第165話 ペイルトン籠城

 会戦が終わるとすぐに、マクシミリアン・ガレド皇太子は帝国へと帰っていった。「見たかったものは十分に見た」と満足げに言いながら。

 そして、セレスティーヌも会戦への尊大な感想を置き土産にして、リベレーツ王国へと帰った。

 同盟軍は現在、侵攻軍の残存部隊をペイルトンまで追い込み、包囲を開始している。


「……」


「どうしましたか。一人でこんなところに座って」


 包囲網が構築され、侵攻軍の逆襲を防ぐために柵や空堀など簡易の防御設備が構築されていく同盟軍の陣地。その一角に無言で座り込んでいるファツィオ・ヴァイセンベルクに、スレインは歩み寄る。


「……ハーゼンヴェリア王」


「会戦の後からあなたが元気のない様子だったので、心配していますよ」


 スレインが穏やかに言うと、ファツィオは弱々しい笑みを浮かべた。


「すみません、情けない様を見せてしまって……会戦で死傷した我が国の兵士たちのことが、未だに脳裏から離れなくて」


 足元に視線を落とすファツィオの隣に、スレインは静かに腰を下ろす。


「死傷した自国の兵士たち、ですか」


「はい。会戦で我がヴァイセンベルク王国の兵は七人が死に、十二人が重傷を負いました。兵士たちの遺体と対面して、生々しい傷を抱えて苦しむ重傷者たちを見て……戦争をさせるために、私が彼らを異国まで連れてきたからこうなったのだと思うと、落ち込んでしまって」


 会戦における同盟軍の損害は、死者が二百人と重傷者が五百人。ハーゼンヴェリア王国の兵士も四人が死に、七人が重傷を負った。

 その話を聞いたときもまったく動揺しなかった自分と、自国の兵士の犠牲に落ち込むファツィオの差に複雑な気持ちを抱きながら、スレインは優しく微笑した。


「あなたの気持ちは分かります……私も、初めて軍を指揮した後は同じように落ち込みました」


「本当ですか? 英雄と名高きハーゼンヴェリア王でも?」


「はい。私も別に、最初から戦い慣れていたわけではありませんよ。自分の命令に従った結果、兵士たちが死んだ。その事実を初めて受け止める経験はやはり衝撃的でした……そのときの私は、思わず震えながら膝から崩れ落ちたほどです」


 自分にもそんな、君主として初々しい頃があった。懐かしく思いながらスレインは語る。


「ときに君主は、庇護下の者たちの命を数字として見なければなりません。一国の主も所詮はただの人間です。限界があり、ままならないことがあります。それをことさらに思い知らされるのが戦争というものです……それでも各々が割り切るしかありません。今生きている、これから未来を生きる臣下や兵士や民のために」


 ファツィオはスレインの言葉を嚙みしめるように聞き、スレインが話し終えると、二人の間にしばしの沈黙が流れる。

 そして、ファツィオが顔を上げて口を開く。


「……ありがとうございます。ハーゼンヴェリア王」


「礼なんて不要ですよ」


 時代が導いた結果とはいえ、父親の敵に礼を言う彼のことを少し不憫に思いながら、スレインは立ち上がってその場を去る。

 そして、司令部の置かれた大きな天幕に向かう。


「どうですか、敵の様子は」


「……ハーゼンヴェリア王か。特に動きはなしだ」


 スレインが天幕に入ってきたのを認めた総大将クラークは、簡潔に言う。


「無理もないだろう。敵は今頃、残存兵力の再編の最中だろうからな。大きな動きはできまい」


 その場にいたガブリエラが、腕を組みながら語る。


「そうですね。再編が終わったとしても、今ペイルトンに籠っているのはごく一部の精鋭と、会戦の戦場から真っ先に逃げ出した弱兵、後は大勢の負傷者です。大した力はありません……この上で敵にできるのは、一兵でも多く逃げ帰ることだけでしょうね」


 ケライシュ王国の国力や海上輸送力、かの国の本土が国境を接する全ての隣国と対立している現状を考えると、侵攻軍としてサレスタキア大陸西部に長期間送り込める兵力は、おそらく今回の一万五千がほぼ限界。橋頭保の確立に失敗し、占領地から利益を得られる見込みがなくなった以上、この侵攻にさらなる兵力や物資を注ぎ込む余裕がかの国にあるはずもない。

 西サレスタキア同盟の勝利はもはや揺るがない。今はどのように勝つかを考える段だった。


「エーデルランド王。今が好機だが、本当に攻めなくていいのか?」


 こちらも司令部で暇をつぶしていたオスヴァルドの問いかけに、クラークは静かに頷く。


「ああ。勝ちが決まった以上、徒に攻勢を仕掛けて同盟軍の兵士を死なせる意味はない。それに、我が国にとって重要なペイルトンを戦いで荒廃させたくはない。これ以上の捕虜も不要だ……敵が帰ってくれるというのなら、帰してやろう」


「……そうか。総大将が言うのであれば、私も文句はない」


 オスヴァルドは少々物足りなさそうな顔をしながらも、クラークの決定を素直に受け入れた。


「ということは、あとは敵がこれ以上悪さをしないよう、包囲網を維持してペイルトンに押し止めておくのが同盟軍の役目というわけですね」


「それに加えて、敵の残党狩りもだな。ペイルトンに逃げ込めず占領地をさ迷っている敗残兵が大勢いる。放置して盗賊化させるわけにもいかない。できる限り殺すか捕縛しなければ」


「では、私はその仕事に回らせてもらうぞ。動かない敵を包囲し続けるなど退屈極まりない。少しでも戦う機会を得て、会戦で先陣を切れなかった鬱憤を晴らさせてもらう」


 スレインの言葉に、ガブリエラとオスヴァルドがそう返した。

 ちなみに、ドグラスは会戦で調子に乗って暴れすぎた結果、足を負傷して医師から安静を命じられているので、この場にはいない。傍若無人なドグラスも、自国から連れてきたお抱え医師の言葉には素直に従うのかと、スレインたちは驚かされた。


「……では諸卿、悪いが今しばらく、我が国を守る戦いに付き合ってくれ」


 クラークの言葉で、消化試合のような戦いが始まる。


・・・・・・・


 ケライシュ王国による侵攻軍。当初は一万五千の実戦力を抱えていた大軍は、現在はその半数以上を失っていた。

 決戦となる会戦で大敗し、多数の死傷者を出した侵攻軍は、ペイルトンへの退却時にさらに多くの兵士を失った。組織立った退却が叶わなかった兵士たちは散り散りになりながら壊走し、今頃は遠い異国の地を行く当てもなくさ迷っているか、既に同盟軍の残党狩り部隊に捕縛され、あるいは殺されているものと思われた。

 後方支援の人員として占領地の各地に散っていた者たちも、おそらく今頃は占領地の維持もできず、敵の手に落ちている。

 ペイルトンに籠っているのは、兵士と後方支援の人員を合わせておよそ七千。そのうち、未だ戦闘に堪えられる兵士は五千。一方で同盟軍は一万二千以上が健在で、そのうち残党狩り部隊を除く一万以上がペイルトンを包囲している。

 この上で侵攻軍にできることは、このペイルトンを維持しながら撤退のための船を待つことだけだった。


「いいかお前たち。早ければ今日、遅くとも一週間以内には輸送船団が到着するはずだ。ここにいる人数ならば、少し無理をすれば一度に全員が乗れるだろう。お前たちは皆、無事に本国に帰れるのだ。今しばらく頑張ってくれ……食料はまだまだある。引き続き、好きなものを好きなだけ食うといい!」


 敗走からの籠城が始まって、既におよそ二週間が経過した日の午後。努めて明るい声で言いながら兵士たちの間を練り歩くルガシェの周囲には、万が一兵士たちが暴発した場合に備えて、数十人の護衛がついている。

 自軍の兵士を前にこれほど警戒しなければならないほど、将としての信用が失われていることに悔しさを覚えながらも、ルガシェは表情だけは快活さを見せる。


「……この様子であれば、輸送船団の到着まで持ち応えそうですね」


「ああ。物資だけは豊富で幸いだ。敵が下手に動かないでいてくれたことも助かった」


 兵士たちの様子を見た副官の言葉に、ルガシェも頷く。

 元々は一万を超える兵士が冬明けまで過ごすつもりで備蓄されていた各種の物資。それを開放することで、ルガシェは兵士たちの不満を逸らし、秩序をかろうじて維持していた。

 混ぜ物なしで焼かれたパンや、香辛料を惜しみなく使ったジャガイモ料理。現地で確保した家畜も潰され、肉料理もふんだんにふるまわれる。さらに、少量だが酒も。

 それらで腹を満たした兵士たちは、同盟軍が包囲網を構築するだけで攻勢までは仕掛けてこないこともあって、なんとか平静を保っている。

 決戦で大敗した直後、ルガシェは撤退を決意し、本国に緊急の救援要請を送った。風魔法の魔道具を積んだ高速艇と、長距離を飛行できる鳥を操る使役魔法使いのおかげで、要請は数日で本国に届けられているはずだった。

 敗軍の将として帰還すれば処罰は免れず、将軍職を失うのはほぼ確実。伯爵や子爵に落とされることもあり得る。それでも、自分は今生きている兵士たちを無事に帰さなければならない。

 そんな将としての責任感を支えに、ルガシェは気力を維持している。


「閣下! 将軍閣下!」


 そのとき。港の方から走ってきた士官が、興奮した様子で叫びながら、敬礼も忘れてルガシェの前で立ち止まる。


「船が! 輸送船団が見えました! 我々の帰還のための船です!」

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