第164話 平原の会戦④

「……騎兵部隊は成功したか。我々の役目は終わりだ。下がるぞ」


 同盟軍本隊の中衛で、そう命じたのは弓兵を率いるロアールだった。

 騎兵部隊が突入し、敵陣の中で敵味方が入り乱れる状況となっては、弓兵も援護は叶わない。ここで的確に後退の判断を下せるよう、ロアールが中衛の将として配置されていた。

 その命令に従い、千の弓兵は後衛歩兵の左右を通るようにして下がる。オルセン王国軍の精鋭を基幹とし、全員が言わば技術職の正規軍人である弓兵たちは、きびきびと動いて後退し、後衛歩兵が前に出るためのスペースを上げる。


・・・・・・・


「……やはり、土煙は騎兵の数を誤認させるための工作だったか」


 侵攻軍本陣から、自軍の無様な有様を見渡しながら、ルガシェは嘆息した。

 敵騎兵が隠れていた森の陰から出撃し、大げさなまでの土煙を上げながら侵攻軍の側面に迫っていたのを見て、ルガシェはすぐにこれが罠だと確信した。

 おそらくは風魔法使いを大勢動員して生み出したのであろう土煙。確かに騎兵の大軍が動く際の土煙をよく再現できていたが、それでも見通しの良い本陣から戦慣れした軍人が眺めれば、違和感を覚えざるを得ないものだった。

 何より、常識的に考えて、同盟軍が何千もの騎兵を揃えられるはずがない。それが分かっているからこそ、ルガシェも、傍に控える副官をはじめ側近たちも、すぐに敵の策を見破った。

 しかし、兵士たちはどうやら違うようだった。

 侵攻軍歩兵は戦場の隊列の只中にいて、周囲をよく見渡せない。側面から敵の騎兵が迫り、その後方から巨大な土煙が上がっていたら、凄まじい大軍が迫っていると思うのは必然。

 常識的に考えてそんな大軍が来ることはあり得ないなどと、彼らが冷静に判断することも期待できない。士官将官はともかく一般兵にそこまでを考える思考力はない。

 敵騎兵の数は千前後であるという司令部の通達を彼らが信用し、迫り来る巨大な土煙が偽装であると見破ることも、やはり期待できない。これまでの敵の工作によってルガシェたち司令部への信頼を失いかけていた兵士たちは、ここに至っては自分の目に見えるものを信じるだろう。

 クロスボウ部隊の傭兵たちに至っては、さらに期待できない。何せ、迫り来る敵騎兵部隊の先頭にいるのが、傭兵たちがやたらと恐れているヒューブレヒト王なのだから。

 そうしたルガシェの落胆交じりの推測は、全て完璧に当たった。その結果が今だ。

 決定力となるはずだった隊列中央や後方の歩兵たちは、逃げまどいながら敵騎兵に踏み潰されていく。

 一旦下がっていた弓兵たちは、敵味方が目の前で乱戦になればもはや何の役にも立たない。組織立った援護など叶わず、敵騎兵が迫る恐怖から勝手に矢を放って味方を誤射する者が多発する始末だった。

 クロスボウ部隊の傭兵たちは死んだ。あるいは逃げた。もうどこにもいない。


「……閣下」


「負けたな。どこからどう見ても完敗だ……いやはや、参った」


 常識的に戦っていれば、ここまでの負け戦になるはずはなかった。そもそも、決戦以前に兵士たちがここまで弱気になるはずもなく、将と兵の信頼関係がここまで損なわれるはずもなかった。

 しかし、敵の戦い方は常識外れにもほどがあった。本国から遥か遠い地で、実戦力一万五千の侵攻軍だけで、このような策を講じる敵に叶う手段があったとは思い難い。


「ペイルトンまで退却し、そこで籠城だ。その上で本国に現状を報告し、緊急撤退の輸送船団を送るよう求める……騎兵部隊と魔法使いたちに、撤退戦の用意をさせろ。こちらの歩兵と弓兵が下がるのを援護するぞ」


「了解いたしました」


 ルガシェの決断に異を唱えることはせず、副官は答えた。


・・・・・・・


「……勝ちは決まったね」


「そのようです。今回もお見事でした、国王陛下」


 陣形を崩壊させながら退却を開始した侵攻軍を見ながらスレインが呟くと、傍らのジークハルトがそう返す。


「とはいっても、今回は僕は策をいくつか提示しただけだよ。勝利自体は同盟軍の奮闘と、総大将エーデルランド王の決断力によるものだ」


 微苦笑を浮かべ、スレインは言った。

 精鋭による小部隊をいくつも編制し、エーデルランドの地理を把握しながら自在に動き回って工作を実行し、決戦では一万を超える大兵力を揃え、各部隊がしっかりと連係をとりながら戦術を実行する。

 それは、西サレスタキア同盟が数年かけて備えを進め、各国の君主や軍人、官僚たちが協調して歩んできたからこそ実現できた偉業だと、スレインは考えている。今日のこの勝利は、同盟の皆で掴んだ勝利であると。


「ハーゼンヴェリア王」


 そのとき。スレインのもとへ近づいてきたのは、ガレド大帝国皇太子マクシミリアンだった。帝国による援軍の将であるジルヴェスター・アーレルスマイアーも、マクシミリアンの傍らに控えていた。


「貴殿らの戦い、見せてもらった……見事だったと素直に認めるべきだろう。西サレスタキア同盟への認識を改めなければならないな」


「恐縮です。ヴァロメア皇国の崩壊以後では、大陸西部は最も強固な絆で結ばれた時代を迎えています。その事実を証明できたのであれば幸いです」


 今の大陸西部は強い。かつてのフロレンツ第三皇子のように安易な侵攻を試みれば、ただでは済まない。そんな警告の意をも込めながら、あくまで表情は穏やかに、スレインは語った。

 おそらくはスレインの本心も見抜きながら、マクシミリアンは余裕のある笑みを返してきた。


・・・・・・・


「……決戦までの工作も、この決戦での戦術も、相手を騙したり脅したりで下品だわ。優雅な勝ち方とは言い難いわね」


 本陣の一角。自身の直衛である白薔薇騎士団の女性騎士たちに囲まれながら、観戦者として呟いたのはセレスティーヌ・リベレーツ女王だった。


「仰る通りです、女王陛下。騎士道精神など微塵も感じられない、野蛮で卑劣な戦いでした。西サレスタキア同盟の国々の程度が知れます」


 傍らに立つ騎士団長ベルナデットの言葉に、セレスティーヌは微苦笑を零す。自分はそこまでは言っていない、と思いながら。

 君主の座について何年も経てば、国を治めるときに綺麗ごとばかりは言っていられないと理解もしている。政治の世界もそうであるし、戦いの世界ともなればなおさらにそうだろうと。

 ただ単に、嘘と脅迫を駆使して相手を叩きのめす今回の同盟のような戦い方は、セレスティーヌが個人的に好みではないだけ。今のは本気の批判ではなく、大した意味もない呟きだ。

 にもかかわらず、このベルナデットをはじめとした若い側近たちは、セレスティーヌの言動をいちいち過剰に持ち上げ、絶対的に肯定してくる。今回の同盟の戦い方も、セレスティーヌが同じ策をとったならば「悪の侵略者を成敗するための巧みで偉大な策」とでも称賛しただろう。


「でも、勝利は勝利ね。決戦の前から敵を追い詰めて、今日は一撃の策で快勝を成した。そのおかげで味方側の犠牲者も最小限で済んでいる……その点については、認めるべきだわ」


 個人的に嫌悪を覚える策だったとしてもも、その有効性や実際に挙げた成果は揺るがないのだから、一人の君主として公正に評するべき。

 一連の策を講じたスレイン・ハーゼンヴェリアを横目で見ながら、セレスティーヌはそのように考えていた。


・・・・・・・


「騎兵は一度下がり、陣形を整えた上で再度突撃だ。歩兵は後衛まで全て前進させ、退却する敵の追撃を続けろ。ただし一部が突出して深追いすることはないように注意しろ。細かい判断は前衛の将たちに任せる」


「陛下。敵の起死回生の強襲にも備えるべきかと」


「そうだな。手の空いている弓兵部隊を前衛左翼側に展開し、敵の騎兵などがこちらの不意を突いて本陣に強襲してくることがないよう備えろ」


 側近であるエーデルランド王国軍将軍の助言も受けながら、総大将クラークは的確に命令を下していく。少々複雑な命令の詳細を伝えるため、今回は旗や喇叭ではなく人間の伝令が各部隊の将のもとまで馬を走らせていく。

 追撃戦は着々と進んでいく。


「……思っていたほどには、侵攻軍も無様な壊走とはなっていないな」


「そのようだ。敵将も無能ではないということか」


 隣に立つガブリエラの言葉に、クラークはそう返した。

 侵攻軍の基幹となる歩兵部隊は酷い有様だったが、それでも精鋭と思しき一部の兵士たちを中心に、ある程度は組織立った動きを保ちながら退いていく部隊も見受けられる。

 弓兵部隊も、同盟軍の歩兵や騎兵と接敵した集団は混乱を極めて隊列が崩壊しているが、そうでない者たちは比較的整然と後ろに下がっている。

 そうした退却を、今まで侵攻軍の本陣で待機していた騎兵部隊や魔法使い部隊、予備の歩兵部隊が掩護する。総大将であるルガシェ・ダフヴィ将軍の指示がすぐに届く位置にいるからか、三つの部隊が巧みに連携し、同盟軍の追撃を多少食い止めている。

 それら総大将の直轄部隊が時間を稼いでいるうちに、戦場からの離脱の叶う侵攻軍兵士が増えていく。


「……よし、今だ。全軍前進。このまま敵を追い込むぞ」


 侵攻軍の総大将の直轄部隊は、引き際も上手かった。総勢千強の兵力では同盟軍の追撃をそう長く押し止められないと分かっているようで、時間稼ぎの限界が近づくと、未だ戦場に残って逃げまどっている味方の兵士をあっさりと捨て置いて自分たちも退却を開始した。

 もはや組織的な抵抗は来ない。そう判断したクラークの言葉で、同盟軍は全軍をもって侵攻軍を追う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る