第151話 ルーカスの災難

 ハーゼンヴェリア王国の部隊がブライストンへ到着してから数日。各国の援軍が続々と合流を果たし、同盟軍の兵力が揃いつつあった。

 全軍が集結して軍事行動が開始されるまでは、まだ幾日かを要する。そんなある日、スレインはジークハルトとイェスタフに自軍の実務を任せ、自身は都市外の野営地を訪れ、各国の援軍の陣容を見回っていた。


「お久しぶりです、ハーゼンヴェリア王!」


 ちょうどヴァイセンベルク王国の部隊の横を通ったとき、スレインは横から声をかけられる。


「……これはこれは、ヴァイセンベルク王。元気そうで何よりです」


 戦場には似つかわしくない、少々あどけなさの残る声の方を振り返ると、そこにいたのは当代ヴァイセンベルク王国国王ファツィオだった。

 即位当時は十歳に満たなかったファツィオも、今年で十三歳。少しずつ少年から青年へと成長しており、偉丈夫だったヴォルフガングの血を継いでいるためか、既に身長は小柄なスレインに追いつこうとしている。

 そして、彼は何故か、父の仇の一人であるスレインを慕っている。社交の場で会うと笑顔で寄ってきてスレインの話を聞きたがり、スレインの方が少々やりづらさを覚えるほどだった。


「あなたも自ら兵を率いてここへ来たのですね」


「はい。私ももう幼子ではありません。いつまでも父の遺臣たちに政治や軍務を任せ、王としての責任から逃れるわけにはいきませんから」


 そう語りながら彼がスレインに向ける目には、憧れの色が含まれていた。

 父親のことに触れられると、スレインとしては一層やりづらい。が、話題を避けるのもわざとらしいかと思い、あえて話の流れに乗る。


「父君もきっと、あなたの行動と覚悟を喜んでいることでしょう」


「そうであれば幸いです……これは、私が唯一父にできる恩返しでもありますので。あの父に恩を返したいなどと考えるのは大陸西部で私くらいでしょうから、他ならぬ私が頑張らなければ」


「……」


 状況はまったく違うが、若くして父を失った身として、スレインは彼に同情を覚える。

 同時に、彼の父を陥れたことに対する、ほんの少しばかりの罪悪感も。


「立派な王になりましたね。友邦の王として、私も誇らしいです」


「あなたをはじめ、尊敬できる先達がいらっしゃるからこそです。どうかこれからも、未熟な私をご指導ください」


「ははは。畏れ多いですが、微力を尽くしましょう」


 完璧な笑みを作って答え、スレインはファツィオと別れた。


「相変わらず、懐かれているではないか」


 ファツィオとの会話を見ていたのか、そう声をかけてきたのはオスヴァルド・イグナトフ国王だった。

 彼は騎兵を中心とした三百を率い、スレインより半日遅れでブライストンに到着していた。


「……やはり、少しばかり複雑な気分ではあります。先代ヴァイセンベルク王が今の状況を見たら怒るでしょう」


「ふんっ、死人の感情への配慮など如何ほどの意味がある。そのようなことは気にせず、せいぜい面倒を見てやるといい。尊敬される先達としてな」


「先達などと名乗れるほど立派なものではありませんよ、私は」


「どうかな」


 自分はまだ若輩の身。本心からそう思って謙遜したスレインに、オスヴァルドは皮肉な笑みを浮かべた。


「君主はその年齢ではなく、即位から何年経ったかで見られるものだ。貴殿は……確か今年で七年だったか? 一般的な王の即位期間が二十数年ということを考えると、若い方ではあるが、新米というほどでもあるまい」


 そう言われて、スレインは虚を突かれた思いで目を丸くする。確かに、オスヴァルドの言う通りではある。


「特に四代目の王や女王は、年を食ってきた連中が多いからな。私だってそうだ。この先、貴殿より在位期間の浅い君主がどんどん増えていくぞ。そうなれば、功績もある貴殿は、君主としての偉大な先達として見られることが多くなる……貴殿ほど治世をよくやっている君主は少ない。そのことは謙遜すべきではないだろう」


 孫が生まれてから少し性格が柔らかくなったオスヴァルドの言葉に、スレインは複雑な表情で頷いた。


「……心得ておきます」


 以前、ガブリエラのことを君主として熟したなどと言ったが、自分も人のことは言えない。そう思いながら、スレインは野営地の視察を切り上げて王城へと戻ることにする。


・・・・・・・


 ハーゼンヴェリア王国軍の騎士ルーカスは、伝令任務のためにブライストン貴族街の通りを歩いていた。

 騎士の子として教育を受けたために元が優秀であったルーカスは、昨年に王国軍の騎士資格を与えられ、正式な騎士に。同時に配属を第一大隊へと移されたため、こうしてエーデルランド王国への出征にも参加している。

 今は、同盟外からの観戦者であるセレスティーヌ・リベレーツ女王の一行が逗留する空き家の屋敷まで、数日後の各国指揮官による軍議への招待を報せに行くところだった。

 どの国の指揮官もセレスティーヌに報せる役目を嫌がったため、スレインが引き受け、新米とはいえ騎士であるルーカスにこの名誉ある仕事が回ってきた。


「失礼いたします。スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下の遣いです」


 屋敷の前庭には人の姿も見えず、門番もいなかったため、ルーカスはそう呼びかけた。

 しかし、返事はなかった。

 一国の君主の宿で、訪問者に用件を聞く護衛や使用人がいないとは。ルーカスは困惑を覚えながらも、仕方なく門の取っ手に手をかける。門はあっさりと開き、中に入ることができた。


「失礼いたします。どなたかいらっしゃいませんか。私はハーゼンヴェリア陛下の遣いです」


 再び呼びかけ、それでもなお、人の姿は見えない。

 出直すべきか。ルーカスが考えたそのとき。


「そこのあなた! 何をやっているの!」


 屋敷の一階の窓から鋭い声がかけられる。ルーカスが身を竦めると、声の主は窓から飛び出し、剣の柄に手をかけながら歩み寄ってくる。


「武器には手を触れず、両手が見えるように上げなさい! ここはセレスティーヌ・リベレーツ女王陛下が滞在される宿です! 許可も得ず勝手に入るとは何事ですか!」


 険しい顔で怒鳴る声の主は、短く整えられた栗色の髪が印象的な若い女性騎士だった。

 ルーカスは顔を強張らせながらも、大人しく言われた通りにする。ここで下手に逆らって揉めると外交問題になりかねず、主君であるスレインに迷惑をかけるかもしれないと考える。

 屋敷の正面玄関の扉が開かれ、さらに数人の女性騎士が現れ、見るからに警戒した様子でルーカスを取り囲む。

 彼女たちに指示を出しているところを見るに、栗色の髪の女性騎士が、噂に聞く白薔薇騎士団の指揮官格らしかった。


「そもそも、ここは殿方の立ち入りは禁止です! 女性ばかりの場に、どのような了見で――」


「い、いえ、自分は……」


 男子禁制などという話は誰からも聞いていない。普通は来訪者に用件を聞くための門番が立っているはずが、それもいなかった。ルーカスは焦りながらそう弁明しようとする。


「黙りなさい!」


 それを、栗色の髪の女性騎士が一層大きな怒声で遮る。

 屋敷内からも騒ぎを聞きつけたらしい女性騎士たちがぞろぞろと出てきて、ルーカスは完全に包囲されながら、いくつもの視線に刺される。恐ろしく居心地が悪かった。


「待ちなさい、ベルナデット」


 そこへ助け舟を出したのは、彼女たち白薔薇騎士団の主人であるセレスティーヌだった。ルーカスは彼女の容姿を知らなかったが、屋敷の中から現れた彼女を見て、その雰囲気で分かった。


「人員が足りないからと、警備を屋敷の中だけにとどめていたこちらに非があります。その若い騎士殿を責めるのは止めてあげましょう……あなた、ごめんなさいね。主君として彼女たちの言動を謝るわ」


 言いながら、優雅な足取りでルーカスに近づいてきたセレスティーヌは、長身のルーカスを見上げる。尊き身分と少女のような小柄な外見に、ある意味では似合う、尊大そうな目だった。


「それで、用件は?」


「はっ。お伝えします」


 問われたルーカスは敬礼してから、スレインからの伝言をセレスティーヌに伝える。


「軍議への招待の報せ、確かに受け取りました。参上するとハーゼンヴェリア王に伝えて頂戴……ベルナデット、屋敷内の警備を一人減らしていいから、やはり門番を置きましょう。それと、彼は王の遣いです。騎士団長として、門の外まで送ってあげて」


「……かしこまりました」


 栗毛の女性騎士はセレスティーヌに答え、刺すような視線をルーカスに向けながら短い距離を付き添う。見送りというより、囚人を護送する看守のようだった。


「それでは、失礼いたしました」


「……」


 ルーカスが敬礼すると、女性騎士はとても嫌そうな顔で、無言で短く答礼した。

 心臓に悪かった。そう思いながら、ルーカスは屋敷を去った。

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