第140話 島国の政局①

 三月。スレインはオルセン王国の王都エウフォリアを訪れていた。

 西サレスタキア同盟の結成後、スレインは最低でも年に一度、ガブリエラと一対一で会談するようにしている。「同盟」の盟主と、帝国から大陸西部を防衛する際に最重要となるであろう国の君主として、互いに現状を確認し合い、親しい距離を保つようにしている。

 今回はガブリエラの即位十年と、彼女の息子である王太子の成人を祝う晩餐会が開かれ、スレインは友好国の君主として自ら出席。晩餐会が開かれた翌日に、こうして会談の場を設けた。


「……そうか。あのノルデンフェルト侯爵が隠居したか」


 会談と言っても、今回は君主同士で腰を据えて話し合うべき重要事項もない。微細なすり合わせ事項については、両国の外交官に調整を任せておけばいい。なので、二人の話の内容は専ら両王家の近況報告となる。


「私もまだ王女だった頃から、彼とは何度か会ったことがある。先代オルセン王だった父の名代として貴国を訪問した際は、宰相であった彼とも会談した。彼がオルセン王国を訪れたこともあった。貴殿が王太子になる前のことだ」


「話には聞いたことがあります」


 セルゲイも六十を超えるまでは、ハーゼンヴェリア王国の法衣貴族の筆頭として、周辺諸国に自ら出向くことが時おりあったという。


「ハーゼンヴェリア王国の名宰相と言えば、老練で厳格なセルゲイ・ノルデンフェルト侯爵というのが長らく常識だったのにな……とはいえ、私の息子がもう成人を迎えたのだ。私が即位した頃には既に老人だったノルデンフェルト侯爵が一線を退いたというのも、無理もない話だな。時の流れは速い」


「ええ、まったくです。あなたと知り合った頃には成人したての若造だった私も二十代半ばに近づいて、今年には三人目の子が生まれるんですから」


「そうだな。貴殿でさえそうなるのだ。私など、もう誰からも新進気鋭の若き女王などとは呼んでもらえなくなった」


 少しばかり複雑そうな表情のガブリエラを見て、スレインは笑う。


「良いことではないですか。あなたが実力と経験を兼ね備えた女王だと、誰もが認めているということですよ。君主として熟した証です」


「おい、女に向かって熟したなどと言ってくれるな」


 ガブリエラはわざとらしく顔をしかめると、お茶に口をつけて間を取り、空気を切り替える。


「……ときに、ハーゼンヴェリア王」


「何です?」


「貴殿に会ってほしい者がいる。ちょうど今、この王城に滞在している客人――スタリア共和国の政府要人だ」


 ガブリエラの言葉に、スレインは首を傾げた。

 スタリア共和国は、サレスタキア大陸西部の南に浮かぶ、人口三十万人ほどの島国。サレスタキア大陸の西部と中部、さらには外洋を挟んだ南にあるアトゥーカ大陸との貿易の中継地点であり、この辺りでは珍しい共和制をとる国家であり、ハーゼンヴェリア王国にとってはジャガイモとその栽培知識の輸入元でもある。


「昨日の晩餐会には、スタリア共和国政府の人間などいなかったはずですが」


 晩餐会の出席者は、オルセン王国の貴族や、近隣諸国の代表者のみだった。そのことを思い出しながら、スレインは疑問を口にする。


「ああ。何せ非公式の、秘密の来訪だからな」


「それはまた……穏やかではありませんね」


 政府の人間が秘密裏に来訪し、ちょうどその時に開かれている社交の場にも顔を出さない。普通の用件ではないと分かる。


「その客人が伝えにきたのは、共和国の政情についての重要な情報だ。西サレスタキア同盟の安全保障にも関わるものだ」


「……ということは、帝国絡みで?」


「そうだ。詳細については、向こうの面子もあるので私の口から勝手に説明はできないが……その件について、客人がハーゼンヴェリア王に相談したいと言っているのだ。私に貴殿へと顔を繋いでほしかったようだが、丁度よく貴殿がエウフォリアを訪れる予定があったからな。客人にはそれまで我が城に滞在してもらった」


「私に相談ですか? スタリア共和国とは、政治的な縁はほとんどないはずですが」


 スレインは怪訝な表情を浮かべる。自分の代はもちろん、父やそれ以前の代のハーゼンヴェリア王家が、スタリア共和国と殊更に関係が深かったという話は聞いていない。名指しで相談されるような関係ではない。


「貴殿はガレド大帝国の侵攻という脅威を二度も退け、ゴルトシュタットを陥落させた。いずれも正攻法ではない策を用いてな。客人は、そんな英雄の助言が欲しいのだそうだ。あくまで非公式にな。共和国の気持ちは私も分かる。貴殿は奇策を思いつくのが大得意だろう?」


「……まあ、人よりは多少得意かもしれませんが。でも、そういう策をもって何かを解決するようなことは、もう何年もやってません。自国や親しい国ならともかく、名前と概要程度しか知らない国の政情を前に、果たしてどれほどの助言ができるか」


 遠回しに奇人呼ばわりされ、スレインは少しむくれながら答える。


「ははは。ともかく、はるばるスタリア共和国から来訪した客人が、貴殿との会談を所望しているのだ。会ってやってくれないか?」


「構いませんが……客人の期待に応えられるような話ができるとは限りませんよ?」


 スレインはそう念を押し、ガブリエラが臣下に呼びに行かせた客人を待つ。

 間もなくやってきたのは、柔和で真面目そうな中年の男だった。


「スレイン・ハーゼンヴェリア国王陛下。お初にお目にかかります、スタリア共和国評議員のサルヴァトーレ・カロージオと申します。現在の共和国政府において、主にサレスタキア大陸西部との交渉などを担っております」


 スタリア共和国に貴族はいないが、評議員たちに対しては貴族に準ずる扱いをするのが大陸西部の慣例。特にこのサルヴァトーレのような、政府の代表として交渉を担う要人は、公爵や侯爵と同等程度の扱いをするのが常識となっている。

 なのでスレインは、座ったままではあるが、彼に笑顔で手を差し出す。


「ハーゼンヴェリア王国第五代国王、スレイン・ハーゼンヴェリアです。よろしく」


 握手を交わし、サルヴァトーレが席についたところで、スレインは尋ねる。


「現在の政府で外交を担っているということは、あなたは国民党の議員ということですか?」


「仰る通りにございます。さすがは賢王として名高きハーゼンヴェリア国王陛下。よくご存じでいらっしゃる」


「王太子時代に、大陸西部と周辺の国々については学んだので」


 スタリア共和国では、国内の各地域から民の投票によって選出された、およそ百五十人の議員が合議によって国家運営を担っている。

 似たような体制を目指した国は過去にいくつもあったが、そのほとんどは行き詰まり、再び王政に移行するか、併合や分裂などで国そのものが消滅した。一方でスタリアは、比較的豊かな国土と程よい人口規模を有する島国という特性が功を奏したのか、大きな混乱に見舞われることもなく、二百年近くも共和制を維持している。

 そのスタリアで、五十年以上にわたって政権を維持しているのが、穏健な保守派の評議員が集まる国民党。議席の半数弱を単独で占めている一派だという。

 スタリアの評議員と話すときは、相手がどの派閥――すなわちどの政党に属しているかを把握するのが重要と、スレインはかつてモニカとの授業で学んだ。なので、最初にサルヴァトーレの属する政党を確認した。


「それで、カロ―ジオ評議員。何か相談があるそうですが?」


「はい。それでは早速……まずは、スタリア共和国評議会の現状と、今後の予想についてご説明させていただきます」


 そう言って、サルヴァトーレは語り始める。

 長年にわたってスタリア共和国の国政を担ってきた国民党。しかし、無難な国家運営の結果、一定の成熟を見せた共和国社会に停滞感が広がり始めたことで、ここ十数年ほどはその支持率が落ちている。

 以前は単独で議席の過半数を占めていたが、現在は無派閥の議員や少数政党と手を組むことで政権を維持している状況だという。

 一方で、ここ十数年で急激に支持を伸ばしているのが、改革党という名の新興政党。大胆な、時に過激な改革政策を掲げる彼らは、社会の停滞感を追い風に勢いを増している。

 国民党から見れば、地に足のついていない政策や理想論じみた党是が危なっかしくも見える改革党。しかし、分かりやすい変化を求める一部の民には、その刺激的な主張が良く響いている。

 評議員は四年に一度開かれる選挙で決められるが、前回の選挙で改革党は議席の三割以上を獲得した。今の勢いから考えると、この春に開かれる選挙で国民党を追い抜いて与党の座を掴む可能性が高いという。


「我々国民党としては、現実路線で着実に社会を改善し、進展させるのが望ましいと考えております。改革党の手法は、社会を改革する前に崩壊させかねません。だからこそ、今ある共和国社会を守るために、我々が政権を死守しなければならないと考えております……ここまでは、あくまでも我が国の事情。そしてここからが、貴国をはじめとした大陸西部諸国にも関係する話となります」


 そう前置いて、サルヴァトーレは語り続ける。


「この改革党が、選挙に向けて新たに掲げる公約に、港の一部を租借地としてガレド大帝国に貸し出す内容のものがございます」

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