第137話 西サレスタキア同盟

 会談初日、その後の話し合いは有意義なものとなった。「同盟」という枠組みに加わる意思を示した者同士、どこまで利益や価値観の共有を成せるか、どこからが譲れない一線なのか、各国がそれぞれの立ち位置を語り、意見がすり合わせられていった。

 具体的な前進の兆しが十分に見えた、その日の夜。ランツ人民共和国の国家主席ルドルフ・アレンスキーは、初代国家主席ユーリ・ウォロトニコフの客室を訪ねる。


「夜分に申し訳ございません。お身体には障りませんでしょうか?」


「問題ない、同志よ。このような歴史に残る日は、私もなかなか眠れぬものだ」


 ユーリはそう答え、ルドルフに椅子を勧める。ユーリが語った後、大陸西部の実に十八か国までが「同盟」への参加の意思を示したことは、既に彼にも伝えられている。

 ルドルフは偉大な先達と向かい合って座り、少しの不安を表情に表しながらユーリを見た。


「本当に、これで良かったのでしょうか。同志ウォロトニコフ殿」


 ユーリは少し目を伏せて黙り込み、そして静かに頷いた。


「どちらにせよ、我々の国が今より一歩、外へ踏み出さなければならない日が近いことは分かっていたのだ。こうして最良のかたちでその機会を得られたのは、むしろ僥倖だったと言えよう」


「……」


 建国当初、ランツ人民共和国は人口五千にも満たない国だった。同じ理想のもとに人々が集う小さな共同体だった。

 平和の中で、国是とした理想を守りながら年月を重ねたことで、人口は一万を超え、なおも増え続けている。そして今、必ずしも平和が続く保証のない時代が訪れた。

 もはや、今までのように他国との繋がりを最低限に抑えたまま歴史を重ねていくことは難しい。指導者層の意見はそのようなかたちで概ね一致しており、国民たちも、その多くは今が転機であることを時代の空気から察している。

 この転機を、人民共和国にとってよりよいものとするため、ユーリは数十年ぶりに公の場に出て言葉を語った。彼の健康面を案じたルドルフに、彼はこれが自身の余命を削ってでも果たすべき最後の使命だと語った。

 年老いた同志のその覚悟と、何より人民の総意に国家主席として応えるため、ルドルフは会談の場で「同盟」への参加を明言した。

 それでもやはり、自分が国家主席を務める代で国の進む道を大きく転換させたことに、不安や戸惑いはある。


「済まないな、同志よ」


 そんなルドルフの内心を察したのか、ユーリは言った。深く皺の刻まれた顔は表情が読みづらいが、おそらく彼は苦笑したようだった。


「君たちの世代には、私たち以上の苦労をかけることになる。私たちの世代はよかった。ただ共産主義の理想を守り、社会を穏やかに保つことばかりを考えればよかった。しかし君たちは違うだろう。より難しい舵取りを求められることになる。他国と関わりながら、平和の保証されない時代の中で、共産主義の理想を守る。誰も進んだことのない、極めて困難な道のりとなるのだろう……いずれこのような時代が来ると分かっていたのだ。私たちの世代が、もっと備えておくべきだったのかもしれぬ。これは私たちの怠慢の結果なのかもしれぬ」


「そのようなことはございません。私たちは、先の時代を生きたあなた方同志に心より感謝しています」


 ルドルフはそう即答した。

 混乱の残る時代の中で、新たな思想を生み出し、それを国是とする理想郷を築いた。彼ら先達の偉業は揺るぎない。どれほど困難な道のりだったか、ルドルフには想像もできない。


「だからこそ、これからは私たちが理想と祖国を守ります。それこそが、私たちの世代に与えられた使命なのでしょう」


 その言葉を聞いたユーリの表情が、また動く。穏やかな気配を放ちながら、彼は頷いた。


「私たちの志を受け継いでくれる、君たちのような同志がいることを心から嬉しく思う……おそらくだが、あの『同盟』が保たれる限りはそう悪いことにはならないだろう。あの若者の目を見たとき、そう思った」


 椅子の背に深くもたれながら、ユーリは中空を見つめて呟く。


「あれは初代ハーゼンヴェリア王と同じ目だった。偶然だろうが、瞳の色まで同じだった。懐かしいものだ。動乱の時代が終わる兆しを見せ始めた頃、大陸西部の各地に国を興した君主たちは、皆あのような目をしていた」


 人を見るには目を見るのが一番だと、ユーリは周囲によく語ってきた。


「あの頃の君主たちは、皆が目に力を宿していた。凄惨な動乱の時代に終止符を打つという決意の力を。各国の君主が二代目に移ると、そのような目をした者は減った。三代目に移るころにはさらに減った。よく言えば穏やかな、悪く言えば平和ぼけした目をした者が増えた。それを見て、私も自分の役割が終わったと察し、政治家として一線を退いたのだ……」


 動乱以後の大陸西部の歴史とほぼ等しい長さを持つ、自身の記憶をユーリは辿る。


「だが、またあのような目を持つ王が現れた。ハーゼンヴェリア王だけではない。先に話したオルセン女王もそうだ。今日あの場にいた君主たちも、過半はなかなか悪くない目をしていた……彼らの目を見たときは安堵した。彼らは確かに、あの建国者たちの遺志を継ぐ末裔だ」


 深く、ユーリは息を吐く。

 かつて、目に決意を込めた君主たちと言葉を交わしたとき、自分はこの大陸西部の未来を担う若者だった。そして今、自分は彼らと同じ目を持った君主たちに未来を託す側になった。

 そのことに、ユーリは感慨を抱く。


「歴史は韻を踏む。永遠の平和などない。だが、それぞれの時代の中には常に希望がある。今日こそが、真に私の役目が終わった日なのかもしれぬ」


・・・・・・・


 会談の初日を終えた夜更け。スレインはガブリエラの執務室に呼ばれた。


「ようやく『同盟』の発足に向けて目途が立ったな。南東地域の国々は残念だったが、大陸西部の二十二か国のうち、十八か国までが「同盟」への参加を決めてくれた。これで、大陸西部外の国々に与える衝撃は十分だろう。大成功だ」


 大陸西部の大半の国が参加して「同盟」が発足することで、ガレド大帝国をはじめとした諸国が大陸西部に容易に手を出せない抑止力が生まれる。「同盟」は最良のかたちで誕生する。

 ガブリエラの言葉に、スレインも首肯して同意を示す。


「そうですね。今日だけで、会談の一応の目的は達成できたと言ってもいいでしょう。文句なしの成果でした……それはそうと、ひとつ聞きたいことがあります」


「聞きたいこと? 一体何だ?」


 とぼけるガブリエラに呆れを覚えながら、スレインは彼女を半眼で見据える。


「分かっているでしょう。ユーリ・ウォロトニコフ殿の件ですよ。私は会談の前、あなたと打ち合わせをしたのに、あなたは事前に何も教えてくれなかった」


「………………くふふっ」


 しばらく黙ってスレインを視線をぶつけていたガブリエラは、やがて吹き出した。


「何笑ってるんですか」


「はははっ、すまない。貴殿がそのような顔をするのは初めて見たからな」


 むすっとした表情のスレインに、ガブリエラは笑いをこらえきれないまま答える。


「別に、貴殿への悪意があって黙っていたわけではない。ウォロトニコフ殿の登場を、貴殿にも他の諸王と同じように、素で驚いてもらうことに意味があったのだ」


「素で?」


「そうだ。私と貴殿が、何かと行動や計画を共にしているのは諸王にも知られているからな。ウォロトニコフ殿が登場したとき、貴殿が驚かなかったり、驚き方がわざとらしかったりしたら、またオルセン女王とハーゼンヴェリア王が組んだ作戦かと皆に思われる。だから、ウォロトニコフ殿から来訪の打診を受けてそれを承諾したことを、私は貴殿に伝えなかった……もちろん、悪かったと思っているぞ?」


 言葉とは裏腹に、さして悪びれた様子もないガブリエラに、スレインは引き続き拗ねた表情を向ける。


「貴殿が素で驚いていたからこそ、その後のウォロトニコフ殿の問いかけに対する貴殿の返答に真の説得力が生まれたのだ。国を動かすのは利益だが、その利益に信頼を与えるのは人間だ。今回、貴殿はウォロトニコフ殿への答えをもって『同盟』の利益に諸王の信頼をもたらした。貴殿の言葉が最後の一押しになった。実に見事だったぞ」


「……もし私がウォロトニコフ殿に上手く答えられず、せっかく諸王の心を動かす場がぐだぐだになってしまったらどうするつもりだったんですか?」


「貴殿は頭がいいからな。まず間違いなく大丈夫だろうと思っていた」


「……」


 ガブリエラにそう返されたスレインは、半眼に加えて口も半開きになる。


「まったく、随分な賭けに出ましたね」


「歴史を作るのだ。時には賭けに出ることも必要だろう?」


 あっけらかんと言ってのける彼女を前に、スレインは諦め交じりに笑みを零した。


「ああ、それともうひとつ、この件を貴殿に黙っていた理由がある」


「……? 何ですか?」


 理由としては、先ほどの説明だけでも十分なはずだが。そう思いながらスレインが尋ねると、ガブリエラはにやりと笑った。


「これから『同盟』の盟主になる身として、一度くらいは英雄王スレイン・ハーゼンヴェリアの裏をかいてやりたかった。今までは、貴殿の奇策にこちらが驚かされてばかりだったからな」


「はあ?」


「各国君主の従者が記した会談の記録に、しっかりと残っていることだろう。オルセン女王ガブリエラが初代ランツ公ユーリ・ウォロトニコフを議場に招き入れると、諸王は大いに驚いた……とな。もちろん、驚いた顔ぶれには貴殿も含まれる。後世の者たちはそう理解する。最後の一押しを成したのは貴殿だが、そのための一手を成したのは私だ。これで、盟主らしい活躍ができたと言っても許されるだろう」


「……ふふっ」


 自画自賛するガブリエラを前に、スレインはとうとう小さく吹き出す。


「賭けに勝ったから良かったですが、こっちは本当に驚いたんですからね。ああいうのは今回限りにしてくださいよ」


「もちろんだ。無事に『同盟』への道筋が見えた今、もはや貴殿を驚かせる必要などないからな」


 そう答えると、ガブリエラは笑みを収め、落ち着いた穏やかな表情を見せた。

 そして、手を差し出した。


「ハーゼンヴェリア王。『同盟』がここまで来たのは貴殿のおかげだ。心から感謝する。どうかこれからも、よろしく頼む」


「……二年前、我が城を訪ねてきたあなたが覚悟を語ってくれたから、私も最後は『同盟』に賭けると決めました。これはあなたが始め、あなたが成し遂げたことです」


 言いながら、スレインも手を差し出す。


「この同盟を真に意義あるものにしていきましょう。これからもよろしくお願いします」


 西サレスタキア同盟の盟主と、その重要な盟友として、二人はしっかりと握手を交わした。


・・・・・・・


 順調な成果を挙げた二日間の会談から、およそ二か月後。サレスタキア大陸西部の十八か国から成る相互防衛の同盟――西サレスタキア同盟が、誕生しようとしていた。

「同盟」に参加する諸国の代表者が集ったのは、かつてヴァイセンベルク王国の領土であり、現在はオルセン王国の領土となっている都市。その中心にそびえ立つマティルダ大聖堂。

 ヴァロメア皇国の時代からエインシオン教西方派の総本山であるこの大聖堂が、同盟結成の場に選ばれた。


「……諸卿。よろしいか」


 聖堂内の広い一室。ガブリエラの言葉に、十七人がペンを置いて頷く。

 それぞれの手元にあるのは、「同盟」の宣誓書。その全てに、同盟国となる十八か国全ての代表者の署名がなされている。ガブリエラの手元にのみ、二枚の宣誓書がある。一枚はこのマティルダ大聖堂に収められるものだ。

 西部統一暦五〇〇年。宣誓書にはそう記されている。かつてヴァロメア皇国が大陸西部を統一したときに生まれ、現在は聖職者たちによって一部の宗教行事でのみ使用されているこの暦が、今こうして歴史の表舞台に登場した。建国年を異にする同盟国が共有できる暦として。

 偶然にも、あるいは運命なのか、今年は五〇〇年の節目だった。


「では、起立を」


 ガブリエラの呼びかけで、全員が立ち上がる。広い円卓を囲んで並び立つ。


「……唯一絶対の神の御前で、オルセン王国は女王ガブリエラ・オルセンの名において誓う。我が国は西サレスタキア同盟の一員として、全ての同盟国と協調し、大陸西部の秩序を守る。この誓いは我が国が西サレスタキア同盟からの脱退を宣言するか、西サレスタキア同盟が解散するその時まで続く」


 左胸に手を当てながら、ガブリエラは言った。

 それに続いて、代表者たちが一人ずつ、宣誓していく。

 アルティア、エーデルランド、ヒューブレヒト、サロワ、キルステン、エラトニア、デラキア、ギュンター、バルークルス、ルヴォニア、ランツ、ヴァイセンベルク、ルマノ、アリュー、エルトシュタイン、そしてイグナトフ。円卓に並ぶ順に、君主と国家主席が言う。


「唯一絶対の神の御前で、ハーゼンヴェリア王国は国王スレイン・ハーゼンヴェリアの名において誓います。我が国は西サレスタキア同盟の一員として、全ての同盟国と協調し、大陸西部の秩序を守ります。この誓いは我が国が西サレスタキア同盟からの脱退を宣言するか、西サレスタキア同盟が解散するその時まで続きます」


 最後に、スレインがそう宣誓する。一礼し、左胸に当てていた手を下ろす。


「諸卿。これで正式に、我々は西サレスタキア同盟の下に結束した友邦だ。我々の未来、大陸西部の未来が、平穏かつ明るいものとなることを共に祈ろう……そのような未来を、共に築いてゆこう」


 ガブリエラの言葉を聞きながら、スレインは思う。

 果たして先ほどの宣誓が言葉通りに守られるか、「同盟」が理想通りの枠組みとなるか、それはまだ分からない。

 しかし少なくとも、第一歩は刻んだ。大きな可能性を得た。動乱の時代の後、大陸西部は初めて過半の国が参加する大きな枠組みを作り出し、新たな時代へと歩みを進めた。

 自分たちは未来のための前進を成した。ただその場その場で目の前の危機に対処し乗り越えるのではなく、長期的な視点で未来の平和を築き、この地の安寧を守るための前進を。

 今日は歴史に残る日だ。


「諸卿、杯を持たれよ」


 ガブリエラが語っているる間に、聖職者たちによって配られた杯を、同盟国の代表者たちは手に取る。

 儀礼のために用いられる銀製の杯には、この大聖堂で祈りを捧げられた神聖なワインが注がれている。


「同盟に」


「「「同盟に」」」


 盟主であるガブリエラに続き、皆が言った。厳かに、声を揃えて。

 ハーゼンヴェリア王国暦八十一年。西部統一暦五〇〇年。五月。この日、西サレスタキア同盟が誕生した。



★★★★★★★


ここまでが第四章となります。お読みいただきありがとうございます。

もしよろしければ、星の評価をいただけると大きなモチベーションになります。


書籍化の続報についても、近いうちにお届けできるかと思います。

引き続き、スレインたちの物語をどうぞよろしくお願いいたします。

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