第141話 島国の政局②

「……っ」


 スレインは小さく片眉を上げ、驚きを示す。

 スタリア共和国にガレド大帝国が租借地を持つ。それも港を。これは、サレスタキア大陸西部の目の前に帝国が侵攻拠点を得るに等しいことだった。

 大陸西部と、ガレド大帝国のある大陸中部は、エルデシオ山脈で隔てられている。そして陸の南の海においては、険しい岩礁地帯で隔てられている。

 まるでエルデシオ山脈の延長のように南北に細く伸びているこの岩礁地帯は、水深が浅く、沿岸部では島とも呼べない岩が無数に海面に突き出し、沖合ではやはり岩が海中にその先端を並べている。小舟ならばともかく、大きな商船や軍艦が通れる地形ではない。

 この岩礁地帯があるために、大陸中部から大陸西部へと海路で進むためには、南の沖に一度出てから、岩礁地帯を大きく迂回するように進まなければならない。沿岸を進む場合と比べて、一週間は余計に要する。このことが、帝国から大陸西部への海路による急襲を難しくしている。

 この岩礁地帯を迂回してきた帝国の商船などが、補給のために立ち寄るのが、大陸西部の南に浮かぶスタリア共和国。

 もしも帝国が自由に使える港を共和国に得て、そこを軍事拠点にすれば、帝国の軍勢はこの拠点から大陸西部まで、天候によっては一日半ほどで到達できる。大陸西部のほど近くにあらかじめ兵力を集結させることができ、侵攻のための補給物資なども大量に備蓄することができる。


「共和国経済の発展のためには、莫大な人口を有するガレド大帝国との結びつきを強めるのが最善の道。その第一歩として、帝国に港を貸し出し、政治的に歩み寄りを進め、貿易を活性化させるべきである。それが改革党の主張です」


「それは……大陸西部に領土を持つ王としては、強く懸念すべき話ですね」


 元来、スタリア共和国は地理的な理由もあり、政治的にも経済的にも大陸西部に近しい国として存在してきた。その共和国が帝国に急接近するようなことになれば、大陸西部にとっては安全保障の面だけでなく、経済の面でも危機と言える。


「帝国も共和国に租借地を得たからと言って、直ちに大陸西部侵攻などを考えるわけではないだろう。帝国東部や北部の紛争は、未だ終わる気配がない。そのような状況で、帝国が西に新たな戦端を開くとは思えない……とはいえ、数十年後は分からない。いざ帝国が大陸西部に領土的野心を抱いたとき、スタリア共和国に軍事拠点となる港があったら、西サレスタキア同盟にとっては脅威そのものだ。我々の子孫に負の遺産を残すことはしたくない」


「共和国政府としても、改革党の動きには強い警戒心を抱いています。強大な帝国が、租借地を得たからと言ってスタリア共和国に恩を感じてくれるとは思えません。そもそも、帝国に港を貸し出すこと自体が、共和国の安全保障上の危機となります。絶対的な友好国とまでは言えない国に、自ら橋頭保を与えるようなもの。島国の防衛上の利点を自ら捨てるに等しい行いです」


 ガブリエラの言葉に、サルヴァトーレはそう答える。


「それでも、改革党の掲げる公約は多くの支持を集めているんですね?」


「残念ながら、仰る通りです。共和国は他国との本格的な戦争を百年以上も経験しておりませんので、危機意識が薄い国民も多く……それでも、全ての国民が改革党の極端な政策に共感しているわけではありません。国民党の推測では、我が党を支持する保守派が四割。改革党を支持する改革派が五割。残る一割ほどが、無党派層や少数政党支持者です」


「……厳しい状況ですね」


 スレインは少しばかり表情を硬くしながら呟いた。


「そこで、私が共和国政府の非公式の使者として、サレスタキア大陸西部に送られました。今年の選挙の追い風となるようなご助言を、ハーゼンヴェリア国王陛下よりいただけないかと政府は考えました」


 そう言われ、スレインは困り顔で笑みを零した。


「政府の要人を送り込むほどの価値が、私の助言にありますか?」


「打てる手は全て打っておきたい、というのが共和国政府の実情です。陛下はこれまでに幾度も奇跡を成してこられた御方。そのご助言を賜る機会を得られるのであれば、党の幹部を使者として送るべきであると、それが陛下への敬意であると、政府は考えました」


 随分高く買われたものだ、とスレインは内心で思う。

 自分がいくつかの偉業を成し遂げたのは事実であるが、そこから受けるあまりにも高い評価については、今でもあまり慣れない。


「ですが、私がこれまでに危機を乗り越えた策は、言ってしまえば汚い手段ばかりです。貴国の選挙という制度は、公平を是とすると聞いています。果たして私の発案が役立つかどうか」


「共和国政府もそれは承知しているそうだ。その上で、貴殿には何か改革党の足を引っ張るような汚い策を考えてほしいと」


 おそらくはサルヴァトーレを気遣って、ガブリエラが言葉を選ばずに言い放つ役を務めた。

 その明け透けな言い様にサルヴァトーレは少し困った表情を見せつつも、頷く。


「表向きは選挙の法を守らなければならない以上、いくつか制約はありますが、ハーゼンヴェリア国王陛下のお知恵をお借りできるのであれば、基本的にはどのような策でも構わないと。むしろ、選挙制度に慣れた我々では思いつかない奇想天外な策こそを乞い、持ち帰ってくるようにと、私は命じられています」


「奇想天外な策、ですか……」


「このようなご相談であるため、我々が陛下にご助言を乞うたことは公にはなりません。私がこの場で陛下にご相談した事実も、公的にはなかったこととなります。陛下よりいただいた策を我々が実行した結果、どのようなことが起ころうとも、それは我々の責任となります」


「……」


 秘密裏に来訪した理由はこれか、とスレインは思う。

 共和制国家の政府が封建制国家の君主に助言を求めた、という体面の悪さを隠すためだけではない。汚い策を求めるからこそ、証拠を残さないようにしながらこちらに接触してきたのだ。

 スレインの提示した策が失敗しようと、スレインは責任を負わず、その名声に傷もつかない。どれほど汚い策を提示しようと、それが途中で露呈しようと、スレインに責は及ばず、その人格的な評判も落ちない。

 その代わり、策が成功してもスレインはその功を誇ることはできないし、「実は自分は共和国に策を提示してやったのだ。成功報酬を寄越せ」などと暴露して騒いだところで、その確たる証拠を提示できない。

 共和国政府は何ら対価を示さず、だからこそスレインは何ら責任も負わない。この会話は存在せず、形に残るものは何もない。どちらにとっても都合のいい話だった。


「このままでは我々の祖国が破壊されかねない以上、手段は選んでいられません。それに、おそらく改革党が港の貸し出しなどと言い出した背景には帝国がいます。改革党議員の一部が賄賂でも受け取っているのでしょう……褒められない手を使ったとしても、改革党に責められる謂れはございません。お互い様です」


「……なるほど」


 なかなか肝が据わっていると言うべきか、あるいは開き直っていると評するべきか。スレインはそう思ったが、口には出さなかった。共和国政府のこの開き直りが、長い目で見ればハーゼンヴェリア王国をも救うかもしれないのだから。


「どうだ、ハーゼンヴェリア王。話を聞いてよかっただろう?」


 これ見よがしに笑みを浮かべて言ったガブリエラに、スレインは半眼で笑みを返す。悔しいが、ガブリエラの言う通りだった。


「事情は分かりました。延いては我が国の利益にも繋がることですし、やれるだけやってみましょう……と言っても、今すぐ魔法のように案が浮かぶわけではありませんよ? もう少し詳しく共和国の政情を聞かせてもらって、その後はしばらく落ち着いて考える時間と場をください」


「もちろんだ。中庭でも食堂でも、客室でも浴室でも、王城内の好きな場所を使ってじっくり考えてくれ。茶や軽食が欲しければ用意させる。酒でもいいぞ」


「ありがとうございます、ハーゼンヴェリア国王陛下。どうか賢王として名高い陛下の御知恵をお貸しください。共和国政府の代表として、何卒お願い申し上げます」


・・・・・・・


 その後も共和国の政情についてサルヴァトーレに質問を重ねたスレインは、会談の場を一旦出ると、眺めのいい中庭でハーブ茶と軽食を前に座っていた。


「どうしたものかな……王制とは勝手が違い過ぎて、とれる手段が少なすぎる」


 もそもそと焼き菓子を頬張り、温かいハーブ茶で流し込みながら、スレインは愚痴を呟く。

 サルヴァトーレの語った「いくつかの制約」は、スレインからすれば厄介なものだった。改革党の足を引っ張れるのであれば汚い策でも歓迎だが、その策を講じたことが表に出ず、察されもしないような方法でなければならないと言われた。つまり、改革党を売国者と糾弾して力で壊滅させたり、要人を抹殺したりする手段はとれない。

 おまけに、共和制国家の政治派閥というのは組織の力で動かされているため、たとえ敵対勢力の頭を陥れて失脚させても、それがすぐに切り捨てられて新たな頭が生まれるという。

 このあたりが、あちらは政治体制がまったく異なる国家なのだと実感させられる点だった。

 封建制国家であれば、為政者に実力と最低限の建前がありさえすれば、敵対勢力など頭をもぎ取って強制的に黙らせて終わりにできる。しかし今回は、群れで動く敵対勢力の無数の足をいっぺんに掴み、一気に引っ張らなければならない。それも、国民党の仕業と気づかれないように。

 空になったカップに、ポットからハーブ茶が注ぎ足される。オルセン王家の使用人は遠ざけてあるので、注ぐのは副官のパウリーナ・ブロムダールだ。


「どう、パウリーナ? 君は何か思いついた?」


「……申し訳ございません。私などでは、とても」


 主君の思考の邪魔にならないよう無言で気配を殺していたパウリーナは、スレインが声をかけたことで初めて言葉を発する。冷静な無表情に、少しばかり困ったような感情を滲ませて。


「あはは、やっぱり難しい話だよね……君はどう、ヴィクトル?」


 直衛として傍に立つヴィクトルは、話を振られるとしばし考え、そして口を開く。


「畏れながら、私も妙案は思いつきません。そもそも、共和制などという不確実で非効率的な体制をとっていること自体が、スタリア共和国の愚かな過ちではないかと考えます。強く聡明で偉大な支配者である王族と、それを支える貴族を戴き、その庇護の下で生きることこそが平民の正しき在り方です」


 いかにも封建制国家の貴族らしいヴィクトルの意見に、スレインは苦笑する。


「確かに、僕たちから見たら、共和制なんて奇異でしかないよね。だけど、あれはあれで利点もあるそうだよ。識字率を高い水準に保つ努力が自然となされるから社会が成熟しやすくなるし、自分たちの国の行く末を自分たちで決めるからこそ、民の一人ひとりが誇り高くなる……らしい。書物によると」


「そのような民に囲まれて、政治が上手く回るとは思えません」


「あははっ、そうだね。実際、上手く回らないことも多いらしいよ。気に食わない政策を取られた民が集会を開いて大騒ぎして、それもまた民の権利だから政府も力ずくで止めるわけにはいかず、最後には音を上げた為政者が政策を撤回することもあるんだって」


 その話を聞いたヴィクトルも、パウリーナも、眉を顰める。


「君たちの気持ちは分かるよ。僕も一国の王として、とてもスタリア共和国の真似をしたいとは思わない」


 為政者の立場からすれば、賢しい上に自尊心の高い民に囲まれて口を出されながら政治を行い、その結果の良し悪しを選挙などという形でやはり民に判断され、場合によっては権力を失うなど、悪夢でしかない。手足を縛られながら政治を行うに等しい。やりづらいことこの上ない。

 ランツ公国のように、思想を同じくする者たちが集まって社会を作るのならともかく、意見を全く異にする者たちが集まって、強き君主もいないのによく国を運営できるものだと思える。

 そもそも、政治の良し悪しの判断はおろか、自身の権力の行く末までをも民に委ねるというのは、スレインの感覚では甘えだとさえ言える。

 他者に決めさせるということは、すなわち責任を他者に押しつけるということ。一国の君主である自分は違う。圧倒的な権力を持ち、その権力をもって治世を行い、そしてその結果に対して全ての責任を負う。

 自身とハーゼンヴェリア王家の名誉で、場合によっては自身の命で、責任を取る。だからこそ自分は君主であり、覚悟を抱き、誇りを抱いている。

 もちろん臣民たちにもハーゼンヴェリア王国民として誇りは持ってもらいたいが、それはあくまでも良き臣民であるという誇り。政治の決定者として口を出してもいいのだと考えるのは違う。


「……誇り高い民、か」


 心地よい春の空気の中、草木の新緑を眺めながらスレインは何気なく呟く。

 そして、今度はゆっくりと、時間をかけてハーブ茶を一杯飲む。そうしながら思考を巡らせる。

 飲み終える頃には、ひとつの策が思い浮かんでいた。


「二人とも。戻ろう」


 その言葉で、主君が仕事を終えたことをヴィクトルとパウリーナも理解する。


「はっ」


「かしこまりました」


 立ち上がって会談の場に戻るスレインに、二人が続く。


★★★★★★★



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また、一部販売サイトでは、既に予約の受付も始まっているようです。


Web版からさらに物語を磨き上げ、でき得る限りの力をもって純度を高めた最強の一冊に仕上がっています。何卒よろしくお願いいたします。

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