第158話 士気崩壊

 ドグラス率いる同盟軍部隊によって届けられた侵攻軍の捕虜と死体は、輸送隊を率いていた士官の判断によって、即座に司令部のあるペイルトンまで届けられた。

 虚ろな表情の捕虜たちと、凄惨な死体の山、そして串刺しにされた傭兵たちの死体。それらはペイルトンに到着した時点で、それを見た侵攻軍兵士たちに絶大な衝撃を与えた。

 生還を果たした捕虜たちと、彼らを連れ帰った輸送隊の兵士たち。その周囲には仲間の兵士たちが集まり、一体何があったのか尋ねる。それに対して彼らは、敵から聞いた情報や、自身が目にした物事、さらには個人的な憶測を混ぜ合わせながら語る。

 敵である西サレスタキア同盟軍は、侵攻軍の偵察網を完全に把握している。逆に侵攻軍の側は、敵の詳細な動きをまったく把握できていない。

 自国領土だからこそ庭のように動き回れるエーデルランド王国軍人を擁する同盟軍は、こちらの偵察網の隙間を縫って好きなように行動している。だからこそ、こちらの偵察兵の各班は一方的に補足され、狩られている。

 敵の諸王の中でも、ヒューブレヒト王は特に残虐で恐ろしい。彼はこれほど凄惨な死体をこちらの前に突きつけながら、あろうことか楽しげに高笑いをしていた。緒戦の会戦で異様に攻撃的な言動を見せていたことを考えても、あの王は殊更に危険な相手だと思われる。あの王が率いる部隊に捕まれば、何をされるか分からない。

 西サレスタキア同盟の将たちは、侵攻軍の中でも傭兵を殊更に憎んでいるようで、彼らは捕虜の傭兵を全て公開処刑してしまった。おそらく敵に捕らえられた傭兵は、今後も問答無用で処刑されるだろう。

 彼らが傭兵を目の敵にしている理由だが、どうやら侵攻軍の将軍ルガシェ・ダフヴィ侯爵が、何人かの傭兵に決死の暗殺任務を命じて敵の拠点ブライストンに送り込んだことが原因。君主の一人を暗殺されかけたことが敵将たちの憎悪の引き金となったらしい。

 暗殺に失敗して捕らえられた傭兵たちは、串刺しという極めて残虐な方法で殺されてしまった。彼らに比べれば、喉を切り裂かれて殺された捕虜たちはましな方だろう。

 また、ダフヴィ侯爵は暗殺が失敗したと知ると、実行犯の傭兵たちを切り捨て、彼らが串刺しにされるのを看過したらしい。国王にも近しい大貴族である彼にとって、傭兵など使い捨ての道具同然ということなのだろう。

 こうした一連の話は侵攻軍の兵士たちにショックを与え、噂は尾ひれを纏いながらペイルトンの中に瞬く間に広がった。

 そして、ペイルトンと占領地各地を行き来する輸送隊や伝令の兵士によって、侵攻軍全体にも僅か数日で浸透した。遠い異国の地で単調な任務に明け暮れ、偵察兵失踪の噂に不安を覚え、新たな情報に飢えていた侵攻軍兵士たちは、まるで毒入りの料理のようなこれらの情報を貪った。


・・・・・・・


 そうして、また幾日かが経過した。


「――最も深刻な問題は、やはり偵察兵たちの著しい士気低下かと。任務への従事を拒否した偵察兵を三人ほど見せしめに公開処刑したこともあり、最低限の偵察は続けられていますが、とても十分とは言えません。偵察の質も期待できません。おそらく命令通りの偵察をこなしていない班も多いでしょう」


「ということは、敵が間近まで進軍してきても、我々には分からないということか?」


 指令室で副官の報告を聞きながら、ルガシェは渋い表情になる。


「軍属の使役魔法使いたちが操る鳥によって、最低限の監視はできていますが……それでも限界はあります。絶対数が足りないために広範囲を常時見張ることは叶わず、少数の敵に森の中などを通られたら発見は困難です。事前に察知できるのは、敵が大軍で動いている場合だけでしょう」


「同盟軍の連中が総力をもって決戦に臨んできた場合は、さすがに予兆を掴めるというわけか。異国の戦場で贅沢を言っても仕方あるまい。今はそれで良しとしよう」


 腕を組んでため息を吐き、ルガシェは言った。場合によっては、占領地を一部放棄して狭めることも本気で検討しなければならないと考えながら。


「その他の兵士たちの様子はどうだ?」


「……そちらもやはり、深刻です。本国に帰りたがる声が多く出ています。徴集兵や傭兵はもちろん、正規軍人たちからもです。ただでさえ遠い異国の地で長期間を過ごすことに心理的な負担を抱えていたところ、あの死体の山や傭兵たちの串刺し死体を見て、捕虜やそれを連れ帰った兵士たちの話を聞いたことが悪く影響しました。同盟軍との戦争を嫌がり、故郷に焦がれる者が日に日に増えています」


「そうか……あまり大きな声では言えないが、これなら捕虜も死体も返ってこない方がまだましだったな」


 ヒューブレヒト王と接触したという輸送隊の士官から報告を聞いた後、このような悪影響が出ることを懸念したルガシェは、死体を隠して捕虜たちを隔離し、輸送隊の兵士たちも他の兵士と接触しない裏方の仕事に回すよう命じた。

 しかし、その時には既に手遅れだった。噂の伝播は止まらず、兵士たちはショックを受け、敵である同盟軍に恐怖していた。

 ルガシェはこの件について話題に出すことを禁じる命令を下したが、そんなものを兵士たちが律義に守るわけもなく、軍全体を監視できるわけもなく、噂は盛大な尾ひれをつけながら今も回り続けている。


「ご命令をいただければ、兵士たちが命令を守るようさらに厳しく取り締まります。何なら、偵察兵たちのときのように、噂を語った兵士たちを何人か見せしめとしても――」


「いや、それは止めておこう」


 ルガシェは難しい表情を作りながら、副官の提言を却下する。


「噂話を禁じる命令を下したことで、ダフヴィ将軍は兵士たちに何か都合の悪いことを隠そうとしている……などと話す者も出ているのだ。この状況でそこまでの強硬策をとれば、私への不信感がさらに高まるだけだろう。広まりきった噂を今さら消すこともできない以上、火に油を注ぐのは避けたい」


 広まった噂の中には間違いも多く含まれるが、それを打ち消すのは極めて困難だった。

 例えば、暗殺任務に従事した傭兵たちの串刺しを、ルガシェが看過したという噂。

 完全なデマではあるが、それを否定する証拠をルガシェは兵士たちに提示できない。捨て駒に近い扱いの傭兵を投入して暗殺作戦を敢行したことは事実であるため「決死の暗殺任務を命じたのは事実だが、従事した傭兵たちを端から見捨るつもりだったわけではない」などと中途半端な説明をしても説得力は薄い。

 他にも、ひどく傷つけられた死体の件。

 おそらく魔法や魔物、騎乗突撃などによって殺された者が多かったために凄惨な死体が目立ち、おまけにそうした死体がことさら目につくよう積み上げられていたのだろうが、あれを一度目にした兵士たちに後からそのように説明したところで不安解消の効果は薄い。

 兵士たちは「同盟軍と戦ったら自分もきっとあのような残酷な殺され方をする」と想像してしまい、それも士気低下に大きく影響している。

 こうなると、兵士たちは各々の感情に任せて、各々の信じたい話を信じてしまう。同盟軍を化け物の如く恐れ、自軍の将への不信感を募らせていく兵士たちに対し、しかしルガシェはろくな対処ができない。


「まったく、敵がこんな手を使ってくるとは予想外だったな」


「はい。卑劣な輩です」


「ははは、お互い様かもしれんがな」


 ルガシェは暗殺という手で敵の士気を下げようとしたが、どうやら敵の方にはこの手の策に関して一枚も二枚も上手な将がいた。

 ただでさえ、異国の地を攻める侵略戦争は、故国の土地を守る防衛戦争と比べて士気の維持が難しい。故国から遠く離れた大陸での戦いともなれば尚更に。

 場合によっては勝てないかもしれない、とルガシェは考える。決して口に出しては言わないが。


・・・・・・・


 侵攻軍兵士たちの間に広まった噂は、まるで身体を巡る血のように軍内をぐるぐると回り、一周ごとに尾ひれを大きくしていた。

 ひどく損壊した死体の話と、ヒューブレヒト王の恐ろしさを語る話がいつの間にか混ざり合い、ヒューブレヒト王が敵を虐殺する悪鬼のような猛将だという噂が生まれた。

 同盟の君主たちが侵攻軍の傭兵を憎悪しているという話は大幅に誇張された。ペイルトンに返ってきた死体を直接見ていない兵士たちの中には、傭兵の捕虜は全て、生きながら尻から口までを串刺しにされたのだと勘違いする者もいた。

 そこに、傭兵の処刑を目の当たりにした捕虜たちの体験談が妙な混ざり方をしたために、串刺しの様子を同盟軍の兵士たちが大喜びで見物していたかのごとく語られた。

 偵察網の穴がどんどん広がっている話もやはり誇張され、占領地の最前線では日々同盟軍の襲撃を受け、戦線をどんどん押し戻されているが、ルガシェ・ダフヴィ将軍はその事実を隠している……などという噂も広まっていた。


「なあ、それじゃあよ、ここも安全じゃないんじゃないか?」


 要塞化された港湾都市ペイルトンと、最前線の中間あたり。廃墟となっていた教会を補強して築かれた、監視や補給の拠点である小さな砦。その防壁の足場に立って夜警につく侵攻軍の兵士が呟くと、隣に立つ兵士が怪訝な顔をした。


「まさか。ここは最前線から歩いて半日も後ろにある拠点だぞ? こんなところまで敵が入り込んでくるわけないだろう?」


 そこで、別の兵士が近寄ってきて、会話に参加する。


「いや、分からねえぞ。何せ敵の王様の一人が、占領地の中に堂々と入ってこれるような有様なんだ。それに最前線はどこまで押し戻されてるか分かったもんじゃねえ。いつどこに敵の大部隊が出てきたっておかしくねえ」


 その言葉に、最初に懸念を呟いた兵士も頷く。


「やっぱりそうだよな。将軍たちは最前線が攻撃されてなんかいないって言ってるらしいけどよ、信用できねえよ」


「いや、お前らいくらなんでも……ダフヴィ将軍は本土の戦争でも活躍して、小国を二つも占領した名将だぞ? そう簡単に最前線を下げるわけがないだろう」


「どうかな。見捨てられた傭兵の話もあったし、ダフヴィ将軍はどうやら、兵士を雑に使い潰す類の指揮官らしいじゃねえか。昔からよ、卑劣な指揮官は無能な指揮官って言うだろ。本土での戦功も、ただ運がよかっただけじゃねえのか?」


「馬鹿、言いすぎだ! 隊長に聞かれたらどうする。下手したら懲罰ものだぞ」


 兵士たちが物騒な雑談に興じていた、そのとき。


「うわっ!」


 三人のうち右端に立っていた兵士が声を上げた。その瞬間、何やら突風が吹いた。後の二人がそちらを振り向くと、兵士の姿は消えており、防壁上には彼の持っていた槍だけが転がっていた。


「お、おい……どうして消えた?」


「何だよ、どこ行っちまったんだよ!」


 仲間が急に消えたことで恐怖と不安を覚えながら、二人の兵士は辺りをきょろきょろと見回す。すると、


「…………ぁぁぁぁああああっ!」


 夜闇に包まれた上空から絶叫が降ってきた。それに僅かに遅れて、何か大きなものが落下し、防壁の足場の淵に一度叩きつけられた後に砦の中の地面に落ちた。

 二人の兵士が見ると、それは先ほど消えた兵士だった。足場の淵に叩きつけられた際に首がへし折れ、絶命していた。


「おいお前たち! 今の叫び声はなんだ! 何があった!」


 足場の上で青ざめて固まる二人の兵士に、兵舎から飛び出してきた士官が大声で問いかける。


「た、隊長……」


「今、こいつが急に消えて、それで」


「もっと大きい声で、分かるように話せ! 一体何が――」


 次の瞬間。空の闇の中から巨大な何かが飛来し、士官を掴んで連れ去る。


「うわああああぁぁぁ…………」


 闇の中に攫われていった士官は、しばらくするとやはり空から降ってきて、地面に叩きつけられる。幸か不幸か死ななかったようで、手足が不自然な方向にねじ曲がって血にまみれながらも、まだぴくぴくと動いている。


「て、敵襲だ! 空に何かいるぞ!」


「全員起きろ! 隊長がやられた! 敵襲! 敵襲ぅー!」


 夜警に立っていた兵士たちが叫ぶと、他の兵士たちも異常な事態に気づいて口々に敵襲を叫びながら戦闘態勢に入る。砦を守る五十人ほどの兵士が、弓やクロスボウ、槍を持って防壁の足場に立ち、敵襲に備える。砦の外を、そして巨大な何かが襲ってきた空の闇を見張る。


「おい、あの光は何だ!? 魔法じゃないよな!?」


 兵士の一人が砦の外、門の正面側を指差す。他の兵士たちも確認すると、そこには赤い光が次々に瞬いていた。

 そして、光の瞬きの中から生まれた赤い炎の塊が、高速で飛来する。


「……火魔法だ! 魔法攻撃が来――」


 火球は二発が防壁に当たって弾け、一発が砦の中、何もない地面に落ちる。一発が砦の中の一角に積んであった補給物資に落ち、燃え上がらせる。残る一発が、運の悪い兵士のちょうど上半身に直撃し、その兵士は火だるまになる。


「うわあああっ!」


「落ち着け! 魔法だけじゃ砦は壊れ――」


「次が来るぞっ!」


 古参兵が他の兵士たちを落ち着かせようと叫んだ直後、今度は緑の光が瞬き、風魔法の攻撃が砦に襲いかかる。


「ぎゃあああっ!」


「ごぶっ!」


 空気を押し固めたような突風の塊が、数人の兵士を防壁の足場から落とす。鋭い空気の刃が防壁上を薙ぎ払い、二人の兵士がずたずたに切り裂かれて血を吐きながら倒れる。


「くそ! なんでこんな占領地の奥深くで襲撃されるんだ!」


「偵察兵は何してやがる!」


「敵はどうして魔法使いだらけなんだよ!」


「落ち着け! お前ら落ち着くんだ!」


 予想外の襲撃を前に、砦の中は混乱に包まれる。

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