第152話 戦場のリスク

「ブライストンの市域内も、随分と整理されたね」


「間もなく、こちらの兵力が出揃って戦いが始まりますからな」


 王城へと続く通りを歩きながら、スレインはヴィクトルと言葉を交わした。

 スレインたちが到着した当初は異常なまでの過密状態にあったここも、過密の主な原因である避難民たちが減ったことで、今は余裕をもって通りを歩ける程度になっていた。

 敵の支配域から避難してきたエーデルランド王国の民は、今は多くが戦いの邪魔にならないようさらに北へと避難するか、徴集や志願によって同盟軍の兵士となり、都市外の野営地にいる。


「……向こうから来るのはルーカスかな?」


「そのようです」


 スレインの一行が商業区から貴族街へと移動していると、正面から通りを歩いてきたのは騎士ルーカスだった。彼もスレインたちに気づき、歩み寄って敬礼する。


「ご苦労さま、ルーカス。リベレーツ女王への伝令任務の帰りかな?」


「はっ。任務は無事完了いたしました。リベレーツ女王陛下は招待を受け、軍議に参加されるとのことです」


 そう言いながら、ルーカスはとても複雑な表情をしていた。


「そうか、それはよかった……もしかして、リベレーツ女王たちの宿で何かあった?」


 スレインは苦笑しながら尋ねる。ルーカスは少しためらいながらも頷き、白薔薇騎士団の女性騎士たちに包囲されたことを報告する。セレスティーヌの介入に救われたことも。


「それは大変だったね。女王が自ら謝ったのなら、その一件の謝罪としては十分だと見なすべきだけど……それでも不愉快だっただろう。嫌な役割を負わせてすまなかった」


「いえ、そんな」


 スレインが微苦笑を浮かべて言うと、ルーカスは恐縮した様子で首を振った。


「白薔薇騎士団か。リベレーツ女王が彼女たちを戦場での護衛に選んだということは、実戦力としてもそれなりに鍛えているんだろうけど、そんな振る舞いはいただけないな。誰もがルーカスのように穏便に対応してくれるわけじゃないだろうから」


 君主の供につくのであれば、護衛としての実力以外の能力も求められる。例えばスレインの率いる近衛兵団などは、精強さは言うまでもないが、公の場での所作や、他国の要人などへの応対の面でも必要な能力を身につけている。

 その点、セレスティーヌの率いる白薔薇騎士団は及第点以下。今までの動きを見るに、他国の君主や貴族に対しては相応の立ち回りができているようだが、伝令役の騎士に対して対応を誤って礼を失するようではまだまだと言わざるを得ない。

 このまま他の同盟軍と白薔薇騎士団が接触したら、洒落にならない揉め方をするかもしれない。スレインはそう考える。

 配下の軍人たちの手綱を握るのは、君主の役目。すなわちセレスティーヌの責任だ。


「僕と、盟主のオルセン女王からも、後でリベレーツ女王に助言をしておくよ。彼女と白薔薇騎士団のためにも――」


 次の瞬間。


「陛下を守れ!」


 後ろを向いて叫んだのはヴィクトルだった。彼が言い終わる前に、スレインの護衛についている四人の近衛兵が動く。スレインの背後を守るように。

 スレインが驚いて振り返ると、後方から不審な男が数人、通行人をかき分けて迫って来ていた。

 襲撃者たちは身につけていた丈の長い外套を翻し、あるいは脱ぎ去る。外套の下で構えていたのは小型の上下二連式のクロスボウだった。

 突然の事態に、通りを歩いていた者たちがざわめく。


「なっ……」


 驚愕するスレインと、その傍らにいる副官パウリーナの前に、四人の近衛兵が盾を構えて並ぶ。

 襲撃者たちの手にしたクロスボウから一斉に矢が放たれる。上下二連、一人につき二発ずつ放たれた矢は、しかし近衛兵たちの構えた盾に突き立って止まる。


「まだ来るぞ! 正面!」


 再びヴィクトルが声を張る。たった今襲撃を受けた方向とは反対側、元々スレインたちが向いていた正面方向から、さらに数人の襲撃者が迫っていた。

 彼らは既にクロスボウを構え、今にも発射しようとしていた。

 スレインの前にヴィクトルが立ちはだかり、盾を構える。小柄なスレインはヴィクトルの背中に完全に隠れ、守られる。

 しかし、スレインの一歩隣にいるパウリーナまでは、ヴィクトル一人では庇いきれない。

 武官ではない彼女は突然の事態を前に硬直しており、彼女が護身用に着ている革製の胴鎧は、金属鎧をも貫くクロスボウの前ではあまりにも頼りない。


「――っ!」


 そのとき。ヴィクトルの防御を補うように、パウリーナの前に立ったのはルーカスだった。

 正面から来た襲撃者は三人。放たれた矢は六本。そのうち数本は狙いが逸れてあらぬ方向に飛んでいき、スレインに向けて飛んだものはヴィクトルの構えた盾に止められ、パウリーナ目がけて飛翔した一本は、彼女の前に立つルーカスに迫る。


「くっ!」


 伝令任務に出ていただけのルーカスは盾を装備しておらず、その身で矢を受け止める。ルーカスの肩のあたりに飛んだ矢は胴鎧の肩口を貫通し、彼は膝をつく。

 矢を撃ち尽くした襲撃者たちは、辺りが騒然とする中で、クロスボウを投げ捨てて逃走する。


「陛下、お怪我は?」


「僕は大丈夫。それよりルーカスが……」


 ヴィクトルはすぐには主君の言葉に答えず、周囲を見回す。さらなる襲撃者はおらず、負傷者はルーカス一人のみだった。

 剣を抜いてスレインの周囲を囲み、辺りを警戒する近衛兵たちに向けて、ヴィクトルは口を開く。


「敵は追うな。陛下をお守りするのが優先だ。一人は王城まで同盟軍の増援を呼びに走れ。残りは引き続き周囲を警戒しろ」


 命を受けて、近衛兵の一人が王城に走り、残る三人はそのまま周囲に目を光らせる。

 その警戒の輪の中で、ヴィクトルはルーカスの前にしゃがんで傷を見た。


「だ、大丈夫です。この程度で死には……っ!」


 いつも通り無機質な表情のヴィクトルと、緊張しながらも動揺までは顔に出さないスレインと、自分を庇って負傷した騎士を前に青い顔をしたパウリーナに囲まれながら、ルーカスは痛みに顔を歪める。その傷口からは、赤黒い血が流れる。


「ヴィクトル、どう?」


「……出血を考えると、矢はまだ抜かない方がいいでしょう。矢傷そのものは、この後すぐに対処すればおそらく致命傷にはなりませんが、毒が塗られているかもしれません。だとすれば、今抜いても既に身体の中に回っています。生きるか死ぬかはルーカスの体力次第です」


 毒、という言葉を聞いたパウリーナが息を呑む。

 その横で、スレインは一瞬も迷うことなく口を開く。


「魔法薬を使って。これは命令だ」


「御意」


 命令と言われたら、ヴィクトルもためらうことはない。

 本来は緊急時にスレインに用いるための、一本が平民の年収の数倍もする魔法薬。スレインの直衛たちが一本ずつ備えることになっているこの薬を、ヴィクトルはルーカスに飲ませた。

 痛みに顔を歪めていたルーカスの表情が、見る見るうちに和らいでいく。これで少なくとも、毒や出血多量、痛みのショックなどで即座に死亡する危険はほぼない。

 それから間もなく。報告を受けて王城より駆けつけた、エーデルランド王国の精鋭たちに堅く護衛されながら、スレインたちは王城へと避難した。


・・・・・・・


 王城の医務室へと運ばれたルーカスは、エーデルランド王家の抱える治癒魔法使いや医師による治療を受けた。

 出血は魔法薬や治癒魔法のおかげもあって抑えられ、傷口は洗われて適切な対処がなされた。矢にはやはり毒が塗られていたが、塗ってから多少の時間が経って乾いていたのか、効果は弱まっていた。

 その結果、ルーカスは今後の本格的な開戦までに戦線復帰することはおそらく叶わないが、ひとまず命を落とす心配はなくなった。

 襲撃者たちは、王都ブライストンの民のみならず同盟各国の軍人たちも襲撃現場を目撃していた中でそう長く逃げられるはずもなく、さほど時間もかからず全員が捕らえられた。


「今、尋問を行っているが、襲撃者どもは避難民に紛れてこの王都に入り込んだらしい。ケライシュ王国の傭兵を自称しているそうだ。おそらくは捨て駒だろう」


 同盟各国の援軍の代表者たちが集まった会議室で、総大将であるクラークが言う。


「ハーゼンヴェリア王は帝国に打ち勝った英雄として名が知られ、戦場においては策士としても有名だからな。暗殺することで、こちらの士気を落とそうとしたのだろう……まったく、卑劣極まりない。二連式のクロスボウなどという代物まで用意して」


 吐き捨てるように言ったのはガブリエラだった。

 機構が複雑なために高価で、その割に壊れやすく命中率も低く装填に手間のかかる二連式クロスボウは、普通はそれこそ暗殺の場などでしか用いられない。


「……すまない、ハーゼンヴェリア王。王都内の警備が甘かった」


「いえ、貴国のせいではありません。敵が極めて卑怯な手を使う下劣な輩であり、その狙いが運悪く私であった、ただそれだけです」


 暗殺は褒められた手ではないが、絶対の禁じ手というわけでもない。相手がなりふり構わず勝利を目指すなら、そのような手を取ることも十分に考えられた。

 戦争では勝ち方に綺麗も汚いもない。ここが既に戦場である以上は、誰の身にも迫り得る不運な危険だった。

 そう思いながらも、スレインは殊更にケライシュ王国の侵攻軍を貶す言い方をする。今は敵を下げることで、暗殺というリスクに共に直面した同盟軍の将たちの結束を強めることができる。そう考えた上で、あえてこのように言う。


「それで、どうするのだ? このままでは私たちは、迂闊にこの王城から出られないぞ?」


「敵が避難民に紛れさせて兵を送り込んでいるのなら、野営地や今後の戦場も安全ではないなぁ。避難民から集めた貴国の徴集兵の中に敵兵が紛れ込んでいるやもしれん」


 オスヴァルドとドグラスの言葉に、クラークは既に対応策を決めていたのか、すぐに口を開く。


「まず、避難民の王都への出入りを禁ずる。宿に泊まる金のある者も含めて全員だ。居残っている避難民は少ないので、対応はすぐに終わるだろう。以降、王都には元々の住民と、各国の軍人しか立ち入らせない……これで、王都内は大幅に安全になるはずだ」


 さすがに同盟各国の軍人に部隊単位でなりすますことは敵も難しいはずで、王都民を装って王都内に居残っても、外出禁止令の出されている夜間に帰る家もなく外をうろついていてはすぐに捕縛される。

 結果、王都に暗殺者が入り込み、留まるのは極めて難しくなる。クラークはそう語った。


「そして我が国の徴集兵たちだが、同郷の者たち同士でまとめるかたちに部隊を再編する。出身地を言えず、同郷の顔見知りのいない者がいたらそれは敵だ」


「なるほど。それなら対策としては十分だろうな」


 そう言ったのはガブリエラだった。

 戦争である以上、暗殺などのリスクをゼロにすることは現実的に不可能。それ以上は誰も何も言わなかった。


「後は……諸卿におかれては警護を堅くし、より一層身の安全に気をつけてもらいたい。この程度のことしか言えず、すまない」


 クラークの言葉で、暗殺未遂騒動に関する話し合いの場は締められた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る