第155話 偵察兵狩り

「――ハーゼンヴェリア王暗殺のための部隊は、今も消息を経ったままです。ハーゼンヴェリア王が依然健在だという話も聞こえています」


 要塞化された港湾都市ペイルトンに置かれた、ケライシュ王国による侵攻軍の司令部。その一室で、侵攻軍の将軍であるルガシェ・ダフヴィ侯爵は士官より報告を受ける。


「閣下、これはもはや……」


「ふむ、暗殺は失敗し、部隊は捕らえられたと考えるべきか」


 傍らの副官に言われ、ルガシェは頷いた。その顔に落胆の色はなかった。


「報告ご苦労だった。下がれ」


「はっ!」


 報告役の士官を退室させ、ルガシェは副官を向く。


「嘆くほどの失敗ではあるまい。どうせ駄目で元々の策だったのだ。失ったのも傭兵が数人だけ。奴らが尋問されたところで、何も重要な情報は知らない」


 スレイン・ハーゼンヴェリア国王が悪知恵の働く厄介な敵だという噂は、事前のサレスタキア大陸西部の調査で分かっていた。そのハーゼンヴェリア王を開戦前に仕留められれば、敵の士気を下げ、奇天烈な策も封じることができるとルガシェは考えた。

 とはいえ、暗殺などという不確実な策の成否に戦争の勝敗を賭けるほど、ルガシェは愚かな将ではない。大金に釣られて危険な暗殺任務などに志願する程度の低い傭兵を、ルガシェは信用していない。これはあくまでも、成功すれば儲けものという程度の策だった。


「暗殺される可能性があると、弱小国家の君主どもに知らしめた。これで奴らは緊張を強いられる。それだけでも成果としては十分だな」


「仰る通りです。閣下の勝利は揺るぎません。侵攻作戦そのものは極めて順調ですから」


「はははっ! そうだな。順調も順調。順調すぎるほどだ」


 副官の言葉に、ルガシェは声を上げて笑った。

 上陸後に起こった戦闘は一度きり。おそらくはこちらの戦い方を見るために、エーデルランド王が小勢を率いてぶつかってきたのみ。

 それ以外は、こちらの偵察兵と鉢合わせした敵の偵察兵が斬り合いになったり、逃げようとして追いつかれた現地民が抵抗したりといった、偶発的でごく小規模な戦闘があるばかり。損害というほどの損害も出ていない。

 こちらが占領地を広げる上で、もう少し強い抵抗があるかと思っていたルガシェとしては、拍子抜けだった。

 ほとんど無傷でエーデルランド王国の都市や村を次々に占領し、おまけに現地民どもは持てるだけの財産のみを持って逃げ出したので、都市や村には冬越しに備えた大量の食料や物資が備蓄されたまま。保存食も酒も薪も豊富に得られ、家畜や、少数だが荷馬まで確保できたので、補給の手間が大幅に省けた。

 そのおかげで侵攻軍の第三陣が予定より早く上陸することが叶い、占領地はエーデルランド王国の三分の一にまで及んでいる。当初はこの段階に到達するまでもう数週間を要し、千から二千程度の兵力を損なう可能性も見ていたが、今となってはそれも慎重すぎる予想だったと言える。

 強いて言えば、慣れない異国の地であるために偵察網がいまいち行き届いていないのが難点ではあるが、それも偵察班の数を増やすことで十分に対処できている。

 後は、占領地の守りを固め、冬を越えるのみ。寒さをしのぐ家屋も薪もある。侵攻の成功後は褒賞としてこの国の土地を得られる兵士たちも士気高い。冬明けにはさらなる援軍と、入植の第一陣もやってくる。

 そして自分は、法衣貴族ではなく領主貴族となる。ダフヴィ侯爵家の悲願を叶える。想像するだけで、今から高笑いが出そうだった。


「西サレスタキア同盟とやらは思いの外まともな数の兵を集めているようだが、所詮は寄せ集めだろう。果たしてどれほどの反撃ができるか見ものだな。君主や将どもの中には警戒すべき人材もいるようだが……」


「それでも、精強で士気高きケライシュ王国侵攻軍が敗けるはずがありません。それを率いるのが名将と名高き閣下であらせられれば尚更に」


「ふっ。世辞はよせ。いや、世辞ではなく事実か……数も練度も上回る兵を、この私が率いているのだ。敗ける道理はないな。こちらの襲撃を生き延びたハーゼンヴェリア王も、何やら必勝の策を生み出す英雄の如く言われているらしいが、平民上がりの男の策ひとつで何ができるものか」


 アトゥーカ大陸と比べると肌寒い、十月のサレスタキア大陸西部の空を窓から眺めながら、ルガシェは不敵な笑みを浮かべた。

 そのとき。


「――失礼します、将軍閣下。急ぎの報告です」


 部屋の扉が叩かれ、ルガシェは振り返る。


「入れ……急ぎの報告とは穏やかでないな。何があった?」


 入室した士官が、敬礼しながら口を開く。


「偵察部隊より、複数の偵察班が予定時刻を過ぎても帰ってこないと報告がありました」


「……何だと?」


 先ほどまでとは打って変わって、怪訝な表情をルガシェは浮かべた。


・・・・・・・


 ケライシュ王国による侵攻軍の占領地と、エーデルランド王国が未だ支配を保っている領土。その境界線は、街道や川、山などで大まかに区切られている。

 そして、境界線付近には、数人ずつの兵士によって構成される侵攻軍の偵察班が、いくつも配置されていた。西サレスタキア同盟の軍勢がまとまった規模で進軍していないかを監視し、本隊が奇襲されることを防ぐために。


「……確か、この先は小さな農村だったな。そこまで行って休息をとったら、その周辺を見回って拠点に戻るぞ」


 上陸から数週間が経ったある日の午後。ある偵察班の指揮官が、付き従う四人の部下に言う。兵士たちは上官の命令に頷くが、その表情は冴えない。

 少し前から、偵察に出た班が消息を絶つという事態が発生していた。一つや二つではない。既に十を超える偵察班が姿を消していた。土地勘のある敵側に偵察経路を補足され、殺されたか捕らえられたものと思われた。

 また、敵地のより奥深く、王都ブライストン近郊まで侵入し、敵本隊の動向を探っている班も、いくつも未帰還になっているという話も聞こえていた。

 元より偵察は危険を伴う任務だが、多くの偵察兵が立て続けに消えている事実がある今は、もはや危険度は桁違い。決死の任務というべきものになっている。

 しかしそれでも、敵の大規模な奇襲を防がなければならない以上、密な偵察を止めるわけにもいかない。将軍ルガシェの命令のもと、偵察の実務どころか訓練さえ経験のない兵士たちが、能力と士気の低さを補うために大量に動員され、偵察任務へと駆り出されていた。

 この偵察班も、士気の低い兵士たちを、唯一本職の偵察兵である指揮官がなんとか引っ張っているような有様だった。


「ほら、農村が見えた。もう少しだ」


 森の間を縫うように作られた獣道を進むと、指揮官の言葉通り小さな農村が姿を現す。指揮官はなんとか今回の偵察任務を無事に終えるため、兵士たちを励ます。


「おい。先に行って見てきてくれ。どうせ誰もいないだろうが」


「……了解です」


 指揮官から命じられた一番若い兵士が嫌そうな顔をしながらも、とうの昔に住民が逃げて今は無人の農村へと駆ける。

 農村の入り口辺りまで進んだ若い兵士は――次の瞬間、一番手前にある民家の窓から放たれた矢か何かを食らい、倒れた。


「なっ!」


「く、くそっ! 敵がいる!」


 後に続いていた偵察兵たちは驚愕しながら足を止め、一人の兵士がすぐに来た道を引き返して逃げようとする。


「おい待て! 離れるな!」


 指揮官が制止しようとしたが、もはや遅かった。単独で駆け出した兵士のすぐ横、獣道と接する森の中から、何か巨大な影が飛び出してくる。

 それは熊が一回り大きくなり、額から角を生やしたような魔物だった。

 アトゥーカ大陸では見かけないその魔物が前脚を振るうと、人間の身体などひとたまりもなかった。逃げようとした兵士は悲鳴を上げる間もなく、その上半身が千切れ飛ぶ。腕と頭と肉片と臓腑をまき散らしながら、下半身と泣き別れになる。


「うわあああっ! ば、化け物!」


「班長! どうすれば!」


「落ち着け! 武器を捨てて両手を上げろ!」


 おそらく既に囲まれている。逃げたり戦ったりしてどうにかなる状況ではない。敵が捕虜を取る気があるかは分からないが、降伏するしか助かる可能性はない。

 そう判断した指揮官は即座に武器を捨てて両手を上げ、生き残っている二人の兵士は戸惑いながらもそれに倣った。


「グゴオオオッ!」


「待て、アックス! そこまでだ」


 残っている獲物を襲おうと、血と肉片にまみれた前脚を振り上げた魔物――ツノヒグマのアックスを、後ろから現れた名誉女爵ブランカが制止する。アックスは主人に従って攻撃を止めたが、偵察兵の一人は前脚を振りかぶられただけで気を失って倒れた。


「よぉし、そのままだ。大人しくしていろよ。そしたら命までは奪わん」


 ブランカとアックスの反対側から、偵察兵たちを挟むように現れたのは、自ら志願して今回の出征に参加しているユルギス・ヴァインライヒ男爵。遊撃戦に強い元傭兵という経歴を買われ、侵攻軍の偵察兵を狩るこの小部隊を指揮していた。

 ユルギスが指揮し、ブランカがアックスを従えて警戒する中で、十人ほどの兵士が侵攻軍の偵察兵の生き残り三人を囲み、捕縛する。


「死体が二つに生きた捕虜が三人。今回も十分な戦果だな……それじゃあ諸君、戦利品を積んでブライストンに帰還するとしよう」


 縄で厳重に拘束した偵察兵を三人と、弓に倒れた若い偵察兵の死体、さらにはアックスによって惨殺された偵察兵の頭や手足までが回収され、馬車に積まれる。


「ここまで見つかりもせずに来られて、一方的に敵を狩るだけ。楽なもんだな」


「ははは、そうだなぁ。これも、この土地に明るいエーデルランド人のおかげだ」


 ブランカの言葉に、ユルギスは軽薄な笑みを浮かべて答える。

 ユルギスたちのような小部隊が今はいくつも編制され、地理に詳しいエーデルランド王国の軍人を案内役にして、侵攻軍の偵察兵を次々に襲っていた。侵攻軍の偵察網を潜り抜け、占領地との境界線付近に侵入し、偵察兵の進路上に待ち伏せ、一方的な襲撃を幾度も成功させていた。

 ユルギスたちの隊は、これで三つ目の偵察班を狩ったことになる。他の隊と比べても目覚ましい戦果を挙げている。

 出発準備が整うと、隊はユルギスに率いられ、後方をブランカとアックスに守られながら、エーデルランド王国軍人の案内のもとでブライストンに帰る。

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