第143話 島国の政局④
二人の憲兵と容疑者の男は、注目を集めてさらなる騒ぎを引き起こさないよう、人通りの少ない裏通りを進み――途中にある建物の前で止まった。
誰にも見られていないことを確認し、憲兵の一人が建物の扉を数回、変則的なリズムで叩く。すると、すぐに扉が開かれる。三人はその中に素早く飛び込む。
「な、なあ。あれで十分に仕事はしたよな? これで俺と家族は……」
「ああ、あれで問題ない。約束通り、お前は金を受け取って、家族と新天地に亡命だ」
今の今まで容疑者として連行されていた男が言うと、憲兵の一人が答える。その口調は事件の容疑者に対する厳しいものではなく、穏やかなものだった。
二人の憲兵は、容疑者の男を拘束していた縄を、切れ味の悪いナイフで力任せに切る。
この三人は、国民党による世論工作の実行役だった。
容疑者役の男は、大金のために国民党に使い捨てられ、祖国を捨てる覚悟を決めた手駒。幼い娘が生まれつき抱えている病を治すために、共和国民の平均年収の数年分に匹敵する治療費を得るのが目的だった。
無事に務めを果たしたので、娘の治療費を支払って有り余る報酬を受け取り、この国から遥か遠い大陸西部のハーゼンヴェリア王国に家と農地を得て暮らすことになる。その代償として、二度とスタリア共和国には帰れない。
二人の憲兵は、国民党の中枢にいる大物評議員の縁者。入隊や出世のためにコネも重要となる憲兵隊には、多くの評議員が自身の息のかかった親類などを送り込んでいる。そうした憲兵は共和国の法を守る番人であり、親類の利益を守る私兵でもある。
また、最初に容疑者役の男に声をかけ、騒ぎを引き起こした聴衆も協力者だった。首都の庶民のふりをしていた彼の正体は、先ほど大通りで演説を行っていた大物評議員の縁者。首都サン・シエーナからかなり遠い辺境都市の評議員の息子で、服装や髪型を変えた上で首都にやって来て、狙い通りの騒動を引き起こすために立ち回った。
いずれ彼が親の後を継いで評議員になった暁には、今回の貢献への対価として、国民党政府で良いポストを与えられることが確約されている。
「お前はここで変装して、私と一緒に移動しろ。港で家族と再会して、貨物に紛れて出港だ」
「は、はい」
建物の中で待っていた、やはり国民党要人の縁者である政治工作員が、容疑者役を務めた男を奥の部屋に引っ張っていく。
「それでは、俺たちは報告の準備だな」
「ああ、正直に言うと不本意だが……」
憲兵の一人が相棒に答え、そして彼の頬をいきなり殴りつける。
そして、今度は自分が殴られる。その後も、二人は互いの顔や身体を数発ずつ殴り合う。
「……これでいいだろう」
「不審な行動によって拘束された容疑者は、連行中に縄を力ずくで引き千切り、憲兵二人を殴り倒し、証拠品を奪って逃走……か。容疑者が肉体魔法の使い手だったことにするとはいえ、俺たちはとんだ間抜けだな」
「ははは、仕方ないさ。しばらくは失態を犯した馬鹿として見られるが、将来の出世は約束されたんだ。このまま憲兵隊で上まで上りつめてもいいし、いずれ政界に進出したっていい。一時の恥の対価としては十分だ」
相棒のぼやきに、憲兵はそう答える。
「さあ、急いで本部に戻ろう。報告までが仕事だ」
「……そうだな。嫌なことは、とっとと済ませてしまうに限る」
二人の憲兵は建物の裏口から出ると、憲兵隊本部まで走る。
・・・・・・・
首都サン・シエーナの大通りで起こった騒動の話は、スタリア共和国全土の市井に瞬く間に、やや不自然なほどの勢いで広まった。
ガレド大帝国の高額貨幣を持ち、改革党の名が書かれた偽造投票用紙らしきものを大量に抱えた不審な男が、肉体魔法を使って憲兵の拘束を振り切り、逃走。憲兵隊が全力を挙げて捜査するも、男の消息は不明のまま。
この話を聞いた共和国民の多くが考えた。逃走した男はおそらく、選挙で改革党の票を水増しするための工作の準備をしていたのだと。この騒動の裏にはガレド大帝国がいるのだと。男が持っていた帝国の貨幣は、工作の報酬なのだと。
そして疑惑の目は、当然のように改革党に向けられた。
国民党の支持者たちを中心に激烈な改革党批判が展開され、評議員候補者のみならず、市井の者たちも都市の広場で、路上で、庶民の交流の場たる酒場で、改革党を痛烈に非難した。
改革党は帝国と手を結び、卑劣にも違法工作をはたらいてまで選挙で勝とうとしたのだと、彼らは叫んだ。改革党は帝国の傀儡だと叫んだ。こうなると、改革党が躍進した前回の選挙も正当なものだったのか怪しいと疑念を語る者も少なくなかった。
二百年近くも共和制を維持してきた誇り高き民を自負する彼らにとって、この現状は耐えがたい屈辱だった。国民党はもちろん、改革党の支持者も多くが激怒した。経済的発展のために帝国に接近することを良しとした彼らも、帝国に祖国を明け渡すつもりはなかった。
波乱は改革党の内部にまで及んだ。
改革党の中にも温度差があり、本当に帝国の傀儡と化している評議員もいれば、純粋に改革政策が共和国のためになると信じている評議員もいた。新興政党である改革党は、党としての結束力はさほどのものではなく、思惑の異なる評議員たちの寄り合い所帯的な色が強い集団だった。
そのため、末端の改革党評議員たちは、自分たちの与り知らぬところで幹部たちが不正行為に手を染めているのだろうと考えた。彼らは仲間ではなく、世論をあっさりと信じた。彼らもまた党の幹部たちに憤り、選挙直前になって離党する者が相次いだ。
改革党はもはや沈みゆく船だと判断し、自身の落選を防ぐために、打算的に離党して改革党の看板を下ろす者もいた。
改革党の幹部たちは(実際そうであるので)自分たちは工作などはたらいていないと訴え、公約からガレド大帝国への港の貸し出しを取り消したが、もはや世論の流れは変わらなかった。
そして迎えた選挙で、改革党は敗けた。単独で過半数に達するとさえ見込まれていた彼らの議席は三割を下回り、前回の選挙から大幅に後退した。疑惑にまとわりつかれた党の幹部たちは、落選するか、疲れ切って引退するか、幹部の座を追われるか、いずれにせよ影響力を失った。
対照的に、国民党は十数年ぶりに単独で過半の議席を獲得した。
スタリア共和国は平穏を守った。それは、大陸西部――西サレスタキア同盟の平穏が守られたことも意味していた。
「以上が、スタリア共和国の選挙の顛末です。サルヴァトーレ・カロ―ジオ評議員と、現在の共和国首相であるフェデリゴ・ガリバルディ評議員より、非公式ではあるが陛下に感謝を伝えてほしい、との伝言を預かりました」
王国暦八十四年の初夏。スレインにそう報告するのは、外務長官エレーナ・エステルグレーン伯爵だった。
「思っていた以上に上手くいったね……三十万の人口を擁する国の政情が、疑惑ひとつでここまで激動するなんて。共和制は脆い」
「まったくもって仰る通りです。あのように脆弱で不安定な体制で国家を運営するなど、正気の沙汰とは思えません」
ヴィクトルと同じく、エレーナも封建制国家の貴族として辛辣な意見を語る。
「だけどまあ、結果的には我が国の利益が守られて良かった。わざわざスタリア共和国まで状況を見に行ってもらって、君には手間をかけたね」
「いえ、これが私の務めですので」
スレインが労いの言葉をかけると、エレーナは微笑で答えた。
「我が国に亡命した民の様子も、問題ないんだったね?」
スレインが尋ねると、同席している王国宰相イサークが頷く。
「そう報告を受けております。しばらくの間は定期的に私の部下を接触させ、様子を見てやる予定です」
「それはよかった。引き続き頼んだよ」
亡命して旧ウォレンハイト公爵領のあたりに移り住んだ実行役の元共和国民は、小さな家と農地を得て家族と暮らしているという。彼がこのまま、新たなハーゼンヴェリア王国民として平穏に人生を送ることをスレインは願っている。
「これで、共和国政府と良い繋がりができたね」
「はい。スタリア共和国は地理的には距離がありますが、政治的にも経済的にも無視できない重要な国。陛下のお力でかの国の中枢にひとつ貸しを作ることができたのは、ハーゼンヴェリア王国にとって大きな利益かと思います」
スレインが満足げに言うと、エレーナも首肯する。
今回の一件でスレインは目に見える報酬を得ていないが、それでも共和国政府の要人たちと言葉を交わし、非公式ながら彼らに貸しを作ったという事実は大きい。
貸しの証拠はないが、案ひとつで自国の政局を動かしてみせたハーゼンヴェリア王を敵に回したいとは、共和国も考えないはず。よほどの無茶を頼むのでなければ、いつか必要な場面で何かしらの便宜を図ってもらえる。
今のところハーゼンヴェリア王国とスタリア共和国が直接やり取りをする機会は少ないが、他国と繋がりを作っておくのは悪いことではない。海上交通の要所であるスタリア共和国の政府に、いざというとき即座に話ができる窓口が生まれたことは、沿岸部から離れた内陸国であるハーゼンヴェリア王国にとっては間違いなく利点となる。
結果的に、スレインは少しばかり知恵を巡らせて奇策をひとつ提案するだけで、ひとつ政治的な利益を得たこととなった。
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