第128話 特産品②

 その翌週には、件の小作農が王領北部から王城へと連れてこられた。


「お、お、王領民の、け、ケ、ケルシーと申しますぅ……」


 謁見の間で玉座につくスレインの御前。これ以上ないほど緊張しながら床に膝をついて一礼したのは――おそらくスレインと同年代か、もしかすると年下かもしれない女性だった。

 古びた粗末な服からは彼女が貧しい暮らしをしていることが窺えるが、国王への謁見ということで王城の使用人たちから身なりをある程度整えられたようで、汚らしい雰囲気はない。淡いブラウンの髪も、こざっぱりと小綺麗にしていた。


「第五代ハーゼンヴェリア王国国王、スレイン・ハーゼンヴェリアだ。顔を上げていいよ」


「は、はいぃ……」


 がくがくと震えながら顔を上げた女性――ケルシーは、今にも泣きそうな顔をしている。

 スレインは隣に座るモニカと顔を見合わせ、二人でケルシーに微笑みかける。このままでは会話もままならなさそうな彼女を、少しでも安心させるために。

 そして、スレインは彼女を連れてきたヴィンフリートを向く。


「こんなに若い子だったんだね。砂糖の作り方を発明した賢い臣民と聞いていたから、なんとなくだけど、もっと年配の者を想像してたよ」


「お伝えするのを失念しておりました。申し訳ございません」


「いや、構わないよ。僕も何も聞かずに思い込んでいたから」


 気まずそうな顔をするヴィンフリートに、スレインは微苦笑して答える。


「じゅ、十六歳ですぅ……こ、こんな小娘ですみません……」


 ケルシーは消え入りそうな声でそう言いながら、室内をおどおどと見回す。

 この場にはスレインとモニカに加え、パウリーナ、セルゲイとワルター、護衛にヴィクトルと数人の近衛兵がいる。さらに、国内随一の大商人として砂糖に詳しいベンヤミンも同席している。ただの小作農にとっては極めて居心地の悪い空間であることは、想像に難くなかった。


「君を責めているわけじゃないよ。僕の方こそすまなかったね……それで、ケルシー。君は甜菜から砂糖のようなものを作る方法を見つけたそうだね?」


「は、はいぃ……た、多分ですけど、砂糖そっくりのものができたと思いますぅ……」


 おそるおそると言った様子で、ケルシーはスレインの問いかけに頷く。


「君はあまり裕福ではないと聞いているけど、よく砂糖の味を知っていたね?」


「さ、三年前に死んじゃったお父さんが、私がまだ小さい頃、何度か砂糖を買ってきてくれたことがあったので……小さい欠片をほんの一つか二つ齧っただけでしたけど、その甘さがもう、忘れられなくてぇ……」


「なるほど、そうだったのか。それで砂糖づくりに挑戦してみたの?」


「はいぃ。甜菜の根を齧ったら甘みがあったので、これを原料にして、砂糖に少しでも似たものが作れないかなと思いましたぁ……そしたら、思ってた以上に砂糖みたいなものが作れてしまってぇ……もしこれが本物の砂糖だとしたら、とても私には扱いきれない代物だなぁと思いましてぇ……王家に報告するべきだと考えて、クルノフにいたお役人様に報告しましたぁ」


「いい判断だったね。王家としても助かったよ。ありがとう」


「そ、そんなぁ。国王様からお礼の言葉なんてぇ……」


 恐縮を超えて恐怖を抱いているらしいケルシーを前に、スレインは優しい笑みを浮かべながら思案をめぐらせる。

 ヴィンフリートの報告からも分かっていたが、この臣民はやはり賢い。自力で砂糖らしきものの作り方を編み出した事実ももちろんだが、それが自分の手に余る情報だと判断し、家族以外の誰にも話すことなく真っ先に王家の官僚に伝えたという立ち回りこそが、賢さを証明している。

 おそらくは大した教育も受けていないであろう貧民で、この思考力は異例と言っていい。逸材を見つけたかもしれない。そう考える。


「それじゃあケルシー。早速だけど、その砂糖のようなものを作るところを見せてもらいたい」


「厨房に場所を移しましょう。案内しますね」


 スレインに続いてモニカが言い、立ち上がってケルシーの手を取る。あわあわと慌てるケルシーに優しく声をかけながら、そのまま彼女の手を引いて厨房へと向かう。その後ろに、スレインたちも続いた。


・・・・・・・


 さすがの手腕というべきか、モニカが穏やかに話しかけているうちに、ケルシーの緊張は大幅に和らいだようだった。

 おそらくはこちらが本来の表情であろう、おっとりした笑顔を浮かべながら、ケルシーはスレインたちの前で「砂糖みたいなもの」を作り進める。


「えーっと、こうして甜菜の根を細かく切り刻んだら、これを鍋に入れて茹でますぅ」


 甜菜は葉が野菜として利用され、根は貧民と家畜しか口にしないとされているが、ケルシーが原料として使うのはこの根の方だった。

 太く長く、どこか大根にも似ている根が柔らかくなるまで茹でたケルシーは、少し冷ましたそれを今度は布に包んで手で絞ると、茹で汁と絞り汁を合わせたものを煮詰めていく。

 汁からは湯気とともに、甘い匂いが漂ってくる。それを受けて、最初は本当に砂糖のようなものができるのか疑いの気持ちを抱いていたらしいセルゲイも、ケルシーの手元を真剣な眼差しで見つめる。

 睨みつけているようにも見えるその眼差しを受けて、ケルシーの顔が強張る。その緊張を和らげるために、モニカが横からまた話しかける。


「なるほど。甜菜から甘い汁だけを取り出して煮詰めていくんですね」


「そうですぅ。最初は根を丸ごと煮続けたりもしたんですけど、上手くいかなくてぇ。色々試してみて、結局こうするのが一番いいかなと思いましたぁ……ちなみに、汁を絞った後の根は家畜の飼料として使えますぅ」


 ケルシーは絞り汁の表面に浮き上がる灰汁を匙で小まめに取り除きながら、モニカの問いかけに頷く。話によると、彼女は想像力だけを頼りに何度か実験を重ね、ようやく砂糖らしき甘い固形物を作ることができたという。

 彼女の話を聞きながら、スレインはまた感心する。条件を変えながら試行錯誤をする、という発想を誰に教えられたわけでもなくできる時点で、下層の平民としては破格の賢さと言える。

 二人が話している間にも甜菜の根の絞り汁は煮詰まっていき、やがて茶色い粘性のある物体が出来上がる。ケルシーはそれを皿の上に移し、冷めて固まったものを適当な大きさに割る。


「これで、完成ですぅ」


 完成した砂糖らしきものの欠片を、まずは一応の毒見役を兼ねたパウリーナが一つ齧る。


「……問題ありません」


「味はどう?」


「強い甘みを感じます。確かにこれは、砂糖と言えるものかもしれません」


 スレインに尋ねられたパウリーナは、生真面目な表情のまま感想を語った。

 続いてスレインたちも、適当な欠片をつまんで口に入れる。


「……甘いね」


「ええ。普段口にする砂糖と比べても遜色ない甘さですね」


「ですが、少しばかり大味でしょうか」


「確かに、改良の余地はありますな」


「……見た目も味も、前回試食したものと同じです。どうやら再現性もあるようです」


 スレインが呟くと、モニカ、セルゲイ、ワルター、ヴィンフリートが答える。


「ベンヤミン、どうかな?」


 甜菜から作られたこれが、果たして砂糖と呼べるものなのか。その判断をする上で一番頼りになるのは、ハーゼンヴェリア王国内で商品としての砂糖に最も詳しい人間であるベンヤミンだ。そう考えてスレインは尋ねる。


「ふむぅ……色は、売り物の砂糖と比べると悪いですねぇ。味も……雑味が気になります。これはおそらく不純物を取り除ききれていないためでしょうか……」


 ベンヤミンは顎の豊かな贅肉を揺らし、目を閉じ、眉間に皺を寄せて考え込みながら、欠片を一つ、また一つと口に放り込む。

 合計で五つばかり欠片を食べたところで、その目がゆっくりと開かれた。


「……まだ改善の余地は大いにありますが、これは確かに砂糖です。陛下」


 ベンヤミンの下した結論に、その場が数瞬静まり返る。

 熟練の商人であり、舌で砂糖の本物と偽物を区別することもできる彼が、これは砂糖だと断言した。ということは、エリクセン商会でこれを「砂糖」と名づけて売れると判断したということであり、ただ見た目や味が似ているというだけにとどまらない。


「そうか。本当に甜菜から砂糖を作ることができるわけだね。これは素晴らしい発見だ」


 ジャガイモのついでに甜菜も栽培を行っていてよかった。心の底からそう思いながら、スレインは笑みを浮かべる。


「今までは輸入に頼っていた砂糖を、自国で生産できるようになるのは大きいね」


「はい。街道整備や王都の再開発に併せ、この砂糖を王領の新たな特産品として領外や国外に輸出することができれば、多大な利益を生むでしょう」


 スレインの言葉に、セルゲイも頷きながら意見を語る。


「まさしく仰る通りにございます。大陸西部の西端の国々で甜菜が作物化されて、まだ十数年と聞いておりますが……これほど早く甜菜の新たな活用方法が見つかり、おまけにその発見がハーゼンヴェリア王国でなされたとは。素晴らしい限りにございます」


 ベンヤミンも喜色満面で首肯し、しかしすぐに表情を引き締めて真剣な顔になる。


「ですが、おそらくこのままの出来では、現在この大陸西部の市場に出回っている砂糖ほどの値はつかないでしょう。見栄えをもっと整え、雑味も取り除いて安定した質に仕上げられるよう、研究する必要があるかと存じます」


 熟練の商人らしい意見を受けて、スレインは少しの間無言で思案する。

 そして、まずはセルゲイの方を向いて口を開く。


「セルゲイ。このケルシーを官僚としてハーゼンヴェリア王家で雇いたいと思う。どうかな?」


「……ここまでの立ち振る舞いを見ても、能力的には彼女は問題ないでしょう。情報の秘匿を考えても、得策かと存じます。私としては異論はございません」


 セルゲイの同意を確認し、スレインは今度はケルシーを向く。


「ケルシー、君はどうかな? 君にはこのまま砂糖の改良とその後の生産の管理を務めてほしいと思っているけど、王家に仕官する気はあるかな? 君と家族が王都に移り住む手配は王家がするし、移住後も不自由がないよう支える。給金はひとまず、君の今の収入の三倍を支払う」


「さ、三倍ぃ!?」


 驚いて叫ぶケルシーの声は、思いきり裏返っていた。


「あはは。君の挙げた成果を考えると、三倍でも不十分だよ。一応、砂糖の改良がどうなるか未知数であることと、他の官僚たちの待遇との兼ね合いもあるからその額になるけど、ある程度の期間が経って成果を見せてくれたら、すぐに給金を上げる。君の家族にも、今よりずっと良い生活をさせてあげられると思うよ……どうかな? 君にとって悪くない話だと思うけど」


「わ、悪くないどころじゃありません……願ってもないお話ですけど、私なんかが本当にいいんですかぁ?」


 上目遣いでおそるおそる聞いてくるケルシーに、スレインは微笑を浮かべて頷く。


「これほどの発見を成したんだ。王家は喜んで君を迎え入れるよ」


 彼女は賢い。このままただの小作農にしておくのはあまりにも勿体ない。王家の官僚として雇うに値する。

 むしろ手放すのは恐ろしい。砂糖の作り方を知っている彼女を田舎で無防備なままにして、彼女が開発者であると情報が洩れて他国に攫われでもしたら大損害になる。

 そして何より、自分は君主として、成果を挙げた臣民には相応の褒美や待遇をもって報いるべきである。そう考えたからこそ、スレインはケルシーにこのような打診をした。


「……わ、分かりましたぁ。それじゃあ、受けさせていただきますぅ」


「よかった。これからの働きにも期待しているよ」


 はにかみながら言ったケルシーに、スレインはそう言って笑いかけ、次にワルターを向く。


「彼女の立場については、ワルター、ひとまず君の部下ということでいいかな?」


「かしこまりました。農業長官として、彼女の研究を支援いたしましょう……実務については、このヴィンフリートに担わせたく存じます」


 旧ウォレンハイト公爵領でのジャガイモ栽培の普及任務もひと段落し、ヴィンフリートは今後はクルノフに常駐はせず、王都とクルノフを行き来しながら次期農業長官として実務の修業を重ねていくことになる。

 王国の新たな特産品となる砂糖については、その商品化の研究段階からヴィンフリートに関わらせ、上級文官として重要な計画を監督する経験を積ませたい。ワルターはそう語った。


「分かった。君が言うならそうしよう」


 実際の砂糖研究はケルシーが、その周辺の支援はヴィンフリートが、最終的な責任者はワルターが務めるかたちをとり、ひとまず今年中に一定の進展を示すことを目標に話はまとまった。

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