第147話 侵攻軍上陸
出発の日の朝。スレインは城館の居間で、家族と別れの挨拶を交わしていた。
「ちちうえ、いつ、かえってくる……?」
半泣きで問いかけながらスレインの首にしがみついているのは、長女のソフィアだった。
「そうだなぁ。この冬はソフィアと一緒に過ごしたいと思ってるよ」
スレインは苦笑しながら彼女の背中をさすり、優しく答える。
ソフィアの三歳の誕生日である十月には、とても帰れないと内心で諦めながら、そのことには触れない。彼女がまだ幼く、誕生日という概念をあまり理解していなくて助かったと思う。
「ふゆって、もうすぐ? もっとさき? とおい?」
「大丈夫、もうすぐだよ。だから僕もきっとすぐに帰ってくる」
「……わかった」
目をくしくしとこすって涙を拭いたソフィアを、モニカが優しく抱き上げる。
「私と一緒に、お父様のお帰りを待ちましょうね、ソフィア」
空いたスレインの膝の上に、今度はミカエルがよじ登ってくる。
「ちちうえ! かえってきたら、わるものをやっつけたはなしをまたきかせてください!」
「あはは、分かった。お土産に新しい武勇伝を持って帰るね」
スレインはそう言って笑い、ミカエルの頭をわしわしと撫でる。
モニカや臣下たちがスレインを立てて語ることもあり、現在四歳のミカエルは、今までハーゼンヴェリア王国が巻き込まれた戦いを「父上が悪者をやっつけた」というかたちで理解している。スレインも今のところ、それで良しとしている。
国際社会の複雑な理屈を、ミカエルが学ぶのは今しばらく先の話だ。
「スレイン様。ご活躍されるのは喜ばしいことですが……まずは、どうかご無事でいてください。今回は他国を支援する戦い。ハーゼンヴェリア王国にとっても、私たち家族にとっても、御身が第一です。避けられる危険は、できるだけ避けて」
「大丈夫。無茶はしないよ。僕が最前線に出ることはない」
寄り添うモニカに、スレインは頷く。
「……愛してる、モニカ」
「私もです。心から、心から愛しています」
二人は口づけを交わし、それを間近で見たミカエルが何故か拍手した。ソフィアは頬に手を当ててきゃあと歓声を上げるという、二歳にしてはませた反応を見せる。
そんな子供たちの行動に、スレインとモニカは思わず顔を見合わせて吹き出した。
家族で過ごす束の間のひとときは、あっという間に過ぎる。
・・・・・・・
数年ぶりの国王自らの出陣ということもあり、盛大な見送りを受けて出発したハーゼンヴェリア王国の部隊は、まずはオルセン王国の王都エウフォリアまで移動した。
この数年をかけて完成された石畳の街道のおかげで行軍は極めて迅速に進み、道中で大きなトラブルもなく、想定の中では最短の日数でエウフォリアにたどり着いた。
「そうですか。ノールヘイム侯爵が先行してエーデルランド王国に」
「ああ。盟主である私が先んじて兵を動かさなければ、同盟各国に示しがつかないからな。正規軍人を中心とした千ほどの部隊を先発隊として送り込んだ。我が側近であるロアールならば、私などよりよほど上手く兵を使ってくれるだろう」
オルセン王国の将軍であるロアール・ノールヘイム侯爵を、ガブリエラはそう評する。
「これで、ケライシュ王国の狙いがエーデルランド王国でも、その他の国でも、ある程度迅速に初動対応ができる。そう悪い緒戦にはなるまい」
「ええ。ケライシュ王国は大国とはいえ、上陸させる第一陣の規模には限界があるでしょう。兵力の点では、最初は私たち同盟が有利です……後は、敵の軍勢がいつ頃サレスタキア大陸西部にやって来るかが問題ですね」
「我々がエーデルランドに集結を完了してから、しばしの猶予があるといいのだがな……」
ガブリエラが言った、そのとき。
二人のいる応接室に、オルセン王国の外務大臣が入ってきた。
入室許可も求めず扉を開け、客人であるスレインに一礼したのみでガブリエラを向いて書簡を開いたことからも、緊急の用件だと分かる。ガブリエラも、スレインも身構える。
「ノールヘイム卿より緊急報告が届きました。ケライシュ王国による侵攻軍の第一陣が、エーデルランド王国南部のペイルトン近郊に上陸を開始したとのことです。推定兵力はおよそ五千」
「……そうか。予想以上に早かったな」
ガブリエラは落ち着いた声色で答え、スレインは無言を保った。
・・・・・・・
エーデルランド王国の王都ブライストンは、およそ八千の人口を有する。
王国に三つある主要な港湾都市からほぼ等しい距離の内陸にあり、王国の動脈たる街道が集束する心臓として機能している。
そのブライストンにある王城で、第四代国王クラーク・エーデルランドは王国軍の将軍より報告を受けていた。
「ケライシュ王国軍船団は、現在ペイルトン海岸に兵の上陸を開始。今のところは海岸の確保と小部隊による周辺偵察のみを行っているようです」
ペイルトン海岸は、ブライストンの南東部、半島の最先端部に位置する港湾都市ペイルトンと同じ名を持つ長大な砂浜。敵の上陸地点の候補として、あらかじめ名前が挙がっていたひとつ。
「そうか。民の避難は?」
「順調に進んでおります。ペイルトンの都市民も含め、大半が避難計画に則って北西方向に移動中です。なかには敵の偵察部隊に捕縛された民もいるでしょうが、ごく少数かと」
その報告に、クラークはひとまず納得して頷いた。
民は王国の財産。一度減ってしまえばすぐには回復もできない。おいそれと侵略者に攫わせるわけにはいかない。
「敵がこれほど早く上陸してくるのは予想外だったが、今後も計画通りに対応を進めろ。まずは民の避難が優先だ。このブライストンを中心とした防衛線までは、ひとまず侵略者どもに明け渡して構わん……最後に全て取り戻せばそれでいい」
「御意」
クラークの指示に、将軍が答える。
外国に海側から占領されて中に籠られる可能性を考慮し、港湾都市には城壁がない。内陸には小規模な都市や村ばかりがあり、侵略者の大軍からはどうせ守り切れない。
なのでエーデルランド王国は、侵攻軍の上陸地点周辺の民を逃がし、都市や村は一時放棄して敵による占領を許す前提で防衛計画を立てていた。
敵の目的はこの土地の破壊ではなく支配。無傷の都市や村を手に入れて、それをわざわざ人が住めなくなるほど荒らすことは考え難い。今後の入植地にしようとするのは明らかだ。
民はケライシュ王国へと連れ去られないように逃がし、都市や村は一度明け渡した上で最終的には敵をアトゥーカ大陸に追い返せば、侵攻を受けた傷を最小限に抑えて戦いを終えられる。クラークはそう考えていた。
領主貴族たちの反発については、あまり考慮しなくていい。王都と三つの港湾都市の全てを王家とその親戚で支配しているエーデルランド王国は王権が強く、単独では大して侵攻軍に抵抗もできない領主貴族たちは、大人しく財産を抱えて避難してくれる。
「……ノールヘイム卿。早速だが、オルセン王国の兵力を借りることになりそうだ」
クラークはそう言って、この軍議に客将として参加するオルセン王国軍将軍ロアール・ノールヘイム侯爵を向いた。
侵攻軍が予想より早く来てしまったため、今すぐ防衛線を守るにはエーデルランド王国の兵力だけでは手が足りない。同盟各国の援軍が揃うまで時間を稼ぐため、おそらくは多少の戦闘も行う必要が出てくる。
オルセン王国より先発隊として送られてきた、ロアールが率いる千の兵は、今のエーデルランド王国にとって貴重な即戦力だった。
「お任せください。我が主君より、全力をもって貴国に助力するよう仰せつかっております」
この場にいないガブリエラへの忠誠心を滲ませるロアールの目は、静かな迫力に満ちていた。
・・・・・・・
ケライシュ王国によるサレスタキア大陸西部への侵攻軍は、ペイルトン海岸と呼ばれている砂浜と、その周辺の平原一帯をひとまず確保。さらに、この海岸からほど近い港湾都市ペイルトンを無傷で占領し、そこに司令部を置いた。
「将軍閣下。第一陣の上陸、完了いたしました。物資の揚陸も今日中には」
「そうか……まったく、奇襲に成功したとはいえ、一切の抵抗も受けずにここまで来られるとは思わなかったな。敵もたわいない」
士官から報告を受けて呟くのは、侵攻軍の総指揮官であるルガシェ・ダフヴィ侯爵。
主君であるケライシュ王より、侵攻の橋頭保となるエーデルランド王国占領の勅命を受けているルガシェは、侵攻開始が迫った夏になって計画の修正を決断した。
アトゥーカ大陸の情勢には疎いはずのサレスタキア大陸西部諸国に、予想より早く侵攻を察知され、防衛の準備を始められている。実効性は怪しいと踏んでいた西サレスタキア同盟とやらが、思っていたよりもまともに機能しようとしている。
そう気づいたルガシェは、二隊に分ける予定だった侵攻軍を三分割し、労力を集中させることで早々に準備を完了させた第一陣を自ら率いて当初の計画より早く出発。西サレスタキア同盟が集結して防衛準備を終える前に、こうしてサレスタキア大陸西部にたどり着いた。
多少は海上や海岸での戦闘もあるかと思っていたが、実際は一切の抵抗もなく、実戦部隊の五千と後方支援部隊の千が、無傷で上陸を果たした。
「周辺偵察の具合はどうだ?」
「各偵察班を展開中ですが、少々難儀しております。半日以上の距離まで監視の目を行き渡らせるのは難しいかと」
「ふっ、やはり本国周辺のようにはいかないな。仕方あるまい」
兵力を分けて第一陣の出発を急いだために偵察要員の頭数は限られており、遠い異国の地なので地理も完全には把握できていない。数週間もかからず第二陣以降が到着するので、それまではこの一帯の占領維持に努めるべきか。ルガシェはそう考える。
「せっかく、後続が容易に上陸できる拠点を得たのだ。安易に侵攻の手を広げて各個撃破などされてもつまらん。今はのんびり行くとしよう」
功を焦ってしくじってはつまらない。どうせケライシュ王国の勝利は揺るがないのだ。であれば傷のついた勝利よりも、できるだけ完璧な勝利が欲しい。
勝利の先には栄光が――ケライシュ王国のサレスタキア大陸西部における初の領土、その領主という地位が待っているのだから。
ルガシェは不敵な笑みを浮かべながら、士官たちに今後の指示を下す。
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