第163話 平原の会戦③
先頭を行くのは、精鋭の護衛に囲まれたドグラス。そのすぐ後ろに、ヒューブレヒト王家の旗を掲げた騎士が何人も続く。このド派手な集団を頭に、千の騎兵が次々に駆け出し、巨大な質量の塊を作る。
出発を待つ後方には、オスヴァルドを指揮官とする一隊がいた。オスヴァルドの愛馬以外の馬には、それぞれ軽装の小柄な騎士が一人と、その後ろに魔法使いの装束をまとった者が乗っていた。
「……よし、始めるぞ」
オスヴァルドはそう言って愛馬を走らせ、そして片手を天に向けて突き出す。オスヴァルドと並ぶ馬に乗った魔法使いたちも、同じ動作をする。
それぞれの掲げた手の先に、鮮やかな緑色の光が生まれる。
馬を操りながら魔力集中を為し、魔法を発動する。オスヴァルドだからこそ叶う神業によって生み出された突風は――その真後ろの地面に向けて吹き荒び、土を巻き上げる。
オスヴァルドが率いる他の魔法使い――全員が風魔法の使い手だ――も、馬の操縦は前に乗る騎士に任せ、自身は魔法発動に集中し、生み出した突風で大地を撫でる。
数十人の風魔法使いが生み出した突風は、盛大に土を舞わせ、騎兵部隊の後ろに巨大な土埃を巻き起こした。
その土埃を背に、同盟軍の騎兵部隊はやや横に広い魚鱗の陣をとり、侵攻軍の横腹に迫る。
・・・・・・・
侵攻軍の歩兵たちは、目の前の同盟軍歩兵に向けて進軍し、着実に距離を詰めていた。
しかしそんな中で、彼らは自分たちの右側を見てざわめき始める。
「お、おい、何だあれ……」
「敵の騎兵だ! 騎兵が来る!」
「ものすごい土煙だ! 一体どれだけの数がいるんだよ!」
やや横に広い陣形をとって突き進んでくる騎兵の群れ。その後方が見えないほどの巨大な土煙。
それを見た歩兵たちは、同盟軍騎兵が凄まじい大軍であると考えた。
「聞かされてた話と違う! どう見ても千やそこらじゃないぞ! 何千騎もいる!」
「あんな大軍、側面の傭兵共とたった五百の騎兵部隊で止められるのかよ!」
「ルガシェ将軍はまた俺たちに大嘘をつきやがった!」
「いや、でも、敵騎兵の数で嘘なんかついても……」
「じゃあ予想を外したんだよ! 大外れだ! あの無能将軍!」
隊列の右側にいる歩兵たちが騒ぎ、その混乱は隊列中央や左側まで伝わる。
ここ数週間の、偵察兵が尽く狩られる惨状。偵察網がまともに機能せず、敵の要人や奇襲部隊が簡単に占領地まで入り込んでくる有様。それが嫌な記憶として刻まれている歩兵たちは、将から聞かされていた話ではなく、目の前の現状の方を信じた。
自分たちの将であるルガシェ・ダフヴィ侯爵は、ろくな偵察も実行できず、敵の騎兵の数を見誤った。あるいは、自分たち末端の兵士に平然と嘘をついていた。
そのような不信感が、ここに至って爆発する。最前衛の数列と、右側面の数列。そこに配置された精鋭たちはルガシェに揺るぎない信頼を置いているのでまだ整然としているが、それ以外の多くの歩兵は足並みを乱す。
「おい、正面の敵歩兵とそろそろ接敵するぞ!」
「今は目の前の戦いに集中しろ! 側面の守りは傭兵共を信じるしかない!」
本来であれば一気呵成に敵と激突すべき侵攻軍歩兵たちは、しかし士気旺盛とは言い難い状態で同盟軍歩兵の前衛とぶつかり合うことになった。
装備では勝るが戦う前から逃げ腰になっている侵攻軍歩兵と、侵略者との決戦で極限まで士気が高まっている同盟軍歩兵。その攻防は、同盟軍がやや優勢となってくり広げられる。
そして、侵攻軍の側面の守りを任されているクロスボウ装備の傭兵たちは、残念なことに味方歩兵の期待には応えられない状況だった。
「あの旗! 確かヒューブレヒト王家の旗だぞ!」
「残虐王が来る! ものすごい騎兵の大軍を引き連れて襲ってくるぞ!」
「なあお頭! どうするんだ!」
「落ち着けお前ら! ダフヴィ将軍の話じゃあ、敵の騎兵は千程度なんだ! ありゃあきっと何かの間違いだ!」
「何が間違いなんだよ! 目の前にでかい土煙が見えてんだろ!」
「だいたい、あんな将軍の言うことが信じられるかよ! 俺たち傭兵を使い捨てのゴミとしか思っちゃいない奴だぞ!」
「そうだ! きっと将軍は敵の騎兵があんな大軍なのを知ってて、俺たちを捨て駒の肉壁にするためにここに配置したんだ!」
敵騎兵が凄まじい勢いで迫ってくる中で、傭兵たちの混乱は歩兵以上に酷かった。構えるべきクロスボウを降ろしている者、隊列を崩している者が目立ち、既に半泣きになっている者もいた。
「はははははぁー! クソ侵略者共ぉ!」
そのとき、敵騎兵部隊の先頭から、異様に大きな笑い声が響く。
拡声の魔道具を使っているらしい、ドグラス・ヒューブレヒト国王の声だった。広大な戦場に流れるその声は、風に揺れ、まるで悪魔の声のように不気味に響いていた。
「そこで待っていろぉ! 俺が全員串刺しにして殺してやるからなぁ!」
こうして威嚇するためだけにわざわざ馬上で拡声の魔道具を持っているらしいヒューブレヒト王の言葉は、しかし傭兵たちにはこれ以上ないほど効いた。どんなに強力な攻撃よりも効いた。
「くそっ! こんなところにいられるか!」
「止めだ! 俺は戦わねえ!」
「馬鹿野郎! ここはアトゥーカ大陸から遥か遠くだぞ! 船に乗らなきゃ帰れねえ土地だ! 逃げてどうなるってんだ!」
「知るかよ! 今日ここで串刺しにされるよりましだ!」
傭兵を生きたまま串刺しにする、残虐王ヒューブレヒト。いくつも尾ひれがついて、いつの間にかそんな悪評が与えられた敵将の接近を前に、クロスボウ部隊は戦わずして瓦解し始める。
「お頭も逃げやしょう! こんな有様じゃ無理ですよ!」
「お前らそれでも誇り高き傭兵か! もらった報酬の分は仕事するんだよ! 構え!」
敵が間もなく射程圏内に入るのを見て、クロスボウ部隊の隊長の一人が叫んだ。
他の隊長たち――いずれも規模の大きな傭兵団の団長や、界隈で名の知れた手練れの傭兵だ――も射撃用意の指示を飛ばすが、それに従った傭兵は半数をやや上回る程度だった。
「撃て!」
一斉に放たれた矢は、しかし敵を逸れたものも多かった。なんとか逃げずに斉射に臨んだ傭兵たちも大半がひどく動揺しており、その動揺が狙いを雑にしていた。
敵の騎兵部隊に与えた損害は少ない。勢いをまったく殺すことなく、巨大な土煙を背後に纏い、大軍が迫りくる。
「装填! 装填急げ! おい第二射は!」
「間に合いませんよ! それに二射目の人員なんていません!」
本来は五百人が第一射を放ち、その装填の間に残る五百人が第二射を放つはずだった。しかし、既に瓦解が始まり、居残っている者も恐怖から射撃を焦ったため、第一射でここにいるほぼ全員が矢を放ってしまっていた。
連射性の低いクロスボウの、数十秒に及ぶ装填中、傭兵たちを守る者はいない。
「こっちの騎兵は……くそっ! 動いてねえ!」
味方の後方、本陣近くを見た隊長は、味方騎兵五百が救援に駆けつける様子もないのを見て悪態をつく。
本来であれば、クロスボウ隊が斉射で怯ませた敵騎兵部隊に、こちらの騎兵部隊が側面攻撃を仕掛けて壊滅させるはずだった。
しかし、現実はこれだ。クロスボウ部隊が想定通りの戦果を挙げられなかったために騎兵を動かさないと決めたのか、あるいは本当に噂通り、ルガシェ・ダフヴィ将軍は平然と傭兵を使い捨てる冷酷な将なのか。
「お前らクロスボウはもういい! 接近戦に備えろ!」
「相手は騎兵の大軍ですよ! 護身用の短剣で何ができるってんですか!」
「黙れ! 今さら逃げられねえぞ! 全員、武器を抜――」
歴戦の傭兵団長の激は意味をなさず、クロスボウ部隊は無防備なまま、同盟軍騎兵の突撃を受けた。まともに受け止めることなど叶わなかった。背中を見せて逃げる者や、混乱して立ち尽くす者、それを統率しようと無力な声を張る者。皆、騎兵の質量に飲み込まれ、押し潰された。
将に見捨てられて肉壁と化した彼らは、しかし肉壁としての役割すら果たせず壊滅し、同盟軍騎兵はそのまま侵攻軍歩兵の横腹に迫る。
歩兵部隊の右側面に配置されていた歩兵たちは、精鋭と呼ばれるにふさわしい動きを見せた。盾と槍を整然と構え、傭兵たちよりもよほど強固な防御の態勢を構築した。
しかし、せっかく作られた防御陣形は、彼らの方へと全速力で逃げてくる味方の傭兵たちによって乱された。盾にぶつかる者。並んだ盾の間を無理やり通って味方の隊列の中に逃げ込もうとする者。勢いあまって槍衾に突っ込み、貫かれる者。そうした傭兵たちの振る舞いのせいで、盾と槍による堅牢な壁が乱れてしまった。
そこへ、ここまで大した損害も負わず勢いづいていた同盟軍騎兵の群れが食らいついた。いかに強固な防御陣形とはいえ、千近い騎兵の全速力による突撃を防ぐことは叶わなかった。その隊列が乱れているとなれば尚更に。
防御陣形は食い破られ、並んでいた精鋭たちは質量の暴力によって蹴散らされ、同盟軍騎兵による侵攻軍歩兵の蹂躙が始まる。
「傭兵共がやられた! 槍衾も破られた! 騎兵が陣形に入ってきたぞ!」
「もう駄目だ! 数千の騎兵と混戦になって勝てるわけがねえ!」
「待て! 勝手に下がるな!」
先ほどまで右側面から迫っていた、巨大な土煙を上げる騎兵の大軍。数千はいるであろう敵騎兵が、既に自分たちの陣形の中にいる。数百程度ならまだ対抗できるとしても、数千の騎兵を相手にはとても叶わない。
そう考えた侵攻軍歩兵たちは、元々の士気が低かったこともあって簡単に崩れた。士官の命令に従わず、迫り来る敵騎兵から逃れようと陣形を乱して好き勝手に動き始めた。
最前衛に立つ精鋭たちは果敢に戦って同盟軍歩兵の進撃をかろうじて食い止めているが、中衛や後衛にいる練度の低い兵士たちは、もはや士気を完全に失い、烏合の衆と化していた。
今回の侵攻に動員された正規軍人の中でも二線級の部隊であったり、戦後の褒賞目当てで従軍しているだけの民兵であったりする彼らは、いきなり現れた予想外の敵騎兵の大軍を相手にそれでも戦い続ける度胸など持ってはいなかった。
侵攻軍歩兵の崩壊は、最早止まらない。
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