第142話 島国の政局③

「オルセン女王、カロ―ジオ評議員。お待たせしました……何か、話し合いの途中でしたか?」


 会談の場に戻ったスレインは、話し込んでいたらしいガブリエラとサルヴァトーレを見てそう言った。


「いや。国民党が選挙に負けた場合を想定して対応を話し合っていたが、あまり楽しい話題ではなかったからな。貴殿が策を思いついたのであれば、それを聞く方がいい」


「ははは、それなら良かったです。おそらく期待に応えられるような、とても汚い策を思いつきましたよ」


 ガブリエラと話しながら席についたスレインに、サルヴァトーレが期待に満ちた表情を向ける。


「おかえりなさいませ、ハーゼンヴェリア国王陛下。早速ですが、ご考案をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「ええ、話しましょう。その前に、ひとつ確認したいことがあります……あなた方国民党は、一度限りの使い捨てとして不正行為を働かせられる手駒を用意できますか? 務めを果たした後は口を噤み、スタリア共和国を捨てて大陸西部の何処かに亡命し、二度と祖国には戻らない。そんな条件を許容してくれる手駒を」


「……例えば借金に悩まされている者や、庶民の収入では治療できない病を抱えている者、その家族などであれば、なかには大金を積まれれば汚い仕事をして祖国を捨ててもいいと考える者もいるでしょう。そうした者に声をかければ、手駒として使えるかと」


 スレインの問いかけに、サルヴァトーレはそう答えた。


「であれば、問題ありません……次に、選挙で使用される、確か投票用紙という書類でしたか。それを、投票期間よりも前に数百枚ほどまとめて用意できますか?」


 次の問いかけを聞いたサルヴァトーレは、怪訝な表情になる。


「畏れながら陛下。スタリア共和国の選挙では、二十万人に及ぶ有権者のほぼ全員が投票を行います。国民党の名を記した投票用紙を数百票ほど用意し、すり替えなどを行った程度では、とてもではありませんが、選挙の大勢を変えることは叶いません。せいぜい一人か二人程度の評議員を当選させるだけで終わるでしょう」


 およそ一割に及ぶ支持の差を埋めるには、とても至らない。サルヴァトーレのそんな懸念を予想していたスレインは、不敵な笑みを浮かべる。


「いえ、私の策は、投票用紙のすり替えで国民党の票を増やそうとするものではありません」


 そして、スレインは自身の策を詳しく説明する。

 それを聞いたサルヴァトーレ、そしてガブリエラは、目を見開いて驚愕していた。


「また貴殿は……よくもまあ、そのような策を思いつく」


「恐縮です、オルセン女王」


 半ば呆れた声で言うガブリエラに、スレインは微笑んで答える。


「どうでしょう、カロ―ジオ評議員。投票用紙の束と、手駒となる者を一人。そしてその逃亡を手助けする口の堅い者を数人程度、用意すれば実行できる策かと思います。使いますか?」


 しばらく唖然としていたサルヴァトーレは、やがて微苦笑を零す。


「私の一存では何とも申し上げることができませんが、政府に持ち帰って報告すれば、おそらく実行すると決定されるでしょう。陛下よりいただいたご助言に感謝申し上げます」


「喜んでもらえてよかったです」


 スレインはそう言って、サルヴァトーレに向けて笑顔を作る。


「ではカロ―ジオ評議員。スタリア共和国との共栄を望む国の王として、あなた方国民党の勝利を心より願っています」


・・・・・・・


 春。四年に一度の選挙が近づいてきたスタリア共和国では、評議員候補者たちの選挙活動が日々くり広げられていた。

 議席を守りたい現役の評議員、あるいは新たに議席を獲得したい新人候補者。そうした者たちが広場や大通りで演説を行ったり、大商人や地主などの有力者のもとを巡ったりと、一票でも多くの票を獲得するために奔走する。

 選挙に立候補するには高額な供託金を納めなければならないので、立候補者は自然と富裕層や、彼らの支援を受けられる知識人階級に限られる。なかには代々の家業が評議員という者もおり、彼らは共和制の理想と現実の間にある、決して短くはない距離をその身で示している。

 ある日の午後。一人の候補者――現政府で大臣職を務める国民党の大物評議員が、首都サン・シエーナの大通りにて演説を行っていた。平日でありながら、国民党の支持者を中心に足を止めて聞き入っている者も多い。

 熱を帯びた口調で自身の主張を語る評議員と、それに時おり拍手や歓声を返す聴衆。この時期ならば国内の至るところでくり広げられるそんな光景の後方で、不審な動きを見せる男がいた。

 大通りを歩く痩せた若い男は、大きな鞄を抱え、しきりに周囲を気にしながら歩いていた。演説の聴衆で混んでいる大通りを、明らかに挙動不審な様子で歩くその男に、次第に聴衆たちの注目も集まる。


「……なあ、あんた。どうしたんだ?」


 ついに、聴衆の一人が男に声をかけた。肩を叩かれた男は、大仰に飛び上がって驚く。


「その大きな鞄はなんだ? そんな大事そうに抱えて何をする気だ?」


「い、いや、これは……」


「おい、逃げないように囲め。こいつ何か変だぞ」


 選挙が近いこの時期は、評議員候補者に対して攻撃的な行動をとろうと企む者も時おりいる。目の前の露骨な不審者もそうした輩ではないかと考えた聴衆が数人、男を囲む。


「ま、待て。俺は別に」


「じゃあその鞄を開けて中を見せてみろよ」


 ざわめきが広がり、詰問された男は汗をかきながら狼狽える。


「なあ、鞄の中を見せろよ」


「あっ、や、止めてくれ!」


 最初に男に声をかけた聴衆が、男から無理やり鞄を奪おうとする。男が抵抗して鞄を掴むと、二人に引っ張られるかたちとなった鞄が開き、中から紙束が飛び出した。

 石畳の大通りに散らばった、数百枚の紙。それを拾い上げた聴衆たちは、怪訝な顔に、あるいは驚愕の表情になる。


「な、何だよこれ!」


「投票用紙じゃないか……」


「しかもこんなに大量に……行政府の印までちゃんと押されてやがる」


「何で投票期間の前に投票用紙なんて持ってるんだ、こいつ!」


「お、おいおい……おまけにこの投票用紙、もう記入されてるじゃねえか。『改革党』って!」


「こっちにも書いてあるぞ!」


「本当だ! 全部『改革党』って書かれた投票用紙だ!」


 ざわめきが一層大きくなり、もはや騒動と呼ぶべき有様になる。

 演説を行っていた評議員も、さすがに異変に気づいて語るのを中断し、困惑した表情を作って騒動の方を見る。

 演説の場を見守っていた共和国軍人が二人、状況確認のために騒動の方に近づく。


「おいてめえ! この投票用紙で何するつもりでいやがった!」


 この場にいる聴衆は、そのほとんどが国民党の支持者。最初に声をかけた聴衆もそうなのか、怒りを露わにして男に掴みかかる。

 と、服を引っ張られた男の、掴まれたポケットが破れ、そこから床に何かが落ちた。

 石畳に当たって甲高い音を上げながら散らばったのは、数枚の金貨や銀貨だった。


「こ、これ……帝国銀貨だぞ!」


「本当だ! こっちは帝国金貨だ!」


「こいつ、何でこんなもの持ってやがる!」


 貿易が盛んな共和国とはいえ、庶民が外国の高額貨幣を持ち歩くことなど滅多にない。ガレド皇帝家の紋章が記された金貨や銀貨を拾い上げた聴衆たちは、男を取り囲んで詰め寄る。今にも袋叩きにしそうな剣幕で問い詰める。


「おい、何を騒いでいる!」


「あ、軍人さん! 実はこいつが――」


 そのとき、二人の共和国軍人が聴衆たちの間を抜け、騒動の場にたどり着いた。憲兵の軍装をした二人は、最初に男に声をかけた聴衆から事情を聞くと顔を強張らせ、一人が男を拘束する。

 そしてもう一人が、集まっている聴衆に呼びかける。


「この男が持っていた投票用紙は証拠品だ! 全て回収する! この投票用紙が本物にしろ偽造されたものにしろ、正規の手続きを踏まずこれを所持するのは重罪だ!」


 憲兵の言葉を聞いて、聴衆たちは拾った投票用紙を慌てて差し出す。全ての投票用紙が瞬く間に集められ、憲兵に渡される。


「我々はこの容疑者を連行する! お前たちは騒ぐのを止めろ! 後ほど捜査のために証人を求める布告がなされたら、共和国民の義務として協力するように!」


 憲兵はそう言って、演説を行っていた評議員に騒動の内容と収束を報告すると、もう一人の憲兵のもとに戻り、容疑者の男を憲兵隊の本部まで連行していく。

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