第139話 時代の区切り②

「……結論から申し上げますと、安静にしていれば直ちに命を失うことはないかと思われます」


 医務室に運ばれたセルゲイを、王宮魔導士の鑑定魔法使いと共に診た医師は、そう言った。


「鑑定魔法の反応と、諸々の症状から見て、まず間違いなく、身体の中に悪しきものが出来ています。ここ数か月でお痩せになられたというのも、以前にも増してお疲れを感じやすくなったというのも、そのためでしょう」


 医師の言葉を聞いたスレインは、思わず息を呑む。

 主に長生きをした者の死因として、身体の中に悪いものが出来てそれが広がり、苦痛をもたらしながら命を奪う……という病気があることはスレインも知っている。


「高位の治癒魔法と上級の魔法薬を定期的に使用することで、病の進行はある程度抑えることができます。痛みも和らげられ、体力が許す間は起き上がることも、多少ならば歩くこともできます。そうして……過去の症例からの感覚的な目安になりますが、おそらくあと数年は生きることができるでしょう」


 あと数年。その現実を突きつけられ、スレインは大きな動揺を覚えた。何と答えればいいか分からなかった。


「仕事は続けていいのか?」


「いえ、それは……お庭の散歩などで多少お身体を動かすのは、お身体のためにもよろしいでしょうが、王国宰相のご職務を続けるのはおすすめできません。というより、不可能かと思われます。閣下のお身体ではもはや激務に耐えられないでしょう。なので、畏れながら……」


 今は痛みも引いて落ち着いた様子のセルゲイの問いかけに、医師は遠慮がちに、しかし言葉ははっきりと答える。


「……そうか」


 それを聞いたセルゲイは、目を伏せながら言った。


「具体的な治療の計画や、日々お気をつけられるべき事項については、書類にまとめた上でまた後程、宰相閣下にご説明させていただきます。それでは」


 セルゲイよりはむしろスレインに気を遣ったのか、医師はそう言って席を外し、室内にはスレインとモニカ、隅に立って気配を消すパウリーナ、そしてセルゲイが残る。


「あと数年ですか。己のおおよその寿命が分かるというのは、案外悪くないものですな」


 スレインとモニカが深刻な表情で黙り込む横で、セルゲイは、さしてショックを受けた様子もなく言った。ベッドを降り、しっかりとした足取りで椅子に移る。


「セルゲイ、平気?」


 スレインが尋ねると、セルゲイは――彼の見せる表情としては極めて珍しいことに――優しげな微苦笑を浮かべた。


「できることならば、あと十年でもそれ以上でも陛下にお仕えしたく思っておりましたが、その逆に、明日死んだとしてもおかしくない歳になったと理解もしておりました。この老体にあと数年も時間が残されていると分かったのは、むしろ僥倖と言えましょう……なので陛下、それに王妃殿下も、どうかそのような御顔をなされないでくださいませ」


 セルゲイは強がっているようには見えなかった。彼の言葉は、少なくとも彼の本心であるようだった。そう分かり、スレインは少しだけほっとする。

 彼の言う通り、時間は残されている。少なくとも今日明日や、来週や来月に彼が逝ってしまうわけではない。


「しかし、宰相の職務を続けられないというのは誠に残念ですな。成人してからこの歳まで、仕事ばかりの人生を送ってきましたので……隠居などしても、ただ時間を持て余すばかりの日々となりそうです。何をすればいいのやら」


「あはは。確かに、君がのんびり余暇を過ごしてる姿は想像できないね」


 スレインの知る限り、休日らしい休日もとらず、ほとんど常に仕事をしているのがセルゲイ・ノルデンフェルトという男。彼に何か趣味があるという話も聞いたことがない。


「このような日が来た時のために、引継ぎの準備については常日頃より甥のイサークと行っておりますので、数日もあれば任の交代は叶うでしょう。ですが……いやはや、その後は本当にどう過ごしたものでしょうか」


 少し困った表情で、セルゲイは呟く。彼が戸惑うところなど見たことがなかったスレインは、思わず苦笑した。


「君の知識と経験は王国の財産だからね。僕も臣下たちも、君に色々と相談して助言を乞うことはあると思う。今後はそういうかたちで活躍してもらう、というのはどうかな?」


「おお、それは私としてもありがたく存じます。今後も王家のお役に立つ機会をいただければ、これに勝る幸福はございません」


 どこまでも仕事人間であるセルゲイは、国家運営について語り、頭を働かせる機会があった方が精神衛生上も良いだろう。そう考えたスレインの提案に、彼は嬉しそうに頷いた。


・・・・・・・


 数日後。王城の謁見の間。

 全ての法衣貴族が揃っている中で、スレインは王冠までを身につけた完全な正装で玉座の前に立っていた。スレインの隣では、モニカも王妃の冠を被った正装で立っている。

 貴族の代替わりや、要職の交代の際は、君主が直々に任命の儀式を執り行うのが通例。この日スレインは、今日まで王国宰相であったノルデンフェルト侯爵セルゲイと、今日より王国宰相の任につき、同時にノルデンフェルト侯爵家の当主になるイサークに対して儀式を行う。


「――神は我らの父、そして我らの母である。我は唯一絶対の神より、この地の守護者として選ばれし者である。我の意思は神のものであり、我の決断もまた神のものである」


 静かな空気の中で、スレインは君主として文言を述べる。

 典礼長官ヨアキム・ブロムダールが、装飾の施された羊皮紙をスレインに差し出す。スレインはそれを掲げ、片膝をつくセルゲイの前に立つ。


「セルゲイ・ノルデンフェルト。神の意思と決断のもと、第五代ハーゼンヴェリア王国国王スレインの名において、汝の王国宰相の任を解く。そして、汝のハーゼンヴェリア王家に対する比類なき献身への褒美として――汝に名誉公爵の位を与えるものとする」


「はっ。ありがたき幸せにございます」


 今朝もまた治癒魔法を受けたセルゲイは顔色もよく、しっかりとした姿勢を保ち、鋭く力強い口調で答える。

 公爵位は一般的に、王家の親類を意味する。現在は空位となっているウォレンハイト公爵位も、元は初代国王の弟に送られたもの。

 名誉称号としてこの公爵位を賜ったセルゲイは、今後は儀礼上、王族に次ぐ立場の者として扱われる。侯爵位を退いた彼のために、スレインが贈った褒賞だった。

 公文書の羊皮紙をスレインはヨアキムに返し、新たな羊皮紙を受け取ると、今度はセルゲイの隣で片膝をつくイサークの前に立つ。


「イサーク・ノルデンフェルト。神の意思と決断のもと、第五代ハーゼンヴェリア王国国王スレインの名において、汝を新たなノルデンフェルト侯爵とする。そして、汝を王国宰相に任ずる。この任は汝が死して神の御許へと旅立つか、我が汝の任を解くまで続くものとする」


「はっ。国王陛下の仰せのままに」


 セルゲイに似た、鋭く力強い声で、イサークは答えた。

 最後に、アルトゥール司教によって祝福が授けられた、王家に家宝として伝わる剣を、スレインが鞘から抜く。

 片膝をつくセルゲイとイサークの肩に、スレインは剣でそっと触れ、二人はそれを無言で受け入れる。貴族や騎士が示す服従の証だった。

 スレインが剣を収め、儀式は終了となる。


「ノルデンフェルト侯爵イサーク。これからよろしく頼むよ」


「陛下と王家、そしてこの国のため、全身全霊で職務を遂行いたします。一日も早く、伯父に劣らぬ宰相となれるよう全力を尽くす所存です」


 新たに自身の最側近となったイサークと、スレインは頷き合う。

 セルゲイの甥である彼は、一官僚としては既にベテランの域にいる。セルゲイの傍で長年にわたって宰相の仕事を学び、数年前までは旧ウォレンハイト公爵領の代官を経験したこともあり、能力は疑いようもない。


「……セルゲイ。今までご苦労だった。祖父と父の分まで礼を言わせてほしい。ありがとう」


「勿体なきお言葉。恐悦至極に存じます」


 セルゲイは厳かに一礼し、そして顔を上げた彼は、とても優しい表情をしていた。


「王国宰相として最後にお仕えした主君が陛下であらせられたこと、誠に光栄でした。これまで陛下の治世をお支えできたことは私の誇りにございます……どうかこれからも、陛下の信ずる道をお進みください。病を抱えた老体、さしたる力は残っておりませんが、最後まででき得る限りのお力添えをさせていただきます」


「……」


 スレインも、穏やかな笑みを返した。もし自分に祖父がいたら、このような感覚だったのだろうかと思った。

 第三代国王の治世の後半から、第五代国王の治世の序盤まで。長きにわたって王国宰相を務め、ハーゼンヴェリア王国を支え続けた重臣が、この日ついに一線を退いた。

 それはハーゼンヴェリア王国にとって、数年前までの争乱や、西サレスタキア同盟発足という変革と並んで、時代の移り変わりを強く印象づける出来事となった。

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