第127話 特産品①
六月。麦の収穫を迎えるこの時期は、ハーゼンヴェリア王国で、延いてはサレスタキア大陸の大半の地域で、最も社会が慌ただしくなる。
農民たちは麦を刈り、それを脱穀し、粉にする。人口の八割以上が農民であるこの社会では、ほとんどの者が収穫作業にかかりきりになる。そのため、ガレド大帝国の東部や北部の国境でさえも、徴集兵を大規模に動員できないこの時期ばかりは戦闘がほぼ止むという。
市域の周囲に広大な農地を抱える王都ユーゼルハイムも、例に洩れず忙しい。しかしそこには、今年も無事に収穫が叶ったことを喜ぶ歓喜の空気が満ちている。
「今年の収穫作業ですが、例年を大幅に上回る速さで進んでおります。やはり、オルセン王国より提供された最新農具が効果を発揮しているようです」
収穫期も終盤に差しかかった六月の下旬。王家所有農地の収穫作業を視察するスレインの隣に立ち、そう報告するのは、王妃モニカの父でもある農業長官ワルター・アドラスヘルム男爵だった。
「例のあれか。名前は確か、千歯こきだったかな?」
「はい。あれは単純な仕組みながら、やはり画期的な発明と言えましょう。脱穀にかかる時間が劇的に短縮されました。オルセン王国側の説明通りでした」
ハーゼンヴェリア王国とオルセン王国の結束を示す意味もあり、この春に実施されたのが、農業面での技術協力。その中で、オルセン王国からは従来のものに改良を施したいくつかの鉄製農具と併せて、「千歯こき」と呼ばれる新たな脱穀用農具が提供された。
これは鉄製の細長い棒を櫛の歯のように並べた大型の農具で、この歯に麦の穂を通すことで、叩き棒を使う従来の方法よりも遥かに効率よく脱穀を進められる。
仕組みが単純な千歯こきは複製も容易であり、収穫期の前に王領でもいくつか作られ、安価な使用料と引き換えに農民たちに貸し出されている。まだ試験的な運用にもかかわらず、目に見えて成果が出ているとワルターは語った。
「オルセン王国であれが発明されたのが二年前という話だったけど……どの国にも頭の良い人がいるものだね。それに、あっちでの実用化とほぼ並行して我が国に提供してくれたというのも、気前のいい話だ」
「まったくです。とはいえ、これほどの農具ならば、あちらが黙っていても十年とかからずハーゼンヴェリア王国まで伝わっていたでしょうが」
構造が単純で効果は抜群の新発明。そんなものを社会に広く導入させれば、そう時間がかかることなく周辺諸国にも情報が伝わる。秘匿する術はない。
オルセン王国の立場からすれば、放っておいてもいずれは知れ渡る情報をいち早く提供するというかたちで、ハーゼンヴェリア王国に最大限の恩を売ったことになる。
「まあ、それはうちのジャガイモも同じだからね。外交はこういうものだし、お互い様だよ」
スレインはそう言って苦笑した。
オルセン王国からの最新農具の提供と引き換えに、ハーゼンヴェリア王国からはこの数年で蓄積されたジャガイモの栽培知識と、樽にいくつ分もの種芋が提供された。
大陸西部の南側にある島国スタリアでは主要作物として定着が進んでいるジャガイモだが、大陸西部では南の沿岸地域でさえも全くと言っていいほど普及していない。せいぜい、花の観賞用としてごく少数が輸入されている程度だった。
これは、数十年にわたって平和な時代が続き、食料自給率も十分以上だったことで、各国が新たな作物の導入や研究にはほとんど力を入れていなかったことが理由にあると見られている。
しかし、今は事情が変わった。「同盟」の盟主として各国の先頭に立ち、大陸西部の平和を守ると覚悟を決めたガブリエラにとって、より効率的に食料を生産できる新たな作物は最優先で手に入れたい戦略物資と言える。
だからこそスレインは、いずれは周辺諸国にも利点を認識され、広まっていくであろうジャガイモを、このタイミングでオルセン王国に提供した。千歯こきの恩は、ジャガイモの提供によって既に返されている。
結果的に、ハーゼンヴェリア王国とオルセン王国は、それぞれ農業改革のための重要な知識・技術を他国に数年以上も先駆けて手に入れることが叶った。一方でその代価は「嫌でもいずれは国外に漏れる情報を、進んで友邦に提供した」だけ。
最小限の代価で最大の利益を得る。外交の鉄則を、両国は互いに手を取り合って達成した。
また、得たのは国内農業の効率化という実益だけではない。「同盟」のもとに友邦と密接に繋がれば、こうして最新の知識や技術を交換し、国内にいち早く取り入れられる場合もある。この事実そのものが、ゆくゆくは他国への大きなアピールとなる。
「農業の効率化とジャガイモのさらなる普及で食料自給率も高まるし、この調子なら、今後王領の人口が増えても大丈夫かな」
「街道整備や王都の再開発が進み、日雇い労働の需要が減れば、手の空いた臣民たちはそのまま小作農になります。農業の人手自体も増えることになりますので、仰る通り問題はないでしょう」
スレインの呟きに、ワルターが首肯する。
スレインの即位前から、王領の農業人口の増加と食料自給率の改善は重要課題だった。今後数年もすれば、大幅な進展が得られる目途が立ったことになる。
「後は、街道整備で交易がより活発になることを見越して、新しい特産品でも作られれば言うことなしなんだけどね」
王領北部の山岳地帯に鉄と塩の鉱脈を有するハーゼンヴェリア王国は、そのまま鉄と塩を主な輸出品としている。交易の品として価値は申し分ないが、多彩さには欠ける。
人の行き来が増えるのに合わせて、何か食材なり嗜好品なり魅力的なものがあれば、より多様な交易や交流が見込めるのだが。スレインのそんな呟きに、ワルターは微苦笑で答えた。
「確かにそうなれば最善でしょうが、なかなか難しいですな。数十年の平和な時代で、我が国の食文化もそれなりに発展を遂げましたが、目玉となるような新たな品は誕生していません。今から殊更に魅力的な食材や嗜好品が生み出されればよろしいですが……」
「あはは。まあ、そう都合のいい話はないか」
自身の呟きは半ば冗談だったので、スレインも笑って答え、この話はそれで終わる。
奇しくもその数週間後。「そう都合のいい話」が、スレインのもとに届いた。
・・・・・・・
急ぎ陛下の御耳にお入れしたい情報がある。
七月の上旬。先触れの伝令を通じてそう報告してきたのは、モニカの兄であり、農業担当の文官として旧ウォレンハイト公爵領に派遣されているヴィンフリート・アドラスヘルムだった。
王領の北西の端でジャガイモ栽培の普及に努めている彼からの、伝令にも詳細を教えられない急ぎの報告。一体何だろうかと思いながら、先触れから数日後にスレインは彼と顔を合わせる。
「直接会うのは久しぶりだね、ヴィンフリート」
「ご無沙汰しております、国王陛下……王妃殿下も、お元気そうで何よりです」
執務室の応接席。主君であり義弟にあたるスレインと、実妹であるモニカを前に、ヴィンフリートはそう言った。公的な場なのでかしこまった口調の兄を見て、モニカはクスッと笑う。
親族同士でお茶を囲みながら、久しぶりの再会を喜び合い、少しばかり雑談を交わす。
「……さて、それじゃあ本題に移ろうか。何か、急いで報告したいことがあるそうだけど?」
「はい、陛下」
ヴィンフリートは頷き、それまでの柔和な表情を仕事用の顔に変える。
そして、無意識のうちにか少し声を潜めながら言う。
「実は……王領北部で小作農をしているという平民が、甜菜から砂糖のようなものを作る方法を発見したかもしれない、と報告してきました」
その話を聞いたスレインは目を丸くする。スレインの横ではモニカも、そして二人の後ろでは、普段は生真面目な表情を崩さないパウリーナも、驚いた表情になる。
「砂糖を? 甜菜から?」
「はい。報告を受けたときは私も半信半疑でしたが、その小作農は実際に、甜菜の根を原料として砂糖に似たものを作り出して見せました。出来上がったものを実食しましたが、確かに味の方も砂糖によく似ていました」
砂糖は高価な嗜好品。サトウキビと呼ばれる植物から作られるが、そのサトウキビはサレスタキア大陸の気候ではなかなか育たないため、この大陸で流通する砂糖は全て南の島国スタリアや、そのさらに南にあるアトゥーカ大陸から輸入されている。そのため、庶民では滅多に手が出せない価格になっている。
平民として育ったスレインが王太子として王城に迎えられたばかりの頃、最も衝撃を受けたことのひとつが、日常的に甘い菓子を食べられることだった。王家の財力を、ある意味では最も分かりやすく直接的に知らしめてくれたのが砂糖の存在だった。
それほど高価なものを、あるいはそれに似たものを、ジャガイモのついでに栽培を進めていた甜菜から作れるとしたら。極めて大きな利益を生む発見と言える。ハーゼンヴェリア王国で砂糖のような嗜好品を生産できるようになれば、鉄や塩と並んで新たな交易の目玉にすることもできる。
これは朗報であると同時に、極めて慎重に扱わなければならない情報でもある。
「……その話、現時点で何人が知ってる?」
「私と代官のイサーク・ノルデンフェルト殿、私に報告を届けた部下、そして件の小作農とその家族です。部下には他言しないよう言明したので問題ありません。件の小作農は、この情報の重要性をよく理解しているようで、私が口止めするまでもなく家族以外の誰にも他言していませんでした。その家族というのも、身体が弱くほとんど家にいる母親と、まだ四歳でこちらもほとんど家にいる弟だそうなので、詳細な情報が洩れる心配は今のところないかと」
ヴィンフリートの話によると、件の小作農は王領北部の小さな鉱山都市の住民。
根が馬の飼料になり、山の麓のやや寒い地域でも栽培しやすい甜菜は、鉱山資源の運搬に荷馬を活用するこの都市で、一昨年から積極的に栽培が進められているという。
一部の貧しい民は、安価で量のある甜菜の根を自分で食べることもあり、この小作農もそうしていた。その際に、甜菜の根に甘みがあることに気づき、砂糖のようなものを作れないか思考錯誤した結果、ある程度それらしいものを完成させた。
高価な砂糖を作り出せたとすれば大きな成果だが、作り方や、甜菜から砂糖を作ることができるという事実を安易に広めればきっと騒ぎになる。そう考えた小作農は、このことをまずは王家に直接報告するのが最善と考えた。
この小作農が住む都市から最も近い場所にいる王家の直臣が、都市のすぐ西側、今は王家直轄領となった旧ウォレンハイト公爵領を管理しているという官僚たち……すなわちヴィンフリートたちだった。
麦の収穫が終わって少しの休みができたこの機に、小作農は旧公爵領都クルノフを訪れ、行政府に事情を報告した。この地における農業の統括者として報告を受け取ったヴィンフリートは、代官でセルゲイの甥でもあるイサークと話し合ってこれを重要な報告事項と結論づけ、スレインのもとに持ち込んだ。
これが、今日までの事の顛末だった。
「その話を聞く限り、どうやら件の小作農はとても賢い臣民みたいだね。王家としては助かった……その小作農にできるだけ早く会いたい」
「かしこまりました。数日中に連れてまいります」
スレインの言葉に、ヴィンフリートは頷いてそう答えた。
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