第145話 戦いの前触れ

 スタリア共和国評議員サルヴァトーレ・カロ―ジオとの再会の機会は、意外にも早く訪れた。

 市井が麦の収穫期で賑わう六月。やや唐突にハーゼンヴェリア王国を訪問してきたサルヴァトーレと、スレインは屋敷の会議室で対面する。


「お久しぶりにございます、ハーゼンヴェリア国王陛下。そして、お会いできて光栄に存じます、モニカ王妃殿下。この度は急な訪問となり誠に申し訳ございません」


「あなたの来訪なら歓迎しますよ、カロ―ジオ評議員」


「先日のお話は陛下より聞いています。初めまして」


 ひとまず挨拶を交わして席についたスレインは、一刻も早く本題に入りたい様子のサルヴァトーレを見て、すぐに切り出す。。


「それで、何か私に伝えたいことがあるとのことでしたが?」


「はい。実は……共和国政府が、アトゥーカ大陸に関する不穏な情報を入手いたしました。サレスタキア大陸西部に関わるお話です」


 アトゥーカ大陸は、サレスタキア大陸の南、海を越えた先に存在する大陸。天候にもよるが海路でおよそ二週間ほどの距離にあり、サレスタキア大陸よりも温暖な気候で知られている。

 ヴァロメア皇国時代の最盛期には、皇国の軍勢がアトゥーカ大陸の一部の国へ侵攻したこともあったという記述も歴史書にある。しかし現在は、沿岸部の国々が、主にスタリア共和国を介して概ね穏やかな貿易を行っている。


「アトゥーカ大陸に、ケライシュ王国という国があることはご存じでしょうか?」


「ええ。名前と概要程度は」


 スレインは頷いた。

 ケライシュ王国はアトゥーカ大陸北西部に領土を持つ国で、人口はおよそ三百万。アトゥーカ大陸でも有数の大国であると、スレインは書物から学んだ。


「そのケライシュ王国が、サレスタキア大陸西部に侵攻しようとしているようです」


「……っ」


 それを聞いたスレインは表情を硬くした。


「ケライシュ王国に潜ませている共和国政府の間諜が、大規模な軍事行動、それも外洋を越えての侵攻の予兆を掴みました。ケライシュ王家が、軍船集結のために王都の港を空けさせる準備と、大型商船を輸送船として雇う動きを進めていることが分かったのです……スタリア共和国への侵攻の可能性もあったため、政府が本腰を入れて情報収集を行ったところ、どうやら狙いは共和国ではなくサレスタキア大陸西部であるらしいと分かりました」


 スタリア共和国の抱える貿易商人たちの情報網を使えば、多角的かつ膨大な情報が集まる。ケライシュ王国の軍部から漏れた情報の切れ端を集め、分析したところ、集結を進めている軍勢はサレスタキア大陸西部の南西地域に侵攻するらしいと分かったという。


「どうしてまた、大陸西部に……」


「当代のケライシュ王は覇権主義的な気質の君主として知られており、武闘派の諸貴族の支持を得ながら周辺諸国に対して武力を行使してきました。隣り合う小国は全て併合、あるいは属国化し、残る国は人口数十万の中堅国家から人口百万以上の大国ばかり。地勢的にも、大軍を差し向けづらい山や大河の先にあります。いかなケライシュ王国といえども、それらの国々に対してはおいそれと侵攻には移れず、覇権主義も停滞の兆しを見せ……」


「……それで、距離は遠いが小国ばかりが並び、簡単に征服できそうなサレスタキア大陸西部の国々に狙いを定めたというわけですか。継続的な戦果を示すことで、武闘派貴族たちの支持を繋ぎとめるために」


「おそらくは、陛下の仰る通りであると思われます。我々も同じ推測をしております」


 スレインの言葉に、サルヴァトーレも頷いた。

 軍事的な強さこそを求心力の軸と定めた為政者は、立ち止まることができない。戦いを求める貴族たちを満足させ続け、自分が「勝てる」君主だということを周囲に示し続けなければ、その支持は失われ、その覇道は途切れてしまう。


「具体的な上陸地点についてはさすがに厳重な機密保持がなされているようで、南西地域のいずれの国に侵攻軍が上陸するのかまでは分かっておりませんが……サレスタキア大陸西部に国を持つ諸王の皆様におかれましては、早急に防衛準備を固めるべき状況かと思い、こうしてお伝えさせていただきました」


「カロ―ジオ評議員、ありがとうございます……これで、以前の助言の貸しは返してもらったと思った方がいいでしょうか?」


「いえいえ、まさか。他の大陸西部諸国にもお伝えした情報です。そもそも、我々がお伝えせずとも、いずれは大陸西部の諸王の方々もこの情報を掴んでいたでしょう」


 スタリア共和国はハーゼンヴェリア王国だけでなく、オルセン王国をはじめ関係の深いいくつかの国に、同じ情報を提供しているとサルヴァトーレは語った。


「ですので、共和公政府を救ってくださった陛下へのご恩をこれで返したなどと、恥知らずなことは申しません。貿易を主産業とする共和国では、正しき対価を支払うことで信用を得るのもまた誇りであります故に……今回情報をお伝えしたのは、友邦の君主である陛下のお力になれればと、純粋に考えたからに過ぎません」


「……大陸西部に国を持つ一人の王として、スタリア共和国政府の情報提供に心から感謝します」


 スレインが素直に礼を言うと、サルヴァトーレは恭しく頭を下げる。


「サレスタキア大陸西部の平和は、スタリア共和国にとっても重要なこと。貿易に重きを置く共和国は、周辺地域の社会が安定していてこそ豊かさを保つことができます。ハーゼンヴェリア王国と、大陸西部諸国の安寧を祈っております」


・・・・・・・


 サルヴァトーレの来訪から間もなく、今度はガブリエラ・オルセン女王がスレインのもとを訪ねてきた。

 移動時間を短縮するため、王宮魔導士の使役するガレド鷲に乗って来訪した彼女を、王城の広い前庭で出迎えた宰相イサークが応接室に案内する。

 そして、王宮魔導士とガレド鷲の相手は、ハーゼンヴェリア王国の筆頭王宮魔導士である名誉女爵ブランカが務める。


「よお、鷲女」


「あら、久しぶりね鷹女。いえ、熊女と呼ぶべきだったかしら?」


 女性にしては大柄なブランカに見下ろされながら声をかけられ、少女のように小柄なオルセン王国の王宮魔導士ミルシュカは挑発的な声で返した。


「ちっ、相変わらず見た目以外は可愛げのない奴だな。こっちは一国の筆頭王宮魔導士様だっていうのによ」


 ブランカは顔をしかめながら、しかし仕事は仕事なので、ガレド鷲の手綱を引くミルシュカを案内する。


「使役魔法使いとしての実力は私もあなたも大差ないでしょ。私が筆頭王宮魔導士じゃないのは、オルセン王国の魔法使いの層が厚い証拠。私の主君の国が偉大である証拠よ」


「またそれかよ……人口が多いなら、才の優れた魔法使いも多く生まれる。それだけの話だろ」


 倉庫の一角に案内され、ガレド鷲の手綱を繋いだミルシュカと視線をぶつけ合いながら、ブランカは言い放った。

 現在の大陸西部では共に名の知れた使役魔法使いであるブランカとミルシュカは、互いの実力を認め合ってはいるが、だからこそ互いを好敵手と見なしていて仲が悪い。才が同じである一方で、見た目も性格も真逆であることもそれに拍車をかけている。


「そんなことより、聞いただろ? ケライシュ王国の侵攻の件」


「もちろん。そのために女王陛下をここまでお運びしたんだから」


 ブランカの問いかけに、ミルシュカは頷いた。


「帝国ほどじゃないにしても、馬鹿でかい国として知れてるケライシュ王国の軍勢だ。大陸西部にとっては脅威だな」


「そうね……おそらく、西サレスタキア同盟の盟約が初めて発動することになるでしょう」


 ミルシュカの言葉に、ブランカはため息をもって同意を示した。


「そうなると、あたしもあんたもこれから忙しくなるな」


 西サレスタキア同盟が動くとすれば、各国の迅速かつ正確な連係が重要になる。早馬のさらに何倍もの速度で情報を伝達できるブランカやミルシュカは、大きな役割を果たすことになる。


「仕方ないわ。こういうときのために私たちがいるんだもの。真価を発揮できるのなら、むしろ本望よ」


「ははは、違いない。主君にもらった地位と給金に見合う働きをしないとな」


 ブランカはそう答えて、ミルシュカの待機する倉庫を後にした。


・・・・・・・


 城館の応接室で顔を合わせたスレインとガブリエラは、挨拶もそこそこに話し合いを始める。


「まさか、西サレスタキア同盟が初めて活かされるのが、帝国ではなくアトゥーカ大陸の国家との戦いになるとはな。予想外だった」


 複雑な表情で、ガブリエラが言う。


「ええ、本当に……念のため、こういう場合の防衛計画も考えておいて正解でしたね」


「まったくだ」


 スレインが小さく笑うと、ガブリエラも表情を柔らかくして頷いた。

 この三年、スレインたちは対帝国の防衛計画ばかりを考えていたわけではない。かつてハーゼンヴェリア王国が奇襲を受けたときのような、青天の霹靂と言うべき事態の発生をできる限り避けるために、帝国以外の国から急襲された際の計画も立てていた。

 西端地域のさらに西の海上にある島嶼国家群。エルデシオ山脈を挟んで北側の寒冷な地域にある小国群。そして、スタリア共和国や、アトゥーカ大陸にある国家群。そうした国々から侵攻を受けた際、同盟各国がどのように動き、防衛のための兵力を集めるかを話し合っていた。

 そうした計画を本当に使うことになるとは、スレインたちも思っていなかったが。


「それに、スタリア共和国が情報提供をしてくれたのは幸いでした。そうでなければ、侵攻の情報を掴むのがあと一か月は遅れていたでしょうから」


「小国ばかりの上に、アトゥーカ大陸に出向く者も少ない大陸西部諸国では、情報収集にも限界があるからな……このようなことが起こるなら、今後はそうも言っていられないが」


 大陸西部諸国の人間は、たとえ外交官や大商人だろうと、わざわざアトゥーカ大陸を訪れる者は極めて少ない。貿易はスタリア共和国まで出向けばアトゥーカ大陸産の多くの品が手に入り、政治の面ではそもそもアトゥーカ大陸と深く関わることがないためだった。


「例えば、同盟各国が協力してアトゥーカ大陸に人を送り込み、あちらの国々の動向に目を光らせる、などでしょうか……ですが、そのような新たな仕組みを作るのも、ケライシュ王国の侵攻を退けた後の話ですね」


「そうなるな。まずは目前の危機を排除することが最重要だ」


 ガブリエラはそう言って、目の前に置かれたお茶を一口飲む。そしてまた話し始める。


「侵攻の詳細については、これから情報を集める。既に我が王家の間諜をアトゥーカ大陸に出発させたので、この夏のうちにはおおよその襲来時期と侵攻軍の規模が分かるだろう……上陸地点については、おそらく事前に確定させるのは難しいだろうが」


「海路で攻められると、この点が困りますね」


 陸路での侵攻であれば、敵の姿が見えず、敵がどこを目指しているか分からないということはない。しかし、広大な海を越えて攻められる場合、遠洋航海に不慣れな大陸西部諸国では、敵がどこに上陸するかの詳細を直前まで察知できない。


「だが、ある程度の予想はつく。まず、大陸西部の南西地域という時点で、我がオルセン王国か、エーデルランド、ヒューブレヒト、サロワの四か国まで絞られる。アルティアは南西地域からは外れるし、わざわざ西端まで回り込んで軍事強国のキルステンを襲うとも思えない」


「そうですね。おそらく、ケライシュ王国の最初の狙いは、大陸西部における橋頭保を得ること。そうなると……私ならエーデルランドを狙います」


 大陸西部の地図を思い浮かべながら、スレインは言った。

 大陸西部の南西端に突き出したイレドラル半島。その先端部分に位置するエーデルランド王国を占領してしまえば、多くの軍船を有するケライシュ王国にとって最良の橋頭保となる。一旦占領に成功すればその後も守りやすく、本国からの補給もしやすく、陸と海から他の国へと侵攻の手を広げるのも容易だ。


「私も同意見だ。どちらにせよ、西サレスタキア同盟の各国にはエーデルランド王国へ集結するよう求めておけば、その他の国に上陸されても問題ない。各国に進軍を途中で止めてもらえばいいのだからな」


 エーデルランド王国は大陸西部の南西の果て。そこにたどり着く前提で各国の援軍が移動の準備を進めれば、たとえ集結地点が変わっても、全員揃って大遅刻ということにはならない。


「その前提で進めるとして、後は同盟各国への連絡ですね。手分けをしますか?」


「そうしよう。ハーゼンヴェリア王国は周辺の国々に、我が国はそれ以外の各国に情報を伝える。一応、侵攻の確定的な情報を得るまでは同盟は動かせないので、今のところは準備だけを進めてもらおう……細かいことは、互いの官僚に任せよう」


「分かりました。ではそのように」


 答えながら、スレインは表情を引き締める。

 少々意外なかたちではあったが、同盟が活かされる時がついに来た。自分たちの信念が正しいものであったと証明する重要な時が。

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