第121話 王都再開発

 五月に入ると、ヴァイセンベルク王国を脱出した難民がハーゼンヴェリア王国に入り始めた。

 一応、彼らは納税の義務を放棄した逃亡者ではあるが、母国であるヴァイセンベルク王国の王家にとっては「労力を割いて連れ戻しても納税の義務を果たす能力がない」存在であり、その周辺諸国から見ると「ただでさえ新領地の管理で忙しいのに面倒を見ていられない」存在であり、つまりは社会のお荷物と見なされた人々。

 昨年の戦争で賠償金は得たが領土は得ていないハーゼンヴェリア王国は、人口増による国力増大を見込んで、彼ら難民を温かく迎え入れた。現状では、最大で千人ほどまで受け入れる予定が立てられている。

 移住してきた難民は労働力になるが、ひとまずの世話には金がかかる。そのため領主貴族たちは彼らを領地にあまり受け入れたがらず、難民の大半は王領で保護することとなっている。

 王領、その中でも主に王都ユーゼルハイムで数百人の人口増を見据えるとなれば、その受け皿を作るための準備は必須。難民への対応以外にも、石畳による街道の整備が進んで今より多くの人や物が行き来するようになるまでに、王都に滞在する者や新たに定住する者を受け入れる余地を作らなければならない。

 そのため、王都では難民が入り始める前、四月のうちから再開発が始まった。八十年かけて少しずつ発展を遂げ、やや雑然とした様も見えるようになってきた王都の一部を、今一度整理するための計画が動き出した。

 そして五月の下旬。目に見えて変化が起こり始めた再開発現場を、スレインは視察していた。


「貧民街の小屋については、ご覧の通り全て撤去を終えました。一時的に住処を失った全住民を収容するテントの設営も済んでおります。元よりいた貧民たちと、ヴァイセンベルク王国より移住してきた難民たちの間に、目立った争いなどは起こっておりません」


 どこの都市もそうであるように、この王都にも貧民街が存在する。王都の南東区域にある貧民街を――正確にはその跡地を視察するスレインに、説明するのは案内役の商工業長官ルートヘル・ブラッケ男爵だった。

 都市内の再開発の陣頭指揮という仕事は、公共事業長官と商工業長官のどちらが担当するか微妙なところだったが、公共事業長官であるズビシェクが街道整備の指揮で多忙であるため、ルートヘルがこうして担当している。商人や職人への顔の広さを活かしながら。


「見たところ、貧民や難民たちの生活状況は悪くなさそうだね」


「はい。陛下のご指示通り、日に二回の食事を提供しているので、飢えている者はおりません。家屋建設や街道整備に参加し、日当を受け取る者も増えております。王国軍兵士が定期的に巡回しているので、治安も概ね良好です……少なくとも、以前の貧民街よりは確実に良い環境となっているかと。エインシオン教会も人道支援に協力的です」


 数百人が暮していた貧民街は、一度更地に戻された。元々住んでいた者たちは、移住してきた難民たちと並んでテントで寝起きしている。

 王家の施策によって家を壊されたことになる彼らは、しかし今までのバラック小屋――カビだらけの腐った壁や、穴と隙間だらけの屋根に囲まれた住居よりは衛生的でましな環境で暮らせるようになったため、不満は出ていない。逆に、現状を喜んでいる者がほとんどだった。

 今は初夏なので、テント暮らしだからといって凍える心配もない。そして冬までには、彼らは新たな家に入る。

 その新たな家の建設も進んでいる。


「こちらも予定通りです。現在建設が進んでいる最初の二棟は六月中に完成する見込みとなっております」


「六月までに二棟か……その進行具合で、冬までに全員を収容できる?」


「問題ないかと。王領へと受け入れる難民が増えるほどに、建設現場で働く肉体労働者も増えていく見込みなので、建設にかかる日数は短くなります。十月には予定数を建て終える計画のため、多少の遅れが出ても冬までには対応できます」


「そうか、それなら大丈夫だね。さすがだ」


 スレインはルートヘルと話しながら、建設途中の家屋――長屋と呼ばれる集合住宅を眺める。

 元々この貧民街は、小作農や日雇い労働者の中でも特に所得の低い者たちが住む区域。まともな家屋が並ぶ他の区域とは違い、住民たちが各々好き勝手にバラック小屋を建て、無人となって朽ちた小屋は放置され、混沌としていた。正確な人口も把握されていない。

 そんな貧民街は、今回の再開発で最も大きな工事を施される場所となっている。スレインは不衛生なバラック小屋を一掃し、新たにこの長屋を十棟以上、建設することを決めた。

 王都の再開発では数十年ぶりに市域拡張も行われる予定で、それに際してこの貧民街も拡張される予定。ここが貧民街ではなく、新興住宅街と呼ばれるようにすることを王家は目指している。

 家屋建設の人手として、ここに住むことになる貧民や難民たちも動員されている。この事業は都市の再開発であると同時に、雇用を生んで経済を回すための施策でもあった。

 予算の多くは、ヴァイセンベルク王国からの賠償金が充てられている。戦争は勝てば儲かるということをまたしても自ら証明したことに、スレインとしては思うところもあったが、金は等しく金である。懐に入ってくるのであれば、正しく使わなければならない。

 ちなみに、完成後の長屋は王家所有の貸家となり、入居者からは格安だが賃料が徴収される。その賃料が長屋の維持経費となる。


「これはこれは、国王陛下」


 と、不意に声をかけられてスレインは振り返る。


「……ベンヤミン」


 そこに立っていたのは、王家の御用商人であるベンヤミンだった。彼はいつものように笑みを浮かべ、揉み手をしながら歩み寄って来る。


「君も建設現場を見に来たんだね」


「はい。王家よりご依頼いただいた仕事が正しく果たされているか、そして王家より今後お預かりする長屋が順調に建設されているか、エリクセン商会の長として確認しないわけにはまいりませんので」


 王都の貧民街を大改造する今回の工事では、市井の建設業商会だけでは手が回らない。なので、国内随一の大商会として幅広い伝手を持つエリクセン商会も、建設資材の確保と輸送などに助力している。

 また、完成後の長屋の管理はエリクセン商会に任される。王家から最も信頼を置かれる御用商人として、ベンヤミンは新たに不動産事業に参入することになる。


「拝見したところ、建設は順調なようですが……男爵閣下、いかがでしょうか。資材の供給について、何かご不便などは?」


「問題はない。予定より少し早いくらいで、こちらとしても助かっている」


「それはよろしゅうございました」


 ルートヘルの返答を聞き、ベンヤミンは満足げに頷く。


「街道整備でも、エリクセン商会が石材の運搬を一部担ってくれているそうだね」


「はい、陛下。微力ながらお手伝いをさせていただいております」


「……それと、君も寄付をしてくれたと聞いている。ありがとう」


 スレインが笑いかけると、ベンヤミンのねっとりした笑みが深くなる。


「大変恐縮にございます。我が富は、王家への忠節を示したことで得られたもの。その幾何かを社会に還元するのは、一王国民として、エインシオン教の信徒として大きな喜びです」


 難民を支援するにあたって、ベンヤミンのような富裕層たちも私財を寄付してくれた。彼らの寄付は、テントや服、食事となって難民たちを助けている。


「今後も、多くの場面で君の力を借りると思う。よろしく頼むよ」


 これから人口が一割以上増え、来訪者も増えていくであろう王都では、宿屋や商店や工房も増えていくと見られている。王都の経済規模が拡大する中で、王領の商人コミュニティの中心にいるベンヤミンは、商工業長官のルートヘルと同等か、場合によってはそれ以上に重要な役割を担うことになる。


「もちろんでございます。エリクセン商会に何なりとお声がけください」


 その忠誠心を示すように、ベンヤミンは深々と一礼した。


・・・・・・・


 その後は王都内の通りや広場などの整備状況を視察し、その道中では臣民たちから声をかけられたり手を振られたりしてにこやかに応答し、スレインは王都中央教会のアルトゥール司教のもとを訪れる。

 エインシオン教会は政治的な力は弱いが、民の日常生活と文化に深く関わる存在。教会との繋がりを深め、維持しておくことは、スムーズな国家運営をする上で欠かせない。また、現在は難民支援で教会の手も多く借りているので、その点でも国王自ら感謝を伝える必要があった。


「――本当に助かってるよ。資金面は王家が解決できるけど、難民たちの世話をする人手の面では君たち教会の協力が不可欠だから。国王として、心から感謝してる」


「恐悦至極に存じます。神に仕える者として、我々も引き続き難民たちの手助けに力を尽くしてまいります」


 教会の応接室へと通されたスレインは、アルトゥール司教と和やかに会談する。


「難民支援の現場で、何か困っていることはないかな? 王家が力を貸した方がいいことは?」


「……それでは、畏れながら一点、ご相談が」


 遠慮がちな表情で、アルトゥール司教は切り出した。


「孤児院の運営について、少しばかり問題を抱えております。従来、孤児院には二十人から三十人程度の孤児がおりました。しかし、今回の難民の中には口減らしのために親から捨てられたという子供もそれなりにおり、そうした哀れな子供たちを受け入れたところ、定員の倍近い孤児を抱える事態となっておりまして……彼らの食事についてはなんとか確保しておりますが、衣服や寝床の確保が万全とは言えない状況です。教育の人手も不足し始めております。おそらく今後も孤児は増えていき、今年の終わりには定員の三倍以上になるものと思われます」


「……そうか、孤児がそんなに」


「はい。今回の孤児増加は一時的なものなので、数年もすれば状況は落ち着いてくると思いますが……」


 王都の孤児院はスレインの曽祖父、第二代国王が教会に作らせた施設。王家からは孤児院運営のための予算として毎年一定額の寄付がなされており、この孤児院があるおかげで、王領においては親に捨てられた子が行き倒れて飢え死にするような場面はほとんど見られなくなった。

 孤児院では聖職者たちによって読み書き計算の教育が施されており、成長した孤児たちは余計なしがらみを持たない頭脳労働者として一定の需要がある。王家でも他国や領主貴族家の息がかかっていない官僚として、孤児院出身者を何人も雇っている。

 孤児院の環境が悪化し、孤児たちが落ち着いた環境で教育を受けられなくなれば、毎年こうした人材を迎え入れている王領社会は困る。何より、孤児たち自身が将来の仕事や生活に困ることになる。そう考えたスレインは、即決断する。


「分かった。しばらく孤児院の運営規模を拡大できるよう支援しよう。手続きや調整があるから、すぐに国家予算から孤児院への寄付を増やせるかは分からないけれど……取り急ぎ、孤児院の環境改善に必要な資金は王家の私財を投じるよ。教師不足については、ひとまず孤児院出身の官僚を誰か送ろう。王家から手当を出せば、誰かしら志願者は出てくるはずだよ」


「それは……そこまでしていただいてよろしいのですか?」


 恐縮した様子の司教に、スレインはフッと笑って頷く。


「構わないよ。孤児たちも含め、子供は国の宝だ。彼らを悪い環境に置くわけにはいかない……それに、孤児院には母が世話になったからね」


 スレインの母アルマは、孤児として育ち、下級の文官として王家に雇われ、そこでスレインの父フレードリクと出会った。彼女は写本家となった後も毎年少額の寄付を孤児院に送っており、スレインにとって孤児院は母の実家に等しい。

 孤児数十人の衣服とベッドを用意し、彼らの腹を満たし、読み書き計算の教師を用意する程度の費用であれば、王であるスレインにとっては自分の財布から出すことなど何ということはない。


「このアルトゥール、国王陛下の慈悲深さにあらためて感銘を受けました」


「あはは、そんなに大したことじゃないよ。それじゃあ、孤児たちをよろしくね」


 物資や教師の具体的な手配については、後ほど詳細を詰めるために王城から人をやることを伝え、スレインは教会を後にした。

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