いによって得た成果――国境を押し込んで得た土地や、その他様々な利益の扱いだった。

 あろうことか、アウグストはこれらのほぼ全てを皇帝家のものとした。まるで、軍役を果たした貴族への緻密な利益配分を面倒がるかのように。

 帝国東部と北部においては、マクシミリアンと第二皇子が自身の裁量で現地の貴族たちに利益を分け与えていたので、不満も溜まらなかった。しかし、最古参の貴族として国境紛争に兵を送り、小さくない貢献をしながら、何らの利益を得られなかった帝国中央部の領主貴族たちが不満を募らせているのは明らかだった。

 内政においても問題だらけだった。アウグストは国境紛争と同じく、こちらに関しても決断を下さなくなった。さらに、大臣をはじめとした要職は全て自身の昔馴染みの宮廷貴族たちに独占させたので、帝国の中枢は老人たちがただ利益を貪るための場と化した。

 結果、帝国の社会は停滞した。経済の成長は止まり、しかし紛争が続く中で税は重くなった。老いたアウグストと側近たちの怠惰と頑迷のせいで、若い貴族たちによる改革の提言が無下にされたことも一度や二度ではなかった。

 その結果がこれだ。自分たちの扱いに不満を募らせた中央の領主貴族たちと、偉大であるはずの帝国の停滞に耐えかねた愛国的な宮廷貴族たち。彼らが手を組み、アウグストに思うところのあるであろうフロレンツを御輿として担ぎ上げ、反旗を翻した。レジスとベルナールの横に、彼らと同類の貴族たちが並んでいるのを見れば、背景はそのようなところだろうと読めた。

 少なからぬ近衛兵が謀反に加わった理由も分かる。

 帝国近衛兵団は実力だけでなく一定の家柄も求められる組織。所属する兵のほとんどは、貴族やその家臣の子弟。愛国的な思想を持つ宮廷貴族や、皇帝家に近しい帝国中央部の領主貴族の関係者は特に多い。

 現在の近衛兵団長はベルナールの弟。やはり愛国的な思想の強い、タカ派の軍人として知られている。ベルナールならば弟と共謀し、近衛兵団の部隊編成や警備計画に手を加え、謀反人たちの息がかかった者をこの場の警備に多く配置するのは容易だったことだろう。

 そして、彼らのような貴族の関係者は、帝国常備軍の、特に中央部にいる部隊の幹部の中にも多数いる。皇帝家に剣を向ける裏切り者は、おそらくここにいる兵で全てではない。


「さあ、父上。帝国を憂い、あなたに強烈な不満を抱く彼らの気持ちは分かったでしょう。あなたは無様になりすぎたのです。老い枯れた、などという言葉では到底許されないほどに。あなたの時代は終わったのです。この私に、正義の士たちの気持ちを理解する皇子である私に、玉座を譲るべき時が――」


「待ちなさい!」


 アウグストに向かって穏やかに語りかけるフロレンツ。その言葉を遮り、進み出たのはマリアンヌだった。彼女は近衛兵たちが向ける剣に臆することなく、その間を抜けてフロレンツに歩み寄った。彼女が女であるから遠慮したのか、近衛兵たちは力ずくで取り押さえることはしなかった。

 マクシミリアンは彼女を制止しようとして、しかし皇太子であるために近衛兵たちに一層警戒されているのか、数人に剣を突きつけられて動けなかった。

 今はまずい。フロレンツはまともではない。刺激するな。マクシミリアンのそんな願いもむなしく、マリアンヌは激怒の表情でフロレンツに指を突きつける。


「畏れ多くも皇帝陛下の御前よ! 陛下と皇帝家を侮辱するのもいい加減になさい!」


「姉上、今は私が話しています」


「あなたが姉上などと呼ばないで! 家格の低い愛人の息子が、私と対等な皇族だとでも思っているの!? その分際で、父である陛下を無理やり退位させようだなんて――」


 怒鳴るマリアンヌを前に嘆息したフロレンツは、近衛兵に目配せした。

 近衛兵の一人が、剣をフロレンツに手渡す。


「待て! フロレ――」


 マクシミリアンが言い終わる前に、フロレンツは剣を振り下ろし、マリアンヌを、血の繋がった姉である第一皇女を斬り捨てる。

 マクシミリアンも、その隣のディートリンデも、皇妃たちも、居並ぶ貴族たちも絶句し、アウグストでさえさすがに唖然とし、一瞬の静寂が場を包んだ。

 そして、マリアンヌが頽れる。死にきれなかった彼女は、血にまみれた腹を押さえながら、目を見開いて浅い呼吸をしている。


「いやああああっ! マリーが! 私のマリーが――」


「動くなぁっ!」


 マリアンヌに駆け寄ろうとした第一皇妃に、フロレンツが濁った声で叫ぶ

 近衛兵たちに剣を突きつけられた第一皇妃はそれ以上動けず、その場で泣き崩れる。


「まったく姉上。これから皇帝となる私の血筋を馬鹿にするなど、大罪ですよ? それに姉上姉上姉上、あなたのそうやって私を馬鹿にするところが大嫌いだったんですよ姉上……だいいち、」


 頭をかきながら苛立たしげに言い放ったフロレンツは、再び玉座を、そこに座るアウグストを見据える。


「私がいつ、父上を退位させるなんて言いましたか? 私の心を壊し、私の人生を壊した憎き父上を、穏やかに退位などさせるはずがないでしょう。私が父上に求めるのは崩御です。父上も、皇妃も、兄弟たちも……私以外の皇族など、今この帝国には要らないのですよ」


「……」


 フロレンツの言葉を、マリアンヌはもう聞いていなかった。フロレンツが一方的に話している間に息絶えていた。

 実の妹が死んだ。皇族にあるまじき無残な最期を遂げた。その様を硬い表情で見つめるマクシミリアンの横では、ディートリンデが口を押さえながら、声を殺しきれずに泣いている。


「ふはははははっ!」


 そのとき。

 玉座の方から高らかな笑い声が響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る