第146話 出兵準備
ケライシュ王国の侵攻に備えて、西サレスタキア同盟に属する各国は戦いに備え始めた。
大陸西部の南西地域に近い国々は兵力を中心に。遠い国々は物資を中心に。あらかじめ定められていた防衛計画に則り、戦場となる地に送り込む準備を進める。
ハーゼンヴェリア王国も、同盟の一員として出征の準備を開始した。いざ出発となればいつでも持ち出せるよう武具や荷馬車を用意し、南西地域に送り込むための麦などを集め始めた。
そうして夏の日々が過ぎていく中で、ある日、意外な報せが舞い込んだ。
「……ガレド大帝国が、この戦いに援軍を、ですか?」
急きょ来訪したガレド大帝国貴族ジルヴェスター・アーレルスマイヤー。第三皇女ローザリンデの補佐役である彼と応接室で対面しながら、スレインは彼の申し出に驚いた表情を浮かべる。
「はっ。アトゥーカ大陸ケライシュ王国による侵攻準備の情報は、帝国も入手いたしました。サレスタキア大陸に、異なる大陸の軍勢が侵攻してくるとなれば、これは帝国にとっても無視できぬこと。この件に関しては、帝国もまた大陸西部諸国の同胞と呼べる立ち位置にある……皇帝陛下はそのようにお考えです。それを示す証左として、西部皇帝家直轄領を守る帝国常備軍から二百を援軍として送るよう、ローザリンデ皇女殿下に指示されました。実際の指揮は、私が取ることとなりますが」
「……」
帝国との、ガレド皇帝家との共闘。予想外の事態を前に、スレインは虚を突かれた思いでしばし黙り込む。そして、口を開く。
「分かりました。この件は同盟の盟主であるガブリエラ・オルセン女王と、同盟各国の君主たちにも伝えておきます」
「感謝いたします、陛下」
事務的な口調で言ったジルヴェスターは、そこで僅かに、声色と表情を変える。
「英雄と名高きハーゼンヴェリア国王陛下と同じ戦場で馬首を並べさせていただくこと、誠に光栄なことと存じます。個人的に楽しみにしております」
その言葉にスレインは小さく片眉を上げ、そして笑みを浮かべた。
「私も、帝国の重鎮たる卿と共に戦えること、光栄に思います。その際はどうぞよろしく」
・・・・・・・
ジルヴェスターが退室した後、スレインは一息つき、同席していた王国宰相イサーク・ノルデンフェルト侯爵を向く。
「どう思う、イサーク?」
「……二百ということであれば、数としてはないよりはまし程度の兵力です。しかし、だからこそ大きな問題はないと言えましょう」
「そうだね。まったく、絶妙なところを突いてくるのが憎いよ」
セルゲイに似た表情で答えるイサークに、スレインは皮肉な笑みを零しながら頷く。
帝国常備軍が二百。西サレスタキア同盟全体で一万を超える兵力が集まるであろうことを考えると、いてもいなくても大して影響のない数と言える。職業軍人が二百人もいれば何かしらの使い道はあるが、おそらく大勢に影響を与えることはない。
だからこそ同盟は、この援軍を受け入れることができる。兵力を千も二千も送り込んでくるようであれば「帝国の大軍を大陸西部に進入させる」という事実それ自体を大きなリスクと見なければならないが、さすがに二百で大陸西部の奥深くに入られたところで、脅威にはなり得ない。同盟各国が戦いの準備を念入りに進めている今であれば尚更に。
「帝国の狙いは、大陸西部との緊張緩和を図り、西サレスタキア同盟の実力を見ること、といったところかな」
「おそらくは。ある意味で、これは好機とも言えますな」
嫌でも隣り合う位置にある以上、大陸西部とガレド大帝国も睨み合ってばかりというわけにはいかない。フロレンツ・マイヒェルベック・ガレド第三皇子の巻き起こした騒動から五年以上が経った今、両者が形式的なものとはいえ共闘すれば、年々少しずつ緩和してきた緊張状態をさらに和らげることができる。
西サレスタキア同盟と帝国が共闘を果たすことで、同盟は帝国との対立ばかりを目論む枠組みではなく、あくまで大陸西部の安全保障のための枠組みであると示される。帝国も、大陸西部との関係に関しては、少なくとも今のところは現状維持を望んでいると示せる。
そして、帝国は同盟と共闘すれば、同盟がその目的通りの機能を有しているのか、同盟各国は本当に歩調を合わせて戦うことができるのか、その現状を見ることができる。
一方で同盟は、自分たちの枠組みが正しく機能し、属する各国が力を合わせて戦うことができることを示せば、それこそが帝国に対する最大の抑止力になる。
西サレスタキア同盟が動けば強い。たとえ帝国が本気で大陸西部への侵攻を試みたとしても、退けられるほどに。ガレド皇帝家にそう思わせることこそが、大陸西部の、ハーゼンヴェリア王国の安寧に繋がる。
この共闘が実現すれば、大陸西部と帝国の双方にとって、一定の利点がある。
「オルセン女王をはじめ、他の同盟各国にもそう説明しよう。皆それぞれ政治の理屈をわきまえている君主たちだ。理解してくれるはずだ」
「仰る通りかと。そのようなかたちで、直ちに連絡の用意を開始いたします」
「よろしく頼むよ」
先代に引けを取らない有能な宰相に、スレインは言った。
・・・・・・・
オルセン王国を中心に行われた情報収集、そしてスタリア共和国からの引き続きの情報提供によって、ケライシュ王国による侵攻軍の襲来は十月頃という予想がなされた。船や物資の用意、兵の集結の具合を探った結果、そう判断された。
「十月か。やけに遅いね? 二か月もすれば冬が来るような時期に侵攻開始なんて」
「だからこそ、と言えるかもしれません。ケライシュ王国も西サレスタキア同盟の存在は知っているはずですが、おそらく大したことはないと高を括っています。上陸して短期間で容易に橋頭保を確保し、そのまま守りを固めて占領地で越冬するつもりなのでしょう。多国籍の軍勢となるこちらが、冬に入って動きづらくなることを見越しているのかと」
「……なるほど。舐められたものだね」
王国軍将軍ジークハルト・フォーゲル伯爵の考察を聞き、スレインは苦笑を浮かべる。
確かに、冬に入れば軍隊の動きは大きく制限されるため、上陸した一帯を占領して守りを固める侵攻軍よりも、そこを奪還するために攻勢を仕掛ける同盟軍の方が不利になる。多くの国の軍勢が集まる分、冬は歩調を合わせるのが一層難しくもなる。
しかし、それは侵攻軍の上陸と一帯の占領が成功した場合の話。初動の大成功を前提に侵攻の計画を立て、実行に移すというのは、ケライシュ王国がこちらを舐めきっている証左だった。
「敵の上陸地点は未だ不明ですが、侵攻そのものは確定的となったため、同盟の盟主であるガブリエラ・オルセン女王より同盟各国に正式に出兵の要請がなされました。九月末までにエーデルランド王国の王都ブライストンに集結できるよう、各国の軍は動いてほしいとのことです。また、支援物資に関しては可及的速やかに輸送を開始し、ひとまずオルセン王国南部の都市ヨルクに集積してほしいと」
そう説明するのは、同盟各国との連係と調整を担う外務長官エレーナ・エステルグレーン伯爵。彼女の隣には、遠方の国々との連絡の実務を担う筆頭王宮魔導士ブランカも座っている。
「ヨルクか……あそこであれば、どの国に上陸されても比較的素早く戦場まで物資を送れるな」
エレーナの報告を聞き、王国宰相イサークが呟く。
「ジークハルト。我が国から送り込む援軍は、予定から変わりなく?」
「はっ。王国軍一個大隊と、各貴族領から集めた兵、それに傭兵を合わせた合計二百強。そこに、近衛兵団から三十と、予備役を動員しての後方支援部隊およそ五十を加えた総勢三百の軍をエーデルランド王国に送ります」
ハーゼンヴェリア王国はエーデルランド王国から最も遠いため、今回の支援は物資や資金が主となる。それでも、同盟実現を強く推し進めた一国としての覚悟を示すため、一定規模の戦闘部隊も送り込み、その指揮は国王であるスレイン自身が務めることになっている。
「分かった。参謀はジークハルトに、僕の警護指揮はヴィクトルに務めてもらって、ブランカをはじめ王宮魔導士たちにも随行してもらうとして……大隊はどれを動かす?」
「第一大隊を動員することを考えております」
ジークハルトが答え、その隣に座る、副将軍かつ第一大隊長であるイェスタフ・ルーストレーム子爵が無言で頷いた。
「……それは、なかなか思い切ったね」
スレインは少し驚いた表情で言う。イェスタフ率いる第一大隊を動かせば、ハーゼンヴェリア王国内には武門の貴族家当主が完全に不在となる。
「ルーストレーム卿以外の大隊長たちも、既に長年の経験を積んだ熟練の指揮官です。また、ザウアーラント要塞のすぐ後方にはリヒャルト・クロンヘイム伯爵もおります。彼らに任せれば、国境の防衛には何ら問題はないでしょう。また、現在の帝国は大人しいもので、今になって急に再侵攻を試みるとも考え難い。皇女の伯父が率いる援軍を送り込んでいる最中となれば尚更です」
ジークハルトはそこで言葉を切り、イェスタフに視線を向ける。
「此度の戦いは、西サレスタキア同盟の盟約が初めて発動し、同盟各国が共闘する重要なもの。この戦いに加わる経験が必要なのは、私よりもむしろルーストレーム卿です」
「……」
ジークハルトも間もなく五十歳。指揮や参謀の仕事が中心の将軍とはいえ、軍人としてはあと十年も経たず第一線を退く年齢になった。
フォーゲル伯爵家の後継ぎである長男は王国軍で中隊長まで出世しているが、ジークハルトの引退後すぐに将軍職を継ぐにはやや経験不足。ヴィクトルは軍人としての気質が王国軍より近衛兵団に向いている。そうなると、次に将軍となるのはイェスタフ。
そのイェスタフに、西サレスタキア同盟の軍が集って戦う場を経験させたいというジークハルトの考えは、スレインにも納得できるものだった。
「分かった。君の判断に任せよう」
「はっ」
・・・・・・・
出発の数日前。スレインは隠居したセルゲイ・ノルデンフェルト名誉公爵を見舞いに訪れた。
「元気そうだね、セルゲイ」
「陛下。おかげさまで、今のところは生きながらえております」
そう答えるセルゲイの表情は、宰相だった頃では考えられないほど穏やかなものだった。二か月ほど前、侵攻への対処について助言を仰ぎに訪れて以来に会った彼は、むしろ前回会ったときよりも活き活きとしている。
「……何か書いてたの?」
「ああ、これですか」
ノルデンフェルト侯爵家の屋敷。その中庭に面したセルゲイの書斎。机の上には、筆記具と紙の束が置かれていた。
「隠居してからしばらくは特にやりたいことも思いつかず、読書などをして時間を潰しておりましたが、今はようやく余生を費やす生きがいを見つけました……手記を、書いております。先々代陛下の治世の頃より生きている身、その生涯を書物に記せば、死後も多少なりとも国の役に立てるかと思いまして」
そう言いながら、セルゲイは静かな笑みを浮かべて紙の束を撫でる。
「それに、私が宰相として詳細な手記を残せば、そこにはフレードリク先代陛下と、ミカエル殿下――スレイン陛下の異母弟君の生涯も記されます。お二人の生涯はあまりに短かった。だからこそ、私はそれを書物というかたちで世に刻みたいのです」
その話を聞いて、スレインも笑みを浮かべた。
「それは、とてもセルゲイらしいね。父と弟に代わって感謝するよ」
「恐縮にございます……ところで陛下。明日、軍を率いて出発されると甥より聞きました」
「うん。その前に君を見舞おうと思って、今日訪ねたんだ」
「このような老いぼれのことを気にしていただき、身に余る光栄に思います」
静かに余生を送る好々爺の顔で、セルゲイは頭を下げる。
そして、かつての敏腕な老宰相の顔を、ほんの少し覗かせてスレインを向く。
「陛下は総大将として、幾多の戦いを乗り越えてこられた御方。此度の出兵に際し、今さら私が何を申し上げる必要もないかと存じますが……ご武運を祈っております。どうかご無事でお戻りください」
「ありがとう。心配は無用だよ。同盟軍は勝利し、僕は生きて帰ってくる」
スレインは王としての顔で、力強く答えた。
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