第149話 異国情緒

 ケライシュ王国による侵攻軍の、エーデルランド王国への到達。その緊急報告を受けたスレインたちは、オルセン王国の王都エウフォリアを急いで出発した。

 ガブリエラの率いる部隊は出征準備にあと一日ほどかかる見込みであったため、スレイン率いるハーゼンヴェリア王国の部隊は先んじて発ち、およそ三百の軍勢がオルセン王国南西部へと進む。

 その道中、エーデルランド王国より送られてきた案内役の騎士が合流し、移動を共にしながら、詳細な現状報告をしてくれた。


「当初の計画通り、エーデルランド王国は民の避難を優先しているため、被害は領土を占領されるのみに留められています。私がエーデルランド王国を経った時点で、敵の侵攻軍は第二陣までが上陸。兵力は既に一万を超えているものと思われます」


 スレインは騎乗して進みながら、騎士の報告を聞く。


「……さすがはアトゥーカ大陸有数の大国と言うべきかな。交戦は?」


「一度、我が主君とヒューブレヒト陛下、そしてオルセン王国のノールヘイム侯爵閣下を中心とした軍勢が敵の第一陣とぶつかりました。敵味方双方ともに損害は軽微。敵は大盾を装備した歩兵と長弓を装備した弓兵が中心の編成であり、騎兵の数は極めて限られるものと見られます」


 スレインに問われ、エーデルランド王国の騎士はそう説明した。


「海上に関しては、交戦はしておりません。同盟各国の軍船は港に留まり、温存されています」


「そちらも計画通りというわけだね」


 海戦では魔法使いやクロスボウ、小型の投石機による遠距離攻撃、そして兵士が相手の船に乗り移っての白兵戦が主な戦法となる。状況によっては船そのものによる体当たりも行われる。

 同盟各国の中でもエーデルランド、ヒューブレヒト、オルセン、アルティア、サロワ、キルステンなどは、海に面する国であるため、軍船も保有している。しかし、いずれも領海の警備を目的とした小型のもので、数も少ない。唯一オルセン王国が十隻を超えている程度。

 一方でケライシュ王国のような、海を越えて侵攻してくる力のある国は、大型の軍船を数多く所有している。

 そのため、兵力差の大きくなる海上での正面戦闘は避け、同盟各国の軍船は戦後の沿岸警備のために温存し、可能であれば敵輸送船の航行妨害など遊撃戦にのみ用いる。それが西サレスタキア同盟の計画だった。


「それと、行軍に関して少々問題が……こちらがイレドラル湾を通って集結することを予想していたのか、敵の軍船が数隻、湾の中をうろついています。通行するのは非常に危険な状況です」


 エーデルランド王国のあるイレドラル半島と、オルセン王国南西部沿岸の間に位置するイレドラル湾。本来であれば、オルセン王国南西部の港からエーデルランド王国北東部の港へと、この湾を横切るかたちで移動する予定だった。


「……ということは」


「はい。畏れながら、イレドラル湾の沿岸を、陸路で移動していただくことになります」


 スレインが振り向くと、視線を向けられた将軍ジークハルト・フォーゲル伯爵が頷いた。


「陸路で行くとなれば三日ほど余計に要するでしょうが、仕方ありますまい。兵たちをできるだけ急がせましょう」


「安全な行軍には代えられないか……僕たちはイレドラル湾周辺の道には明るくない。案内をよろしく頼む」


「はっ。お任せください」


 一行はオルセン王国からサロワ、ヒューブレヒト、そしてエーデルランドへと、湾の沿岸をぐるりと回るように続く街道を急いで進む。


・・・・・・・


 数日後の夕方。ハーゼンヴェリア王国の部隊は、ヒューブレヒト王国東部の沿岸で野営の準備を行っていた。

 本来は三日半かかる道を、一日早く踏破できるよう移動。明日にはエーデルランド王国領土に入る見込みとなっている。


「正規軍人ばかりを連れてきたのが幸いしたね。皆、行軍に慣れてる」


「仰る通りです。それに、予備役兵どももよく付いてきています」


 右手側に設営の進む野営地を、左手側にはまばらな森とその先の海を見ながら、スレインの呟きに答えたのは副将軍のイェスタフ・ルーストレーム子爵だった。

 他にも、直衛のヴィクトル・ベーレンドルフ子爵や近衛兵数人、ツノヒグマのアックスを連れた名誉女爵ブランカ、そして副官パウリーナらがスレインを囲んでいる。

 敵の別動隊などがどこかの沿岸から上陸していないとも限らないため、ただその辺を歩くだけでもスレインには常に厚い護衛が付いている。

 野営地設営の指揮はジークハルトに任せ、スレインは護衛たちと共にすぐ近くの海岸に向かう。秋晴れの下の砂浜は景観だけは美しいが、海上、イレドラル湾の中心あたりにはケライシュ王国の軍船と思われる大型の帆船の影が見え、今が戦時であることを嫌でも思い出させた。


「さすがに、海も見慣れたね」


「最初は壮大さに驚きましたが、慣れればただの巨大な水溜まりですな」


 内陸国であるハーゼンヴェリア王国では、海を見たことがある者は少ない。数日前に初めて海というものを直に見たスレインが呟くと、イェスタフがそんな雑な感想を零した。それを聞いたスレインは思わず苦笑する。


「……陛下」


 そのとき、ヴィクトルが何かに気づいた様子で剣の柄に触れる。それを受けて、イェスタフも近衛兵たちも表情を変え、警戒態勢に入る。ブランカがアックスにそっと触れる。

 ヴィクトルが向いている方、右手側の海岸に視線を向けたスレインは――怪訝な顔になった。


「あれは……海老?」


 以前オルセン王国での晩餐会に出てきた、海老という海産物。それによく似た生き物が三匹、海岸にのそのそと上陸してきたところだった。


「……にしては、あまりにも大きいね」


「魔物でしょうか。得体が知れませんな」


 イェスタフがスレインに答えながら、上陸した生き物たちを睨む。

 その生き物たちは、晩餐会で見た海老よりも大きかった。大きすぎた。体長が成人男性ほどもあった。おまけに、何やら巨大なはさみを一対たたえていた。


「陛下、お下がりください」


 首をかしげて巨大な海老たちを見るスレインを、ヴィクトルが自身の後ろに下がらせる。

 人間の徒歩と大差ない速度で、巨大な海老たちは近づいてくる。


「撃て」


 ヴィクトルが命じ、近衛兵の一人が構えていたクロスボウを撃つ。

 矢は巨大な海老の一匹の腹に突き刺さったが、その前進は止まらなかった。


「ブランカ」


「アックス! 殺せ!」


「グゴオオッ!」


 ヴィクトルが命じ、頷いたブランカがアックスの横腹を叩く。弾かれたように飛び出したアックスが雄叫びを上げながら巨大な海老の一匹に迫り、前脚を振るった。

 迫られた海老は鈍重な動きではさみを振り上げて抵抗する素振りを見せたが、体長が倍も違うツノヒグマには叶わないようだった。振り上げた両のはさみと頭の前半分が、アックスの鋭い爪の斬撃で千切れ飛び、そのまま沈黙する。

 残る二匹のうち、一匹はアックスに立ち向かおうとしたが、やはり瞬殺された。全体重をもってのしかかられると、殻が簡単に割れて体液を飛び散らせ、動かなくなった。

 最後の一匹は、そのままスレインたち目がけて進んできた。

 しかし、その動きは相変わらず遅い。ヴィクトルとイェスタフが両側から囲むように接近すると、巨大な海老は身を守るかのようにはさみで頭を覆う。

 そのはさみの片方を、イェスタフが剣を一閃して切り飛ばす。がら空きになった頭の側面、眼球にヴィクトルが剣を突き込むと、その刃が脳まで到達したらしく、巨大な海老は痙攣して地に伏せ、死んだようだった。


「……強くはなかったね」


 図体は大きいが動きはのろく、瞬殺された巨大な海老たち。その死体を前に、スレインは呟く。


「陛下! ご無事でしたか!」


 と、アックスの咆哮を聞いて異変に気付いたのか、エーデルランド王国の騎士がハーゼンヴェリア王国の近衛兵たちと共に駆け寄ってくる。


「僕たちは大丈夫だよ。だけど、これは一体何なの?」


 スレインの前で立ち止まった騎士は、三匹の巨大な海老の死体を見ながら言う。


「これはガラレウラと呼ばれる魔物です。本来は陸に上がってきたりはせず、偶に弱った個体が沖合で漁の網にかかることがあるだけなのですが、秋の繁殖期には沿岸部で産卵するために、ごく稀にこうして陸に迷い込む個体が出るのです」


「ガラレウラ……名前だけは聞き覚えがあるな。ヴァロメア皇国の古い書物に出てきた」


 スレインは顎に手を当てながら、そう呟いた。


「陸ではひどく鈍重な魔物で、危険もほとんどなく、おそらくは容易に倒せたことと思いますが……このような魔物もいるとお伝えしておらず、申し訳ございませんでした」


「いや、気にしなくていいよ。ごく稀にしか出ない、大した危険もない魔物のことまで事前に教えておけというのは、さすがに無理があるだろうからね」


 この程度の一件で、騎士が後からエーデルランド王に叱責などされては気の毒だ。そう思い、スレインは穏やかな笑顔で答えた。

 その横では、イェスタフが鼻を鳴らしながら顔をしかめる。


「それにしても、何とも言えん臭いだ」


「おそらく皆様は嗅ぎ慣れないかと思いますが、ガラレウラに限らず、海老やそれに似た魔物はこのような臭いがするものです」


 イェスタフの様子に微苦笑しながら、エーデルランド王国の騎士は語る。

 三匹のガラレウラの死体のうち、アックスが派手に殺した二体からは、なかなか形容しづらい臭いがしていた。ついさっき死んだばかりなので腐敗臭というわけではないのだろうが、独特の生臭さがあった。

 こびりついた体液の臭いが気になるのか、アックスが自身の前脚を嗅いで不愉快そうに鼻を鳴らしている。


「あのツノヒグマの脚は、海水で洗ってやった方がいいでしょう。ガラレウラの体液は臭いが長く残りやすいので……ですがその分、調理したときの香りも味も濃厚です」


 騎士の言葉を聞き、スレインは思わず目を見開いて振り返る。スレインの傍らにいたパウリーナも、イェスタフやブランカや近衛兵たちも、ヴィクトルでさえも、驚いた表情で騎士を見た。


「食べるの? これを?」


「はい。イレドラル半島では、ガラレウラは高級食材として知られております。王都の近くで運良く陸揚げされたら、必ず王家にも一部が献上されるほどです……よろしければ、今夜お食べになりますか? せっかく新鮮な状態で狩れたことですし」


 そう言いながら、どことなく嬉しそうに、騎士は魔物の死体を指さした。


・・・・・・・


 その日の夜。エーデルランド王国の騎士の指導の下で、ガラレウラの死体から身が取り出され、切り分けられて焼かれた。巨大な死体が三匹分もあったおかげで、その身は部隊の全員が数口食べられる程度に行き渡った。


「……凄い。本当に濃厚な香りと味だね。美味しいよ」


「確かに。今まで体感したことのない味わいです」


 側近たちと焚火を囲みながらガラレウラの身を一口食べたスレインは、目を丸くして感想を語った。その隣で、ジークハルトも驚きのこもった声で言う。

 香ばしく焼かれた身は、塩も香辛料もほとんどつけていないというのに、かぶりつくと旨味が口の中に広がった。


「これほどの美味ですが、いかんせん獲れる機会が少ないため、王族や貴族でも滅多に口にできません。初めてイレドラル半島を訪れてこれを口にする機会を得られた陛下は、大変な幸運の持ち主であらせられますね」


 相伴に与った喜びを隠し切れないのか、騎士は満面の笑みで言いながら身をほおばる。


「ガラレウラを狙って獲ろうとする漁師はいないのかな?」


「野心のある若い漁師の中には、時おり挑戦する者もいるそうですが……普段は沖合の海底に生息していると言われる魔物です。獲ろうと思って獲れるものではありません」


 残念そうに笑みを零し、騎士は言った。


「繁殖期には沿岸部の海底までやって来ますが、その際も、狙って獲るのと偶然獲れるのとで有意な差があるとは聞きません。おまけに、海中にいるガラレウラは力強く、動きも素早いため、非常に危険です。勇んで狩ろうと海に潜った肉体魔法使いが、半身だけになって浮かんできた……などという話もあります」


「ははは、それはぞっとしないね」


 おそらく海中であれば、先ほどの戦いの結果も逆になっていたのだろう。そう思いながらスレインは苦笑する。


「唯一、多く獲れる機会があるとすれば、十数年に一度ほどある大繁殖期でしょうか。理屈は不明ですが、凄まじい数のガラレウラが沿岸部に集まることがあります……あまりに多く集まるので、海面までガラレウラの姿が見えるほどです。エーデルランド王国では『赤い海の秋』と呼ばれています」


 この「赤い海の秋」の後は、繁殖で体力を消耗してしまった個体や共食いで傷ついた個体が群れから離れて陸に上がり、人間や獣、陸の魔物に狩られて食べられるのだと、騎士は語った。


「このときは漁村や港湾都市の民はもちろん、内陸部の民も、なかには貴族の方々もガラレウラ狩りに興じる方がいらっしゃるほどです。私も幼い頃に見ましたが、大変なお祭り騒ぎでした」


「そうか。なかなか楽しそうだね」


 遠い異国の見知らぬ文化を聞き、戦争を前にした緊張をほんのひととき忘れながら、スレインは野営の夜を過ごす。

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