第161話 平原の会戦①

 エーデルランド王国の王都ブライストンと、港湾都市ペイルトン。その中間に位置する平原で、ケライシュ王国による侵攻軍と西サレスタキア同盟軍は対峙した。

 占領地の各地に散っていた兵力を集結させ、ペイルトンの守りに千を残した侵攻軍は、総勢およそ一万四千。

 一方で同盟軍は、この数週間のうちに新たに徴集したエーデルランド王国民の兵と、近隣の同盟国から追加で送られた援軍、総勢千五百をブライストンの守りに残し、当初の総力である一万三千が全て並んでいる。


「……敵の布陣は、概ね予想通りか」


「ええ。意外性はありませんが、だからこそ妙な外連味もない、堅実で良い陣形ですね」


 小高い丘に置かれた本陣から、兵士の布陣が進む戦場を見渡しながら、スレインはガブリエラと言葉を交わす。

 決戦の地は、先の軍議でスレインが要望した通りの地形だった。両軍の片側――同盟軍から見て右手側、侵攻軍から見て左手側には深い森が広がっており、そちら側にまとまった部隊が展開して相手の側面を襲う選択肢を奪っている。

 反対側の側面、すなわち同盟軍の左手側には小さな森が点在しており、なかでも直径数百メートル程度の森がひとつ、同盟軍の陣に近い位置にある。

 地面はほとんど平坦で、スレインたちのいる丘も、斜面が緩やかなために敵の突撃などを防ぐことは期待できない。せいぜい、戦場を見渡すのに少し都合が良い程度のものだった。

 敵の陣形は、スレインが言ったように単純。最前列には二千の弓兵が横に広がって並び、そのすぐ後ろには歩兵一万が配置されている。整列した歩兵の隊列のところどころには隙間が作られており、接近戦の前に弓兵が後方へと退避するための通路だと分かる。

 そして、深い森に阻まれていない右側面には、弓兵と歩兵の横腹を守るように、傭兵による千のクロスボウ部隊が置かれている。一撃で騎兵をも仕留められるクロスボウ兵が千。下手に騎乗突撃など仕掛けて一斉射をまともに食らえば、同盟軍の騎兵部隊はその突撃の勢いを挫かれ、取り返しのつかない大損害を被る可能性もある。

 一目見て分かる重大な脅威だった。本来であれば。

 そして、最後方にある敵の本陣には予備兵力でもある歩兵が五百と、その右側に騎兵が五百。同盟軍の騎兵部隊が突撃をクロスボウ部隊に阻まれ、戦場で立ち往生すれば、侵攻軍の騎兵に食らいつかれ、さらなる損害を負うことが予想できた。


「まあ、陣形の堅実さで言えばこちらも良い勝負ですが……見た目の上では」


 スレインは自軍を見下ろし、静かに笑みを浮かべる。

 同盟軍の陣形もやはり単純。一万一千の歩兵が前衛と後衛に分けられて布陣し、その間である中衛には、弓兵が横に広がって配置されている。数で敵に劣る弓兵を、前面に押し出しての撃ち合いではなく味方後方からの曲射による援護のみに用いる布陣だった。

 そして、陣の左手側にある小さな森の陰に隠れるように騎兵千が控える。

 残る歩兵五百とクロスボウ兵五百は、敵の万が一の奇襲などを防ぐため、本陣のある丘の周囲を守っている。

 そして、戦場の周辺には――少数精鋭の小部隊がいくつも散りばめられていた。スレインたちが本陣にいる今このときも、侵攻軍の斥候狩りをくり広げていた。


 例えば、同盟軍本隊の左側面、騎兵が陰に隠れる小さな森の中の、侵攻軍の陣に近い側。そこにはツノヒグマのアックスと鷹のヴェロニカを連れた名誉女爵ブランカが、護衛であるハーゼンヴェリア王国軍兵士の数人と共に身を潜めていた。

 木々の間を縫うようにゆっくりと旋回していたヴェロニカが、やがてブランカの腕に降り立つ。数秒の間ヴェロニカと目を合わせたブランカは、アックスと兵士たちに向けて口を開く。


「性懲りもなく、また斥候が来たらしい。今度は三人だ……アックスにやらせる。お前らは一応、周辺警戒を頼む」


 敵の斥候の接近をヴェロニカより聞いたブランカは、護衛たちにそう指示を出すと、斥候が迫っている方向を指差しながらアックスの横腹を撫でる。


「いいか、獲物はあっちから来る。人間が三匹だ。全部殺していい……ほら、行きな!」


「グオオウッ!」


 ブランカが横腹を叩いて送り出すと、アックスは弾かれたように駆け出す。

 おおよその方向を示されて走り、後は匂いを頼りに獲物のもとへ。しばらく突き進んだアックスは、獲物と遭遇したのか途中で急停止して暴れ出し、しかしその暴走もすぐに終わる。

 軽装であろう斥候が僅か三人で、ツノヒグマを相手に抵抗などできるはずもない。狩りを終えて主人のもとに戻ってきたアックスは、口元と前脚を血で濡らし、どこか物足りなさそうに鳴いた。


「ははは、ご苦労だったね……まったく、こんなでかい戦場じゃあ、あたしらは脇役だな」


 ブランカは苦笑しながら、相棒の頭をがしがしと力強く撫でてやった。

 ハーゼンヴェリア王国の切り札であるブランカとアックスは、数百人規模の戦場では戦況を変えるほどの力を発揮できるが、さすがに両軍が万に届く大戦ともなれば活躍の仕方は限られる。今回に限っては、こうして遊撃戦を担うのが最適解だった。


 同じとき。同盟軍本隊の右側面にある深い森の中では、元傭兵団長であるハーゼンヴェリア王国貴族ユルギス・ヴァインライヒ男爵が、自領から引き連れてきた元傭兵の家臣数人と共に斥候狩りを務めていた。


「……おっと、こっちに来たか」


 広い森の中を、同盟各国の小部隊と共に少ない人数で見張るために、ユルギスの隊は一人ずつが距離をとって森に潜んでいる。新たに接近してきた侵攻軍の斥候が進んできたのは、ちょうどユルギスが隠れている方向だった。

 なのでユルギスは、接近してくる斥候二人を一人で仕留めることにする。

 藪の陰に身を潜め、息を殺し、じっと待ち、そして――斥候たちがほんの数メートルの距離まで近づいた瞬間に、飛び出す。


「――っ!」


「なっ!?」


 一人目は驚きを声に表した瞬間、ユルギスの剣の一閃にあっけなく斬られた。咄嗟に頭を庇おうとした片腕が飛び、喉を切り裂かれ、倒れた。

 まだ死んでいないその斥候が、残る手で喉を押さえて血で溺れながらのたうち回っているのを横目に、ユルギスはもう一人の斥候に迫る。


「くそが!」


 その斥候は多少は腕に覚えがあるのか、最初の一撃を防いだ。ユルギスは焦るどころか、笑みを浮かべた。

 一歩引いて距離をとり――と思わせて、即座に踏み込んで突きを放つ。斥候は反応が一瞬遅れながらもその突きを躱し、しかし無理な動きでバランスを崩した。

 そこへ、ユルギスは姿勢を低くして蹴りを放つ。足をとられてあっけなく転んだ斥候に、蹴りの勢いのまま一回転しながら剣を振りかぶり、そして叩きつける。


「ま、待っ――」


 重く鋭い一撃は、斥候が命乞いしながら上げた手を縦に切り裂き、斥候の頭を叩き割った。

 その頃には、最初に斬った斥候も自身の血で溺れ死んでいた。


「……たわいもない」


 もう少し楽しみたかった。そう思いながら、ユルギスは剣を鞘に納める。


「それで結局、斥候どもは任務に失敗したのだな?」


 侵攻軍の本陣。自軍の陣形の完成を待ちながらルガシェが尋ねると、副官は申し訳なさそうな顔で頷いた。


「はっ。歩兵と弓兵、クロスボウ兵に関しては見えている通りで間違いないかと思われますが、右手前方の森の陰に身を隠している騎兵の数については、正確な数は分かっておりません」


 敵の執拗な偵察兵狩りは、戦闘開始前にこちらが送り込んだ斥候に対しても行われていた。

 この辺りは森がある以外は平原ばかりで、その平原に生える草も背が低いため、身を隠す場所もほとんどない。さらに、敵は森の中にまで小部隊を潜ませている。

 平原を進もうとした斥候は敵の使役魔法使いが操る鳥たちに見つかり、森を進もうとした斥候は敵の伏兵に見つかり、昨日から今日にかけて送り込んだ十を超える斥候の班は、その全てが未帰還となっていた。


「こちらの使役魔法使いたちの鳥にも偵察をさせましたが……所詮は鳥です。あの森の陰に騎兵がいることは確認できましたが、その数は『たくさん』としか報告できていないと」


「はははっ! それはそうだろう。鳥が数など数えられるわけがないからな」


 鳥に上空から全てを俯瞰させ、正確に意思疎通して報告を受け取れる使役魔法使いは、戦場の偵察において心強い人材。

 しかし、彼らの使役する鳥は敵陣のどの位置にどのような兵士がいるかを把握することはできても、正確な数は数えられない。鳥にとっては百も千も「たくさん」となる。


「まったく、まさか平原の会戦で、戦闘開始の直前に至るまで敵の騎兵の総数も分からない有様になるとはな」


 目に見えている小さな森の向こう。そこに同盟軍の騎兵部隊がいることは分かっているのに、その数が分からない。馬鹿らしい状況だとルガシェは思う。

 さらに斥候を送ろうにも、優秀な偵察兵はその多くが、今日までの偵察網維持の中で未帰還となっている。先のことを考えたら、残る全員をこの一戦の斥候として使い潰すわけにもいかない。

 だからといって、偵察に不慣れな兵士を集め、この上でさらに斥候として送っても成果は上がらないだろう。戦闘開始前の斥候で何百人もの損害を出すわけにもいかない。


「……後は、我々の予想がそう外れていないことを祈るしかないな。外れていたら、今度こそ兵士たちの信頼を完全に失ってしまう」


 敵騎兵の総数は見えないが、予想はされている。

 同盟軍の総兵力や、サレスタキア大陸西部の各国が保有する軍事力、敵陣後方から森の向こうへと運ばれる飼葉の量。そして、軍人としての勘。それらからルガシェたち司令部が導き出した予想では、敵の騎兵はおよそ千前後。

 その程度の数であれば、順当にいけば、こちらのクロスボウ兵と歩兵の精鋭で騎乗突撃を押し止め、その間にこちらの騎兵五百が側面攻撃を敢行し、十分に撃退できる。

 順当にいけば――こちらの兵が万全の心理状態で戦えるのならば、だが。

 今日までおよそ二週間にわたって行われた、こちらの士気と結束を砕きにくる同盟軍の作戦。それが決戦にどこまで影響するかは未知数。

 司令部が予想した敵騎兵の総数については、兵士たちにも周知されている。普通は末端の兵士にそこまで細かい情報は伝えられないが、兵士たちのルガシェに対する信頼が薄れている現状、自身の考えを明確に伝えて信頼を少しでも回復し、兵士たちに残る士気をできる限り維持するためにそうした。

 敵騎兵は千前後。なので、こちらの陣容で十分に迎え撃ち、撃退できる。ルガシェの言葉を、兵士たちがどこまで信じてくれているかは分からない。この上でもし大外しでもしていたら、今度こそ侵攻軍は瓦解するだろう。

 本土の戦いでは覚えなかった緊張を覚えながら、ルガシェは決戦に臨む。

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