第129話 兵士と父

 収穫期とその後の徴税の時期も過ぎ去り、再び穏やかな日常が戻った八月上旬。

 この日スレインが視察に訪れたのは、旧ウォレンハイト公爵領、今は王家直轄領の北西辺境となっている地域だった。


「お待ちしておりました、国王陛下」


 この地の中心都市クルノフに入ったスレインの一行を、この地の代官を務めるイサーク・ノルデンフェルトとその部下たちが出迎える。


「皆、出迎えご苦労さま」


 王家の馬車を降りたスレインは、イサークに答え、直に足を運ぶのは初めてであるクルノフを見回した。

 馬車を囲むのは、ヴィクトル率いる近衛兵団二個小隊と、筆頭王宮魔導士ブランカ。そして、王国軍の一個中隊。王領内の視察にしては護衛がやや多いのは、王領となってまだ年月が浅いこの地の民に、王家の存在感を示すためだった。


「イサーク、顔を合わせるのは久々だね。この地域の統治はどうかな?」


「至って順調です。治安も極めて良好であり、最早この地から謀反が起こった際の名残は全くございません」


 かつてのウォレンハイト公爵家の居所――今は代官の官邸と行政府を兼ねている屋敷に入りながら、スレインはイサークと話す。


「陛下。長い移動でお疲れかと存じますので、ひとまずはご休憩の場を設けさせていただきます。その後、この地の行政について簡潔にご報告を。そして、石材の加工所をご案内いたします。明日には山地の採石現場もご覧いただければと」


「分かった。二日間よろしく頼むよ……ああ、それと一つ頼みがある。加工所の視察が終わった後でいいから、少し寄りたいところがあるんだ」


・・・・・・・


 国王スレインが行政府に入った後、護衛部隊は移動と待機を命じられた。

 さすがに都市内や行政府の屋内まで総勢五十人もの護衛がぞろぞろと付いていては邪魔になるので、まずは近衛兵団の一個小隊が直衛として残り、他の兵士たちは休息に移る。

 その兵士たちの中に、ルーカスの姿もあった。

 隊列の解散作業を済ませた後、小隊の仲間と共に都市内の料理屋で少し遅い昼食を済ませ、今日の宿泊場所である空き家に入って一息つく。

 早々に寝袋を広げて昼寝に入る者や、夜は都市の歓楽街にくり出そうと話し合う者たちから少し離れて、一人座るルーカスの表情には落ち着きがない。


「おいルーカス。お前、行きたいところがあるんだろ? 行って来いよ」


 そんなルーカスの様子を見て、声をかけてきたのは直属の上官である小隊長だった。


「……ですが」


「構わん。どうせ今日はもう待機だけだ。新兵に言いつける仕事もない」


 入隊二年目、この小隊では未だ最年少であるルーカスが逡巡すると、小隊長はそう言いながら手振りで早く行くように示してきた。


「分かりました。すみません、すぐに戻ります」


「いい。せっかく地元に帰って来たんだ。ゆっくりしてこい」


 そう送り出されたルーカスは、宿である空き家を出ると、クルノフの市街地を――およそ一年半ぶりに帰ってきた故郷の街並みを歩く。

 歩きながら、少し周囲の視線を気にする。

 胴鎧と兜と剣を身につけた今の自分は誰がどう見ても王国軍兵士だが、それでも謀反人の息子として指を差されるのではないかという不安は拭えない。

 幸いにも、誰からも何も言われずたどり着いたのは、街外れの教会。その裏にある墓地だった。


「お久しぶりです、司祭様」


 ちょうどそこで定例の祈りを捧げていた老司祭に、ルーカスは声をかける。


「これはこれは、ルーカスくん……などと呼ぶのはもう失礼ですね。兵士ルーカス殿」


 穏やかな老司祭は、昨年までと全く変わらない表情を向けてくれた。


「いやはや、立派になられた。在りし日の父君に似てきましたな」


「……それは、恐縮です」


 司祭の口調から悪意は感じられず、だからこそルーカスは、彼の言葉を素直に受け止める。


「今日はご両親のお墓参りに?」


「はい。軍務でこちらに立ち寄ったので、ついでに」


「そうでしたか……では、どうぞごゆっくり。私は教会の中におりますので、何かあれば」


 そう言って戻っていく司祭を見送り、ルーカスが歩み寄ったのは墓地の端。両親の墓だった。

 騎士であり、ウォレンハイト公爵領の領軍隊長にまで上り詰め、公爵家と王家の戦いにおいて唯一の戦死者となった父ヘンリク。

 犯した大罪の結果として、彼は目立たず寂しいこの一角で、小さな墓標の下に眠っている。母の遺灰は、ルーカスが司祭に頼んで父の隣に移してもらっていた。

 まだ真新しく、しかし傷の多い墓標。そこに、ルーカスは国花であるクロユリを手向ける。

 地面に膝をつき、静かに祈っていたそのとき。


「よお謀反人。何しに帰って来たんだ?」


 悪意に満ちた声をかけられ、ルーカスは目を開いて立ち上がった。

 木柵を挟んだ墓地の外から、こちらを見ているのは数人の若者――ルーカスも顔と名前くらいは知っている者たちだった。その手には小石が握られている。


「……」


 彼らの言葉や握られた小石を見ても、ルーカスは驚かない。昨年にクルノフを去るまで、このようなことは幾度もあった。両親の墓標に残るいくつもの小さな傷が、小石や靴をぶつけられてついたものであることも分かっている。


「何だよ、何か言えよおい」


「黙り込んで面白くもねえ。謀反人の息子だから、王都で舌でも抜かれてきたのか?」


「その恰好はどうした? 剣なんか持ちやがって。また謀反でも起こすのかよ」


 柵を乗り越えて墓地に入り込みながら、若者たちは詰め寄って来る。

 彼らは決して、普段から素行が悪い不良者というわけではない。むしろその逆、学のある、街の有力者の子弟たちだ。

 一部の支配階級が行ったこととはいえ、旧ウォレンハイト公爵領が謀反を起こした地域であることは変わらない。下層民にとっては「偉い人たちが勝手にやったこと」であっても、富裕層の彼らにとっては完全な他人事とは言えない。

 だからこそ彼らは、こうして謀反の直接の責任者やその家族を殊更に貶し、侮辱することで、自分たちが模範的な臣民であることを社会に示そうとする。

 とはいえ、彼らも王家の縁者であるウォレンハイト公爵家を侮辱する度胸はないので、必然的に矛先は、公爵家の元臣下の家族に向けられる。向けられる攻撃的な視線や言葉を苦にして、クルノフを去った者も少なくない。ある意味ではルーカスもその一人だった。


「前みたいに何か言ってみろよ。言い訳してみろよ、おい!」


 鎧下の首元を掴み上げられながら、ルーカスは無言を貫く。

 故郷を出る前は、手は出さずとも口で反論することはあった。しかし、今はもうそんな気にもならない。

 自分たちは謀反人やその家族とは違うのだと、周囲に示したい彼らの気持ちも理解できる。それに、自分に向けられる「謀反人の息子」という評価を覆し、父の罪を償うには、王国軍人としての働きを社会に示すしかないと今は分かっている。だからルーカスは何も言わない。


「ちっ……そこまで黙り込むなら、力づくで声を出させてやるよ」


 そう言って、目の前の一人は拳を振り上げる。


「お、おい。さすがに正規軍人を殴るのはまずくないか?」


「そうだよ。もし罪に問われたら……」


「知るかよ。こっちも適当に顔に傷でも作ればいい。それでこいつが先に手を出してきたことにするんだよ。正当防衛ってやつだ」


 振り上げられたその拳をも、ルーカスが無言で受け入れようとした直後。


「どうしたの? 何か揉め事かな?」


 後ろから、柔和な声がかけられた。

 その声を聞いた瞬間、ルーカスは目を見開いて反射的に敬礼する。考える前に身体が動く。

 そして若者たちは声の方を振り返り、血相を変えてその場に跪いた。


「こ、こ、国王陛下……!」


 敬礼するルーカスと平伏する若者たちの前には、供を引き連れ、老司祭に案内される国王スレインの姿があった。

 スレインは若者たちを一瞥し、ルーカスを向く。


「ルーカス、大丈夫?」


「……はっ。彼らは地元の友人で、子供の頃は一緒に馬鹿をやった仲です。その頃を思い出しながら、昔話に興じておりました」


 自分に絡んできた若者たちを庇う言動をルーカスが見せると、若者たちは驚いてルーカスを見上げ、慌てた様子ですぐにまた平伏する。

 スレインはルーカスを見定めるようにしばらく黙り、そして笑顔を作った。


「そうか、それなら良かった……そこの君たち、顔を上げていいよ。楽にして」


 国王の許しを受け、若者たちはおそるおそる立ち上がる。


「ルーカス。ここへは墓参りに?」


「はっ」


「それじゃあ、僕と同じだね」


 そう言いながら、スレインはルーカスの両親の墓から少し離れた場所にある、小さな墓標に花を手向ける。

 そこは、ウォレンハイト公爵家の一族でありながら、王家に対する謀反を起こしたために、一人教会の墓地の外れに埋葬されているユリアス・ウォレンハイトの墓だった。

 国花をそっと置き、一礼して黙祷するスレインに、供の者たちも老司祭も倣う。その光景をルーカスは無表情で、若者たちは少し驚いた表情で見つめた。


「意外かな? 僕が彼の墓参りに来ているのは」


「……あ、いえ……その」


 黙祷を終えたスレインが尋ねると、若者たちは狼狽える。それを見たスレインは苦笑する。


「確かに、ユリアス・ウォレンハイトは王家に謀反を起こした。僕を殺めようとした……そして、彼はその責任を取って死んだ。彼は失敗の代償が大きいことを分かった上で僕に挑みかかり、最後はその死をもって罪を償ったんだ」


 死をもって罪を償った。スレインの語るその理屈は、単にユリアスのことだけを言っているわけではないように、ルーカスには感じられた。


「もちろん、彼の謀反に巻き込まれた君たち民としては、色々と思うところもあるだろうけど……それでも、彼は僕にとって親類だからね。たとえ生前に罪人であったとしても、親類の死というのはそう簡単に割り切れるものではないんだ。国王であると同時に、僕も一人の人間だからね」


 言いながらスレインが零した微笑には、悲しみの色があった。


「すまないね、ルーカス。友人との再会を邪魔して、変な話を聞かせてしまって」


「……いえ、陛下」


 答えたルーカスに頷き、スレインは供の者たちを連れて墓地を去っていった。

 しばらく沈黙がその場を支配し、先ほどルーカスを殴ろうとした一人が舌打ちでそれを破る。


「ちっ、白けちまったな……帰るぞ」


 その言葉を合図に、若者たちは木柵を乗り越えて墓地を去る。

 最後尾にいた一人が、ルーカスを振り返り、少し迷うそぶりを見せた後に口を開く。


「わ、悪かったよ。墓参りの邪魔して」


 ルーカスは微苦笑を零し、気にするなと伝えるように軽く手を振る。

 再び墓地で一人になり、ルーカスは両親の墓を見つめた。今はこれで十分だ、と思いながら。

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