第160話 見舞い

 決戦に向けて同盟軍がいよいよ出陣するという話は、野営地の負傷者用の天幕にいる騎士ルーカスのもとにも聞こえてきた。

 そして今日は、同盟軍本隊がこのブライストンを発つ日。にもかからわず、ルーカスは肩のあたりに包帯を巻かれ、簡易ベッドの上で横たわっている。


「……」


 クロスボウの矢による傷は筋肉や骨を傷つけており、あと数週間は剣を握れない。負傷してすぐに魔法薬を飲まされたため、出血は最低限で抑えられ、矢に塗られていた毒の影響もほとんど受けなかったが、いくら高価な魔法薬とはいえ一度飲んだだけでは、筋肉や骨の傷までを治すことはできない。

 そして、あくまで平民上がりの一騎士であり、後は寝ておけば完治するルーカスに、貴重な治癒魔法や魔法薬は使われない。そもそも最初に主君スレイン用の魔法薬を飲まされたことも、本来ならあり得ないほど厚い手当てだった。

 だから、歴史に残る規模の決戦に参加できないとしても、こればかりは仕方がない。ルーカスは自分にそう言い聞かせる。


「騎士ルーカス殿。お見舞いの方が参られました」


「……誰ですか?」


 医師の手伝いとして負傷者たちの世話をしているエーデルランド王国の助祭に言われ、ルーカスは起き上がりながら尋ねる。

 自分が所属する隊の長は、昨日のうちに中隊長と小隊長が揃って見舞いに来て、出陣の件もそのときに教えてくれた。歳の近い戦友たちは今朝方に見舞いに来た。大隊長のイェスタフ・ルーストレーム子爵や主君スレインは負傷直後に一度見舞いに来てくれて、彼らは身分的にそう何度も来るとは思えない。

 そもそも、時間的にはもう、ハーゼンヴェリア王国の部隊も出発していてもおかしくない。今このときに見舞いに来る者のあては、ルーカスにはなかった。


「女性の文官の方です。お通ししてよろしいですか?」


「……はい。大丈夫です」


 女性の文官。そう言われるとルーカスにも心当たりがある。

 助祭に答え、上着を羽織って少し待っていると、助祭に案内されてやって来たのは案の定、主君スレインの二代目の副官であるパウリーナ・ブロムダールだった。

 スレインの后となった初代副官モニカとは違い、やや冷たい印象を感じさせる彼女とは、ルーカスは仕事中に何度か事務的な言葉を交わしたことがあるのみだ。

 そのパウリーナの表情に、今は罪悪感や気まずさのような感情が見て取れた。そうして彼女が感情を表していることを、ルーカスは少し意外に思った。


「パウリーナ・ブロムダール様。負傷中の身であります故、このような格好にて失礼いたします」


 彼女が話しづらそうにしていたので、ルーカスはあえて自分から口を開き、一礼する。

 相手は主君の副官であり、歴とした貴族令嬢。なのでルーカスは、上半身は裸のまま包帯を巻いて上着を羽織っただけの格好だが、それでもできる限りの礼儀を示す。


「……いえ、そんな」


 気を遣われたことに気づいたらしいパウリーナは、やや申し訳なさそうな顔で微笑し、答えた。

 彼女が笑うところは初めて見たと、ルーカスは思った。

 助祭が椅子を運んできて、ルーカスのベッドの横に静かに置く。パウリーナは助祭に目礼し、椅子に腰かけると、ルーカスに向き直った。


「まずは、お礼を言わせてください。あなたには命を救っていただきました。本当にありがとうございます」


「いえ、自分は王国軍人として当然のことをしたまでです。どうか顔をお上げください」


 頭を下げてきたパウリーナに、ルーカスはそう答えた。それが本心だった。主君や貴族、民を守ることができたのであれば、軍人として、騎士として本望。たとえ死んでいても後悔はなかったと心から思っていた。


「本当はもっと早くお礼を伝えしたかったのですが、あなたがこの天幕にいる内は見舞いに行かなくていいとフォーゲル閣下やベーレンドルフ閣下が仰っていたので……結局、やはりお礼を言いたいと思い、迷惑かもしれないと思いながらも来てしまったのですが」


「……それはおそらく、私ではなくパウリーナ様に気を遣ってのことでしょう」


 少ししゅんとしながら語るパウリーナを見て、ルーカスは小さく苦笑した。

 野営地にある負傷者用の天幕など、医師や聖職者や軍人でもない女性が来る場所ではない。ここにいる男たちは大半が裸――手当や世話をしやすいからと、上半身どころか下半身まで脱がされている者もいる――で、惨い傷を負っている者もおり、血や汗、場合によっては排泄物の臭いが漂っていることもある。

 それに、身を挺して自分を庇った者が包帯を巻かれた痛々しい姿で横たわっているところなど、助けられた側は見ずに済むのならば見ない方がいい。罪悪感が増すだけだ。

 だからこそ将軍や近衛兵団長は見舞いを勧めなかったのだろうとルーカスが説明すると、パウリーナはほっとした表情になった。


「では、私が見舞いに来てはあなたに迷惑がかかるというわけではなかったのですね」


「ええ、そのようなことは決して。むしろ、私としては大変光栄に思います……が、大丈夫でしょうか? このような場所におられて」


 騎士身分のルーカスは天幕の奥、衝立で作られた半個室のようなスペースにおり、パウリーナは助祭の気遣いで裏口から入ってきたようなので、他の負傷者たちは目にしていないはず。

 それでも、やはりここは女性にとって快適な場所とは言い難い。今ここには何日も水浴びをしていない男たちの汗の臭いや、少し前の夜襲で負傷したばかりの者たちの血の臭いが漂っている。怪我による高熱でうなされている者の、苦しげな声も時おり聞こえる。


「ええ、平気です。この地を守るために戦って負傷した人たちのいる場所を、不快に思うはずがありません」


 パウリーナは即答した。それを聞いて、ルーカスは彼女に一層の好感を覚えた。


「それはよかったです。それにしても、自分の見舞いなどに来られてよろしいのですか? 今はお忙しいのでは?」


「同盟軍本隊は順次出発しており、ハーゼンヴェリア王国の部隊は既に発ちました。ですが、文官の私は戦場の最前線までは随行できませんので。陛下より留守中の指示を預かり、今日より数日はブライストンで待機です、さしたる仕事もありません」


「なるほど、そうでしたか」


 確か数年前のゴルトシュタット攻略のときなども、戦の勝敗が決するまで、文官の彼女は後方で待機していたと聞いている。それを思い出しながら、ルーカスは彼女の言葉に納得した。


「……傷の具合はいかがですか? まだ、包帯を巻かれているようですが」


「ああ、血は止まって傷も表面は塞がっているので、もう大したことはありません。包帯は傷が開かないよう押さえておくためのものです。痛みももう――」


 ルーカスが軽く上着をめくって肩口の包帯を示すと、パウリーナはそこに視線を向け、次いで視線を少し下に向け、顔を赤らめてそっと目を逸らした。


「――っと、失礼しました」


「いえ、あの、私こそ……」


 彼女は文官で貴族令嬢。男が上半身裸でいる姿など、身内のものでもそうそう見たことはないはず。大柄な上にいつも鍛えている自分の身体は見苦しいものではないはずだが、貴族の女性に見せびらかすべきものでもない。

 そう思いながらルーカスが詫びると、パウリーナはまるで初心な少女のような声で答える。


「とにかく、傷は大丈夫です。寝ているのも体力を温存して回復を早めるためで、もうしばらく剣を振れない以外は支障ありません」


「……やはり騎士であれば、大きな戦いの場に立ちたかったことでしょう。私のせいで、その機会を逃させてしまいましたね」


 気まずさを誤魔化すようにルーカスが言うと、「剣を振れない」という言葉を気にしたのか、パウリーナは言った。


「いえ、決してあなたのせいというわけではありません」


 まだ罪悪感を覚えられている。そう感じたルーカスは、努めて穏やかに、やや明るく聞こえるよう意識して言う。


「戦場で武勇を示すのも騎士の誉れですが、自分は何よりハーゼンヴェリア王国を、その王家を、そこに生きる人たちを守るために騎士になりました。だからこそ、あなたをお守りできたことを誇りに思います。あなたが無事で本当によかったです。心からそう思っています」


 少し緊張しながらも、ルーカスはパウリーナの目を見て語った。

 パウリーナは小さく目を見開いてルーカスの言葉を受け止めると、フッと笑った。


「では、これ以上後ろ向きなことを言うのは、あなたに対して失礼になってしまいますね……分かりました。それでは、ただあなたへの感謝を心に留めておきます」


 その感謝も忘れてしまって構わないのだが。そう思いながらも、ルーカスは微笑を返した。


「あまり長居をしても迷惑になるでしょう。そろそろ失礼しますね」


「……分かりました。ご足労いただき感謝いたします」


 ルーカスは気持ち姿勢を正し、軽く敬礼してパウリーナを見送る。彼女は一礼し、もう一度笑顔を見せると、天幕を去っていった。


「……」


 こうして個人的に話してみれば、ごく普通に人間味のある女性だった。

 そう思ったルーカスは、しかし貴族令嬢を相手にそのような印象を抱くのも失礼かと思い、努めて無心になりながら再びベッドに横になった。

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