第154話 同盟の軍議②
「まず、確認したいのですが……敵は偵察網が脆弱だという話でしたね?」
「その通りだ」
スレインが尋ねると、クラークは短く答えた。
「敵の偵察兵の数や位置、移動経路は、どの程度把握できていますか?」
「おおよそは補足しているはずだ。そうだな?」
「はっ。敵にとっては遠い異国の地。我々にとっては庭も同然の故郷です。敵の偵察兵がどのあたりを通って移動するか、どのように巡回するかはおおよそ予想がつきます。その予想に基づき、偵察兵の班と思われる敵の動きも多くを補足しております。それで全てではないかもしれませんが、敵軍の規模や占領地の広さを考えても、我々が補足している何倍もの偵察兵の班を置いているとは思えません。見逃している分はそう多くはないかと」
エーデルランド王国の将軍の説明を聞き、スレインは頷く。
「分かりました。次に……決戦の場ですが、このような地形になっている場所はありますか?」
できるだけ緩急の少ない平原で、片側には騎兵の移動を阻む森か川などがあり、もう片側の自陣寄りの位置に騎兵を敵の目から隠せるような森などがある。そんな地形をスレインが説明すると、クラークと彼の将軍は頷いた。
「この王都からペイルトン近郊までの地勢は比較的平坦で、森や川も多い。そのような地形の場所もいくつもある」
「布陣に関しても問題ないでしょう。敵が占領地の維持に動いている以上、先に進軍して決戦の場を決められるのは我々同盟軍です」
「何よりです。それでは、ここからが私の策の説明になります」
そう切り出し、スレインは決戦での策を語った。
「まず、今から決戦当日まで、敵の偵察兵をできるだけ多く狩ります。そうすることで、敵にこちらの陣容や行動をできるだけ掴ませないようにします。そして決戦当日は、こちらの騎兵の総数が容易に分からないよう、敵の死角となる森などの陰に騎兵部隊を隠します。さらに、こちらの陣に近づく斥候を徹底的に排除し、決戦の直前まで、こちらの騎兵の総数について敵が確信を持てないようにします。その上で――」
要となる決戦当日の奇策をスレインが語ると、ファツィオなどは感銘を受けた様子を見せたが、居並ぶ一同の中には怪訝な顔をする者や、首をかしげる者も多かった。
「――こうすれば、こちらの騎兵に対する敵の側面防御に隙を作ることが叶うでしょう。そのまま突撃を敢行し、敵の脆弱な陣形を崩してやれば、敵はもはや組織だった戦闘は行えません。後は、壊走する敵を一方的に追撃するだけの戦いになると思います」
「確かにその奇策であれば、敵もうまく騙されてくれるかもしれないが……絶対にそうなるとは言えないだろう。それに、たとえ敵が騙されたとしても、貴殿が期待するほど混乱しないことも考えられるぞ?」
懸念を語ったのはガブリエラだった。
「ええ、その通りです。なので事前に工作を重ねておきます。たとえば、狩った敵の偵察兵や、私に対して暗殺を試みた実行犯の傭兵たちを利用して――」
スレインがさらにいくつかの策を披露すると、今度は一同の表情が強張っていく。
「――このようなところでしょうか。これだけ事前工作を重ねれば、決戦での策も最大限の効果を発揮するはずです」
「な、なんと……」
「本当にそんな悪辣な策を実行するのか……」
エラトニア王国の将軍が絶句し、ギュンター王国の王弟が思わずといった様子で呟く。他の者たちの反応も大差ないものだった。ファツィオでさえ、口をあんぐりと開けて固まっていた。
スレインの狡猾な一面を知っているガブリエラは、驚きはしていなかったが呆れた表情を浮かべていた。
「もちろん私も、このような策を講じるのは誇り高き王として心苦しい部分がありますが……私は一度暗殺されかけ、この身こそ無事でしたが、我が騎士が一人重傷を負いました。私に忠誠を誓う優秀で大切な騎士を、卑怯な手で傷つけた侵略者を、私は許すことができません。そのような侵略者が同盟軍を打ち破り、友邦を蹂躙するような事態を、断じて許容することはできません。だからこそ手段を選ばず、侵略者に報いを受けさせ、この地から撃退したいのです」
スレインはできるだけ真摯な表情を作って語る。
次から次に悪辣な策を思いついてしまう自分の性を誤魔化すための言い訳だが、騎士ルーカスを傷つけられたことへの怒りは本心からのものだった。
真に迫るその語りが功を奏したのか、一同はスレインに対する恐れや嫌悪の反応をひとまず引っ込める。
「最終的にこの策を実行に移すかどうかは、総大将であるエーデルランド王が決めること。判断は任せます」
スレインが言うと、今度は一同の視線がクラークに集まる。
寡黙な王はしばらく黙り込んで考え――やがて、その口を開いた。
「国を救うためだ、やろう」
その短い一言で、スレインの策が実行されることが正式に決まった。
・・・・・・・
スレインの発案した工作が効果を発揮するにはある程度の時間を要するため、これから二、三週間ほどは、各国の部隊より選ばれた少数の精鋭が工作活動に従事することで話がまとまった。
そしてその間、同盟軍の本隊は決戦に向けてあらためて編制され、部隊行動の訓練が行われることが決まった。
十八の国から集まった総勢一万三千の軍勢ともなれば、いきなり整列して連携しながら戦うというわけにもいかない。将官や士官による指揮系統の構築はあらかじめ考えられているとはいえ、それに則って実際に兵を動かす練習は必要だというのが一同の共通の認識だった。
実務のさらなる詳細は各国の将官や士官によって調整されることになり、この軍議はひとまず終了。クラークが解散を宣言し、一同は会議室を出ようとする。
スレインも会議室を出て、ひとまず自分の客室に戻って休もうと歩き出したところ――後ろから呼び止められる。
「ハーゼンヴェリア王」
「……マクシミリアン皇太子殿。何か御用でしょうか?」
スレインは立ち止まって振り返り、歩み寄ってきたマクシミリアンに答える。
「何、特に用というほどのことはない。少し歩きながら話そう」
マクシミリアンはそう言いながら勝手に歩いていき、スレインは内心で気乗りしないながらも彼に続く。
廊下を曲がり、階段を降り、王城の中庭に出たところで、マクシミリアンはまた口を開く。
「ときに、ハーゼンヴェリア王。今年の晩春、スタリア共和国で起こった騒動は知っているか?」
「確か、数年に一度の選挙が開かれたのでしたね。その直前に、何やら政治家たちの派閥の一つが失脚したのだとか。うちの外務長官から報告を受けましたよ」
スレインは平静を保って答えた。噂だけは軽く聞いている、という雰囲気を纏いながら。
「そうか。貴国のような小国にも噂は届いていたか……ちなみに、その政治家たちの派閥がどのような理由で失脚したかも聞いたか?」
「何か選挙で不正をしようとしていたのでしたか? おまけに、国外の勢力と手を結んで売国的な施策を試みた疑惑もあるとか……ああ、そういえば帝国絡みの疑惑でしたね。実際に帝国が関わっているのですか?」
何も知らない風を装いながら、スレインは逆に問いかける。
「……いや。失脚した派閥――改革党という集団と協力し、共和国との経済的な結びつきを強めようとしたのは事実だが、あくまでも正当な外交の一環だ。改革党に売国行為をはたらかせてはいない。ましてや、あの国の選挙とやらで、不正工作をはたらかせようとした事実は断じてない」
前半は一部が嘘で、後半は本当か、とスレインは考える。
改革党が帝国への港の貸し出しを画策していたのは公にされていた事実なので、皇太子であるマクシミリアンも否定はできない。
しかし、「正当な外交の一環」というのはいかにも嘘くさい。必要となれば租借地の港を軍事拠点化し、前線基地のごとく使う意図もあったのは間違いない。最初からそれが唯一の目的とまではいかないのだろうが。
不正工作の疑惑については、帝国が黒幕でないことはスレインが一番知っている。
「この件については、非常に不可解な点がある。不正工作の実行役と思しき容疑者が、帝国の金貨や銀貨を持っていたそうだ」
「それは……失礼ながら、帝国が疑われても仕方ないのでは? 本当に帝国はその件に関わっていないのですか?」
露骨に疑うような表情を作り、スレインは問いを重ねる。
「馬鹿を言うな。貴殿も政治の世界に身を置いているなら、この不自然さが分かるだろう。帝国を利する工作の実行役が、報酬を帝国の貨幣で受け取り、工作活動の最中にそれを持ち歩くなどという都合の良い話があるものか。まるで帝国を疑えと言わんばかりではないか。おまけにその容疑者は、挙動不審な様を問い詰められた際に、あろうことかその帝国の貨幣を路上に落としたそうだ。あからさますぎる。愚かな民衆は騙せても、我ら為政者は騙せない」
不愉快そうに眉を顰めながら、マクシミリアンは語る。
「そう言われると、確かにそうですね。では、その改革党に冤罪を押しつけるための、敵対派閥による工作というのが妥当な線でしょうか」
「……ハーゼンヴェリア王。このあからさまな不正工作を考え出した黒幕について、貴殿は何か知らないか?」
スレインは小さく目を見開いて驚きを示しながら、首を横に振る。
「まさか。どうして私が知っていると思うのです? 遠い島国の、共和制などという不思議な政治体制に関する出来事です。その裏側など私の知る由もありません」
マクシミリアンはスレインの顔をじっと見つめてしばらく無言になり、また口を開く。
「貴殿の言う通り、私もこの件は、敵対派閥――国民党の政治家たちによる工作だと考えている。改革党に疑惑をかけて失脚させるためのな。改革党が失脚すれば、分かりやすく得をするのは、現在の共和国政府を牛耳る国民党の政治家たちだ……そして、奴らと同じ程度に得をするのが、貴殿ら大陸西部の諸王だ。帝国が租借地としてスタリア共和国の港を得られなくなれば、いつか南の海側から帝国に急襲される危険をなくせるのだからな」
そう言われ、今度はスレインの方が不愉快そうな表情を作る。
「私たちが得をするから、私たちがその改革党を陥れた黒幕であると? 損得を理由に証拠もなく犯人を決めて断罪するのは、いかにも典型的な陰謀論では?」
「もちろん、貴殿の言う通りなのだが……先ほど貴殿が軍議の場で語った工作の発案。あれが、スタリア共和国の一件を連想させたのでな。あのような工作を思いつく貴殿であれば、スタリア共和国での工作の発案者だとしてもおかしくない」
そう言われても、スレインは表情を変えなかった。
マクシミリアンの勘の鋭さは驚くべきものだったが、別に何らの証拠を突き出されたわけでもない。スレインがしらを切れば、マクシミリアンはそれ以上の追求をすることは叶わない。
この程度の状況で動揺を示すほど未熟な王では、スレインはもはやなかった。
「……まあいい。スタリアの港など、元より是が非でも欲しいものではなかった。どうせ、皇帝家は東部と北部の支配域を維持することに向こう数十年はかかりきりになるのだからな。人口も面積もたかが知れている大陸西部への玄関口など、少なくとも父や私の代では必須ではない……妙なことを聞いてすまなかったな、ハーゼンヴェリア王」
「いえ。貴殿の私への疑念がなくなったのであれば幸いです。皇太子殿」
スレインは完璧な笑みで答え、マクシミリアンから離れる。
勝った、と思いながら。
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