第157話 ドグラス・ヒューブレヒトの愉悦

 偵察班が次々に消息不明となる状況は変わることなく、ケライシュ王国による侵攻軍の士気は低下し続けていた。

 最も士気が落ちているのは、やはり、仲間の失踪が日常となってしまった偵察兵たち。

 戦後の褒賞の増加を約束されたものの、それだけではもはや士気を維持できない彼らは、任務を拒否すれば命令不服従で公開処刑されてしまうから……という理由だけを今は持ちながら、嫌々偵察をこなしていた。

 それに比べるとまだましなのが、占領地内を移動し、各地の部隊に物資を届ける輸送隊。偵察兵と比べれば安全な任務についている彼らは、それなりの不安を抱えながらも、日々の任務を粛々とこなしていた。


「でも、偵察班がこれだけ次々に消えて大丈夫なんですかね?」


 占領地最前線の偵察拠点に食料を届けるため、森に囲まれた細い街道を進んでいた小規模な輸送隊。その先頭を騎乗して進む士官に、傍らを歩く兵士が尋ねる。


「何がだ? 兵力の話か? 次々に消えていると言っても、まだ百人かそこらだろう。一万を優に超える侵攻軍全体にとっては致命的な損害ってわけじゃあない」


「いや、そっちは俺もそう思うんですけど、まずいのは偵察網じゃないですか? これだけ偵察班が消えて、後から生きて帰ってきた奴もいないのなら、どいつもこいつも逃げる間もなく殺されたか捕まったってことじゃないですか。ってことは、敵はこっちの偵察網をかなり正確に把握してるってことでしょう?」


「……確かに、そうなるな」


 なかなか賢い部下の言葉に、中年の士官は頷く。


「偵察網を把握できてるってことは、その隙を縫って動くこともできるってことです。こっちの占領地の奥に入り込むことだってできるはずです。ここも案外、安全じゃないかもしれませんよ」


「おいおい、怖いこと言うなよ」


「でも事実ですよ。これだけ偵察兵を失ったら、ただでさえ敵に知られてる偵察網はがたがたの穴だらけのはずです。こっちが把握できないのをいいことに、敵は動きたい放題――」


「待て」


 ぺらぺらと話し続ける部下を、士官は抑えた声で黙らせた。


「全隊停止。正面を……いや、全方位を警戒しろ」


 ただならぬ様子で物騒な指示を出す士官に、輸送隊の兵士たち十数人は緊張しながらも従う。先ほどまで喋っていた兵士も、表情を引き締めて槍を構えながら前を見据える。

 間もなく、正面から街道を堂々と進んできたのは――騎兵の集団だった。


「なっ!? そんな馬鹿な!」


「て、敵か?」


「いや、でも、あんなに大勢、堂々と……」


 数台の馬車を従え、旗まで掲げながら接近してきた数十騎の騎兵。武装の作りや旗に記された紋章を見ても明らかに味方ではない大兵力を前に、輸送隊の面々は愕然とする。


「た、隊長! 後方にも敵らしき騎兵が!」


「側面の森の中にも、何かいます……」


 兵士たちが口々に報告し、士官は顔を青くしながら剣を抜いた。


「く、くそ。いいかお前たち。荷は捨てて、俺の合図で一斉に後方から突破を――」


「待たれよ! こちらに戦闘の意思はない!」


 士官が命令を下そうとすると、正面から来る騎兵の一人が剣を抜くことなく先行しながらそう言った。


「我々は西サレスタキア同盟軍である! 貴国の捕虜と、兵士の死体の返還に来た! 戦闘を目的とはしていない! 武器を収められよ!」


 身なりからして騎士身分と思われる騎兵は、声を張りながら後ろの旗を手で示す。


「あの王家の旗を見よ! こちら側の指揮官は、ドグラス・ヒューブレヒト国王陛下である!」


・・・・・・・

 

 敵側の一国の王が自ら指揮をとり、捕虜と死体の返還に来た。そう言われては、輸送隊を率いる士官も言われた通り、武器を収めるしかなかった。


「くふふっ。怖がらせたか? すまなかったなぁ。だが大陸西部にずかずかと入り、荒らしまわっているのはお前たちだ。占領地で敵と出くわして肝を冷やす程度は我慢しろ」


 敵国とはいえ高貴な身分の人間を前に、下馬して一礼する士官に対し、ヒューブレヒト王国の国王は騎乗したまま言葉をかける。


「……」


「怖くて声も出ないか? 無様なものよ……まあいい。我々にとってここは安全でないからな。早いところ用件を済ませて帰るとしよう。おい、連れてこい」


 ヒューブレヒト王が命じると、同盟軍の兵士たちが馬車から降ろした捕虜を連れてくる。

 武器や鎧の類は外されているが、雰囲気からして確かにケライシュ王国人らしき捕虜たちが、手を縄で数珠繋ぎにされた状態で士官の前に並ぶ。彼らは虐待を受けた様子こそないものの、ひどく憔悴しているようだった。


「こちらの偵察兵狩りで、生きたまま捕らえた兵士どもの生き残りだ。全部で三十五人いる。今は雑兵の捕虜など不要である故、お前たちが自陣に連れて帰れ」


「……はっ。感謝いたします」


 未だ戦争中であるのに、せっかく捕らえた偵察兵の捕虜をどうして健在のまま返すのか。そう疑問を抱きながらも、士官はひとまず答える。


「それと死体だ。お前たちの信仰する宗教では、死体は火葬しないのだろう? だから焼かずにとっておいてやった。馬車ごとくれてやるから持って帰れ」


 ヒューブレヒト王が言う横で、隊列の後方にいた馬車が、前に進み出てくる。


「うっ!」


 馬車が近づいてくると、濃い血の臭いが士官と兵士たちの鼻を突いた。


「ほら、お前たちの仲間の死体だ。大切に持って帰り、しっかり弔ってやるといい」


 下卑た笑みを浮かべるヒューブレヒト王の前で、馬車の荷台を見た士官は言葉を失った。

 死体はどれも正視に堪えないほど損壊していた。血に濡れていないところを探す方が難しく、どこからどこまでが誰の身体なのか見分けることもできなかった。

 切断された頭や手足。力ずくで引き裂かれたような半身。破れた腹から溢れ出した臓腑。むき出しの骨。火魔法でも食らったのか、服が焼けついてしまった肌。

 そして、断末魔の叫びを上げたまま固まったような顔。鼻や耳や眼球が欠損した顔。裂けた顎から、舌がでろりとはみ出している顔。


「ひいっ!」


「う、嘘だろ」


「酷い。本当にこんな……」


 凄惨を極めた死体を目の当たりにした兵士たちが、悲鳴を上げたり泣いたり呆然としたりと、それぞれ衝撃を受けて反応する。地面に手をついて胃の中のものを吐いてしまう者もいた。


「ははははっ! 戦を知らぬ子供でもあるまいに、何をきいきい喚いている! 仲間の死体が帰ってきただけでもありがたく思え!」


 蠅のたかる死体の山を前にしながら高笑いするヒューブレヒト王を、輸送隊の面々はぎょっとした表情で振り返る。


「それとも何か? 捕虜と死体を返してやったこの私に、何か文句があるのか? ……お前たちもこの死者どもと同じ姿になって、死体の山の中に加わりたいか?」


「…………っ。いえ、文句などあろうはずもなく」


 目の前のヒューブレヒト王に対して怒りを覚えながらも、士官は感情を殺して答えた。部下たちを守らなければならないという義務感から。そして、怒りにも勝る恐怖から。


「よぉし、それでいい。では、捕虜どもと死体を……ああ、あとひとつ忘れていた。侵攻軍の将への土産だ」


 持ってこい、とヒューブレヒト王が命じると、後方からまた馬車が一台、進み出てくる。


「うわあああっ!」


「くそ! 何ということを!」


 馬車の屋根なしの荷台から飛び出しているものを見て、兵士たちのざわめきが一層大きくなる。

 荷台に積まれていたのは、木の杭で串刺しにされた死体だった。尻から口までを真っすぐに貫かれた死体が六体、荷台に立てられていた。


「こいつらは我ら西サレスタキア同盟の君主の一人、ハーゼンヴェリア王を暗殺しようとした卑怯な傭兵どもだ! 貴国の将は使い捨ての傭兵の命などどうでもいいと抜かしおったからなぁ! 考え得る最も残酷な方法で殺してやったというわけだ! 決死の任務を命じられ、雇い主に見捨てられた哀れな卑怯者どもの死体だ! 必ずや貴国の将のもとまで届けろ!」


 実際は、暗殺に失敗した傭兵たちは暴力を伴わない尋問を受けた上、できるだけ苦しまない方法で処刑された。串刺しにされたのは死んだ後のことだった。

 山積みにされた凄惨な死体も、あえて残虐に殺されたわけではない。ツノヒグマのアックスに引き裂かれた者や、騎兵の馬に踏みつぶされた者、剣で切り裂かれた者、魔法を食らった者など、損壊の激しい死体が目立つ位置に積み重ねられているだけだった。

 しかし、そんなことは輸送隊の面々には分からない。隊長の士官も、兵士たちも、今はただ目の前にある凄惨な光景に戦慄する。


「くははははは! 一人前の兵士がぎゃあぎゃあと泣き喚いて、情けないなぁ! このまましばらくお前たちの泣き声を聞いていたいものだが……先に言ったように、ここは我々にとって敵地のど真ん中。あまり長居はできない。用件は済んだので、今日のところは退散するとしよう」


 ヒューブレヒト王が命じると、同盟軍の兵士たちは一斉に動く。歩兵は捕虜を降ろして荷台の空いた馬車に乗り込み、その馬車を騎兵が囲む。


「それじゃあな、侵略者ども! また何か用があれば、お前たちの穴だらけの偵察網を抜けて参上するから待っていろ! 戦場で出会ったら、心ゆくまで殺しつくしてやるから覚悟しておけ!」


 高らかに宣言しながら、ヒューブレヒト王は兵士たちを引き連れて帰っていった。

 捕虜と仲間の死体とともに残された輸送隊の面々は、立ち尽くしてそれを見送るしかなかった。

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