第148話 寡黙な王と野蛮な王

 ケライシュ王国侵攻軍が、エーデルランド王国のペイルトン周辺を占領して数日。占領地の近くに、クラーク・エーデルランド国王を総大将とする軍勢が布陣していた。

 戦力はエーデルランド王国の正規軍人と徴集兵が合わせて千、ロアール率いるオルセン王国の先発隊が七百。その他にヒューブレヒト、サロワ、キルステンから到着している援軍の先発隊が合計で千弱。

 総勢で二千五百をやや上回る軍勢は今、およそ三千の侵攻軍部隊と対峙している。


「全兵力を投じてこない理由は、やはりこちらの別動隊によるペイルトン奪還などを警戒しているのでしょうな」


「……そうだな」


 どちらかといえば寡黙な王として周囲から知られるクラークは、自国の将軍の言葉に一言それだけを返した。クラークの言葉数が少ないのはいつものことなので、将軍も気にしない。


「実際には、こちらにそのような戦力の余裕は無し。にもかかわらず警戒するということは、敵はこちらの実情をあまり把握できていないものと思われます」


「ふははっ、自分たちの国がでかすぎるせいで、敵である我々の戦力までをも過大評価して無駄に兵を分けるか。考え過ぎた結果が馬鹿な振る舞いとは、笑えるなぁ?」


 ロアールの考察に、軽薄な口調で返したのはドグラス・ヒューブレヒト国王だった。

 ドグラスは今のところ、援軍を到着させている各国の中で唯一、国王自らそれを率いている。エーデルランド王国への誠意などではなく、おそらくは自身が戦場で早く暴れたいために。


「……仰る通り。それで、エーデルランド陛下。いかがいたしましょう」


 ドグラスには適当に答え、ロアールはクラークに問いかける。


「予定通りだ。このままやる」


 同盟軍では、戦場となる国の君主が総指揮権を握る。その盟約に基づき、クラークは総大将として決断を下した。

 この攻勢にはいくつか目的がある。

 まずは、敵の戦い方を見ること。ケライシュ王国がどの程度の練度の兵を連れてきていて、この地でどのような戦い方をするのかは未知数。同盟軍が完全集結して本格的な攻勢をかける前に、敵を知っておきたい。そのためには一度ぶつかる必要がある。

 他には、威嚇。多少なりとも攻勢を仕掛け、攻撃的な姿勢を見せることで、緊張を強いて侵攻の勢いを鈍らせる。敵の第二陣以降が到着し、戦力が膨れ上がれば安易な威嚇もできなくなるので、動くなら敵の数が少ない今が最善。

 そして、賭け。今のうちに敵の損害をできる限り増やし、敵が予想より脆弱なようであれば、あわよくば撃破する。将官格の捕縛か殺害でも叶えば最良。そう上手くいく可能性は低く、引き際は慎重に見定めるべきだが、無茶をしない範囲であれば賭けに出るのも悪くない。


「陣形を保ち、前進を」


「はっ……全軍、前進!」


 クラークに命じられ、エーデルランド王国の将軍が声を張る。それに合わせて、二千五百強の軍勢が進む。

 寄せ集めな上に急ごしらえの軍勢は、そのほとんどが歩兵。国軍も領軍も傭兵も徴集兵もごちゃ混ぜで、出身国も様々なおよそ二千の歩兵が横に広がって中核を成し、その後方には二百程度の弓兵が並ぶ。さらに後方には本陣を守る兵が百ほど控え、その左側面には騎兵が二百並ぶ。

 対するケライシュ王国軍には、騎兵がほとんどいない。

 船内で人よりも場所をとり、多くの食料を必要とする馬は、海を越えて大量に運ぶのが難しい。輸送された少数の軍馬は大半が将官や士官、偵察兵に回され、占領地周辺で持ち主から捨て置かれたり、逃げ遅れた現地民ごと捕らえられたりした馬は荷馬に回されている。

 そのため、ケライシュ王国側の主力も歩兵。二千の歩兵が中央に、五百の弓兵が二隊に分かれて歩兵の左右に並び、後衛には予備兵力として歩兵五百と、本陣を囲む数十の騎兵が残る。

 クラーク率いる同盟軍の前進に伴い、ケライシュ王国の侵攻軍も前進を開始。両軍はじわじわと距離を詰めていく。


・・・・・・・


「数は一応揃っているな。練度は……ばらつきがあるが、全体的にはそれなりか。他に敵は見当たらないな?」


「はっ。後方の拠点からも、未だ報告はありません」


「ということは、敵の今の兵力は、目の前にいる分でほぼ全てということか……? いや、分からんな」


 ルガシェは顎髭を片手で撫でつけながら独り言ちる。遠い異国の地で、敵の正確な兵力を把握することは不可能だった。


「まあいい。こちらは最精鋭だ、敗れることはあるまい。普段通りにやれ」


 敵の前進に合わせ、ルガシェも自軍を前進させる。

 侵攻の第一陣に選ばれた兵士たちは、ケライシュ王国軍の中でも選りすぐりの精鋭。王家に仕える武官であるルガシェの子飼いの部隊。同数の敵と真正面からぶつかり合って敗けるなどとは、ルガシェは微塵も思っていない。

 ある程度距離を縮めたところで――両軍は前進を停止した。

 そして、弓兵による矢の応酬が始まる。

 同盟軍の弓兵は、味方歩兵の頭上を飛び越えるような曲射で。侵攻軍の弓兵は、陣形の両翼から斜め前にやはり曲射で。次々に矢を放ち、それらが両軍の歩兵目がけて降り注ぐ。

 歩兵たちは、盾を構えてその攻勢を凌ごうとする。

 侵攻軍の歩兵たちは、密集して大盾を頭上に掲げる。見事な練度で隙間なく並んだ大盾によって、矢はほぼ完全に防がれる。

 一方で、盾の形状も大きさも様々な同盟軍歩兵の防御は、そこまで完璧ではない。盾の内側に自分の全身までは隠し切れず、腕や足に矢を食らう者がちらほらと出る。なかにはそもそも盾を持たない者もおり、彼らは盾を構えた近くの味方の背中に隠れる有様だった。

 侵攻軍の歩兵との違いは、互いに少し間隔を空けていること。このために、五百もの侵攻軍弓兵が矢を放ちながらも、同盟軍の歩兵への命中率は低かった。


「矢では削り切らんか……こちらから仕掛けるぞ。歩兵は突撃だ」


 矢の応酬が続けば、補給に限りのある侵攻軍側は分が悪い。後でどの程度まで矢を回収できるかも分からない。

 消耗戦を嫌ったルガシェの命令で、二千のケライシュ王国歩兵は白兵戦に移る。多少は矢を食らうのも覚悟の上で密集陣形を解き、盾を並べ、槍を構えて突撃を開始する。


・・・・・・・


「弓兵は射撃を止めよ。歩兵は迎撃用意」


 侵攻軍の歩兵が接近し、弓兵が友軍への誤射を避けて射撃の手を止めた段階で、クラークはそう命じた。

 命令はすぐに伝達され、同盟軍の弓兵も射撃を停止。盾と武器を正面に向けて構えたこちらの歩兵に、侵攻軍の歩兵が激突する。

 一体になっての白兵戦という点では、やはり侵攻軍の歩兵は強かった。同盟軍の歩兵は、じりじりと押し込まれて後ろに下がる。


「おいエーデルランド王! 俺に行かせてくれ! 今なら敵の大将首を取れるかもしれんぞ!」


「……」


 騎兵を預かるドグラスから大声で呼びかけられ、クラークは思案する。

 確かに、敵の主力が前進して後衛と離れている今なら、二百の騎兵による急襲は最大の効果を発揮するだろう。しかし、いきなり大将首を狙いに行ってもいいものか。

 そう思いながら、クラークが意見を求めるようにロアールを見ると、彼は頷いた。


「敵には追撃を行えるまとまった騎兵戦力がありません。一撃離脱の急襲を試すだけであれば問題はないかと。ヒューブレヒト陛下の安全面については……ご自身の意思で出撃なさるのであれば、自己責任でしょう」


「そうか……ヒューブレヒト王、頼んだ。ただし一撃離脱だ。無茶はしてくれるな。この緒戦で死ぬことはない」


「はっはっは! 大丈夫だ、俺は神に愛されている! 死ぬはずがない!」


 豪語し、ドグラスは騎兵たちに突撃を命じる。そして、自身もその後ろに続き、派手な鎧を纏わされた軍馬を走らせる。ヒューブレヒト王家の旗を掲げた騎士がすぐ後に続く。


「……あれに治められるヒューブレヒトの民は大変そうだな」


 クラークの呟きに、エーデルランド王国の将軍が同意を示すように無言で頷いた。


・・・・・・・


「敵騎兵が出ました! 二百騎全てです! ヒューブレヒト王家の旗を掲げています!」


「一国の王が自ら突撃か。なかなか骨のある奴だ……歩兵に右側面の守りを固めさせよ。横腹を突かせるな」


 同盟軍の新たな動きを受けて、ルガシェは即座に命じた。

 防御とその方向を示すように太鼓が打ち鳴らされ、前衛の歩兵部隊に命令が伝達される。それを受けて、隊列右側にいる歩兵たちがそちらを向き、盾と槍を並べて壁を作る。

 騎兵の数が限られている弱点を補うために、大盾と槍を用いた堅牢な槍衾を形成することで敵騎兵の攻撃を防ぐ。そうしながら、練度で勝る歩兵と数で勝る弓兵によって敵を圧倒する。それが侵攻軍の戦法だった。


「……前衛歩兵の側面を突かないのか? おい、弓兵に迎撃用意をさせろ……いや、狙いは弓兵でもない、のか……?」


 二百の同盟軍騎兵が、前衛の歩兵主力どころかその斜め後ろにいる弓兵までをも無視する様を見て、ルガシェは怪訝な顔になる。


「閣下!」


「ちっ! 直接ここを叩く気か! 後衛の歩兵に槍衾を作らせ、本陣を守らせろ! 急げ!」


 ルガシェは急いで新たな命令を下し、予備兵力である後衛の歩兵五百に防御陣形をとらせる。本陣の自分たちはその歩兵の群れの中に入り、同盟軍の騎兵から直接叩かれることを防ぐ。

 迫り来る同盟軍の騎兵部隊は、なんとか槍衾の形成が間に合った後衛の歩兵たちに突撃はしなかった。騎兵たちはこちらを挑発するように槍衾の前を横切り――大柄な軍馬に騎士と二人乗りしている、数人の魔法使いが魔法攻撃を放つ。それも、後衛の歩兵を飛び越え、本陣目がけて。


「おい! 冗談だろう!」


 ルガシェはさすがに顔を強張らせ、声を上げる。

 走りながら横向きに撃った魔法など、そうそう当たるものではない。その全てが本陣を飛び越えるか、それより手前の歩兵たちの中に飛び込んで炸裂し、ルガシェたちに被害はなかった。

 しかしそれでも、本陣が狙われたということは分かる。放たれた魔法は火魔法と風魔法が数発ずつ。さらには水魔法まであった。

 水魔法など食らったところで兵士たちはずぶ濡れになっただけだが、こんな最前線に貴重な魔法使いを連れてきて、本陣の将たちを威嚇するためだけに一発でも多くの魔法を撃たせるというその無謀な行為こそが、ルガシェたちを驚かせる。


「ははは! クソ侵略者どもが! 次は皆殺しにしてやる! 覚えていろぉ!」


 同盟軍騎兵の隊列最後方を走るのは、一際派手な――豪奢を通り越してもはや悪趣味な鎧を身にまとった男だった。旗を掲げた騎士が随伴しているのを見るに、騎兵部隊の指揮をとるヒューブレヒト王のようだった。

 槍衾を作って警戒する歩兵たちをねめつけながらその前を疾走し、口汚く叫んで去っていくヒューブレヒト王の姿に、ルガシェは呆気にとられる。


「信じられん。あれも一国の王なのか」


 まるで山賊のようだ。ルガシェはそう思いながら、騎兵部隊が帰っていくのをただ見送る。歩兵ばかりのこちらは、騎兵を追撃する手段を持たない。

 二百の同盟軍騎兵は侵攻軍の前衛と後衛の間を抜けるように駆け、自陣へと戻るその進路上にいた、こちらの陣形左側の弓兵たちをついでのように蹴散らしながら去っていった。

 騎兵部隊が戻るのに合わせて、同盟軍の本陣も、弓兵も、そして最前で戦っていた歩兵たちも後退し始める。同盟軍の全体が撤退を開始する。


「閣下。敵を追撃しますか? こちらの前衛歩兵はほとんどが健在です。敵の歩兵を後ろから狩れば――」


「……いや、止めておこう。緒戦で無闇に攻める必要もあるまい」


 ヒューブレヒト王の率いる同盟軍騎兵が好き勝手に走り回ったせいで、陣形を荒らされて動揺したこちらの後衛歩兵も弓兵もすぐには動けない。今、前衛の歩兵がさらに突出すれば、弓兵や後衛と分断され、将である自分の命令が届きづらい位置に孤立する。

 孤立したところであの野蛮な王が率いる騎兵部隊に後背を突かれれば、防御陣形を作る暇もなく蹂躙される可能性もある。

 ルガシェがそう判断したことで、戦闘は終了となった。


・・・・・・・


「エーデルランド陛下。お見事な引き際でした」


「これでも軍学を厳しく教え込まれたからな」


 クラークがそう言いながら傍らを向くと、彼の軍学の教師でもあったエーデルランド王国軍の将軍が無言で目礼する。


「それに、無事に退却が叶ったのは卿らのおかげでもある。オルセンの弓兵は優秀だな」


「育てたのは私ですが、弓兵を増やすよう命じられたのは我が主君にございます」


 育成と維持に金のかかる弓兵を多く常備することこそ、同盟の盟主国にふさわしい備え。ガブリエラのそのような考えが、今日ここで初めて活きたのだとロアールは語る。


「さすがはオルセン女王だな……後は、奴のおかげでもあるか」


 クラークが言いながら、渋い表情を向けたのは、ちょうど本陣に合流したドグラスだった。


「ははははっ! 敵将の顔を見てきたぞ! 攻撃魔法を向けられたのが信じられんと言いたげな間抜け面、あれは傑作だった! 皆も見に来ればよかったものをなぁ!」


「まったく。相変わらずだな、貴殿は」


 隣国の王の下品さに、クラークはため息を吐く。

 粗暴な性格で知られるドグラス・ヒューブレヒト。民への刑罰執行も盗賊討伐も魔物討伐も国王自ら行い、その趣味の結果としてヒューブレヒト王国内の治安を極めて良好に保ち、その他の内政に関しては無関心を貫いて経験豊富な官僚たちに実務を一任し、一周回って良き王などと評されている変人。

 社交の場では敬遠されることの多い、癖の強い男だが、いざ戦争となればこのように勇ましく活躍してくれている。クラークとしては、呆れはしても文句は言えない。


「……ですが、ヒューブレヒト陛下のご活躍もあり、今回の目的は達成できました。敵は練度こそ高いものの、機動力は低く、騎兵への対応策は限られる。敵の第二陣以降が到着しても陣容がそう変わらないのであれば、弱点も同じまま。それが分かったのは大きな成果です」


 淡々とした口調で言ったロアールに、クラークも頷く。


「そうだな……続きは、同盟各国の援軍が集結してからだ」


 敵は騎兵戦力がほとんどない一方で、前面に立つ歩兵の連係はかなりのものだった。弓兵の割合も高い。あの弓兵による猛攻を潜り抜け、陣形を固く守る歩兵を撃破するには、同盟各国の援軍と力を合わせなければならないだろう。

 そう考えながら、クラークは王都ブライストンに帰還する。


 侵攻軍の損害、歩兵と弓兵の合計で死者三十程度。負傷者はその倍。

 同盟軍の損害、歩兵が五十と騎兵が数人の戦死。負傷者はその同数。

 両軍ともに大きな損害はなく、侵攻軍はその精強さを、同盟軍はその得体の知れなさを敵に見せつける緒戦となった。

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