第162話 平原の会戦②
両軍は布陣を終え、いよいよ戦いが始まる。
「それではエーデルランド王。総大将として、号令を頼む」
本陣にいる君主はスレイン、ガブリエラ、ファツィオ、そしてクラーク。その他にもジークハルトをはじめ、同盟各国から送られてきた援軍の将の一部が並んでいる。
その中でガブリエラが促し、クラークが頷いて前に進み出た。
「……開戦だ。歩兵と弓兵は前進せよ」
クラークの命令を、エーデルランド王国の将軍が大声で復唱。それに合わせて、本陣から旗と喇叭による合図が行われる。
これは西サレスタキア同盟の設立後、同盟各国の将官や士官によって、ヴァロメア皇国時代の例も参考にしつつ構築された命令伝達の手段だった。
万に届く大軍が並ぶ広い戦場でも、視覚的にも聴覚的にも目立つ合図は、前衛の士官まで的確に届く。
「前進せよ!」
「前進!」
「前に進めぇー!」
前衛の歩兵の指揮を担う将や士官たちが、それぞれの率いる兵士に命じながら、自身も進む。
「弓兵、総員前へ」
そして、中衛の指揮をとるロアール・ノールヘイム侯爵が命じ、オルセン王国の兵を基幹とした千の弓兵部隊が歩き出す。
さらにその後ろに後衛の歩兵も続き、同盟軍本隊は侵攻軍に近づいていく。
・・・・・・・
「閣下。いつでも始められます」
侵攻軍の本陣。副官の問いに対し、しかしルガシェはまだ無言を保つ。
戦場を、前進を開始した同盟軍本隊を睨み、自軍との距離を見定め――
「……いいだろう、始めろ。弓兵は攻撃開始」
敵の前衛が弓兵の射程圏内に入り始めたタイミングで、命令を下した。
その命令は太鼓によって最前衛の弓兵部隊に即座に伝えられ、二千の弓兵による矢の一斉射が始まる。
これほど大規模な会戦では魔法攻撃の効果は限定的なので、弓兵に交ざって魔法使いなどは配置されていない。数十人程度いる魔法攻撃の使い手は、危機や好機で動かす予備兵力として本陣待機となっている。
全員が職業軍人である侵攻軍弓兵が、雨のように降らせる矢。同盟軍の前衛の歩兵たちは、その中を掻い潜って歩き続ける。緒戦の際は盾を装備していない軽歩兵ばかりだった敵歩兵は、しかし今回は前衛の全員が盾を掲げ、身を守っていた。
「ふむ、思ったほどの戦果は上がらんな」
「粗末な板切れとはいえ、盾は盾ということでしょうか」
敵前衛の歩兵たちが掲げる盾は様々。まともな盾を構えている重装備の兵士もいれば、木板を適当な大きさに切って取っ手を取り付けただけの、どう見ても数合わせの代物を持っている兵士もいる。数としては、粗末な板切れを掲げている兵士の方が多い。
そのような盾でも、当たれば矢の威力は減衰し、ほとんどの矢はそこで止まる。当たる角度が良かったために深く貫通した矢も、盾を掲げる兵士に致命傷まではなかなか与えられない。
結果、侵攻軍の攻撃によって倒れる同盟軍歩兵は、前衛のうち、盾で守りきれない足などに矢を食らった不運な者だけ。損害は限定的だった。
そして、同盟軍本隊はある程度前進した時点で、動き方が変わる。前衛の歩兵およそ五千はそのまま進み続けるが、中衛の弓兵と後衛の歩兵は止まる。
侵攻軍の最前衛に立つ弓兵を、曲射の射程内に捉える位置。そこから、同盟軍の弓兵およそ千が斉射を開始する。同盟軍の前衛歩兵に矢を降らせる侵攻軍弓兵が、今度は同盟軍弓兵の矢の雨に晒される。やはりここにも、魔法攻撃は交ざっていない。
「なるほど。まともに遠距離攻撃の応酬に臨めば数の不利で敗けるからと、こちらの弓兵を牽制するためだけに自軍の弓兵を使うか。理にかなった上手い運用だ」
現在の陣容だと、侵攻軍の弓兵は二千の兵力をもって、射程に捉えている同盟軍の前衛歩兵五千と中衛の弓兵千、合計六千に攻撃を加えることになる。
一方で同盟軍の弓兵は、千の兵力をもって、侵攻軍の最前衛に立つ弓兵二千を集中的に攻撃している。二千で六千に攻撃するのと、千で二千に攻撃するのでは、後者の方が効率的と言える。
おまけに、同盟軍の前衛歩兵五千は盾を掲げており、一方で侵攻軍の弓兵二千は弓と矢を構えて無防備な状態で敵の矢の雨に晒される。受ける損害はこちらがより大きくなり、損害を被れば被るほど健在な弓兵は減ってしまうので、こちらの攻撃の効率は落ちる。
「弓兵はもういい。一旦下がらせろ。歩兵による攻撃を行う」
「はっ」
ルガシェの指示が太鼓の音で伝えられ、最前衛に出ていた侵攻軍弓兵は一斉に下がる。
そして、空いた最前衛に、侵攻軍歩兵が進み出る。
歩兵の最前は精鋭の重装歩兵で固められている。盾と槍を装備した彼らは、同盟軍弓兵の攻撃にもさして怯むことなく進んでいく。
「……後は、敵の騎兵さえ防げば勝ちか」
ここからの戦いの流れを予想し、ルガシェは呟いた。
歩兵同士のぶつかり合いでは、侵攻軍が有利。ケライシュ王国の重装歩兵はアトゥーカ大陸でも屈指の強さを誇っている。敵も前衛には精強な正規軍人を並べているだろうが、まともに激突すれば間違いなくこちらが敵を押し返せる。
それを防ぐために、同盟軍は騎兵部隊をこちらの歩兵の側面にぶつけてくるだろう。しかし、それはこちらの歩兵部隊の右側面とクロスボウ部隊、そして騎兵部隊で防ぐ。クロスボウ部隊の傭兵たちはルガシェに対してことさらに不信感を覚えているようだが、それでも自軍騎兵の援護を受けられる状況で、千そこらの敵騎兵を前に簡単に怖気づきはしないだろう。
敵騎兵を受け止めたら、後は歩兵の力押しと、一旦下げた弓兵による援護射撃によって、敵の陣形を瓦解させる。そうすればこちらの勝ちとなる。
王命を受け、ダフヴィ侯爵家の誇りを背負い、海を越えてここまで来たのだ。必ず勝たねばならない。ルガシェの手に力がこもる。
・・・・・・・
敵の弓兵が下がり、代わって歩兵が前進してくる様を、同盟軍本陣の将たちは見ていた。
「……オルセン女王の狙い通りになったね」
「おそらく、この戦場においては最も適切な弓兵の運用だったと言えるでしょう。用兵において、オルセン女王陛下は確かな実力を持っておられますな」
本陣から戦場を見渡すスレインの呟きに、参謀として傍らに控えるジークハルトが答えた。
侵攻軍はおそらく、弓兵を最前衛に置いてこちらの兵力を削りにくる。そのような予想がされていた中で、こちらの弓兵を中衛に配置する提案を真っ先にしたのがガブリエラだった。
結果的に、ガブリエラの提言と、それを受け入れた総大将クラークの決断は正しかった。同盟軍は弓兵の数で圧倒的に不利な状況にありながら、自軍の損害を最低限に抑え、侵攻軍の弓兵を下がらせることに成功した。
「後は、騎兵を投入するだけか」
「左様ですな……私ならば、そろそろ動かすところですが」
ジークハルトが言ったそのとき。
「騎兵を突撃させよ」
本陣の中央でクラークが総大将として命じた。それが喇叭と旗で伝達され、左側の森の陰に隠れていた騎兵部隊が動き出す。
・・・・・・・
「者共! 本陣からの合図だ! 突撃命令に備えろぉ!」
下卑た笑みを浮かべながら声を張ったのは、同盟軍騎兵部隊の大将を務めるドグラス・ヒューブレヒト国王だった。その言葉を受けて、待機していた騎兵たちはそれぞれの愛馬に素早く乗る。
十八の同盟国から集った貴族や騎士の混成部隊が、突撃のときを待つ。
「……まったく。あの下品な男が大将として先頭に立ち、この私が後ろで小細工に臨まねばならんとはな」
呟いた言葉通り陣形の後方に立ち、不満げな顔をするオスヴァルド・イグナトフ国王を見て、近くにいたイェスタフ・ルーストレーム子爵が口を開く。
「しかしオスヴァルド陛下。我が主君の偉大な策を実行し、同盟軍を勝利に導くには、陛下のお力が必要不可欠です」
「それは分かっているが……ルーストレーム卿。卿は他人事だからそうやって笑っていられるのだろう。どうせ、突撃が始まったら私を差し置いて前に躍り出るつもりだな?」
「他人事などとは思いません。栄えある突撃で前に出られない陛下のご無念は、私も同じ騎士として畏れながら理解できます……前に躍り出るつもりというのは、仰る通りですが」
真面目くさった顔で言ってのけたイェスタフに、オスヴァルドは苦笑を返した。
東部国境防衛の指揮官として長くザウアーラント要塞を守ってきたイェスタフは、援軍として要塞に駐屯するイグナトフ王国軍も自身の指揮下に置いてきた。駐屯部隊の交代の際にはオスヴァルドが自ら要塞の様子を見に来ることもあったので、彼と接する機会も何度もあった。
西サレスタキア同盟の結成後は、イェスタフはハーゼンヴェリア王国の代表武官として訓練や話し合いの場などに出ることも多く、その際は君主自ら出席することを好んだオスヴァルドと直接言葉を交わす機会も多かった。
それらの交流と、お互い武人として気質が似ていたこともあり、今では冗談を交わせる程度に親しい仲となっている。
「ふっ、生意気な奴め……ではとっとと前の方に行っていろ。せいぜい私の分まで暴れるといい」
「了解いたしました。それでは陛下のご無念を晴らすためにも、微力を尽くします」
イェスタフはそう言って、自身が率いるハーゼンヴェリア王国の騎兵およそ三十と共に陣形の前方へと移動する。
それから間もなく。
「突撃ぃー! 私の後ろに続けぇー!」
ドグラスの柄の悪い叫び声が響き渡り、同盟軍の騎兵千が突撃を開始した。
★★★★★★★
8月9日発売の『ルチルクォーツの戴冠』書籍1巻について、特典情報が公開されました。
アニメイト様/書泉様、ゲーマーズ様、メロンブックス様にて、それぞれ特典SSが付属します。
いよいよ発売日まで一か月を切りました。WEB版からさらに進化した本作、皆様ぜひよろしくお願いいたします。
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