第136話 再び、二十二か国会談③

「……愛する者たちの幸福を守るためです」


 下手に言葉を飾ろうとしても看破される。高潔な理想を語ったところで、皆の前で嘘だと見破られるだけだ。そう思ったからこそ、スレインは飾らない本音で答えた。


「私が市井から王城に迎えられて間もない頃、我が国はガレド大帝国より侵攻を受けました。当時は今以上に未熟で、平時の政務をなんとか形ばかりはこなせるようになった程度であった私は、正直に言うと絶望しました。我が国は、自分の人生は、ここで終わるのだと思いました……ですが、危機を前に怯え切った臣民たちを目の当たりにしたとき、私の考えは変わりました」


 諸王の注目を集めながら、スレインは今まで国外の人間に語らなかった当時の心境を語る。これまで明かさなかった自身の過去を語ったユーリに、スレインも応える。


「彼ら臣民を、そして仕える臣下たちを守るのが王である。庇護下の者たちが暮らす国を守ることこそが王の存在意義である。そう気づきました。亡き父より受け継いだハーゼンヴェリア王としての使命を守ることができるのは、もはやこの世に自分だけである。そう自覚し、覚悟したことで、私は絶望から立ち直りました。そして勝利し、帝国の軍勢を退けました。その後も幾度も危機が立ちはだかりましたが、私は王としてそれら全てを乗り越えました」


 自身に視線を向ける諸王を、スレインは自身の視線で見返しながら、語り続ける。


「帝国が差し向けた五千の軍勢に、ヴォルフガング・ヴァイセンベルク前国王が動員した一万の軍勢に、私は勝利しました。他の国々と力を合わせたからこそ得た勝利でした。この先、たとえ五万や十万の軍勢が敵として立ちはだかろうと、私は勝利するつもりでいます。そのためには、より大きく洗練された、友邦との協力体制が必要不可欠だと、私は考えています」


 諸王に巡らせた視線を、スレインは手元に落とす。

 ハーゼンヴェリア王国の最上位者であることを示す首飾りと、左手の薬指に輝く結婚指輪。それらを見下ろしながら、また口を開く。


「昨年、息子が生まれました。私は人の親になりました。息子は元気に育ち、妻は二人目の子を身ごもっています……私は私の家族に、臣下に、臣民に、平和の中で生きてほしい。父から受け継いだこのハーゼンヴェリア王国を、平和な国として我が子にも受け継がせたい。いつか生まれるであろう孫に、これから我が国に生きる全ての者たちに平和を遺したい。心からそう思っています。だからこそ私は、オルセン女王の提唱する『同盟』に賛同しました」


 そしてスレインは、顔を上げてユーリを見返した。語っているうちに緊張は解けていた。


「これが私の本心です。私の考えている全てです」


「……」


 ユーリに無言で手招きされ、スレインは席を立って彼の方へ向かう。

 目の前で膝をついたスレインを、ユーリはじっと見据える。


「その言葉に偽りはないか?」


「ありません。神と、妻と子に誓います」


 スレインはユーリから決して目を逸らさず、答える。


「……よかろう」


 重い声で、ユーリは言った。スレインから視線を外し、再び一同を見回した。


「社会が変化することを免れない時代が来た。であれば、より良い変化を目指すしかない。長くこの世を見てきた身として、私はそう考える。そして、大陸西部が今進むべきは、再びの動乱を避ける道――この地に並び立つ国々が争い合うのではなく、互いに協力し、さらなる激動に備える道であるように思える……私の話は、以上にございます。先達の助言として参考にしていただいても、老いぼれの戯言と一蹴していただいても構いませぬ。今この時代に大陸西部を治め、この地の未来を決める皆様よりお時間を頂戴したこと、心より感謝申し上げます」


 最後に彼は、当代ランツ公ルドルフを一瞥し、居並ぶ皆の礼を受けながら退室していった。

 ユーリ・ウォロトニコフを見送り、再び席についた一同の間に、沈黙が流れる。自分たちの先祖と共に時代を歩んだ伝説的な人物と対面し、その言葉を聞いた衝撃。その余韻が流れる。


「……諸卿。あらためて問う。今、あなた方はどう考える? どう決断する? あなた方の国を、どのような未来へと進める? 聞かせてほしい」


 ガブリエラが、円卓を見回して静かに尋ねた。


「ランツ公国は、『同盟』への参加の意思を表明する」


 最初に答えたのは、ルドルフだった。


「もちろん、我々の国にも譲れない一線はある。我々の思想や国是については、どれだけ求められようと何ら変えることはしない。しかし……大陸西部の諸国と連係することが、我々の国の独立を保ちながら、共産主義の理想郷を守ることに繋がるというのであれば、我々は『同盟』の輪に加わらせてもらう」


 おそらく、ランツ公国内では事前に何らかの話し合いがなされていたのか。ルドルフはあらかじめ考えてあったらしい台詞を、淡々と語った。

「同盟」派から最も遠い国のひとつと思われていたランツ公国が、「同盟」への参加を前向きに検討する。予想外の事態を前に、場の空気が変わっていくのをスレインは感じた。


「……ハーゼンヴェリア王」


 隣に座っていたオスヴァルド・イグナトフ国王に呼ばれ、スレインはそちらを向く。


「戦友と盟友は違う。単なる戦友ではなく、同じ覚悟と志の下に手を取り合う盟友となった者が相手となれば、私は今まで以上に容赦はしない……貴殿を我が盟友と呼んでもいい。だが、貴殿の語った覚悟と志が嘘偽りであったなら、そのときはどうなるか分かっているな?」


 彼の言葉の意味を理解したスレインは、フッと笑った。


「もちろんです。盟友を決して失望はさせません」


 スレインの表情を見たオスヴァルドは、一瞬険しい顔になると、嘆息した。


「フレードリクの隠し子が、これほどの大物になるとはな」


 そしてオスヴァルドは、正面を向く。


「イグナトフ王国は、『同盟』への参加を今この場において正式に表明する……担保として預かるのは、ハーゼンヴェリア王個人への信用だ。我が国がいつまで『同盟』に属するかは、『同盟』の今後の経過次第だ」


 オスヴァルドの宣言は、ざわめきをもって迎えられた。

 現在の大陸西部の君主の中でも、一際頑なな性格で知られるオスヴァルド・イグナトフ国王。そんな彼が、言葉こそ素直なものではないとはいえ、「同盟」と共に歩む道を選んだ。それは多くの者にとって、ランツ公国の意思表明と同等に驚くべきことだった。


「ははは、こちら側に来てくれて嬉しいよ、イグナトフ王」


「黙れ、風見鶏。私は慣れ合いのために『同盟』を選んだわけではないぞ」


 ステファン・エルトシュタイン国王の馴れ馴れしい口調に、オスヴァルドは不機嫌そうな表情を作って答えた。ステファンはそれをさして気にした様子もなく「いやあ、これは手厳しいな」などと言ってなおも笑う。


「……良き変化を目指すための選択、か」


 やや和らいだ空気の中で、呟いたのはルヴォニア王だった。


「確かに、大陸西部が再び動乱の時代に戻るようなことがあってはならない。あの時代には民の命と共に、我が国の象徴である黒樫の森も広く失われた。豊かな森を取り戻すまで、数十年の歳月がかかった……あの時代、ルヴォニア領は死にかけた。再び同じ状況を招き、ルヴォニア王国となった我が領土を今度こそ死なせるようなことがあってはならない」


 豊かな森をこそ最重要の資源とするルヴォニア人は、ときに「森の民」と呼ばれてきた。彼らにとって、国樹たる黒樫はアイデンティティの拠り所であり、自立の象徴でもある。


「ルヴォニア王国も『同盟』に参加しよう。第四代国王カールリス・ルヴォニアの名において、ここに正式に宣言する」


 また一国、「同盟」に加わる国が増えた。

 状況が変わっていく中で、顔を突き合わせて話し合っている者たちがいた。キルステン、エラトニア、デラキアの君主たちだった。

 しばらくぼそぼそと言葉を交わしていた彼らは、やがて正面に向き直り、代表してキルステン王が口を開く。


「……大陸西部が動乱の時代に逆戻りするとしたら、話は別だ。帝国をはじめとした大陸西部外からの脅威によって、この地にかつてのような動乱がもたらされる。その可能性も確かにある。それを考えると、我々も楽観したままではいられまい。傍観者でい続けることはできまい」


 現代でさえ、時おり小規模な飢饉に悩まされる西端地域。動乱の時代の悲惨さは、他の地域と比べても群を抜いていたと言われている。餓死と戦死と他地域への流出によって、人口が三分の一にまで減ったと文献に記録が残っている。

 直接の戦火が及ぶ可能性が低くとも、大陸西部の秩序が崩壊すれば、かつての悲惨な時代を再び経験することになるかもしれない。それを考えた彼らが、「同盟」に対する態度を改めるのは、スレインにも理解できることだった。


「オルセン女王、あらためて聞く。これは共存と共栄のための枠組みだな? 先代ヴァイセンベルク王と同じ過ちを、貴殿が犯すことはないな?」


「無論だ……もし私か、私の子孫がそのような過ちを犯す日が来たら、そのときは『同盟』が我がオルセン王家を討つための枠組みとして機能するだけだろう」


 ガブリエラの返答を聞いたキルステン王は、微苦笑を零す。


「ふっ、それもそうだな……いいだろう。キルステン王国は『同盟』への参加を正式に宣言する」


「エラトニア王国も、『同盟』への参加を宣言いたします」


「デラキア王国も同じくだ」


 三人の君主が、こうして「同盟」に加わった。


「……ここで機を見誤るわけにもいかないか。バルークルス王国も、『同盟』への参加を表明する」


「くははっ、大陸西部の君主が揃って、仲良くお手手を繋いで共栄の道に前進か? お伽噺のようなふざけた話だな……よかろう! 我がヒューブレヒト王国も乗る。この私も、仲良しこよしの輪に入れてもらおう」


 もはや「同盟」派こそが主流となった。その空気を読んで、さらに二人の君主が明言する。

 これで、二十二か国中、実に十八か国までが「同盟」への参加の意思を示したことになった。

 残る四か国――大陸西部の中でもやや異色の立場をとる南東地域の君主たちに、皆の視線が向けられる。


「……それで、貴殿らはどうする?」


「あら、馬鹿にしないでくださる? このような茶番に乗せられるほど、私たちは愚かではありませんわ」


 ガブリエラが尋ねると、セレスティーヌ・リベレーツ女王が不愉快そうな顔で答える。


「この程度で、私たちが判断を誤ることはありません。あなた方がご勝手になさるのを止めはいたしませんが、あなた方と一緒になって浅慮な振る舞いに走ることはありません。それが私たちの答えですわ」


 澄ました態度で語る彼女に、場の空気がまた少し白ける中で、ガブリエラは小さく首を振る。


「そうか、残念だ。我々は自国の行く末を自ら決める主権国家の君主。であるからこそ、貴殿らの意思を尊重しよう」


「当然ですわ……もう、私たちがこの場にいる意味はありませんわね。後は皆さんでご勝手になさってください」


 セレスティーヌはそう言って立ち上がり、堂々とした足取りで退場していく。南東地域の他の三国――フェアラー、レフトラ、ハーメウの君主たちは、少しだけ迷うようなそぶりを見せた末に彼女の後に続いた。

 立場を異にする者たちが去った後の会議室で、ガブリエラは残った者たちに向き直る。


「それでは諸卿……会談を進めよう。『同盟』の発足に向けて」

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