第159話 工作完了

 砦を睨む森の中に、西サレスタキア同盟軍の部隊が潜んでいた。

 総勢は百人ほど。およそ二十人ずつの小部隊に分かれ、侵攻軍の穴だらけの偵察網を抜けて占領地の奥深くに侵入した彼らは、あらかじめ攻撃目標に定めてあったこの砦の付近で再び集結し、こうして砦を見据えていた。

 部隊の指揮官は、オルセン王国将軍ロアール・ノールヘイム侯爵。敵地に深く侵入して拠点のひとつを襲うという特殊な遊撃戦のため、盟主国の将軍であるロアールが直々に指揮をとっている。


「閣下。名誉女爵ミルシュカ殿が戻ります」


 傍らの士官に言われ、ロアールは後ろを振り向く。

 夜闇が広がる空の中から、森の木々が途切れてやや開けている空間に、ガレド鷲に乗ったミルシュカが降り立つ。


「二人殺してきました。敵は混乱しています。役目は十分に果たせたかと」


「ご苦労だった、奇襲はもういい。後は敵が砦から逃走しないよう、空から警戒しろ」


「了解」


 ミルシュカはロアールの命令に頷き、再び相棒のガレド鷲と共に飛び立つ。


「次の段階だ。攻撃魔法を放て」


 命令を受けて、同盟各国の援軍から選抜された十人弱の魔法使いたちが魔力集中を開始。火魔法と風魔法がそれぞれ一斉射される。

 予想外の魔法攻撃を受けた砦の兵士たちは、慌てふためいている様子だった。火球が何かに燃え移ったのか、砦の中から火の手が上がっているのが見える。


「……もういいだろう。突入に移る。ハーゼンヴェリアの名誉女爵、頼んだぞ」


「お任せを! アックス、あの門をぶち壊せ!」


 歯をむき出しにして攻撃的な笑みを浮かべながら、ブランカがツノヒグマのアックスに命じる。主人に横腹を叩かれたアックスは、主人が指差した砦の門に向かって駆け出す。

 砦と言っても、廃れた教会の石壁を土魔法で補強しただけのもの。敵と本格的にぶつかり合う想定はされておらず、古びた木製の門は動物や小さな魔物の侵入を防ぐ程度の防御力しかない。体長三メートルを超える巨体に、分厚い筋肉と毛皮を纏ったアックスの突進には耐えられない。


「グオアアアアアッ!」


 敵は魔法攻撃による混乱から未だ立ち直っておらず、夜闇の中から迫ってきたアックスに対してまともな反撃はできなかった。アックスはその巨体で門を破壊し、砦の中に飛び込む。


「よし、突撃」


 門の破壊を確認したロアールに率いられ、精鋭の歩兵五十人ほどが突撃する。アックスの主人であるブランカもそれに続く。

 ロアールたちが突入した砦の中は、早くも地獄絵図と化していた。防壁の足場を降りて補給物資の消火にあたっていたらしい数人の敵兵が既にアックスに惨殺されており、足場の上にいる敵兵たちも、木材を組んだだけの脆い足場を叩き壊されながら地面に落ち、一人また一人と叩き潰され、あるいは引き裂かれていく。

 散発的に飛ぶ弓やクロスボウの矢は、暴れ狂うアックスにろくに命中もしていない。


「よくやった相棒、そこまでだ!」


 ブランカが笛を吹くと、それを合図にアックスは暴れるのを止め、主人のもとに戻る。

 そこからはロアール率いる同盟軍兵士たちの出番だった。兵士たちは足場から落ちている敵兵に斬りかかり、あるいは未だ足場の上にいる敵兵に槍の刺突や弓の一撃を見舞い、敵側の死傷者を増やしていく。

 砦の門を突破されてもはや勝ち目がない上に、魔法や魔物による襲撃を立て続けに受けた侵攻軍兵士たちは、既に士気が地に落ちていた。武器を放り捨てて泣きじゃくる者もいれば、逃げ出すためか砦の裏門に向かって駆け出す者もいる。

 と、逃げ出そうとした敵兵が上空から飛来したミルシュカのガレド鷲に捕まれて闇空の中に消え、数瞬後に叫びながら落ちてくる。真っすぐに落下してきたその敵兵は、砦の物見台の柵に激突して回転しながら地面に叩きつけられ、沈黙する。


「こ、降伏だ! 降伏する!」


「要らぬ」


 剣を手放し、両手を上げながら言った騎士身分らしき敵を、ロアールは容赦なく切り捨てた。

 一人残らず仕留めるのであれば、降伏を受け入れずとも問題ない。同盟軍の作戦もこの段階に至っては捕虜など必要としていない。

 大陸西部に侵攻し、敬愛する主君の手を煩わせた敵に、仁義は不要。ロアールは心の底からそう考えている。少なくとも自分の裁量の範囲では、敵に一切の情けをかけるつもりはなかった。


「将軍閣下。敵を殲滅しました。こちらは負傷者が三人出たのみです」


「閣下。砦から逃れた敵はいません」


 歩兵をまとめる士官と、空から舞い戻ったミルシュカがそれぞれ報告する。報告を受けてロアールは頷く。


「閣下、死体や砦に火を放ちますか?」


「いや、全てそのままにしておけ。敵が衝撃を受けるよう、襲撃の爪痕を残すのが今回の目的だからな……これより急ぎ撤退する」


 ロアールの命令で、奇襲部隊は足早に砦を去る。

 百人ほどの部隊は、再び二十人ほどの小部隊に分かれ、夜闇と森の陰に隠れながら同盟軍の拠点ブライストンへと帰還する。


・・・・・・・


 占領地の最前線より半日も後方。そこに位置する砦が夜間のうちに同盟軍の奇襲を受け、駐留部隊が壊滅した。

 その報せを受けたルガシェは、この目で被害を確認するために現地に向かった。


「――駐留していた五十人隊は全員が戦死していました。夜襲の詳しい状況や敵部隊の陣容は定かではありませんが、死体の損壊や砦の損傷の具合を見るに、魔法使いが多くいたようです。ガレド鷲という魔物に上空から落とされたと思しき死体や、例のツノヒグマという魔物に引き裂かれたと思しき死体も複数あります」


 砦の惨状を見て、部下の報告を受け、ルガシェは険しい表情を浮かべる。


「魔法使いが多くいたのならば、この程度の砦は小部隊でも落とせただろうが……少人数とはいえ、これほど奥深くまで侵入できたか。偵察網の弱まりを嫌でも実感させられるな」


 形ばかりと思われた西サレスタキア同盟は、こちらと互角に渡り合える大軍を揃えてみせた。

 その上で、同盟はいきなり決戦に臨むでもなく、こちらの偵察網を破壊し、こちらの兵の士気をひたすらに下げてくる。

 敵の偵察兵狩りに反撃しようにも、こちらはとにかく土地勘がない。現地民の捕虜でもいれば道案内をさせられるが、敵が民の避難を優先していたせいで、占領地と敵領土の境界線あたりを地元とする民はまったくと言っていいほど捕らえられていない。

 遠隔地への海を越えた侵攻はそれなりの困難が予想されていたとはいえ、ここまで上手くいかないとは。現状の厳しさを、ルガシェは思い知らざるを得なかった。


「……俺たちは一体、どれだけ恐ろしい連中と戦ってるんだ」


「いくらなんでもまずいだろう、この状況」


「ああ。敵はやりたい放題だ。本当にこれで冬明けまで耐えられるのか?」


 砦の片づけのために連れてきた兵士たちが、そのような会話を交わしているのが、ルガシェたちの耳に届いた。


「こんなザマじゃあ、偵察網なんてないも同然だ」


「なあ、ここにある死体、半分くらいは傭兵じゃないか?」


「傭兵だから孤立させて見捨てたってことか? 将軍のあの噂はやっぱり……」


 副官が目を細め、剣に手をかけながら兵士たちの方へ歩み寄ろうとする。ルガシェはその肩を掴み、引きとめる。


「よせ、止めておけ」


「ですが……」


「ここで兵たちを罰したところで、余計に士気が下がって状況が悪くなるだけだ。今はどうしようもあるまい」


 副官はさらに何か言おうとして、しかしルガシェが正しいと考えたのか、口を閉じる。


「……それに、兵士たちの噂も一部は正しい。敵は恐ろしい連中だ。それは間違いない」


 こみ上げる焦りを誤魔化すように、ルガシェは硬い笑みを浮かべた。

 この一件がまた噂として広まり、さらに兵士たちの士気が下がり、ルガシェたち司令部への信頼が失われた数日後。

 侵攻軍にとって最悪と言うべきこのタイミングで、同盟軍が決戦に向けて動き出したという報せが届けられた。


・・・・・・・


「侵攻軍の占領地に忍ばせた我が国の間諜たちから、こちらの狙い通りの噂が敵兵の間に広まっているという報告が入った」


 ブライストンの王城の会議室。同盟軍の総大将を務めるクラーク・エーデルランド国王が、同盟各国の将を前にそう切り出す。


「それによると、敵兵は我ら同盟軍の将を過剰なまでに恐れ、特に捕虜処刑の話を聞いた傭兵たちの恐怖は相当なものだという。我らの中でもとりわけ、ヒューブレヒト王の……悪評は轟いているらしい。敵の捕虜と死体を返したときの言動が効いたようだな」


 その話を聞いたヒューブレヒト王ドグラスが、下品な笑みを浮かべる。


「その際の傭兵の串刺し死体を使った語り口もあり、敵将ダフヴィ侯爵への兵からの不信感も高まっているそうだ。加えて、高貴な身分であるヒューブレヒト王が自ら、堂々と敵の占領地に入り込んでみせたことで、侵攻軍兵士たちは自軍の偵察網への信頼も失っていると。敵兵の話題は、そうした後ろ向きな話ばかりだそうだ。数日前のノールヘイム侯爵たちの夜襲もあったので、今はさらに悪い状況だろうな」


 寡黙なクラークにしては珍しく長い語りが終わると、ガブリエラが微苦笑を浮かべた。


「聞いていて気の毒になる有様だな……ここまでの成果が挙がっているのも、ヒューブレヒト王が危険を承知で敵の占領地に入り込み、悪役を演じてくれたことが大きいか」


「ふんっ、悪役か。演じたのではなく、素で喋っただけではないのか?」


 オスヴァルドが呟いた軽口で、その場に笑いが起こる。


「くはははっ! どうせ俺は元より嫌われ者だ。この上で侵略者なぞからどう思われようが知ったことではないな。敵に恐れられて何よりだ!」


 軽口を叩かれたドグラス自身も、楽しそうに笑い声を上げる。


「……どうだろうか、ハーゼンヴェリア王。貴殿の発案した工作の成果は十分だと思うが」


 クラークに呼ばれ、スレインは穏やかな笑みを浮かべながら頷く。


「ええ、これだけ敵の心理を乱し、士気を落とせば十分すぎるくらいでしょう。諸卿、お待たせしました。決戦に移って問題ないと思います」


 それを聞いた将たちは、好戦的な、あるいは少し緊張した顔を見せた。


「ようやく本物の戦か」


「じ、実戦……本当に戦争の場に……」


 オスヴァルドが不敵に笑う一方で、これが本格的な初陣となるファツィオは硬い表情になりなががら呟く。

 決戦に向けた高揚を共有する将たちを横目に見ながら、一観戦者であるセレスティーヌがつまらなさそうに部屋の隅に立っている。


「ハーゼンヴェリア王」


 室内が少しばかりざわめく中で、スレインの隣に歩み寄ってきたのはマクシミリアンだった。


「ここまでの戦い、興味深く見物させてもらった。貴殿の奇策、他者が食らっているのを見ている限りは痛快なものだな。自分が食らうのは御免だが」


「褒めてもらえて嬉しく思います、皇太子殿」


 スレインが笑いかけると、マクシミリアンは無表情でスレインを見返し、やがて微かに笑みを零した。


「この調子なら、決戦も見ごたえがありそうだ。良い戦を見せてくれ」


「もちろんです。西サレスタキア同盟の勇姿、しっかりと見届けてください」


 二人が言葉を交わしたそのとき、クラークが咳払いで皆の注目を集める。


「それでは諸卿。決戦に臨もう。西サレスタキア同盟が、大陸西部の平和を独力で守れると証明するための決戦に」


 静かな口調に決意を込めたクラークのその言葉で、軍議は締められた。



★★★★★★★


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